鼬の夜市 (original) (raw)

The lamp is lowというラブソングをご存知ですか? ドリス・ディやサラ・ボーンが歌っています。歌だけでなく、インストルメンタルとしてグレン・ミラー楽団も演奏しています。

早速、ドリス・ディ(Doris Day)の歌を聴いてみましょう。

https://www.youtube.com/watch?v=xyn7-f7fNC8

The lamp is low

Dream and watch the shadows come and go,

二人の影の移ろいを眺めては夢を見る

The lamp is low.

燈は仄暗く

While you linger in my arms,

あなたが私の腕の中にあるあいだじゅう

My lips will sigh I love you so

こんなにも愛してると私の唇は吐息のように囁き続ける

Dream the sweetest dream we'll ever know,

今までで一番甘い夢を見よう

Tonight the moon is high,

今宵、月は高くにあり

The lamp is low.

燈は仄暗く

!? なんか聴いた事のあるメロディですね。

そもそも「The lamp is low」を最初に歌ったのはアメリカ初の女性白人ジャズシンガーのミルドレッド・ベイリー(Mildred Bailey 1907~1951)。1939年の事です。

アメリカの作曲家ピーター・デ・ローズ(Peter DeRose 1900~1953)とバート・シャフター(Bert Shefter 1902~1999) が、ミッチェル・パリッシュ(Mitchell Parish 1900~1993) の歌詞をつけ、自作の曲「The Lamp Is Low」として提供したのです。

このデ・ローズは「夢のディープ・パープル」の作曲者で、多くのジャズマン達に楽曲を提供した名の知れた作曲家。パリッシュといえば「アラバマに星は落ちて」や「スターダスト」、「ソフィスティケテッド・レディ」、先程の「夢のディープ・パープル」などを作詞し殿堂入りした著名な作詞家です。

そんな彼が、二人が横たわるベット脇のナイトテーブルの上の仄暗い燈と、その寝室の窓越しに見える天空の月の煌々とした光を対比させつつ、セクシャルな歌詞を付けたのです。

ベイリーのThe lamp is low

https://www.youtube.com/watch?v=i66wAEfeBYM

ラヴェルが亡くなったのは1937年。当時は著作権の有効期間は死後50年(後に戦時加算の10年を加えた60年でしたが、現在は原則、死後70年間です)。ラヴェルは生前、アメリカにも演奏旅行に度々行き、成功を納めていました。ですから、許可なくカバーどころか、自分名義での発表というのは今の感覚では信じられないことです。

ですが、ベイリーだけでなく、多くのミュージシャンに「The Lamp Is Low」として、歌われ、演奏されたのです。それは先程のドリス・ディ、サラ・ボーン、グレン・ミラーオスカー・ピーターソン、ローリンド・アルメイダ、チェット・ベイカー、ハリー・ジェームズ、スコット・ハミルトン・・・、日本人では笠井貴美子と錚々たる顔触れです。

今、アップルミュージックなどの音楽配信で聞ける「The Lamp Is Low」に関しては、もう著作権問題はクリアしています。いくつか聞いてみました。元祖のベイリーのものは静かな感じですが、多くは官能的で、ラヴェルの原曲の持つ儚い様な透明な美しさはなく、雰囲気が違うというか・・・。そもそも原曲は恋人同士の愛の歌では無いですよね。

近年、ラヴェルパヴァーヌをヘイリー・ウェステンラは「Never Say Goodbye」(アルバム『ピュア』2004年 収録)という題で、平原綾香は「Pavane〜亡き王女のためのパヴァーヌ」(アルバム『my Classics!』2009年 収録)という題で、自作の歌詞で歌っています。内容は共に別れを惜しむ歌になっています。

ラヴェル著作権に関してはこれ以外にも、1981年日本の某高校の吹奏楽部が無許可で編曲した「ダフニスとクロエ」で全国大会に出場する事が問題になった「ラヴェル事件」等、色々トラブルがあった様です。

色々と聴き比べるとスウィングルシンガーズのパヴァーヌはむしろ原曲に忠実と思うのですが、レコード化が許可されなかった理由は何だったのでしょうか。気になります・・・

ラヴェルの私生活はドビュッシーフォーレら同時代のフランス作曲家のと比べ、真面目そのもので、彼は生涯、独身を通しました。

晩年、脳の病気で記憶が失われてしまったラヴェルがこの「なき王女のためのパバーヌ」を聴いた際、「美しい曲だね。これは誰の曲だい?」と尋ねたといいます。この曲を自分が作った事さえ忘れてしまったラヴェルですが、美しいものへの想いは決して失われる事はなかったのですね。とても切なくなります。

だからこそ、パヴァーヌは官能的なThe lamp is lowであってはいけないと思うのは僕だけでしょうか?

