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王子稲荷神社から、数分で「名主の滝公園」があります。

道なりに進みます。

↑名主の滝公園の「薬医門」

もう道沿いに少し歩いて、正門に向かいます。

名主の滝公園 入口

江戸時代の安政年間(1854~1860)に王子村の名主「畑野孫八」が自邸に開いたのが始まりで、“名主の滝”の名前の由来もここから来ました。庭園として整備されたのは、明治の中頃で、垣内徳三郎という人の所有になってからでした。昭和13年には、株式会社精養軒が買収し、食堂やプールなどが作られ公開され続けてきましたが、昭和20年4月の空襲により焼失し、ようやく東京都によって再公開されるようになったのは昭和35年11月でした。

昭和50年には北区に移管され区立公園として開園されましたが、40年以上が経過し各々の施設が老朽化していることから、現在閉鎖されているプール跡地を含めた施設の改修・更新、バリアフリー化等の再生整備を実施する予定です。

↑ 男滝

武蔵野台地の突端である王子近辺には滝が多く、かつて「王子七滝」と呼ばれる7つの滝がありました。このうち「名主の滝」だけが現存する唯一の滝となっています。「名主の滝」は、都内でも有数の8メートルの落差を有する男滝(おだき)を中心とする女滝(めだき)・独鈷の滝(どっこのたき)・湧玉の滝(ゆうぎょくのたき)の4つの滝からなります。

名主の滝公園は、これらの滝とケヤキ・エノキ・シイ、そして100本余りのヤマモミジが植えられた斜面を巧みに利用して自然の風景を取り入れた回遊式庭園です。現在は男滝のみ稼働しており、池の水をポンプで汲み上げ、流しております。男滝の稼働時間は10時00分~16時00分です。

↑北区の名主の滝公園のパンフ

公園内を散策です

名主の滝公園の「薬医門」を後にしました。新しい公園が楽しみです。

王子稲荷神社から王子神社に向かいます。

↑中央工学校の校舎に沿って、王子神社に向かいます。

中央工学校は、1909年(明治42年)創立の建築・機械工学・給排水衛生設備・空調設備・電気設備、土木工学を備えた工業学校(各種学校)。卒業生は約10万人に上る。著名な卒業生には、田中角栄(第64・65代内閣総理大臣)を輩出しています。

まっすぐ進みます

王子神社

王子神社は、領主豊島氏が紀州熊野三社より王子大神をお迎えして 、改めて「若一王子宮」としてお札参りをした後、熊野にならって景観を整えたといわれています。 その時からこの地は王子という地名となりました。

徳川時代に入ると家康公は王子稲荷神社とともに 朱印地二百石を寄進し、将軍家祈願所と定めました 。二百石というのは当時としては広大な社領だったとのことで、その後も代々将軍の崇敬篤く「王子権現」の名称で江戸名所の1つとなります。

王子神社の由来の説明

↑関神社(王子神社末社

王子神社境内の左側に鎮座される関神社、髪の毛に御利益のある平安時代前期の歌人「蝉丸法師」が祀られています。蝉丸法師は「小倉百人一首」にある「これやこの 行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関」歌の作者としても知られます。 社左側に「毛塚」が建てられています。

王子神社を出て、旧岩槻街道を左手に向かい、「音無橋」の手前で階段を降ります。石神井川の音無親水公園 です。

音無橋

↑この下には、音無親水公園 があります

ここは 日本の都市公園100選にも選出 されている公園で、春には桜が、秋には紅葉が園内を彩り地元の人にも愛された憩いの場となっています。夏には水遊びスポットとしても子連れの方に人気のある公園です。

