日本の大企業が「情報弱者」に落ちぶれた、という危機的現実 (original) (raw)

デジタルテクノロジーが社会に浸透し、これから何が起こるのか? 未来を語るときに私たちが陥りがちなバイアスとは? 今、日本企業が抱える深刻な課題とは? 『さよなら未来』著者で『WIRED』日本版前編集長・若林恵さんに話を聞いた。

(取材・文:柴那典/写真:三浦咲恵)

これから起こる「本質的な転換」

――『さよなら未来』では、デジタルテクノロジーによって社会全体が中央集権から分散化に向かっていくということが書かれています。そういった時代の趨勢の中で、分散化されていないのは何かという発想で『WIRED』の特集を企画されていた。

はい。

――この先も分散化の流れは様々な分野で続いていくと考えてらっしゃいますか。

完全にそうだと思います。

今のステータスがどういうことになっているかというと、ようやく本当の意味でデジタルのテクノロジーが社会のかなり深いところまで浸透しきったという状況だと思うんです。

今までのように、SNSで友達ができて「いいね!」をしあっているなんて、言ってみたらどうでもいい話なんですよ。それはあくまでも表層の話なので。たぶん本質的な転換は、むしろこれから起きるのかな、と。

――どういうことでしょうか。

Facebookが実名投稿をして10年弱のあいだに、起こったことって、簡単にいうとインターネットを経済空間として作り変えるということだったと思うんです。

ただ、それをちゃんとそういう空間として安定化しようと思ったら、その空間内における人のアイデンティティをちゃんと行政上のアイデンティティとリンクさせなきゃいけない、というような問題が出てくるわけです。

とすると、それにひもづく形で、納税・徴税やら保険やらもデジタル空間上で運用する必要になってきたりして、要は、デジタルテクノロジーが行政制度上の核心部にまで貫通しつつあるということで、これは、社会を成り立たせているど真ん中の制度の改変を意味することになるので、うまくやらないと社会が機能不全に陥るだろうというくらいのおおごとになるんじゃないかと思います。

北欧で考えられている「未来像」

――具体的に言うと?

こないだ、いくつか北欧の国に、フィンテック界隈の視察にいったんです。そこで気づいたのは、北欧で考えられている未来像は、ピラミッド型に上に向かってお金や情報が集約されていく今までの社会構成とはまったく違うものだということなんです。

これまでは、銀行の制度も基本的には大企業のお金を取り扱うのに最適化された形態で、会社が個々人を肩代わりして、面倒くさい税務上のやりとりや社会保険の手続きもやってくれていた。

でも、北欧なんかを見てると、「企業」という主体が経済と社会のメインのドライバーであるという考え方自体がもはや終わっていくんじゃないかという見立てが裏側にあるように思えたんです。

これからの社会と経済のメインのドライバーは、企業ではなく、やっぱり個人になっていくというのが、彼らの未来像の根底にはあるんです。

彼らは、そうした個人を「マイクロアントレプレナー」と呼んでいます。マイクロアントレプレナーというのは、言い方としては格好いいんだけど、要は個人事業主のことで、自分でそうしたくてフリーランサーや個人事業主になっている人だけでなくて、企業が倒産して失業した人もそこには含まれます。

そういう人たちが、一人で事業主として生きていくことになったときに、そのハードルができるだけ低くなっているような、そういう社会を実現しないといけないという認識が、まずは行政がやっている「デジタル化推進」の根底にはあって、フィンテックと言われるものは、それと連動しながら、同じような認識のなかで活発に展開されているんです。