『三国志』再び 横山光輝 二十一巻 (original) (raw)
この表紙で舞い上がってしまう。ついについに。
しかし横山光輝氏はそう簡単には会わせてくれません。
ネタバレしますのでご注意を。
そう。読者のある意味、目的でもある孔明についにこの21巻でまみえるというので動悸も激しくなるのだが横山御大はそんなに簡単に歩を進めたりしないのだ。
まずは前巻の続きで命からがら逃げのびた曹仁が樊城に戻ろうとするとそこにはすでに「関」の旗がなびいていた。樊城は関羽によって落とされていたのだ。
この後玄徳は県令に会い県民を痛めつけるようなことはしないと伝えて安心させる。県令の劉泌も「玄徳様は民百姓を大切になさる方と聞いてございます」と最初から信頼している様子である。
玄徳はここで劉泌の側に立っている若者が気に入り「私の養子にくださらんか」と問いかけるのだ。
あああ、これが後の悲劇となってしまう。
彼は劉泌の甥っ子で名は寇封というのだ。養子は同姓の中でされるというのを聞いたけどこの場合は劉泌の甥だから良いってことになるのだろうか。
劉泌の実子ではないし劉備の養子になれるのはこれ以上ない幸運とも言えるのだろうけど。
直後これを聞いた関羽は驚き「荊州のお家騒ぎを見た後なのになぜ?」と珍しくも玄徳を問い詰める。しかしこの予感は当たってしまうんだよなあ。
とはいえさすがに決まってしまったことだ、と玄徳は関羽張飛をなだめた。
単福の意見で樊城は趙雲に守らせ玄徳たちは再び新野の城へと戻った。
しかし曹操は曹仁に「勝敗は兵家の常だ。家に帰って疲れを癒せ」と言い渡しただけだった。周囲の者たちは曹操に感服する。
ここで単福とは仮の名で本名は徐庶であるとわかる。
徐庶は潁川(曹操の領地)に住んでいて、義のために犯罪者となり友人たちの助けで単福と名乗って諸国を渡り歩いていたのだった。
曹操は非常に興味を抱き「知っていれば召し抱えたものを」と言う。これを聞いて側近がアイディアを出し単福=徐庶が玄徳から曹操の元へ移動する話となっていく。
これが後に「赤壁の戦い」にもかかわってくのだからちゃんと読んでなければならないね。
徐庶は評判の親孝行者で年老いた母をなによりも大切に思っていた。
曹操はそれを利用し老母を城に招き入れ徐庶を呼び寄せるように画策する。
が、さすがに徐庶の母親は頭脳明晰であり息子が玄徳の元で働いていることを喜び曹操こそ逆臣だと言い放つ。
やむなく曹操の側近は徐庶の母を優遇しその字を真似て徐庶をおびき寄せることにした。
徐庶がかわいい
この策略に母思いの徐庶はまんまとはまってしまう。母が会いたがっていると知った徐庶はすぐに玄徳に自分の素性と状況を話し別れを告げるのだった。
人情に厚い玄徳は徐庶の母思いに心打たれすぐに許すが心底では目を見張る兵法を指揮した徐庶を手放すのが悔やまれていた。
見送りは諦めがつかない。
いったん別れを告げた徐庶は戻てきて玄徳に大賢人をお訪ねください、と言い残した。
玄徳がその人の名を問うと
名場面ですぞ。
玄徳の顔wうれしそうw
徐庶は親切にもこの後諸葛亮の家に立ち寄り玄徳様をよろしくと頼んだのだがいらぬ世話をすると言わんばかりに諸葛亮はむっと機嫌を悪くした。
徐庶は心を痛めながらも母親の元へと走った。
これ以降の徐庶と母親の話は胸が塞ぐ。
玄徳の元で働いている息子が偽の手紙に惑わされて母親に会いに来たのを知りは母自害するのだ。
悲劇としか言いようがないのですが史実では徐庶は曹操のもとでかなり良い地位について幸せに暮らしたということらしい。
