【配信終了】イタリア映画『まだ明日がある』のオンライン配信を今すぐ観てほしい(7/28まで、人数制限あり、1,500円) (original) (raw)

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※制限人数に達したため、配信は7/21(日)をもって終了しました。

突然ですが、みなさんに観てもらいたい映画があります。『まだ明日がある』(原題:C'è ancora domani/英題:There’s Still Tomorrow)というタイトルの、日本未公開の新作イタリア映画で、現在イタリア映画祭のウェブサイトで、2024年7月28日(日)までの期間限定でオンライン配信されています。もちろん日本語字幕つきです。

勝手なお願いではありますが、なるべく早く、できれば次の週末までに観てもらいたい! と言っても、それだけでは納得できないと思うので、理由を説明するためにこの記事を書くことにしました。

なるべくネタバレをしないように、3段階にわけて説明していきます。その前にまず、映画の基本情報をご覧ください。

・目次

[1. 早く観てもらいたい理由](#1. 早く観てもらいたい理由)

[2. 簡単なあらすじと雰囲気(ネタバレなし)](#2. 簡単なあらすじと雰囲気(ネタバレなし))

[3. もっと詳細なあらすじ(ネタバレなし、物語の半分くらいまで)](#3. もっと詳細なあらすじ)

[4. 時代設定と映画がヒットした背景について](#4. 時代設定と映画がヒットした背景について)

1. 早く観てもらいたい理由

この章は、なるべく情報を入れずに新鮮な気持ちで楽しみたい人向けです。

何も知らずに観たほうが面白いから

観てほしいのは当然「面白いから」なのですが、なぜそんなにも早く観てほしいのか。

その一番の理由は、「なるべく何も知らない状態で観たほうが面白い」と思うからです。うんうん、映画はそうだよねと頷いた方は、この先は読まなくて大丈夫です。今すぐこのリンクをクリックして映画をレンタルしてください。

もちろん、結末まですべて知っていても面白い映画はあります。でも、たとえば『シックス・センス』(1999)なら、初回は一番大事な部分を知らずに観たいですよね? それと同じで、初見の気持ち良い驚きと感動を他の人にも同じように味わってほしくなる映画だと思うのです。私の薦めで観てくれた人たちも、みな口を揃えて「何も知らずに観て本当に良かった!」と言っていました。

ちなみに、『まだ明日がある』はSUMOMOという日本の配給会社が権利を購入しているようで、そのうち劇場公開かソフト発売がある可能性が高いです。ですが、公開規模はオンライン配信よりは確実に小さくなり、劇場公開となるとニュースや予告編などが流れてきて嫌でも情報が目に入ってしまうでしょう。今回の配信なら映画館の一般料金より安いですし、日本のどこからでもレンタルできて、72時間のあいだ繰り返し再視聴できます。観るなら今がお得だと思います。

視聴人数に制限があるから

早いもの勝ちという、単純な理由です。何人までとは明記されていませんが、過去にもイタリア映画祭のオンライン配信において、制限のある作品が予定の配信終了日より早く終了してしまったことがあるそうです。

みんなが匂わせてくるから

もうひとつ、口コミの問題があります。この映画にはとても大事なメッセージが含まれているのですが、関心のある人が観ると「今観るべき◯◯◯◯◯の話だった」などと、察しが良い人なら先の展開を読んでしまうような感想を流し始める可能性がとても高いです。そして口コミが広がれば広がるほど、観てほしいという気持ちで物語の核心や結末に触れる紹介が増えていくでしょう。既にSNSや映画レビューサイトには注意書きなしのネタバレが出回っています。匂わせがさらに興味をかき立ててくれるならよいのですが、初見の驚きは薄れてしまうかもしれません。

期待しないでほしいから

そして、こんな記事を書いておいて矛盾するようなのですが、「そんなに期待しないでほしい」というのも本音です。期待に値しない作品という意味ではありません。場面スチルになんとなく惹かれたから、気になるタイトルだから、そういえば友達の誰々が観たと言っていたから――そんなふうに、ふらりと入ってみた喫茶店のコーヒーが美味しかった時のような、身構えずに出会えたからこそ得られる小さな喜びってありますよね。『まだ明日がある』は、リラックスした心で気軽に観てほしい作品なのです。

