感想って難しい (original) (raw)

こんにちは!

今日、品田遊先生の『納税、のち、ヘラクレスメス』という本を読み終わりました。

エッセイですかね?品田さんが毎日webで更新している日記的なものをまとめて本にしたというものです。私は品田遊さん a.k.a ダヴィンチ・恐山さんが大好きで、彼の日常や考え方にとても興味があるのでこの本を買いました。webの方は有料サイトになっていて少しハードルが高いので、本にして発売してくれるのはありがたいですね。(もちろん本を買うのも有料ではありますが、そこは気持ちの問題です。)

この本の中には私が思っていても言語化できていないようなことが、彼によって言語化されていて、「そうそう、そういうことなんだよぉ」となった部分がいくつかありました。その部分とは?と聞かれても答えられません。なぜなら覚えていないから。

それと同時に本の感想も言えません。覚えていないから。でも読んでいて楽しかったことだけは覚えています。

感想って難しくないですか?純粋に本を読んでいたら感想のことなんて頭にないじゃないですか。それでいざ見終わって感想は?となったときになにも覚えていない。さすがにそれはいいすぎか。多少は覚えているけれど、それは結局本に書いてあることを復唱するだけであって私の感想、考えではないんですよね。

感じたことを文字にする、言語化することが非常に難しい。人間の記憶は2種類あって、一つは陳述記憶。これは「今朝のご飯は目玉焼き」とか「今の総理大臣は石破茂さん」だとかそういった類の記憶で、言葉にできる。この記憶に基づくお話はそんなに難しくない。伝わりやすさは別として、ただあったことを話せばいいからね。問題はもう一つの記憶によって保存されているものについて言うとき。これが情動記憶。感覚的なもので、そのときに感じたこと、好き嫌いとかそういうとても主観的なものです。これが感想にあたるものだと思います。さっきも言ったようにこれは感覚的なもので言語化するのが難しいです。

そもそも本読んでいるあのときに何をどう感じたかなんて、本を読んでいるときには意識していないじゃないですか。人によるかもだけど、私はそうなの。本に限らずだけどね、映画とかご飯を食べているときとか、ジェットコースターに乗っているときもそう、今どう感じているのかを意識して考えない。だからといって、感想を言うために本を読むのも違うじゃない。「私は今のここの表現を読んでいるのだけれども、それを見て~~って感じているんだぜ」なんていちいち思っていられないもんね。純粋な読書体験が得られない気がする。

だから感想なんてものは全部後付け。「たしかこういう文章があったよなぁ、ってことはきっと私の思想に基づいて考えると、こう感じたはず」。それが「感想」になっているだけなんだよきっと。本当の感想なんて書けません!

以上が、私がただ単に語彙力がなくて上手に感想文を書けないことに対する言い訳、詭弁でした。

話が変わるんですけど、「割には」って言葉どう思います?

初心者の割には上手だね。

年の割には元気だね。

この「割には」が果たして誉め言葉なのか?っていつも思う。

「割には」を使うときって大体上から目線じゃないですか。そこが引っかかるんだと思う。

確かに割にはということで、あなたと同じ境遇の人たちと比べて、その人たちよりかはまだましだと言っていることになるので、褒められた気持ちにはなる。

でも「割には」には、「せいぜい君程度の人間ができる範囲内でまだ良いといっているだけで、私からしたら雑魚なんだよカス」って意味があるように聞こえちゃうんだよね。考えすぎかも

今日あったこと

電車の定期券が切れそうになったので更新したよ。私の家の最寄り駅から目的地までは半年で16万ぐらいかかる。だからその16万円分の紙幣を、更新するための機械に入れたんだけど、その迫力はすごかった。どんどんお金が巻き取られていくのが怖かった。16万円という大金がいとも簡単に、しかも定期券という、対価を実感しづらいものだから。でもこれがないと通うのにもっとお金かかるんだもんね?いや~でも16万だぞ。正直ほかに使いたいぞ、しょうがないんだけどね。