50歳の時のモーリス・ラヴェル

こんにちは。水音です。今日はクラシックの話です。

クラシックとジャズは聖と俗や高尚と低俗の如く正反対のものと思われがちですが、意外にも共通点があり、クラシックをジャズにアレンジした曲も多く、ラヴェルの「なき王女のためのパヴァーヌ」もその1つです。

フランスの印象派の作曲家モーリス・ラヴェル(1875〜1937)によって作曲されたこの美しい曲のフランス語の原題は ”Pavane pour une infante défunte”。 Infanteは幼児を意味するラテン語のinfansから派生した語で、スペインにおける王子や王女の事です。直訳すると「死んだ(défunte)スペインの王女(infante)のためのパヴァーヌ舞曲(Pavane) 」となります。

美しくも哀調を帯びたメロディーが「幼い王女の死」という言葉のイメージをより引き立てていますが、funteとfanteで韻を踏む言葉遊びになっており、作曲者ラヴェル本人がこの題名について「亡くなった王女の葬送の哀歌」ではなく、「昔、スペインの宮廷で小さな王女が踊ったようなパヴァーヌ」だと語っています。つまり「いにしえの(今はなき)幼き王女に捧げるパヴァーヌ」という事になります。

この王女はスペイン王フェリペ4世の娘で21歳の若さで夭折したマルガリータテレサ・デ・エスパーニャ(1651~1673)であり、当時の宮廷画家ベラスケスが描いた彼女の幼少期の肖像画ラヴェルが見てインスピレーションを得たという説があります。

ベラスケスの「ラス・メニーナス」 中央の少女がマルガリータ王女

この曲は最初1899年にピアノ曲として作られ、1910年にラヴェル自身によって管弦楽に編曲され、多くの名だたるピアニストやオーケストラによる演奏がレコード化やCD化されています。

それだけでなく、多くのジャズメンにも愛され、名演も多くあります。Apple Musicなどの音楽配信で手に入れやすいものをいくつか取り上げてみます。ジャズはアドリブが命ですからそれぞれ個性が出て、とても興味深い演奏になっています。

鼬の夜市にあるのは

・デオダート (1973年 アルバム『デオダート2』収録)

バックのストリングスのせいかクラシック感が強く所謂ジャズらしさは感じませんが、細部にしっかりジャズの隠し味を感じ、クロスオーバーの醍醐味を味わえます。

https://www.youtube.com/watch?v=7_1EYiTgN_A

・The L.A.4 (1976年 アルバム『なき王女のためのパヴァーヌ』収録)

出だしはキラキラ輝いた音で始まるのですが、肝心のアルメイダのギターソロがちょっと冗長で退屈かな?

https://www.youtube.com/watch?v=VDMnKEyCyeM

ジム・ホールアート・ファーマー (1978年 アルバム『ビッグブルース』収録)

マイク・マイニエリのヴィブラフォンは美しく、アート・ファーマーの溜め気味の優しい音色のフリューゲルホーンが心に染みます。後半は軽やかに転調し、ご機嫌なリズムを刻みます。それはまるで愛らしく舞う王女のステップの様です。

https://www.youtube.com/watch?v=P587X67zeeU&t=2s(23分過ぎから)

・スティーブ・キューン・トリオ (2005年 アルバム『なき王女のためのパヴァーヌ』収録)

こちらもクラシックぽい演奏で始まりますが、後半から軽やかにスイングし、哀感というよりジャズクラブでグラスを傾けながら聴きたい一曲です。

https://www.youtube.com/watch?v=qm5sF4DSWQE

LA4 デオダート ジムホールとアートファーマー スティーブ・キューン

他にもヨーロピアン・ジャズトリオなど多くのジャズミュージシャンに愛された「なき王女のためのパヴァーヌ」ですが、幻の演奏があります。それはスウィングルシンガースというフランスのアカペラコーラスグループによるものです。

