早寝早起きダイアリー(余生) (original) (raw)
EIKOGOの話ばかりで悪いんだけど、昨日夜「サイレントヒル2」をライブで観ようとしたら、家のWiFiの調子が悪くて前半はスマホで観た。わりと世の中の人はYouTubeをスマホで観ることが多いだろうから、その一員になったような感覚(チャットもすごい速さでまわってた)。サイレントヒル怖すぎ(面白すぎ)。あとは最近は「ベターコールソウル」を観直している。このドラマは本当にキャラクター設定が良くて、ブレない。リアリティあって、人と人の分かり合えなさもリアル。風景、空気が(ブレイキング・バッドと同じくアルバカーキなんだが)何故か、懐かしく感じる。何でなんだろう。行ったこともない場所が懐かしいという感覚はいったいどこから来るのか。とにかく自分の心をそそるドラマだ。キムが本当に好き。話し方、誠実さと優しさと遊び心のバランス、仕事に対する姿勢とか。
さっき、料理をしながらふと思い出したことがあって、それは過去にどこかの誰かがツイートしていた写真や言葉で、もしかしたら作り物かもしれないことだけど、ものすごく切なさが伝わってきた記憶で、みんな、何かしらの事件とまではいかない細かな日々のやるせなさや、ほっとした気持ちや、疲労や達成感や、その他の感情の場面で出来上がっていて、いずれそれは終わるのだよなぁーということだった。終わるというのは人生がいつか終わるという大きな意味もだけど、ライフステージが変化していくことで、その日々にも終止符が打たれる(しんどい記憶もいつか忘れ去られる)ということでもある。
何となく、そんなことを考えていた。今日から急に冬が来たみたいだ。寒くなるとちょっとほっとする。早く夜が来て、温かい紅茶、キャンドルをともして毛布にくるまったりしてぬくぬく過ごすのを待っていた。
ここ数日ドラマは観てなくてエイコーちゃんの過去の「ライフイズストレンジ1」を観てた。今日観終わって寂しくて2を観始めたところ。最初のんびりしたゲームなのかなって思ってたのにどんどんストーリーが進んで驚く展開になって本当に映画観てるみたいな感じ。選択次第で結末が変わるっていうのが「BEYOND」とか「デトロイドビカムヒューマン」みたいで好きなジャンル。選択に人柄も出るし、やっぱ自分と価値観合う人のゲームしか観たくない、いや、観ても楽しくはないかもーなんて思った。
今日は暑かった。途中、メルカリ発送でコンビニ行ったけど、半袖でも平気だった。ちょうど良かった。それでもジャンパーみたいの着てる人がいて妙に恥ずかしい気持ちになった。明日からは冬になるらしい。やっとだ。
そういえば最近、ここで日記も書いてなければ、ノートにも書かなくなってしまった。1年間スケジュール帳に何かを書き続けることができないタイプで、たいてい夏を過ぎたら真っ白になるのだけど、今年も9月半ばから何も書けなくなってしまった。どうしてこんなに飽きっぽい、何事も続かないのだろうか?なのに、懲りずにまた再挑戦して何十年も繰り返している。思い出したのだから今日からまた書けばいいのか…。やってみようかな。完璧でなくてもいいんだよなー。
朝は暗く肌寒い時期になった。何やかんや4時起きは続けている。お弁当作った後寝るかどうかはその日次第だけど。今日は朝から昔のEIKOGOの「バイオハザード5」を最後まで観た。ダミーネーター(ウェスカー)との戦い本当に最後笑った。いや、世の中こんなゲーム実況があっていいんだ、いや良かった。
月曜日なので「サムバディ・サムウェア」シーズン3をお昼に観る。相変わらず繊細な空気感。この感じ、口に出さずとも分かるよねの現実味がすごい。そしてやっぱ登場人物たちのリアリティ。作り物ではない日々にじわじわする。
夕飯の準備に取りかかるのにエネルギーがいるからYouTubeで料理動画を観る。それを見て真似するとかではなく、単に料理スイッチをいただく。毎日仕事や子育てして、さらに毎日料理を作ってる人もいる(そういう人が大半)と思うと私は何て怠惰な日々なのだろうと思うけど、私は週のうち少しでも働くことで簡単にエネルギーがゼロになってしまい、ご飯を作ることを放棄してしまいがちだった。もしくはやってもまるで手をかけない。もともと色々学んで作る気がなかったのかも。今やっと少し気持ちが向いてきた感じがする(遅い、けど一生できなかったかもと思うとちゃんと取りかかれて良かったとも思う)。
それにしても昼間は晴れていると少し汗ばむくらい暖かい。いったいいつになったら本当の冬はやって来るのか?
