マイケル・ジャクソンに敬意を表して (original) (raw)

(一応断っておきますが今回は異常性愛などの繊細な問題に少しだけ言及しているので、敏感な方は読むのをお控えください)

マイケルジャクソンが亡くなった、とニュースで報じられたのは2009年…今から15年前の事だ。当時僕は高校生だった。例の音楽好きの母がマイケルのベスト盤を買ってきて、当時使っていたipodに曲を入れた。確か「KING OF POP」だったと思う。赤いジャケットのやつ。

彼の功績や「どの曲が良い」みたいなことを、今更僕がここで語っても仕方がないと思うのでそこは割愛する。2000年代には音楽チャンネルがまだたくさんあったから、時代を超えて僕も彼の曲をたくさん聴くことができた。高校の学祭で友達がゾンビの格好をして「スリラー」を踊って大ウケしていたことなどを見ても、やっぱりほとんどの人が知る、まさに「ポップの王」である。

僕は直接彼のステージを観ることは無かった。というかもし日本に来ていたとして、チケットが取れたかどうか怪しい。なにしろ彼を間近で見ると、ファンの女性は何人も卒倒・失神してしまう、みたいな話を聞いたことがあるから、まさに「スター」の名前にふさわしい、そういう象徴的な人物だったんだと思う。彼の凄さは、今は検索窓に彼の名前を打ち込むだけでいくらでも観ることができるが、画面越しでも息を呑むようなパフォーマンスである。マイケルジャクソンに憧れてダンスを始めた人は今日でも山のようにいる。鏡を見ながら彼のダンスを真似てみると、何から何まで遠く及ばないレベルにあるということがわかる。人間の身体能力の限界を超えている。洗練され一切の無駄や緩みを感じさせない、狂いがない機械っぽい感じと、挑発的でセクシーな、動物っぽさが両方…なんとも表現し難い魅力がある。ここで僕のこういう安っぽい言葉で言い表すのは無理である。たとえダンスやステージに興味がない人すらも、はっきりと違いを分からせるだろう。とにかく凄い。

とはいえ、歌声も含めて、電子機器を通したものでしか僕は彼のことを知らない。彼がどれだけ凄かったか、当時の映像とナレーション、特集番組、そして密着などをテレビで何度も見たが、僕の中での彼の印象は、そういうメディアの言うことを鵜呑みにして、依拠するようなものだった。

記憶が正しければ、過去の日本のメディアでは圧巻のステージ、音楽に対する偉大な貢献の紹介をしつつも「デビュー当時と晩年で肌の色が変わった」ことや「鼻が突っ張っていて頬がこけている」みたいな、見た目を揶揄する表現をはじめとした「整形しまくってる少しおかしい人」みたいな扱いが多かったような気がする。芸能人にパロディとしてネタ消費されたり、変な家で子供と暮らしてたとか、散々な言われようをしていたことしか僕は知らない。彼の没後、自分に音楽への興味が出始めてから僕は彼の曲をちゃんと聴くようになって、これ、単なる「おもしろおじさん」なんかじゃないだろと、目の奥が開くような思いがした。

テレビが言うことには、「ネバーランド」と呼ばれた彼の自宅に数人の少年を住まわせていた?こと、彼が小児性愛の趣向をもっていたとか、そこで性的暴行をはたらいていたみたいな疑惑についてニュースや番組でたびたび取り上げていたので、「スターになると普通の人の感覚じゃなくなっちゃうんだ」と思っていた。パパラッチに追われて窓をカーテンで締め切り、時々窓辺に現れてカメラを挑発してくる様子は明らかに疲れていて、どこか寂しそうでもあった気がする。

僕はこの文章を書くのに、思い出しながら少し当時のことを調べた。知らなかったのだが、あるコマーシャル撮影で事故に遭い、その時に鎮痛剤を多数服用したことで薬物中毒状態になってしまっていた、という記述を見つけた。皮膚の色が変わったのはその時の手術の影響だともあった。(しかしこれもネットの情報なので、実際のことはわからない)

そういうことで、僕の中で彼はずっと「小児性愛者である」というイメージだった。名前は伏せるが、日本の大きなタレント事務所でも「そういうこと」が行われていたという内部告発があったりして、国内だけでなく世界にまで衝撃が走った。自分が過ごしてきた30年とはあまりにもかけ離れすぎていて想像ができなかった。テレビの前でしか見ることのできないような存在が、テレビの画面の外で、テレビでは語られないようなことをしているのか?

