男たちはなぜ「上から目線の説教癖」を指摘されるとうろたえるのか (original) (raw)
説教したがらない男の皆さん、安心してください
「マンスプレイニング」(mansplaining)という言葉をご存じだろうか。「マン」(man、「男性」)+「エクスプレイン」(explain、「説明する」) を縮めて動詞「マンスプレイン」(mansplain)、その動名詞が「マンスプレイニング」だ。知っている方も多いと思うが、一応オクスフォード英語辞典で定義を確認してみよう。
男性について使う言葉。(通常は女性に話しかけている時に)必要もないのに、横柄だったり、相手を見下していたりするようなそぶりでものごとを説明すること。とりわけ保護者ぶっていたり、男性優越主義的な態度を示していたりすると思われるような口ぶりの時に使う。(拙訳)
つまり、相手の女性が既に知っていたり、説明してもらう必要がないと思っていたりするのに、男性が偉そうに説明をするのが「マンスプレイニング」だ。とくに女性の健康とか、性差別とか、女性のほうがよく知っている可能性が高そうなことについて上から目線で男性が話す時や、相手が専門的知識を持っているのに自分の知識を無意識にひけらかそうとして話す際によくこの言葉が使われる。
この概念が広まるきっかけになったレベッカ・ソルニットのエッセイ「説教したがる男たち」(“Men Explain Things to Me”、 レベッカ・ソルニット『説教したがる男たち』ハーン小路恭子訳、左右社、2018年に収録)では、パーティでソルニットが写真家エドワード・マイブリッジについて本を書いたと言った時、話し相手の男性が、自分では読んでもいないのに「今年出たばかりのマイブリッジ関連のとても重要な本を知ってるかね」(『説教したがる男たち』、p. 8)と、ソルニットの著書について長々と知識を披瀝しはじめ、途中で目の前にいるのがその本の著者だと気付いて驚愕…という話が出てくる。
これはおそらく、女性の多くが経験したことがある話だ。私ももちろん、飽きるほど経験した。
「マンスプレイニング」という言葉を聞いたり、それに類する行動が議論されたりしているのを見ると、男性がかなり激烈な反応を示す、ということはよく言われている。
ライターのセイディ・ドイルは『エル』の記事で「この言葉が使われるのを見るたび、マンスプレイニングを指摘された男性から、まさにこの概念の要点を証明してくれるような感じの強烈で攻撃的な反応が返ってくる」と言っている。
ソルニットにも、エッセイを書いた後にやたらと「説教」のようなコメントが男性から送られてきたそうだ(『説教したがる男たち』、p. 21)。
しかしながら、私がいつも不思議に思っていることがある。この言葉が話題に出ると、とくに説教好きとは思えない男性まで強く反応するように見えるのだ。普段からそうなら、図星をつかれて…というのもわかる。一方でソルニットも明確に言っているように、全男性が内在的に説教癖を持つわけではない (「説教したがる男たち」、p. 22)。
私が見るところでは、礼儀正しく話の面白い男性も、この言葉が出てくると激しく反論したり、逆に「自分の話は実はマンスプレイニングだったのでは」と突然しなくてもよい反省を始めたりすることがある。いやいやあなたは安心して大丈夫ですよ、と思う。
この記事では、なぜ「マンスプレイニング」という言葉がこんなに広まり、大きな反応を引き起こすのか、言葉と概念の歴史をたどりながらウーマンスプレインしていきたい。