羽州街道を歩く 15 秋田市 (original) (raw)

令和6年8月8日(木)晴れ時々曇り 暑い

3日目。本日は自転車で市内を回ります。

自転車は駅の観光案内所で9:00から借りられます。7:30にホテルを出ました。まだ時間があるので千秋公園の散策から始めます。

目次

千秋公園

秋田郡程野村久保田にある神明山を利用して城郭を作ったのが久保田城です。現在は千秋(せんしゅう)公園となっています。ここは、もともと、安東氏配下の三浦氏が「矢留の城」を作って居住していた地です。出羽の地を拝領し、土崎湊城に入部した佐竹氏は、湊城が手狭なことから、1603年に神明山に築城を開始し、1605年に本拠をこちらに移しました。石垣は基底部にしかなく、土塁で曲輪を構成し、天守はなく、塁上に櫓を並べていました。1880(明治13)年の大火で、城内の建物は、御物頭御番所を除き、全て焼失しました。現存する建物は復元したものです。

中土橋を渡っていくと左手にが「秋田芸術劇場ミハルス」、右手に「秋田文化創造館」があります。先に進むと右手に図書館があり、そのまま進むと松下門跡に至ります。

先へ進むと二の丸跡になり、右手に佐竹史料館があります。左手の石段は本丸に続いており、二の門跡を過ぎると、復元された表門があります。その手前には、焼失を免れた御物頭御番所があります。

表門

表門を抜けると本丸跡です。左に八幡秋田神社と與次郎稲荷神社があり、右には久保田藩最後の藩主となった佐竹義堯銅像があります。中央を抜けていくと埋門跡、多門長屋跡を通り復元された隅櫓に至ります。中に入ることができるのですが、残念ながらまだ開館前です。

佐竹義堯銅像

隅櫓

この後は、裏門跡を通って彌高神社(いやたかじんじゃ)へ下りました。彌高神社は、平田篤胤を祀るために門人らが日吉八幡神社境内に創建した平田神社を母体としており、後に江戸時代後期の経世家、農政家である佐藤信淵(さとうのぶひろ)を合祀して1916(大正5)年に現地に移転したものです。深い杜に囲まれ、荘厳な雰囲気を醸しだしています。

彌高神社

www.city.akita.lg.jp

秋田駅観光案内所

この後、秋田駅に向かいました。観光案内所を覗いてみましたが、シャッターが閉まっており9:00にならないと開かない様子です。駅周辺をうろついて時間を潰し、9:00の開所と同時に、レンタル自転車の手続きを行いました。

自転車は、中央通り側にある市営立体駐車場の駐輪場に置いてあり、そこで自転車を引き取ります。変速機付きできれいな自転車です。

そして、市内観光に出発。

www.akita-yulala.jp

雄物川秋田運河

最初に向かったのは、秋田運河旭川の合流点です。現在の雄物川は、新屋から西に向きを変えて日本海に注いでいますが、1917(大正6)年までは、新屋水門から秋田運河を通って土崎で日本海に注いでいました。従って、現在の秋田運河旭川の合流点が、かつての雄物川旭川の合流点です。

旭川(左)と秋田運河(旧雄物川)(右)の合流点

イザベラ・バードは、神宮寺から船で雄物川を下り、現在の新屋水門のところから秋田運河に入り、合流している旭川に入って久保田宿まで辿り着きました。

旭川沿いに下って、浜街道に入り、新川橋に行きます。ここからは、秋田運河旭川の合流点を見ることができます。

次に向かったのが新屋水門です。浜街道をそのまま進むと雄物川の新屋水門の西側に出ます。かつての雄物川の水路は、現在、三角沼公園になっています。その東側に新屋水門があって、秋田運河はここから始まります。雄物川の上流方面を見ると、川幅が広く雄大です。そこに長大な秋田大橋がかかっています。下流側の方がやや狭くなっており雄物新橋がかかっています。ここから下流は、大正時代に掘削された放水路です。

三角沼(雄物川の旧流路)

雄物新橋から河口方面を望む

www.thr.mlit.go.jp

日本海まで行ってみることにします。放水路の右岸を進み国道7号線の橋の下をくぐり海岸に出ました。

天気も良く、青々と広がる日本海を見ることができました。

4 土崎湊

次に目指すのは、土崎湊です。海岸線を行ってもよかったのですが、道がよくわからないので、一度、新川橋まで戻って、児童会館通りから、羽州街道に入って土崎を目指すことにしました。

秋田城手前からは、菅江真澄墓所の方に行って高清水岡を下り、国道7号線と新国道が交差する土崎臨海十字路に出ます。海湾通りを進んで、ポートタワーセリオンに向かいます。

ポートタワーセリオンは正式名称「秋田ポートタワー」。全高143m、展望台の高さは地上100m、全面ガラス張りで、1994(平成6)年にオープンしました。隣接して、ガラス張りの屋内緑地「セリオンリスタ」と多目的ホールの「セリオンプラザ」があります。

やや早いですが、1階の飲食スペースで昼食を取りました。その後、タワーの展望台に昇ります。ありがたいことに無料です。地上100mの展望台からは、男鹿半島の寒風山と真山、本山、男鹿半島へ続く海岸線、土崎港、秋田運河などが見渡せます。う〜ん。絶景です。