初めて紅茶フェスなるものに行ってみた。たまにやっているのは気づいてたけど、人混みが苦手で、おしゃれすぎる集まりも苦手な私はしり込みしてしまう。紅茶好きというとみんなおしゃれと決まっている(私以外は)。しかし欲しいグッズや行きたいお店があって、これを逃したらもう一生行かないだろうと思い、夫を誘って出かけてみた。お目当てのものも買えたし、久々に会った某カフェの店主さんとも話せたし、勇気を出して行ってみて良かった!
実は昨日、20年くらい前に買ってずっと使っていたカップアンドソーサー(昔Afternoon teaで買った大切な1客)を割ってしまった。とても使いやすい形だったし、今は売っていないデザインだし、ずっと手放さないできたものだったからまあまあショックだった。他にも何種類かカップアンドソーサーは持っているのだけど、代わりの普段使いのが欲しくなり、やはりアフタヌーンティーで実際に手に取って真っ白なのを2客購入した。正直2客だと1客に比べて特別感が薄れるかもしれない。あの頃は2000円以上のカップアンドソーサーを高価に感じていて1客しか手に入れることが出来なかったからこそ、本当に自分のための大切な儀式って感じがしていたんだと思う。紅茶のためのカップ&ソーサーを手に入れることもその器で紅茶を飲むことも。今度は壊さず、もしかしたら一生使おうとか、想像してみた。
私は東京の冬の空が好きだ。日が昇る頃のしんとした時間。あとは乾燥して綺麗に澄み渡ったお正月の頃。私が生まれ育った地域では、お正月がどんよりして、雪がぼたぼたと振り積もっていたイメージ。吹雪の厳しさ。だからこそ春が大好きだった。先のことは分からないけど、たぶんもう二度と東京で冬を過ごすことは無いのだろうと思ったら少し寂しい気がした。
最近ドラマを見ていて改めて思った。危険な環境にありながら、とりあえずの安全な場所で作戦を立てているシーンが大好きなのだ。バイオハザードでいうところのセーブ部屋と言えば分かりやすいかな。
ドラマだと普段は使ってない誰かの山小屋、モーテル、地下室とかかな。何かワクワクする。追われているかもしれない身で、でも今は安全な場所にいて、次の行動を考える。この感じ、なかなか分かりづらくて人に伝わらないのだけど。初めてこの「好きな感じ」に気づいたのはもしかすると子どもの頃観た「グーニーズ」かもしれない。
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このところ、思いついたら料理をして自己満足している。世の中の人は働き、忙しいがための時短料理、作り置きなのだと思うが、試してみたくて次々作って気づいたら一日中やっている。これは一種のブーム、集中、マインドフルネスだ。ひとつの事に集中すると他のことへの比重が減る。読書はほとんどできていない。バランスをとって生きるのがとても難しい。
最近、作り置きというものにはまっていて、今日も1日それをやっていた。保存容器が欲しくなって注文しちゃった。これ。届くの楽しみ。
YouTubeで中井エリカさんの料理動画をよく観ている。料理そのものを参考にするのはもちろんなのだけど、何だろう、あの白いキッチンや、キッチンに差し込む優しい光(外は晴れ)、飼っているインコの呑気な歌、中井さんのエプロンとかやっぱり保存容器(無印の白いホーローのものや透明の耐熱ガラス製とか)、ボウル、塩や砂糖の入れ物、食卓と外の庭、全部がじわじわと心に響く。こういう世界に暮らしたいと願う感じ。時々、裁縫をしているシーンが出てくるのも好きだ。むしろこれって現実?天国じゃない?と思ってしまうほど。丁寧な暮らしという言葉でくくるには溢れ出てしまう「幸福感」がすごい。もちろん誰かの人生を、外から幸せか不幸かなんて決められるものではないけれど、この風景こそが私が想像できる最上級の幸せだと思ってしまえる。乱暴かもだけど。はーこの世界に住みたいと思う。この本も買っちゃった。シンプルでやさしいレシピいっぱい!
私はわりと最近、必死で人生を軌道修正しているようなところがある。たいてい心に余裕がなく、いつも間違った選択をしてきてしまった(と思う)人生だったから、結構後悔も多い。でも、ここ数年は幸福感を感じようと努力してきたと思う。あえて自ら問題の渦中に飛び込まないようにしてきた。なるべく人と深くも関わらないようにした。1人で部屋を整え、生活を整え、家族とごく一部の信頼できる人間だけを大切にしてきた。それこそが本当に大事なことのような気がする。まあ気づくのが遅いんだよな。けど、試行錯誤するからこそ人生ということもあるだろう。今はできる限り、この幸せを追い求めて自分で空気を作っていく暮らしを続けよう。