↑此処は、前回の「王子稲荷神社」で説明した、厚焼き玉子の「扇屋」のお店です

今回は、ここまで・・・。

前回に引き続き、装束稲荷神社から王子稲荷神社を目指します。

狐の行列のコースとは違って近道を使います。

↑装束稲荷神社から北本通りに出ます。交差点を前方に渡り、セブンイレブンの横を前方に進みます

↑100mほど進むと、前にJRの線路が見えます

↑JRの線路を潜る、地下道の階段を降りていきます

↑地下道でJRの線路を潜り、地上に出たらまっすぐ進みます

↑中央工学校の校舎を右に曲がります

↑王子稲荷神社が見えてきました

↑王子稲荷神社

関東稲荷総社の格式を持ち、江戸時代より庶民に親しまれてきました。 大晦日、稲荷の使いである狐が、近くの榎の下で身なりを整え、この神社に初詣をするという言い伝えがあります。
年末には地元の方々の催す「王子狐の行列」が新しい風物詩となっています。 また、毎年2月の午の日に開かれる凧市は、たびたび大火にみまわれた江戸庶民たちが「凧は風を切る」として火事除けの縁起をかつぎ、今なお親しまれています。
国認定重要美術品の「額面著色鬼女図」、谷文晁の龍図を所蔵しています。 境内にある「狐の穴跡」は、落語「王子の狐」の舞台にもなっています。

↑「額面著色鬼女図」の解説板

↑社殿は壮麗な造り。右手に進んだ先に奥宮あり。崖を登った先は岩窟状のお社となっている。

境内にある幼稚園の開園中は門が閉じられている場合は、「王子稲荷の坂」を登った先にある入口から入ることになる。

王子稲荷神社

↑社殿

↑広重「名所江戸百景」に描かれた王子稲荷。

本殿外拝殿・内拝殿は、幣殿とともに江戸時代後期の築で、 11代将軍徳川家斉が寄進したもの なのだとか。様々な装飾に現在も徳川将軍家の威光が伝わり、じっくりと眺めたいところです。また、境内には石灯籠・常夜灯も数多くあり 御石様や御穴様など見どころも満載です。

さて 落語の落語「王子の狐」をご存知でしょうか。このお稲荷様はその噺の舞台にもなったところです。

狐に化かされる人間という話はよくありますが、ここでは人間が狐をだますというのですからさすがは落語。噺の中に登場する 料理茶屋「扇屋」は今でも存在するお店で、厚焼き玉子が美味しいと有名です。

今日は、王子駅周辺を散策します。まず、装束稲荷神社を目指します。

↑JR王子駅北口 バス乗り場側です。

↑歩道橋の下を歩いて、前方の交差点を渡ります。

↑ 横断歩道を渡ります

↑バス停の先に、公園があります。

↑公園を左に抜けて、向こう側に渡ります

↑オリジンの先です。

↑左手に小さな神社が見えました

↑ 装束稲荷神社

歌川広重 名所江戸百景《王子装束ゑの木大晦日の狐火》

その昔、毎年大晦日になると、この榎のもとに狐が集まり、装束を整えて関東総司の王子稲荷神社にお参りする。その行列時に、燃える狐火によって翌年の作物の豊凶を占ったという言い伝えから、この榎は、「装束榎」と呼ばれお社が建てられたのが装束稲荷神社と云われたいます。

その木の下に狐が集まる様子を描いた歌川広重の浮世絵、その木の脇に祀られた社が「装束稲荷」です。

王子狐の行列とは

平成5年(1993年)大晦日から、各地から集まった狐が大きな木の下で装束を整えて王子稲荷神社に詣でたという伝承を元にここをお護りする者同士が集ったとき、広重の浮世絵 にならって揃って 王子稲荷神社に初詣をしました。ささやかな行列でしたが、 それが「狐の行列」のはじまりでした。以来、王子の街の私たちは、古い文化を新しい街づくりに生かそうと、王子流 狐のメイクをして、ずっとこの風習を大切に大切に守り育てています。

