『コマンドマガジン別冊』2号(1996/03/20)を読んでみた (original) (raw)
国際通信社の『コマンドマガジン別冊』第2号 電撃戦(ブリッツクリーク)1939(1996/03/20)を読んでみた。
付録ゲームは『電撃戦1939』(Poland'39: The Nightmare Bigins)だ。
もくじは次の通りだ。
- ヒストリカル・ノート ポーランド1939
- コラム&参考資料 ポーランド戦役を語る
- ゲーム・ルール 電撃戦1939
- プレイヤーズ・ノート Ty Bomba
- アフター・アクション・レポート Carl Willner
ヒストリカル・ノート ポーランド1939
読みやすく、面白く、わかりやすいヒストリカル・ノートだが、本文にある地名や部隊名は、本誌の地図や戦闘序列またはゲーム・マップやユニット名と一致させてほしかった。
p.7にあるドイツ軍戦闘序列を手書きしてユニットを配置してみた。
上になかったユニット達
p.5にあったポーランド軍戦闘序列に本ゲームのユニットを並べてみた。
上の戦闘序列になかったユニット達
ポーランド軍のステップ数はほとんど1なのだが、どういう基準でステップ数を決めたのだろう?
戦況図は、付録ゲームのマップやユニットを使ってくれると、もっともよかった。
コラム&参考資料 ポーランド戦役を語る
ポーランド空軍の戦い James Webaneth
9月1日に開戦した理由 L.Dean Webb
もともと、開戦は8月26日午前4時30分の予定だった。しかし、ムッソリーニが「すぐに大量の物資の援助をしてもらわなければ、とても英仏との戦争に臨めない」と言ってきて、攻撃開始予定時刻のわずか9時間前に作戦延期をヒトラーは決断した。
8月26日か9月1日かは結果は変わらなかった。
その時、西部戦線では Pat Mctaggart
西部戦線のドイツ軍は34個師団。フランス軍は歩兵81、騎兵3,機械化2、守備隊13の97個師団だった。9月7日ザール地方にフランス軍は攻撃を開始したが、ジークフリート線の最も完成しているところに突っ込んだフランス軍は大損害を出して後退した。
この時は、英仏共に情けない。
小説の中のポーランド戦 Ian Macmillan
イアン・マクミラン『プラウド・モンスター(Proud Monster)』という小説があるそうだ。日本では出版されていないらしい。その一部を抜粋している。
短編集のようだ。
赤軍の介入 Pat Mctagganrt
「ウクライナ、白ロシアの住民を保護する」という大義名分を掲げてソ連軍がポーランドに西から侵攻したのは1939年9月17日だ。
6年後に満洲にも火事場泥棒のように参戦したソ連軍だが、この時も弱り切っているポーランド軍の背後を襲った。
その後、「カティンの森」事件を起こす。
犬猿の仲だったヒトラーとスターリンは21か月後、相まみえるのだった。
ゲーム・ルール 電撃戦1939
所々、コピー&ペーストミスが見られるが、わかりやすいルールだ。ヒストリカル・シナリオをプレイするには12ページ読めばプレイできる。随所に、ビギナーやベテラン向けガイドや、デザイナーノートがあり、面白い。
プレイヤーズ・ノート Ty Bomba
ドイツ軍勝利のポイントは、損害ポイントを減らし、ポーランド軍の脱出を阻止することだ。
損害ポイントを減らすためには、機械化部隊を単独で使うな。
脱出阻止のためには、南方軍集団にカルパチア山脈を越えさせ、ルヴォフに向かわせる。ルヴォフ到着後ワルシャワに向かう。北方軍集団は、東プロイセンから南下しバグ河で南方軍集団と手を結ぶことで、ポーランドと中立国を分断するのだ。
アフター・アクション・レポート Carl Willner
簡潔によくまとまったアフター・アクション・レポート(AAR)だ。