ですが、とても良い作品であるがゆえに、観る人が増えれば増えるほど熱い口コミが広がって、期待が必要以上に高まってしまうかもしれません。これは私の妄想ですが……。

また、「これは◯◯(社会的問題など)を描いた映画として素晴らしい」という紹介もくせものです。そうやってカテゴライズすることで、その問題に強い関心がある人に必要な情報を届けることができる一方、強すぎる先入観と期待を持たせてしまったり、誰かの視聴機会を遠ざけてしまうこともあります。実際、私が過去に書いた紹介文を読んで「きっとこういう作品だろう。それなら観なくていい」と判断した人もいました。ところが、実際に観てみたら想像と違ってすごく良かったのだそうです。私の紹介なんて信じなくていいので、「観てくれたら嬉しい!」という気持ちだけを信じてください🙏

2. 簡単なあらすじと雰囲気(ネタバレなし)

この章は、ネタバレは避けたいが、簡単なあらすじ、雰囲気、方向性、テーマくらいは知っておきたい人向けです。時代設定や映画の背景について知りたいという人は、(3)を薄目でスクロールして(4)に飛んでください。

デリアの家族全員が写っている『まだ明日がある』の宣伝写真

本作はざっくりまとめると、家父長制と男尊女卑が色濃く残る戦後すぐのイタリアを舞台に、貧しい家庭で毎日のように夫から暴力を受ける主婦デリアが、ある出来事をきっかけに「ひとつの選択」をする話、です。

こう書くと、重くて湿っぽい、ひたすらつらい展開が続くお涙ちょうだいドラマに思えるかもしれませんが、そんなことはありません。その語り口はユーモアに満ちていて、抑圧の下で生きるデリアの日々を時にバカバカしく、時にふてぶてしく描き出していきます。差別と暴力が暗く影を落とす中で、母から娘へ、次世代の女性の「明日」へ何を贈れるかを明るく照らし出してくれる映画です。

監督・主演はイタリアを代表する女性俳優でありコメディアンでもあるパオラ・コルテッレージ(『これが私の人生設計』(2014)共同脚本・主演)なので、コミカルなシーンはお手のもの。ドメスティック・バイオレンスの描写も、被害自体は軽んじることなく、凄惨さを見せ物にしない工夫がなされています(ただ、感じ方や解釈には個人差があると思います)。

映画のいくつかの要素を抽出すると、下記のようになります。刺さるテーマもあれば、まったく響かないキーワードもあると思いますが、この中から興味があるものを拾って検討してみてください。

『まだ明日がある』は……

3. もっと詳細なあらすじ(ネタバレなし、物語の半分くらいまで)

この章は、観る前に物語の展開をもっと詳しく知りたい人向けです。大事な部分は明かしていませんが、人によってはネタバレと感じる詳細なストーリーを書いています。

デリアと女友達が並んで座っている『まだ明日がある』の宣伝写真

舞台の始まりは1946年5月のイタリア、ローマ。集合住宅の半地下にある貧しい労働者家庭を切り盛りする主婦のデリアは、夫のイヴァーノ、ほぼ寝たきりの舅オットリーノ、長女のマルチェッラと幼い2人の息子の面倒を見ながら質素に暮らしています。

この家は家父長制の強い家庭で、デリアは使用人のような扱いを受けており、自由に出かけることも、座ってまともに食事をすることも許されません。息子たちはやんちゃに育っていますが、十代のマルチェッラは女だからという理由で父親に中学への進学を許されず、働いて家計を助けています。また、夫のイヴァーノはささいなことですぐ激昂し、デリアに対して日常的に激しい暴力をふるっており、それは近所中の知るところでもありました。

デリアが不当な目に遭うのは家の中だけではありません。彼女は家計の足しにするために複数のパート仕事をかけもちしていますが、その賃金は仕事のできない男の新人よりも低く、雇い主に文句を言っても「男だから」で済まされます。それでもデリアは賃金の一部をへそくりとして貯め、娘が結婚する時には新しいドレスを用意し、最高の花嫁にしてやりたいと計画していました。

ただ、デリアにも、彼女のことを想ってくれる人がいました。市場で八百屋をやっている女友達は、デリアが暴力を受けていることをいつも心配しています。落とし物がきっかけで言葉を交わすようになった駐留米兵のウィリアムも、なにかと彼女のことを気にかけてくれます。そして、かつて恋仲にあった自動車修理工のニーノは今でもデリアのことを想っており、彼女に何か大事なことを伝えたいようでした。