ポートタワーセリオン

セリオンから男鹿半島方面を望む

www.selion-akita.com

秋田市東北部

次に目指したのが、秋田市の東北部にある外旭川、手形地区です。新国道で秋田市街地の方へ向かい、草生津川を越えたところから真東に向かって奥羽本線の線路を越えます。線路沿いにいくと泉外旭川(いずみそとあさひかわ)駅があります。駅の南側は泉地区、駅の北から東にかけては外旭川地区です。線路に沿った細い道をできるだけ進んで、東側の県道233号線に出ます。東に佐竹氏の菩提寺である天徳寺があるのですが、現在、工事中らしいのでパスします。

県道を南東に進んで、旭川を越えたところに「佐竹氏別邸(如斯亭じょしてい)庭園」があります。ここは、佐竹氏の近臣の大島小助が整備・管理していた別荘を起源とするもので、第5代藩主義峰(1690〜1749)のとき収公して藩主の「御休所」としました。倹約の旨によって一時衰亡しましたが、第8代藩主義敦(1748〜1785)が安永4年(1775)に再興し、第9代藩主義和(1775〜1815)のときには庭園を整備して、その名を「如斯亭」と改め、賓客をもてなす場として活用され、また、文人墨客の交遊の場としても活用されるようになったというものです。

管理人の女性の方が詳しく説明してくださいました。藩主は、この辺りに鷹狩りに来て、その時にここに立ち寄り休憩したとのことです。庭園は回遊式となっており、大きな岩石は、関西方面から船で運ばれたとのことです。

如斯亭と庭園

www.city.akita.lg.jp

秋田大学

手形地区には秋田大学のキャンパスがあります。秋田は、鉱山や地下資源が豊富なため、秋田大学には、全国でも珍しい「鉱山学部」がありました。現在は「国際資源学部」となっています。キャンパス内には「鉱業博物館」があります。ここでは、鉱物標本や鉱山の採掘技術に関する展示が行われています。鉱業博物館の歴史は、1910(明治53)年に設立された秋田鉱山専門学校の列品室にはじまります。その後,新制大学発足当時の鉱山博物館を経て,1961年に現在の鉱業博物館が建設されました。

博物館の前庭からは、久保田城が見渡せます。隅櫓もよく見えます。入館すると、たくさんの種類のしかも大きな岩石・鉱物標本に圧倒されます。

鉱業博物館の鉱物標本

www.mus.akita-u.ac.jp

この辺り手形地区は、久保田城の搦手にあたり、馬場や御狩場など、城のバックヤード的な部分だったようです。現在は秋田大学ほか県立秋田高校もこの地にあります。

7 内町(中通り

この後は、秋田駅に戻り、駅周辺を散策しようと思います。まず、内町に行きます。

中小路を大屋根から西へ行って、信号を越えると右手に複合施設「アトリオン」があります。入ると大きな吹き抜けのスペースとなっており、千秋美術館や音楽ホール、物産館などが入っています。お土産を買うなら、駅の売店よりここの方が充実しているかもしれません。

アトリオン内の吹き抜け

西へ進んで突き当たると明治天皇聖蹟碑の脇に「久保田藩校明徳館址」の石碑が建っています。明徳館は1790(寛政2)年に創設された藩校です。当時はまだ名前がなく「明徳館」となったのは1811(文化8)年とのことです。現在は「にぎわい交流館AU」となっています。その手前には秋田県立明徳館高校があります。名前は伝統的ですが、建物は現代的です。

「にぎわい交流館」の奥には、秋田県立美術館があります。この辺りはかつての武家町である内町です。秋田市中心部は、文化・芸術関連の施設が充実しています。

南に行って中央通りの南側の土手谷地町街区公園に平田篤胤生誕之

地の石碑があります。平田篤胤は、復古神道の大成者で、国学の四大人に数えられる人物です。1776(安永5)年に久保田藩の大番組頭・大和田清兵衛の四男として生まれましたが、脱藩して江戸で学び、備中松山藩士・平田藤兵衛の目に留まり、養子となりました。その後、次第に復古神道に傾倒し、幕府を批判するようになり、そのため江戸を追放され、身柄は故郷の久保田藩に委ねられました。

平田篤胤生誕之地碑

道路の向かいには、秋田歩兵十七連隊址の石碑があります。十七連隊は、太平洋戦争でルソン島死守を命じられ、過酷なゲリラ掃討作戦を戦いました。

そしてこの後、自転車を駐輪場に戻し、鍵を観光協会に戻して、本日の旅を終了しました。

さすがに秋田県県都。たいへん魅力的な街だと感じました。美術館や図書館など、じっくり見てみたかったです。1日では回りきれません。きりたんぽ鍋や地酒も美味しかったです。城址、美術館、港、祭り、郷土料理とコンテンツが多いですよね。たくさんの観光客を呼び込めるのではないでしょうか。(新幹線もあるし。)

しかし、ある時期に駅西口にあった官公庁舎を山王地区に移転したようですが、駅からやや距離があり、この間の連絡に問題があるように感じました。高齢化社会に入り、コンパクトかつ、ゆったりした生活空間をどう創造していくか、期待が高まります。