母語がえり その1 (original) (raw)
私も仕事柄、何箇所かの老人ホームやサービス付き高齢者住宅等へ訪問施術にお伺いすることがあります。
老人ホームなど入居者の方が外に出る事はあまりないのですが、いつも玄関の外で椅子に座ってひなたぼっこをしている男性の入居者の方がおられました。
一目で外国の方だとわかります。
直接お話ししたことありませんし、軽く会釈する程度でした。
施設の方に聞きますと、ドイツ人だというのです。
詳しい経過は分かりませんが、隣町に住んでおられたようです。
また、彼にはすごい得技があって、油絵が大変上手でした。
その施設の玄関には、彼が描き上げた、白いテーブルが置かれている美しい花園のかなり大きな絵が飾られていました。
結局、認知症が進んできて、老人ホームに入所されたという経過らしいのです。
そこで少し気がかりだったことを職員の方に聞いてみました。
「日本語はだいじょうぶなのですか?」
職員の方のお話では、日常会話はほとんど問題なくできているそうです。
ただ、少しイラだったり、興奮したときは、ドイツ語になってしまうので困ることがあるということでした。
他にもこんな例がありました。
その方は、第二次世界大戦の時、満州国で生まれ育った男性です。
いまや満州という言葉を聞かれたことがない方も多いと思いますので、簡単に紹介します。
1931年9月18日、日本軍部中央と関東軍は、柳条湖 (りゅうじょうこ)において満鉄線路爆破事件を起こし、これを口実にして張学良 (ちょうがくりょう)の宿営北大営 (ほくだいえい)と奉天城を攻撃、翌日中には満鉄(満州鉄道)沿線主要都市を占領する軍事行動を開始しました。
この辺は歴史の教科書で出てきますね。
さらに関東軍の吉林攻撃を口実に、手薄となった奉天方面に林銑十郎 (せんじゅうろう)朝鮮軍司令官は朝鮮軍を独断越境させます。
さらに関東軍は南満州占領後、北満のチチハル、ハルビンを攻撃し、1932年初頭までには北満の主要都市を占領し、満州全体を支配下に置おいたのです。
一方、事件の中心人物の関東軍将校たちは、柳条湖事件直後から、当初の満州の軍事占領という構想を変更し、傀儡国家建設に着手し始めていました。
彼らは国民革命に否定的な満州軍閥の煕洽 (きこう)、張景恵 (ちょうけいけい)、臧式毅 (ぞうしきき)、張海鵬 (ちょうかいほう)、干芷山 (かんしざん)、馬占山らに強要して、各省を独立させ、さらに3月1日には、彼らの組織する東北行政委員会による「建国宣言」を発表させました。
中国人自身による独立という形を整えたのです。
その実態は関東軍のなすがままの傀儡政府なのです。
国内では「夢の国満州」を目指して、満蒙開拓団が組織され、多くの日本人が満州に移り住むことになります。
(現地に行ってみて話が違うことがわかるのですが)
この満州で生まれた男性が、やはり認知症で老人ホームに入所することになります。
ところが、症状が進むにつれて彼の行動に変化が出てきたのです。
つづく