「平成」とは何だったのか? ミスチルと日本代表から見えた時代精神 (original) (raw)

「平成」とは、どんな時代だったのか。

日本代表とMr.Children』は、その書名の通り、サッカー日本代表とMr.Childrenの歩みを論じることで、その問いに一つの解を見出す一冊だ。

1993年にJリーグが開幕しブームを巻き起こしたちょうどその頃、Mr.Childrenはブレイクを果たしスターダムを駆け上がる。以来、今に至るまでミスチルは“国民的バンド”であり続け、サッカー日本代表はW杯の度に“国民的熱狂”を生んできた。

そして、両者は相思相愛の関係性でもある。桜井和寿と名波浩の公私にわたる交流や、長谷部誠が大のミスチルファンであることなど、選手とバンドとの結びつきも広く知られている。

二つの「国民的コンテンツ」の結びつきは、平成という時代のどんな価値観や精神性を象徴しているのか。キーワードは「自己実現」と「広告」。共著者の一人である映画・音楽ジャーナリスト、宇野維正さんに語ってもらった。

「平成」の精神性を解き明かす

――『日本代表とMr.Children』は、両者の歩みから平成という時代の精神性を解き明かす一冊になっていると感じました。これは、そもそもそういうことを意図して企画したんでしょうか?

宇野 いや、完全に途中から気付いた感じですね。ワールドカップ自国開催の誘致が始まったのが89年の始め。現メンバーがMr.Childrenというバンド名を名乗るようになったのも89年の元日。つまり、どちらも平成が幕を開けるとほぼ同時に始まっている。そして、ミスチルも日本代表も、平成のほぼ全ての時期を通して常にトップコンテンツだった。

ワールドカップ出場を前提とした日本代表の発展も、ミスチルというモンスターバンドも、昭和の時代には影も形もなかったもので、平成が終わった後も続いていく。これだけ大きな文化的影響力があるもので、そういうものって他にほとんどないんですよ。そういうこともあって、結果的に平成という時代の精神性を反映した本になったと思います。

――「ミスチルに支えられた日本代表」「サッカーに救われた桜井和寿」という帯の言葉が、本の二大トピックになっていますよね。単に桜井和寿がサッカー好きでミスチルファンのサッカー選手が多いということではなく、両者が互いに「支えられた」「救われた」という関係性が、この本の主軸になっている。

宇野 そうです。ミスチルの音楽のあり方には、ただの鑑賞するものというだけではなくて、その人の人生と一緒に歩いていくようなところがある。93年以降、ミスチルはずっと日本のトップバンドなので、その時代に青春時代を送ってきた長谷部誠や本田圭佑や香川真司のような世代に影響を及ぼすのは当然のことで。

自分はミスチル世代ではないけれど、共著者のレジーくんは81年生まれで、まさにミスチルと共に青春を送ってきたというリアリティの持ち主だった。この本の肝は、ミスチルのメンバーと同じ世代である自分と、“ミスチル世代”のレジーくんの対話であるところなんです。

〔PHOTO〕gettyimages

ポップ・ミュージックが一つの世代を支えた

――それを踏まえて「ミスチルに支えられた日本代表」ということですが、Mr.Childrenの音楽は日本代表の選手たちをどのように支えたんだと思いますか?

宇野 大きなファクターとしてあるのは、2006年のジーコジャパンくらいから、日本代表の半分くらいのプレイヤーが海外のクラブで活躍するようになったということです。その頃はまだ「海外組」なんて言葉もよく使われていたけど、それがだんだん当たり前になっていく。

たとえばブラジル人って、どの国で生活してても夜になるとサンバで踊ったりするじゃないですか。ブラジルにそういう「サウダージ」と呼ばれるような感覚があるように、母国のアイデンティを確認したり、郷愁を誘う音楽っていうのは、きっとどこの国にもある。

さらに、別に海外に出ても出なくても、自分が10代の頃に聴いていた音楽への特別な思い入れというのは誰もがもっている。

その二つの要素が合わさって、海外のクラブに渡った日本代表のメンバーにとってのミスチルがどんどん特別な存在に育っていったと思うんです。

その象徴が長谷部だった。日本にいる時から長谷部はずっとミスチル好きだったけれど、ドイツに行ってからなおさらその思いが強くなったと語っています。彼にとってのミスチルは、本当の意味での日本のフォークミュージック、フォルクローレ的な音楽だったと思うんですね。

――ジャンルとしてのフォークやフォルクローレではなく、新しい日本土着の民俗性を持った大衆音楽になった。

宇野 ある一定の世代にとって、ミスチルの音楽はそういうものとして心の中で育っていった。一つのバンドが絶大な影響力を持っていて、その時代に青春を過ごした世代の多くが共通言語として持っている。そういう形でポップ・ミュージックが一つの世代を支えたというのは、特異な現象だったと思います。