スウィングルシンガースはアメリカ人のワード・スウィングル(Ward Swingle 1927~2015)が1962年にパリで結成し、彼を含めソプラノ、アルト、テノール、バスが各2名ずつの8人のグループ。リード・ソプラノはミシェル・ルグラン姉のクリスチャンヌ・ルグラン(Christiane Legrand 1930~2011)で、クラシックの名曲をダバダバと歌い、バッハの作品を歌ったり、MJQと共演したり(アルバム『ヴァンドーム広場』)と当時は世界的にも人気のあるグループでした。(1973年にオリジナルメンバーは脱退し、違うメンバーですが今でもグループはイギリスで活動しています。)

http://www.wardswingle.com/

パヴァーヌ」は1967年発売のレコード『スペインの印象』に入れる予定だったそうですが、レコードはロドリーゴの「アランフェス」に差し替えられて発売されました。

なぜ、パヴァーヌがお蔵入りとなったかというと、当時、著作権の所有者によってスウィングルシンガースによるレコード化が反対されたのだそうです。

1937年に62歳で亡くなったラヴェルは生涯独身を通し、また遺族である弟エドゥアールドには子供がおらず、1967年当時、著作権は弟の運転手が引き継いだそうです。(現在、著作権は通常、没後70年で著作権有効期間が失効。)

ですがライブでは歌われていて、その音源がネットに上がっていました。

https://danslombredesstudios.blogspot.com/2014/09/unreleased-recording-pavane-for-dead.html

ジャズのアレンジはあるものの、ラヴェルの世界観を壊す事なく、とても美しいコーラスで、室内楽を聴いているかの様です。(余談ですが、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」には第2組曲の全員の踊りに歌詞のない合唱があります。)

お好きなアレンジはありましたか?

こんにちは水音です。ご無沙汰しています。今日はボクの好きなピアニスト、ビル・エヴァンスの話です。

ビル・エヴァンス晩年の名アルバム『ユー マスト ビリーヴ イン スプリング(You Must Believe in Spring)』、このアルバムはエヴァンス死の翌年、1981年に追悼盤として発売されましたが、録音は1977年。3年ほど眠っていたんですね。アルバム表題の You Must Believe in Spring を日本語に訳すと、「あなたは春(の訪れ)を信じなければなりません」。つまり、春は必ず来るんだよ、という意味ですね。でも、悲しいかなエヴァンスにとって1981年の春は来なかった・・・。美しくも悲しいメロディが、まるで己の死を予感しているかのように聴こえます。

エヴァンスはこの曲がお気に入りだったようで、エヴァンスと同年代のジャズシンガー、トニー・ベネットとのデュオアルバム『トニー・ベネットビル・エヴァンス トゥギャザー アゲイン (Together Again)』(1977年)にも同曲が含まれています。

When lonely feelings chill the meadows of your mind.

Just think if winter comes, can spring be far behind?

Beneath the deepest snows the secret of a rose is merely that it knows.

You must believe in spring.

Just as a tree is sure its leaves will reappear.

It knows its emptiness is just a time of year.

The frozen mountain dreams of April's melting streams

how crystal clear it seems.

You must believe in spring

You must believe in love and trust it's on its way

Just as a sleeping rose awaits the kiss of May

So in a world of snow, of things that come and go Where what you think you know, you can't be certain of

You must believe in spring and love

失恋した寂しい心を凍てつく冬に例え、雪解けと芽吹きの春が必ず来る。今は雪の下で眠るバラだって春からの目覚めのキスを待っている、と新たな愛の訪れを春の訪れをになぞらえて、信じて待ちましょう!と歌っています。

この歌詞はアラン&マリン・バーグマン(Alan & Marilyn Bergman)によるもの。この二人はアメリカで活躍する作詞家夫妻で、バーブラ・ストライザンド主演の映画『追憶(The Way We Were)』の同名の主題歌も彼らの手によるものです。

ですが、そもそもこの曲はジャック・ドゥミ監督によるフランスのミュージカル映画ロシュフォールの恋人たち』の劇中歌「マクサンスの歌(Chanson de Maxence)」なのです。この歌詞は監督のジャック・ドゥミによるもので、春も失恋も全く関係ないものです。

ボクはフランス語は得意ではないので、歌詞の日本語訳はMonsieur Double Hさんのブログ「フランス語の扉を開けてみた」(http://enseignant.blog102.fc2.com/blog-entry-47.html?sp)から引用させていただきました。

Chanson de Maxence

マクサンスの歌

Je l'ai cherchée partout j'ai fait le tour du monde
あちこち彼女を探したよ 世界中を回ったのさ
De Venise à Java de Manille à Hankor
ヴェネチアからジャワ マニラからアンコール
De Jeanne à Victoria de Vénus en Joconde
ジャンヌもヴィクトリアもいたけど
ヴィーナスもモナリザも見たけど
Je ne l'ai pas trouvée et je la cherche encore
見つけられなかった そしてまだ探し続ける

