日本のロック、タイトルに人の名前が付いてる曲まあまあ少ない説 (original) (raw)

記事タイトルのとおり

「日本のロック、タイトルに人の名前が付いてる曲まあまあ少ない説」

というのを提唱したい。

ちなみにちゃんと調べたわけではない。

私は音楽の評論家でもライターでもない。単なるしがないちんこであり金を貰ってこの記事を書いてるわけでもなんでもない。なので、資料とかあたって調べるみたいな手が掛かりそうなことをわざわざするつもりは毛頭ない。つーか単刀直入に言って調べるのがめんどくさい。

ともあれ、このような「人名ソング」が日本のロック界には少ないように感じる。そこそこな音楽好きである私の体感的にそう思う。なにより海外と比べたらそれは一目瞭然である。

では、海外のロックはどうなのか。前回、「人名ソング、ベスト5」という記事を書いたときにも軽く調べたがこんな感じである。

このようにざっくり調べただけなのにかなりの数の人名ソングを確認できる。

かたや日本の人名ソングはどうか。

これもざっくり調べてみた。以下がそれらである。

たしかに人名ソングはあるにはある。ただしこのなかでジャンルとして「ロック」という括りに入りそうなのはユニコーンの「服部」、サザンオールスターズの「チャコの海岸物語」、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「渚のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」だけだし、そもそもこれらのバンドは「ガチガチなロック」という感じがない。ナンバーガールとZAZEN BOYSは「ガチ感」が強いロックバンドだが、「CIBICCOさん」「CHIE chan's Landscape」という曲名からわかるように向井秀徳ならではのユーモアが垣間見られる「人名」である。そのほかの人名ソングはいずれも演歌かあるいは歌謡曲だ。氷川きよしがやたらと多いのが気になるが、やはりどの曲も演歌調の楽曲である。尚、長渕もやたらと多いので一応取り上げたが、ジャンル=「長渕」の治外法権的な人なので無視していただきたい。

そして、この結果を受け私はひとつの結論を導き出した。以下、「日本のロック、タイトルに人の名前が付いてる曲まあまあ少ない説」の理由である。

「人の名前を曲名に付けるとなんかロックっぽい感じがしなくなるというかいまいちしっくりこない」

根拠はある。

以下の楽曲をごらんいただきたい。

おわかりいただけただろうか。

つまり、日本のロックにも人名ソングはあるっちゃある。ただその多くは外国人ふうの名前である。で、その理由は言わずもがなだがこのほうが「なんだかロックっぽくてしっくりくる」からではないか。

たとえば、BOØWYの「わがままジュリエット」がこんなタイトルだったらどうか。

「わがまま節子」

だめだ。演歌になってしまう。

「わがまま直美」

これじゃ四畳半フォークだ。

「拝啓、池上彰」

YO-KINGが池上彰をリスペクトしていたとしてもこのようなタイトルの楽曲がリリースされる未来は永遠にやってこないだろう。

かつて「日本語ロック論争」というのがあった。「日本のロックは日本語で歌うべきか英語で歌うべきか」という音楽好きの人間にはわりと知られているであろう有名な論争だが、「日本のロックは日本人の名前がタイトルに付いた曲をリリースすべきか」という案件も議題に挙がったのだろうか。あまりにも馬鹿馬鹿しいのでたぶん誰も口にすらしなかっただろうが。

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