『きみの色』雑感 (original) (raw)

仕事終わりに映画を見た。

異動前は精神的にも身体的にもこのような余裕がなかったので、それだけでずいぶん健康になったものだなと実感する。

まあ、直接的な理由はファーストデーで安かったからなのだが。

観たのは『きみの色』。

ミッション系高校に通う女子高生と、その高校を退学した元女子高生と、その高校とは特に関係のない離島在住の男子高校生がスリーピースバンドを組む話だ。

監督である山田尚子は、『けいおん!』の劇場版を観たくらいで(私はかつて熱心なきらら読者だった)、ほかの作品には触れてきていない。私はどうにも、思春期の青少年の心の機微や人間関係といったものに興味がないのだ。

なので今作も当初はあまり観る気がなかったのだが、友人が「純文学」と評していたのを聞き俄かに興味が湧いたので、この機会に観てみることにした。

さて、観たところの感想だが、次のツイートに書いてあることがすべてである。

洗練された映像と音楽に対してストーリーと人物造形が貧弱すぎる

— Н. Mаnаgо (@rktux0) 2024年10月1日

特筆すべきストーリーはほぼないと言っていい。

より正確に言うならば、ほぼすべてのシーンが省略可能である。あらすじを把握し、登場人物が全員出揃ったら、もう後はラストシーンまで飛ばしてもさしあたり問題ない。途中に挿入される諸々のエピソードは、登場人物たちを理解するためのフレーバー以上の意味はないだろう。

ではキャラクターはというと、人にとって捉え方は違ってこようが、少なくとも私には「記号」の領域にとどまっているように感じた。

たとえば、バンドでギターを担当することになる作永きみという登場人物がいる。彼女は初めは主人公の日暮トツ子と同じ高校に通っていたが、序盤のうちに自ら退学してしまう。

世間一般的な感覚からすれば、高校退学というのは非常に重大な出来事だ。不良のはびこる荒れ果てた学校ならともかく、ある程度育ちのよい人々が通う高校を退学したとなるとよんどころない事情(たとえば犯罪や妊娠といった)を想像せずにはいられまい。

しかし、のちに明かされる作永きみの退学理由は「自分は大した人間ではないのに周囲に期待を寄せられ、申し訳なくなった」というものだ。

荒れ果てた高校に通う方々もびっくりすることだろう
(『魁!! クロマティ高校』より)

しかもこの作永きみ、保護者である祖母に退学したことを打ち明けていない。高校には決して安くない金額がかかるのだから、退学は「家族にも打ち明けられない私だけの秘密♡」では到底済まされない。そもそも保護者に確認の一報もせず退学届を受理した学校側のコンプライアンスはどうなっているんだ?

あまつさえこの作永きみ、退学したはいいものの将来設計などは特に考えていないという。古書店でバイトするかたわらギターの練習を始めたらしいが、ひょっとしてギターで食っていくということだろうか?? 正気ではない。

問題は、このような人物を「一個の人生をもった人間」だと見なすことができるか? ということだ。

私にはできなかった。もしかすると私に社会性と共感性が欠如しているせいかもしれないが、とにかくできなかった。私には、少女がそこに至るまでの(至らざるを得なかった)軌跡も、これから少女が見定めるべき未来も、そしてそこから組み立てられ形作られていく少女の人生も、何も感じ取ることはできない。あるのは「学校を退学した少女」という記号だけだ。

このように、私の見る限り本作のストーリーとキャラクターは貧弱と言わざるを得ないが、それに対して映像と音楽は素晴らしい。

これに関してはあれこれと言うよりも観てもらった方が早い……というより観てもらうほかない。光景は目にするよりほかなく、音楽は耳にするほかないのだから。この意味において、本作は劇場で見る価値のある映画と言えるだろう。

逆に言えば、全体を貫く映像美とバンドシーンの音楽がなければ、そもそも本作が映画として成立していたかどうかさえ怪しいように思えてならない。

さて。

ここまで散々好き放題言ってきたわけだが、なんと本作はレビューを見るとおおむね好評のようである。私としては上記のような感想以外は抱きようがないと思っていたので、本当に同じ映画を観たのかと疑いたくなってしまうほどだ。

しかしこうして改めて言語化しながら考えてみると、ひょっとすると私の見方が間違っていたのかもしれないと思い直した。

ほとんどのシーンが省略可能なほど平坦なストーリー。記号化されたキャラクター。数多のレビューや監督インタビューで語られる「悪意のない世界」……。

そう、これらはいわゆる「日常系」の要素と重なりあうのだ!

本作も同様に「日常系」という視座から観るべきものであったのだとすれば、ここまで私が縷々述べてきた欠点はすべて長所になりうる可能性を秘めている。

無内容な日常系が「萌え」を効果的に引き出すように、無内容なストーリーによって鮮明に「青春」を描き出す、本作はそういう映画だったのだ。

ということが自分の中で腑に落ちたので、よかった。