エコの代名詞「有機農業」が、ナチスと深く関わった過去 (original) (raw)

「有機農業」や「エコ」という単語を目にすると、私たちは「何かいいものである」と思いがちだ。しかし、かつてこうした農法がナチスと接近した過去を持つと聞けばどうだろうか。有機農業が称えがちな「自然」や「美しい風景」は、一歩間違えると、ナチスが推奨した「混じり気のない優秀な人間」を「自然のなかで育てる」という人種主義に接続しかねない。有機農業の発想を今後生かしていくためにも、こうした過去と向き合う必要がある。

二つの有機農業

第一次世界大戦の大量殺戮と大量破壊の傷跡から少しずつヨーロッパが復興し始めた1925年、いまなお大きな影響力をもつ二つの有機農業がインドとドイツで産声をあげた。ひとつは、インドール農法である。

インド中部のマディヤ・プラデート州のインドールという都市で、イギリスの植物学者アルバート・ハワードが体系化した農法である。化学肥料をいっさい用いず、堆肥の土壌改良力を活かす。日本を含め世界各地でいまも実践されている。

もうひとつは、バイオダイナミック農法である。現在のポーランドのヴロツワフ、かつてのドイツのブレスラウという都市で開催された連続講座で、人智学者ルードルフ・シュタイナーが、1922年頃から化学肥料を拒絶した農業を営んできた人智学徒の農法を理論化した。

シュタイナーは、独特の世界観に基づき、牛糞などを詰めた雄牛の角を土のなかで寝かせて「力」を溜め、その調合剤を水で薄めて水に「力」を移し、圃場に散布するという農法を体系化した。いまなおこの農法は廃れることなく続いており、ドイツでも人気のある有機農産物のブランドとなっている。

「力」という概念が難しいが、シュタイナーは「農民の『愚かさ』は神の前では叡知であります。農民たちが自分たちの仕事について考えてきたことは、学者たちが考えてきたことよりも、はるかに優れたことであった」と述べているように、当時、長足の進歩を遂げていた化学よりも農民の「知恵」を重視する態度を見せるなど、同時代への批判は鋭い。

シュタイナーの『農業講座』は、この意味で同時代の貴重な資料としても興味深い(新田義之他訳)。

ナチスとの出会い

バイオダイナミック農法の講座の開催された1925年にシュタイナーは死ぬが、この農法の支持者たちは、エアハルト・バルチュというリーダーのもと「バイオダイナミック農法全国連盟」を結成した。だが、この誕生から8年後、アードルフ・ヒトラーが政権を獲得した。バイオダイナミック農法は、ナチス時代を迎え、そのなかで両者は接近していくことになるのである。

1933年、ナチスが政権を取る〔PHOTO〕Gettyimages

あらかじめ断っておきたいのだが、わたしは有機農業に汚名を着せるつもりは一切ない。さいわいにも、『ナチス・ドイツの有機農業』という本を上梓したあと、わたしに苦情を伝えた有機農業の従事者はいなかったが、とにかく研究の最終的な目標地点は、所得の高低に関わらず誰もが受容できる有機農業の発展への理論的アシストにほかならない。

世界中で沸き起こっている遺伝子組み換え作物への拒否運動と、とくに欧米での有機農産物の消費の爆発的増加、そして農薬被害の増大のなかで、国連が「アグロエコロジー」を訴え、農学と運動の融合を唱えるまでに至り、農薬や化学肥料を極力排した農業を推進していることは話題になっている。

そしてその多くの動きが日本の提携運動や生協運動を先駆的だと評価する一方で、日本政府は冷淡なままだ。そんな日本で、有機農業の可能性を考えるためにこそ、わたしは、たとえ遠回りであったとしても、ナチスと近接した負の過去と向き合うことが重要だと考える。