僕の履歴書 その3 (original) (raw)

午前2時過ぎに起きてまずすることは、その日に聴くレコードを選ぶことである。これは名盤だけど案外聴いていないかもしれないなとか、ああ~ここに眠っていたのかお前はとか寝ぼけつつ4,5枚選ぶ。それを朝6時半頃まで聴いている。途中うつらうつらすることもよくあるし、時たま気が向いて記事を書くこともある。今日はどうも後者らしい。

1枚目を聴いている時には、煙草の欲求と戦うことになる。朝起きたらまず一服でしょという気持ちがどうにも抜けない。その戦いには今のところ敗れ続けている。ヤニクラ(久しぶりに煙草を吸うとクラクラする)を感じながらゆっくりと吸い、吸い終わったらすぐに灰皿を片付ける。こうすることで連続で吸うことは避けられている。

煙草を吸っている時にふと、記事のテーマが降りてくることがある。そういう時は書くことにレッツゴーだ。レコードを聴きながら記事を書く。何だかまともなことをしている気持ちになるので心にもいい。

因みに記事をアップしていない時は、日がな一日「何を書こうかなー」と思い悩んでいる。なかなか「今日は書かない。よって何も考えない」とはいかないようである。

今日降りてきたアイディアが「僕の履歴書 その3」である。以前「その1」「その2」を書いたが、病状というか「あの時は軽躁状態で、その後これだけの期間鬱状態だったなぁ」みたいなことをあまり書いていなかった気がする。だから今日はその辺を振り返ってみようというわけだ。

というわけで、もう一度履歴書を(年齢もつけて)書いてみるか。

講師(4年)(23歳~25歳)

A校(6年)(27歳~33歳)251166年担任

B校(5年)(34歳~38歳)44654年担任

C校(3年)(39歳~41歳)553年担任

D校(5年)(42歳~46歳)44654年担任

E校(2年)(47歳~48歳)算数、特支

B校(6年)(49歳~54歳)特支、特支、特支、特支、算数、生徒指導

A校(6年)(55歳~60歳)算数、算数、社会、社会、社会、社会、病休

この履歴書をじいっと見ていると、何歳の時に軽躁だったのかを思い出すことができる。

28歳~30歳

36歳~37歳

42歳~44歳

47歳~48歳

52歳~54歳

おそらくはこの5回だろう。うーん、ここまではっきり分かるときついな。結構規則的じゃない?軽躁期は2,3年でその後鬱状態が数年続く。その繰り返しだ。最初の2つはプライベートなことで、あとの3つは仕事上のことだ。今日はあとの3つのことを振り返ってみたい。というか最初の2つは病識の無かった頃の話だ。今思えばそうだったんだろうなあという話である。これについては書くことはないだろう。

〇は軽躁、●は鬱状態、☆は寛解期かな?である。

〇42~44歳・・・44歳になる2か月前に初めて心療内科に行く。つまりこの年の後半には鬱状態になっていたということだ。42歳になる年度の4月から44歳になる2カ月前まで僕はノンストップで突っ走っていた(←仕事で)。なぜなら僕のことを初めて認めてくれる人が現れたからだ。そのことについては書いた(「サカグチ先生」の項)。僕は嬉しくなってただひたすらに働き続け、いくばくかの授業スキルを身につけていった。

●45歳~46歳・・・44歳のダメージから僕は初めて病休を取った。2カ月弱で復職したが、次の年度は保護者と児童との関係に疲れ果て、休む寸前までいった。完全に鬱状態であった。今思えばこの時が一番つらかったな。

〇47歳~48歳・・・やっと学校を異動することができた。この頃の僕は嫌な奴だった。「俺の授業が一番!」と心の底から思っていたし、実際上手くやっていたと少しだけ思う。でも一番!ってねぇ。上には上がいることを完全に忘れている。管理職(教頭)に食ってかかるなんて激しいことをしたのもこの頃だ(この1回だけだよ)。髪の毛をオレンジに染めたのもこの時期だ。要するに狂ってたんだ。

☆49歳~54歳・・・学校を異動した。そりゃそうだよね。管理職に盾突いたんだから。49歳になる夏は病休したが、その後、55歳になる年まで休むことはなかった。僕としては周りの人に感謝しかない。本当に奇跡的な時期だった。今では考えられないもん。

〇52歳~54歳途中・・・上の☆時期と重なる部分もあるが…。「嫌な奴」期は学校を異動しても(つまり49歳になっても)続いていた。特に授業検討会では嫌なことをズバズバ言っていた。あー恥ずかしい。そして52歳から大変な学年と関わることになった。気の合う人やそうでない人と手を取り合ってこの問題に全力で立ち向かっていた。気がつくと(54歳の年度の終わりには)僕のエネルギーは空っぽになっていた。

55歳になる年度に学校を異動した僕は、そこでもブイブイ言いたいことを言っていた。しかし先ほども書いたように僕のエネルギーは空っぽになっていたし、僕の言うことに賛同してくれる仲間は誰一人いなかった。7月で僕の軽躁状態は終わりを告げ、長い鬱状態に入る(病休6カ月、休職3か月)ことになる。

アルコールに溺れていたのは45歳から52歳までだと思う。この間、毎日意識がなくなるまでビールとジンを飲んでいた(これも記事に書いたことがある)。しかし体はジムに行っていたおかげで人生史上最高にバキバキだった。酔っぱらいながらひたすら映画を観ていた。

忘れちゃいけないことがあった。ブログである。これは55歳になったばかりの頃に始めた。今では落ち着いたが(←そう思いたい)、いっときは毎日3000字ほど書いていた。いやいっときのことではないかもしれない。そんな時期は仕事で疲れていて、そのはけ口をブログにぶつけていたのだろう。

こうしてみると、どうやら60歳を超えても軽躁期がやってきそうである。来るなら来るで仕方がないが、なるべく人に迷惑はかけたくはないものだ。

あと、昨日YouTubeを観ていたら、「双極性障害の人の寿命は他の人より10~20年短い」という動画があってゾゾッとした。理由も納得できるものだったので、やっぱり僕の寿命はもってあと10年ほどであろう。

そういう覚悟を心のどこかに持ちつつ、穏やかに生きたい。

年齢で見るのは少し分かりづらかったかな?僕としてはなるほどと思うことができてよかった、ということにしておこう。

それでは。あーつかれた。