「カミングアウトは嫌だった」紅白で性別を宣伝に使われ、苦悩したシンガーの告白 (original) (raw)

撮影/渞忠之

「カミングアウトは嫌だった」紅白で性別を宣伝に使われ、苦悩したシンガーの告白

中村 中という生き方1【後編】

著者

「紅白で私の心は死んだ」となぜ感じたのか

2006年にデビューし、翌年第58回NHK紅白歌合戦に出場したシンガーソングライター、中村 中(なかむら・あたる)は、男児として生まれ、女性として生きているトランスジェンダーだ。

デビュー年にリリースしたセカンドシングル『友達の詩』の発売時に、トランスジェンダーであることを公表。当時はまだトランスジェンダーという呼び方が一般的ではなく、「性同一性障害」といわれていた頃だ。今よりももっと理解がなかった時代を経てきた中村は、「LGBT」「多様性」という言葉だけが盛り上がりを見せている現状に「違和感を覚えている」という。

YouTube/中村 中「友達の詩」

前編では、デビューしてすぐに紅白出場という、誰もが輝かしいと思う出来事の影に、自分の力が及ばないところで、勝手に作り上げられたストーリーと自分のセクシュアリティとのはざまで苦しみ続ける中村の姿があったことをお伝えした。

「紅白で私の心は死んだ」という中村に、紅白後に待ち受けていた出来事について、ゆっくりと時間をかけて、絡まった糸を少しずつほぐすように振り返ってもらった。

インタビュー・文/梅津有希子

セクシュアリティの公表はしたくなかった

紅白出場後の反響はどのようなものだったのだろうか。

「ライヴを観に来てくれる人も増えましたし、ファンレターをもらったりもしました。それは本来うれしいことなんだと思うんですが、どれも自分へ向けられたものではないというか……。

実はデビューの年にしたセクシュアリティの公表なんですけど、私はしたくないってずっと主張していたんです。デビュー前に宣伝用に作ってもらったプロフィールの呼称が“彼”だったことがあって、スタッフには自分のセクシュアリティを説明していたからアレ?って思って。

これは単に『“彼女”と書かれたい』、という意味ではなくて、性別の表記に関しては特別気にしていることだったので。だから、性別を限定しない書き方もあるだろうと思い、『これは“彼は”ではなくて“中村 中は”という書き方ではいけませんか?』 と聞いたのです」

撮影/渞忠之

すると、思いもよらない返事が返ってきたという。

「『どうして?』とかえってきて。当時の事務所のスタッフに、『説明しなければ“男”だと思うんじゃない?』と言われて驚きました。というのも、そのときはデビュー曲のジャケットやアーティスト写真を撮り終えていたタイミングだったので、女性としての衣装選びやヘアメイクについてどう思って進行していたんだろう、と。

『じゃあこちらから作るプロフィールには“中村 中は”と書いたとして、よその人が“彼は”と書いたらどうするんだ?』と言われ、『それは仕方ないんじゃないですかね』と答えると『なんで俺たちは仕方なくないんだ?』と返されて……。

理解されていないというか、私のことはそんなに大切に考えてくれていないんだなって……。今ならすぐにわかることなんですけど、当時は『これを説明出来ることが理解に繋がるかも知れない』と信じて何度も何度も打ち合わせを重ねました。この頃すでに無理解と誤解の中にいたんだなと思いますね。

身近にいる人たちがこんな状態でセクシュアリティを公表するなんて絶対に嫌だったので、ずっと拒んでいたら、『カミングアウトしないと売らないよ』とまで言ってくる人もいて。怖かったです。中には親身になって考えてくれる人もいたのですが、説明や説得をしないといけない人が多すぎて、そのうち冷静な判断が出来なくなっていきました。

なにより、ほとんど脅しのような『カミングアウトしないと売らないよ』という言葉に屈してしまった自分がいて、それが今でも許せなくて。セクシュアリティの公表も含め、紅白での出来事は自分の意思で進められたことはほぼなかったので、私ではないものに反響がきているという感じで、どう捉えたらいいのか自分でもわからなかったですね」