Je ne connais rien d'elle et pourtant je la vois
彼女のことはなにも知らない でも僕にはわかるんだ
J'ai inventé son nom j'ai entendu sa voix
名前もつけたし その声も聞いたよ
J'ai dessiné son corps et j'ai peint son visage
彼女の姿を描き 顔も描いてみた
Son portrait et l'amour ne font plus qu'une image
その肖像画と愛はもはや一つだけのイメージに完成した
Elle a cette beauté des filles romantiques
彼女はロマンチックな娘 ボッティテリの絵画の女の美しさをそなえ
Et d'un Botticelli le regard innocent
穢れなきまなざしをもち
Son profil est celui de ces vierges mythiques
そして 神秘的な聖母の横顔をもち
Qui hantent les musées et les adolescents
美術館や青春期の夢に出没する

Sa démarche ressemble aux souvenirs d'enfant
その歩き方には子供時代の名残があり
Qui trottent dans ma tête et dansent en rêvant
僕の頭の中を駆け回り、夢を見ながらダンスする
Sur son front, ses cheveux sont de l'or en bataille
その額では 金色の髪の毛が乱れる
Que le vent de la mer et le soleil chamaillent
海風と太陽の争いによって

Je pourrais vous parler de ses yeux, de ses mains
僕はあなたに彼女の目や手のことを話すことが出来るんだ
Je pourrais vous parler d'elle jusqu'à demain
彼女について明日までずっと語ることだってできる
Son amour, c'est ma vie mais à quoi bon rêver?
彼女への愛が僕の人生 でも夢をみて何になる?
Je l'ai cherchée partout je ne l'ai pas trouvée
あちこち探したさ でもまだみつかってない

Est-elle loin d'ici? Est-elle près de moi?
彼女は遠くにいる? それとも近くにいるのかな?
Je n'en sais rien encore mais je sais qu'elle existe
それはまったくわからない でも 彼女が存在していることは確か
Est-elle pécheresse ou bien fille de roi?
彼女は罪人か? それとも 王女か?
Que m'importe son sang puisque je suis artiste
血筋なんてどうでもいいのさ だって僕はアーティストだから
Et que l'amour dicte sa loi
愛だけが法律を作るんだ

いかがでしょうか。

このシーンは、ロシュフォールの街に寄港したフランス海軍の水兵マクサンス青年(演:ジャック・ペラン)は、主人公一家が営むカフェでくつろぎます。

ロマンティストの彼は水兵として世界中の国々を巡りながら、自分の理想とする女性を探していたのです。

その女性とは? 残念ながらカトリーヌ・ドヌーブ演じる主人公のデルフィーヌでもなく、姉のソランジュでもなく(ドヌーブの実姉、フランソワーズ・ドルレアックが演じています)。

夢多き芸術家肌のマクサンス青年の理想の女性は、モナリザかヴィーナスか、それとも聖母マリア

いえいえボッティチェリ描く美しい女神の様な横顔、額に掛かるブロンドの髪、時々見せる子供っぽい仕草や無垢な眼差し、優雅に踊るその姿。

一体彼女は何者? 異国の王女か、はたまた咎人か。

未だ会った事はないけれど、彼の頭の中にははっきりと存在し、名前も付けたし、描くことさえできる理想の女性・・・

と、マクサンス青年はその幻の女性を歌っているのです。それだけでなく歌詞には「春(le printemps)」という単語もない始末。

強いて言えば歌詞に出てくるBotticelli、これはルネサンス期のイタリアの巨匠、サンドロ・ボッティチェリ。彼の『プリマベラ(春・Primavera)』という作品から英語の歌詞はインスパイアされたのでしょうか?

今やこの曲はエヴァンスの ”You Must Believe in Spring“ としてジャズ史上に残る名曲となり、いろいろなジャズミュージシャンによってカヴァーされています。

さて、エヴァンスの死は、また日本でコンサートが聴けると思っていたのでファンとして衝撃的でした。

ところで、この追悼盤発売当時このアルバムはスイングジャーナルのあのブルーのロゼッタマークのゴールドディスクにも選ばれていなかったと記憶しています。

エヴァンスといえばリバーサイド時代のものが最高と言われていて、麻薬のせいでしょうか、晩年の彼の評価はイマイチでしたから。

ですが、このアルバムは時間が経つにつれて評価が高まり、亡き内妻エレインに捧げた”B Minor Waltz“や、亡き兄ハリーに捧げた ”We Will Meet Again“。「自殺は痛くない」とふざけたサブタイトルを持つコメディ反戦映画の主題歌”Theme From M*A*S*H“さえもエヴァンス自身の死と相まって哀切と無常漂う独特の世界観で、あの『ワルツ・フォー・デビイ (Waltz for Debby) 』と並び称される名盤となりました。