↑王子流 狐のメイク

活動の実績が認められて平成11年度には狐の行列が地域づくり団体自治大臣表彰を受賞しました。(「装束ゑの木 王子狐の行列」実行委員会のホームページより)。

同実行委員会では、ホームページで参加者募集を掲載しています。

↑昨年(2023年)の案内マップ

次回は、装束稲荷神社から王子稲荷神社を目指します。

文化会館バックヤード見学の続きで、今回は照明、映写、音響設備を紹介します。

↑客席を1F奥に向かいます

↑照明操作の部屋です。操作盤があります

↑色の変化は、赤、青、黄色のフイルターを使っています

↑照明操作盤のスライドを動かし、舞台の色を変化させます。今は、青とグリーン系のバックになってなったいます

↑次は、映写設備の見学です

↑35mmフィルムの映写機です

↑この窓から舞台に映写します。

↑映写機のレンズの部分

↑35mmフイルムの場合の1巻あたりの映写時間が20分程度であって、2台の映写機を使って、フィルムの交換時に切り替えて映写します

最近のシネコンの映画は、フイルムで無く、デジタルが主流になっています。35mmフイルムの映写できる所は減ってきています。

次は、音響操作の部屋の見学です。

↑音響操作の部屋です

↑舞台が見える小窓が付いています

↑舞台の楽器の一つ一つにマイクで音を拾っています

↑その楽器ごとの音をスライドを動かして調整します

↑録音の可能で、再生して調整します

↑音響操作室から出て、客席からパソコンを使って操作することも出来ます

↑ハンディマイクを使って操作の指示を出し、舞台の背景の色の変化も出来ました

↑緞帳を降ろしたところです

↑これで、見学ツアーは終わりました。

↑最後に、アンケートを書いてツアーは終わりました

日ごろ見ることの出来ない、舞台裏の見学が出来ました。スタッフの皆様、ありがとうございました。

このほど、板橋区文化会館のバックヤード見学ツアーに参加しました。2回に分けて紹介いたします。

板橋区文化会館は、東武東上線「大山」駅 北口から徒歩約3分、都営三田線板橋区役所前」駅A3出口から徒歩約7分の所にあります。

施設では、大ホール、小ホール、会議室、和室・茶室、リハーサル室・音楽練習室が整備されています。

大ホールは、最大1263人収容可能で、オーケストラピット、仮設本花道、35ミリ映写機などの機能を備え、クラシック音楽やオペラ、バレエ、演劇、古典芸能まで幅広い催しなどを開催しています。

今回は、この内、大ホールのバックヤードを見学しました。

大山駅南口改札口の踏切です、前方の商店街は、「大山ハッピーロード」です。

↑前方が大山駅の北口改札です

板橋区文化会館の入口です

↑大ホールを入ったロビー

↑文化会館のロビーを開放していました

ロビーには、ロビーピアノが開放されています。このピアノは、区内の旧新河岸幼稚園の閉園に伴い、廃棄予定のアップライトを文化会館仕様にリメイクしました。テーマは「絵本のまち板橋」。

↑参加者は、3名でしたが、担当者さんの案内で見学ツアーの始まりです。

↑いよいよ、バックヤードに入ります、

↑バックワード 左側の舞台裏です

↑舞台の様々な装置の操作を行う所です

↑大ホールの舞台から見た客席です

↑黒い袖幕を下ろすことで、舞台裏は客席からは見えなくなります。今は、黒幕を降ろしている途中です

↑迫り上舞台をせり上げたところです。3つの迫り上舞台があります

↑様々な備品がありました

↑舞台裏の左側から見た舞台

↑照明を点けると、かなり明るく、暑いです

↑横にも照明装置があります

↑舞台を下に下げています

この舞台の昇降は、出演者の登場・退場のバックアップはもとより、場面転換等の演出効果に大きな力を発揮しています。また、大道具等の搬入出にも活躍しています。

↑舞台を下げた後には、転落防止のネットが出てきました

次は、舞台の下に移動しました。「奈落」と書いてあります。

↑舞台が下に下がった状態です

↑様々な備品が保管されています

↑昇降装置の一部です

↑観客席の手前の迫り上舞台で、私達もこれで舞台に上がります

↑あっという間に舞台に着きました

次回は、音響、照明、映写設備の見学です。

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GOCHANの日記は、2024/10/01から「はてなブログPro」に切り替えましたので、広告は表示されません。