三国志演義では悲劇の人だけど史実では幸せだったならOKです!という思いであった。
さて物語は諸葛亮の生い立ちに入る。
孔明はかなり裕福な家柄ながら両親を早く失ってしまう。十歳の時から義母と腹違いの兄弟と共に戦乱の中を逃げ回り多くの難民の苦しみを見る。
長男である兄は義母と共に呉に行き孔明は叔父の玄に連れられ荊州に住むことになる。
ところが叔父の諸葛玄が任地の南昌で戦争を起こすこととなり敗戦し再び孔明は幼い弟
均を連れて逃げ再び荊州へと戻った。
十七歳の時、大学者石韜の門を叩く。
この時に徐庶とも出会う。
ここで孔明は頭角を現し二十歳の時には学ぶこともなくなっていた。
孔明はその歳で山の中に引きこもってしまったのだ。
学問を役立てることを知らず学問のために学問をする無能な人たち曲学阿世(道理を曲げて権力者や大衆に気に入られるようにする)の仲間から逃げたのである。
こうして孔明は多くの人々から嫌われごく限られた人たちとだけ交流した。
ふふ横山先生お得意の姿勢。
水鏡先生再び登場。
徐庶を失った玄徳の元に水鏡先生の訪問。玄徳は徐庶に教えられた伏竜・孔明のことを聞くが孔明はそう簡単に動く男ではない、と答えられた。
これを聞いた玄徳はよりいっそう孔明を動かしてみせる、と意気込む。
渋る張飛の尻を叩いて出かける。孔明の住む隆中では農民も謎めいた歌を歌っている。
しかし玄徳は孔明に会えない。
雪の降る日再び玄徳は関羽張飛を伴い隆中へと向かうがいたのは弟の均だけだった。
孔明は友人と遊びに出かけたという。
玄徳は孔明にあてた手紙を書き残し吹雪の帰路を辿った。
張飛は孔明など大した奴じゃないのではと言って玄徳を怒らせる。
関羽は玄徳に従った。
が、張飛も「一日たりとそばを離れるわけにはいかねえ」と結局ついてくるのだった。
孔明の宅を訪れと以前あった弟の均から「昨日の夕方帰ってきました」と告げられる。
中に入ると童子が「先生は今草堂でお昼寝してる」と言われる。玄徳は起こさず孔明の目覚めを待った。
やがて目を覚ました孔明は玄徳の来訪に気づき迎え入れた。
玄徳の手紙を読んでいた孔明はその気持ちに感服するがあなたのご期待に応える力はないと答える。
それでもなお「山にこもらず立ち上がってください」と願う玄徳に「三顧の礼を尽くしてくださったお礼に」と前置きして「今、魏の曹操、呉の孫権を討つのは不可能。荊州と益州すなわち西蜀五十四州ここに国を興して曹操の野心を砕くのです」と言い述べる。
「天下を三分し蜀の国を興して曹操と対等になることから始めてください」と説いた。
玄徳は孔明に「これからも側で私にお教えください」と望むも孔明は「自分はやはり分を守り畠を耕し本を読んでおります」と答える。
この涙に孔明の心が動いたのだろうか。
孔明は静かに「将軍の気持ちはわかりました」と答え玄徳のために尽くすと言葉にしたのだ。
この時、孔明二十七歳。
玄徳が世話になっている劉表の病は重かった。
玄徳を呼び寄せ自分の死後この国を継いでくれ、と頼む。
しかし玄徳はそれを喜んで受けることは忍びきれないのだった。
さらに劉表の長男である劉琦は自分の命を狙われていると玄徳に訴える。
玄徳はこの悩みを孔明によって解かせようとするが孔明は他人の家庭に立ち入りたくないと拒む。
それを聞いて劉琦は自害しようとした。
孔明はやむなく良計を教えることにする。
なんだかもう玄徳も孔明もややこしいのう。
いや孔明はいいけど玄徳のややこしさは筋金入りでこの後ずっとこのややこしい男を見守ることになる。