画面の中で起こることは全てフィクションだ、舞台なんだ、台本があって作られたものなんだ、と思っておかないと、簡単に騙される。現にこうして僕が数十年イメージだけで人のことを判断してしまっていたように、都合よく根拠を並べられたり、論理を組み立てられたりしたら、大抵の人はやっぱりどこかで他人のことはどうでもいいと思っているから、「ああそうなんだ、へえ」と思い、疑いを晴らそうとも調べることもなく、そういうものなんだろうと納得して過ごすだろう。

だから言葉を話す人のほうが正しくなって、なにも語らない人は疑われる。「事実」はまた別…なのにも関わらず。某人気探偵漫画の主人公の言葉を借りれば「真実はいつも一つ」であるはずだが、語られる事象があまりにも多くて真実は見えない。

どうして急にこんな話を書こうかと思ったかというと、つい先日アメリカの大統領選挙でトランプ氏が当選したわけなのだが、色々な公約を発表する中に、僕にとって聞き馴染みのなかったことに言及するものがあったからである。唾を飛ばしながら「やるぞ」と意気込むからには、大義があるんだろうと思う。世界は僕が思っている以上に狂っていて、汚れているのかもしれないと思ったのである。

さっきのタレント事務所の件にしても、過去に不審な「消え方」をしたと言われている人たちにしても、語られない「なにか」があったのである。その「なにか」を語ろうとしていた、あるいはそれに関与があった、みたいな憶測は結構ネットに出回っている。あるタレントや俳優、アーティストにものすごい人気が出て、そういう「なにか」と関わってしまうような世界に足を踏み入れると…きっと、自分の良心、道徳、善と向き合わざるを得なくなるようなことがあるのかもしれない。

僕が植え付けられていたマイケルのイメージに疑いを持つようになったのは、彼の遺したものを観るようになったからだ。彼に小児愛の性癖があったのかどうか…それは分からないが、実はむしろ逆で、権力者たちの偏執的なペドフィリアを知り、幼い子たちを守ろうとしていた、という説だってある。マイケルは何も語らないまま…死んだ。だから本当のことはわからない。でも、彼の作品を観、聴くたび…僕には彼が非道いことをするような人だとは、とても信じられないのである。

今のこの世の中における権力とは「仕組み」である。仕組みを作った人間の立場がものすごく強い。自由資本主義は「富の最大化」を目的に動いているから、幸せにした人間の数が多いほど…多くの人間に作用させられる人間ほど、強い権力をもつことになる。まさに「神」そのものである。

一応神様というのは(存在しているかどうかはまた別の話だが)この世を創造した、という前提がある。スピノザの神学によれば、神はこの世の仕組みを作っているわけだから、逆に仕組みを作ることは神の業なのである。文字通り、神のような扱いを受ける人間になる。

毎日誰かに頭を下げ、一生懸命誠実に生きていても、例えば現場でビスを何本真っ直ぐに打てようとも、パネルをどれだけきれいに建て込みできようとも、現代では僕は神にはなれないのである。現代における神のような存在とは、よっぽど影響力があって(有名かどうかではない)、たくさんの人間を御し、管理している人間のことである。僕のような庶民がどれだけ働こうが、彼らに及ぶことはない。こういう権力構造がある。

だから、そういう構造に乗っ取って仕組みを作ってビジネスを起こし金を稼いで強者側に回るか、逆に構造に反発して身を返しそっぽを向いて仕組みから外れる(めっちゃ苦労する)か、既存の仕組みを守って生きるか、しかない。

マイケルがいくらCDを売ろうとも、人前に立ってパフォーマンスをしようとも、これだけ世界中から愛されようとも…彼は仕組みを作らなかった。音楽という既存の商業の構造に乗ってスターになって、それで彼なりに「正しいこと」をしようとした。でも、仕組みを持っている人たちに潰された。

彼のステージは美しい。身体の、関節一つ一つの動きに至るまで、全てが完成していると思わされる。一体どれだけの稽古を積んだのか、見れば分かる…いや、わからない。どれほどやればいいのか、想像もつかない。我々には到底理解し得ないレベルだということを…「分からない」ということを分からせられてしまう。…孤独。誰にも理解されない領域。あの日テレビに映っていた人たちは、せいぜいマイケルを揶揄してパロディ消費することくらいでしか彼と同化できなかった。それがどれほど孤独なことか。

僕も僕なりに頑張って、人生を懸けて制作をしてみて、その孤独の麓に少しだけ立つことが許されたと思う。でも、その麓から霞のかかった頂上を見上げても、当然見ることなんてできなかった。その行程を想像すると涙が出るようだ。だから、彼は「そんなことをする人」ではない、と、なにも知らない僕が言ってしまえるには…もう充分すぎるほどなのだ。

…彼は生前、メディア出演やステージの合間をぬって、1日に何時間もひとりスタジオの鏡の前に立ち、自身の身体の動きを確認していたそうだ。それをしている時だけが「癒し」だったそうだ。押しつぶされそうな世界中からのプレッシャーに耐えるには…それしか方法がなかったそうだ。

当時の映像を見れば分かる。あまりにも人間離れしている。コンピュータでモーションデザインされたような、完璧に制御された動き。そういう高みにいた人間が残した曲を、せめて正面から受け止めたい。

僕は彼の「Man in the Mirror」という曲が好きだ。世界のために、鏡に映る自分から変えてみよう、ということを歌っている。彼がしたように、自分にもできるだろうか…そういう勇気がわいてくる。彼はそういうものを遺してくれた。

世間が噂する、彼の姿…どっちが本当?どっちも本当なんだろうか?真実は分からない。