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前野町から、中台に入ります。

ナンテン

ナンテン南天)は、メギ科ナンテン属の常緑低木です。

中国原産で、日本では西日本、四国、九州に自生していますが、古くに渡来した栽培種が野生化したものと考えられています。

既に小鳥に食されて、実の大半がなくなりました。小鳥が真っ先に食べる実です。

中台あたりは、武蔵野台地成増台と荒川低地の境で、志村地区の崖線(がいせん)の後背部に相当します。サンシティを北辺、若木通りを西辺の尾根道であり、すりばち状の谷戸地形が形成されていて、中央から東部・南部は台地と低地が複雑に入り組んでいます。若木通りの国際興業バス若木三丁目停留所付近では、路上からも中台三丁目の谷戸地形越しに東京スカイツリーが遠望でききます。

ムラサキシキブ

紫式部は「シソ科」の植物で紫色の実がつややかで高貴なイメージで、庭木としても人気があります。名前の由来は、①紫色の気品ある果実を平安時代の作家“紫式部”に重ねて、ムラサキシキブと名付けられました~という説と②紫の実が沢山なることから、「ムラサキシキミ(紫重実)」と呼ばれていたものが転じたという説があります、

サンシティに入ります。

サンシティは、旭化成研究所の跡地に、1977(昭和52)年から1980(昭和55)年にかけて、三井不動産旭化成グループにより開発分譲されました、敷地面積約12万5千平方メートル(9.7ヘクタール:東京ドーム3個分)の広大な敷地に立てられた14棟、1872戸、居住人口約6000人を擁する日本有数の大規模団地です。

サンシティの特徴は「優良な周辺環境」、「良好な住民のコミュニティ」、「都内有数の豊かな緑」、「資産価値の維持」、それらによる「外部からの高い評価」 等が挙げられています( サンシティ 太陽と緑と笑顔の街 ガイド より)

サンシティでは、「緑の活動」サンシティグリーンボランティア(SGV)による人と自然の共生、自然性の高い環境作りを目指し、剪定など雑木林5万本の植栽と森のケアを行っています。

モミジアオイ

【解説】モミジアオイ アオイ科

アメリカ合衆国南東部原産。

ハイビスカスのような花を9月頃に咲かせる。

名前の由来は葉がモミジのような形であることから。

↑小さな公園と噴水です

↑フジ棚の「フジの実」

フジの花が散り、小さな実が育ってきています。実は、長さ20㎝以上になるほど 大きくなります。フジは大人気マンガ「鬼滅の刃」でも鬼が嫌う植物として描かれています。それは、フジが太陽の光が大好きで、日当たりのよいところでどんどん育つ性質があることも理由ではないでしょうか。

ヤブラン

タマスダレ

周りは高層のマンション群です

サンシティの真ん中にある中央林

旭化成研究所の跡

旭化成研究所の火薬庫と云われている建物が残っていました

旭化成研究所は、合成繊維のカシミロンを作るための原料となる、危険物・引火性のあるアクリロニトリルをプロパンとアンモニアから合成する研究所だったみたいです。それ以前は、大正期に志村中台町(現・中台三丁目)で東京火薬工業としてこの地で操業し、終戦後の1946(昭和21)年「旭化成工業」へ改称しています。

↑大きな石が・・・。

ルリマツリ

↑ソテツ

ヒガンバナ

↑樹齢250年以上と云われる御神木「スダジイ

↑ミズヒキソウ

↑滝の広場

ゼフィランサス・シトリナ

↑韮 (にら)

百合(ゆり)科。学名のAllium(アリウム)は、「ニンニク」の古いラテン名で、「匂い」という意味が語源。

解散地点の「サンゼリア商店街」の広場に着きました。アンケートを書いて流れ解散しました。

次回の「緑のガイドツアー」は,2024年10月末に赤塚コースを予定しているそうです。ご案内は、広報いたばしやホームページをご確認下さい。