そんな中、デリアの日々にさざ波が立ち始めます。なんと、娘のマルチェッラが町一番のバールを経営する裕福な一家の御曹司と正式に婚約するというのです。通常は男性が女性の家を訪ねて求婚するのがならわしですが、マルチェッラはそれを嫌がっていました。婚約者の家族を貧しい実家に招くのが恥ずかしく、下品な舅や弟が婚約者一家に失礼なことをするのではないかと不安なのです。デリアは娘を想い、この結婚を成功させるために、なんとか工夫して顔合わせの食事会を成功させようと考えます。

さらに、デリアがパート仕事から帰宅すると一通の郵便が届いていました。それは夫ではなく、自分宛ての手紙でした。デリアは中身を確かめると、届けてくれた女性に「夫には内緒にして」と頼み、落ち着かない様子で誰にも見つからない場所に隠します。

その晩、娘の婚約を告げられたイヴァーノは一旦は機嫌を良くするものの、ささいなことがきっかけで態度を急変させ、デリアに激しい暴力をふるいます。子供たちは何もできず、ただ黙って部屋を出ていき、母が殴られ首をしめられる音を聞いていなければなりません。長い暴行が終わると、夫はデリアにオーデコロンをかけさせ、女を買いに出かけていきました。まるで何事もなかったかのようにふるまうデリアに、娘は泣きながら「ママみたいな人生は死んでも嫌。あんな扱いされるなら出ていけば?」と軽蔑した様子で吐き捨てます。「でも、どこへ?」ひとりになったデリアは、隠していた手紙を丸めてゴミ箱に捨てるのでした。

さて、マルチェッラの婚約食事会はうまく行くのでしょうか? デリアはこの状況から逃れることができるのでしょうか? 気になった方は本編で続きをご覧ください。

4. 時代設定と映画がヒットした背景について

映画の背景を知っておきたいという人のために、もう少し説明します。

まだイタリア共和国じゃない

物語の中で説明はありませんが、舞台となる1946年5月のイタリアは現在のような共和制のイタリア共和国ではなく、まだサヴォイア家による君主制が維持されている時期です。劇中のところどころに「これは何を話しているんだろう」という会話が出てくるかもしれませんが、それは戦争の爪痕が残る暮らしの中で、今後この国をどうしていくべきかと市民が政治談義をしているという描写だと思われます。

離婚制度はない

イタリアはカトリック教会の影響が強く、1970年になるまで法律で離婚制度が認められていませんでした。

https://www.nytimes.com/1970/12/01/archives/italys-first-divorce-law-is-approved-by-parliament.html

いわゆる「名誉殺人」は重罪にならない

家庭内暴力、男性から女性への暴力は軽視されており、1981年までは、男が不道徳とみなされる性行為を行なった妻、娘、姉妹を殺害しても、極めて寛大な判決を受けていたと言われます。

https://www.washingtonpost.com/world/europe/how-italy-has-changed-its-view-on-murdering-women/2016/11/02/8f22d42a-930b-11e6-bc00-1a9756d4111b_story.html

女性への暴力はなくなっていない

法律は変わりましたが、現在のイタリアからデリアのような女性がいなくなったわけではありません。警察の統計によれば、2023年にはイタリア国内で120人の女性が殺され、その加害者の半数は被害者女性のパートナー/元パートナー、4分の1は子供(その89%が息子)だったといいます。2023年7月には、学校の用務員が17歳の女子生徒の体を同意なしに触ったが、その時間が10秒未満だったという理由で無罪判決を受けました。また、2023年11月には女子大学生のGiulia Cecchettinさんが元交際相手の男に殺害されるという事件があり、国内でフェミサイドに対する大規模な抗議デモが巻き起こりました。

このように男性から女性への暴力が決して過去の遺物ではなく、現在もイタリア社会の心性として残っていることが『まだ明日がある』の大ヒットに繋がったとも分析されています。

https://bbc.com/news/entertainment-arts-68881292(このページを読むのは鑑賞後にすることをおすすめします)


それでは、映画をお楽しみください! 面白かったらぜひお友達にも広めてください。あの場面とか、あの音楽とか、本当にいいんですよねえ。なのに語れる場所がないので、私もネタバレありの感想記事を書こうかな。