たまにはまったりとレコードで聴きたいね。
「ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング/ビル・エヴァンス

こんにちは、水音です。

もう6月。夏が近づくとボサノヴァが恋しくなります。

湘南、江の島海岸の照りつける太陽を想起させるセルジオ・メンデス。

ちょっと気取った都会的なインストルメンタルのアントニオ・カルロス・ジョビンはシティホテルのプールサイドが似合うイメージ。

ジョアン、アストラッド・ジルベルト夫妻の歌声はちょっと気怠さが漂い、葉山のマリーナ。

ボクの勝手なイメージですがww

鬱々とした雨の日でも、優しいアルトサックスの音色が心地よく、心がほっこりとする1枚です。

デスモンドはちょっとマイナーかもしれませんが、1924年生まれの彼はウエストコースト・ジャズを代表するミュージシャンの一人で、ピアニストのデイヴ・ブルーベックのグループ以外でもサイドメンとして色々なジャズメンと共演しています。

ちなみにボクが初めて彼の演奏を意識したのはCTIレーベルのジム・ホールの「アランフェス協奏曲」でです。(ちなみにCTIで一番売れたアルバムがこれだそうです。)

ジャズのサックスといえば、デクスター・ゴードンのアルバム「バラード」所収の「 I'm a Fool to Want You」 のような「咽び泣くテナーが王道!」という勝手なイメージがボクの中で出来ていたのですが、デスモンドのアルトの持つ伸びやかさや軽さが、流麗で主張しすぎず周りと調和して、グルーブ感というかご機嫌さはしっかりで心地よいです。

そしてデスモンドは、あの「テイク ファイブ」の作曲者。デスモンドの名は知らなくてもあの不思議な5拍子の「テイク ファイブ」を知らない者はいないって言っても過言ではないのでは?

そんなデスモンドはリーダーアルバムが少ないのですが、ボクはこのアルバム「ボッサ アンティグア」がお気に入りです。

このアルバムのトップは「テイク テン」。どこか聞いたことのあるようなと言うより、まるでパチモンみたいな曲名ww

それもそのはず、自作「テイク ファイブ」へのアンサーソングなんですね。タイトルだけではなく、既視感ならぬこの既聴感。

コードがどうのこうのなんていう難しいことは置いておいて、それは、喩えてみるとまるでG線上で線対称になっている感じです。もちろん、譜面上の正確なものではなく、そんな感じがという意味です。

同じアルバムに所収の「東9丁目の女 」。曲名はまるでハードボイルド小説に出てくる事件の重要な鍵を握るコールガールみたいですが、原題は”The Girl from East 9th Street”。

イパネマはリオにあるブラジル一の美しい浜辺。モライスの歌詞は、颯爽とイパネマの浜辺を歩く、とても素敵な長身の美少女エロイーザ(実在の人物)への想いを謳っています。

となるとこの「東9丁目の女」はどんな女性なのでしょうか。

東9丁目はニューヨーク、マンハッタンの一角。Googleストリートビューで見てみると、写真、スタジオ、照明、ギャラリーなどアート関係のお店が建ち並んでます。

かつてのイパネマビーチの美しい娘は、今はニューヨークでブロードウェイを目指す、オフブロードウェイのバックダンサーなのかもしれません。

そんな妄想逞しく聴いてみるのも一興かも♪

テナーサックスのスタン・ゲッツもボサノヴァを多く演奏していて好きなミュージシャンの一人です。夏本番はこれから。彼の事はまたの機会に。

今日もお店には銀月クンが遊びに来てくれました

ボッサ アンティグア

テイク テン

東9丁目の女

鼬祭企画グループの「いたち画廊」。そこはフェレットフェレットオーナーのためのバーチャル画廊です。

画廊のスタッフもフェレット、扱う作品はフェレットを中心としたイタチ科の動物アートとフェレット尽くし。

そして、画廊にはジャズが流れるカフェバー「鼬の夜市」が併設されています。マスターのてんたまの元、ボク、バーテンダーの水音がジャズのお話をお届けします。どうぞご贔屓に。

本家のいたち画廊のXはこちら。

https://twitter.com/momoko_deluxe

ボク 水音。久保俊太郎さまに描いていただきました。