函館次郎の独りごち飯。 (original) (raw)
次郎は浜松町に来ていた。
今日は久しぶりに大学時代の友人九条友嗣と会っていた。
彼は浜松町にある有名な劇団の広報マンだった。元は彼も俳優を目指していたが、やはり世間の高い壁は越えられそうもなく、それに関連する仕事を探し、今の仕事についたのだった。
そんな彼から久しぶりにメールがあったのは一週間前。
何でも今回はヨーロッパの中世の歴史について調べ物をしており、そう言えばそのあたりの研究を次郎がしているらしいと聞いて、久しぶりにメールをしてみたらしい。
次郎も昔馴染みと話すのはここ最近の新たな光明になるのではと、気軽に応じた結果が今日の邂逅となった。
「よう、元気か?」
待ち合わせの喫茶店に先に着席していた九条が店の入口付近でキョロキョロしていふ次郎に声を掛けた。
「おお、久しぶりだな九条」
次郎もそう言いながら九条の対面に腰を下ろした。程なく店員がやってきて、二人はアイスコーヒーを注文した。
「それで、どんなことを聞きたいって?」
「ああ。来春にルネッサンスの光と闇を題材にした演劇をやるんだが、その時代にラトゥールという画家がいるだろう。彼の絵の光と実在の闇の対比を劇の主題にしようかと考えていてな。それで、それに見合う内容があるかどうか、次郎先生に聞きたいと思ってな」
「ほう、ラトゥールか。しかし、まだ准教授にすらなっていない俺に先生はよしてくれ」
「ああ、すまん、気にしないでくれ」
次郎はふんと息を吐いて、テーブルにおいてあった水を飲んだ。
「しかし、九条は広報だったよな?それが脚本にまで口を出せるのか?」
「それがな…」
ニヤリと九条が笑ったところで、アイスコーヒーが運ばれて来た。二人はそれを素早く取ってそれぞれググッと飲んだ。九条の喉仏が動くのが見えた。
「それなりに俺もこの会社で実績をあげたのでな、少しは劇そのものに興行の面から口を出せるようになってきてな。脚本のサポートという観点からやりたいことに口が出せるようになってきたのさ。今回は、脚本家が中世の劇をやりたいというのでな、俺自身が好きなラトゥールを題材にするのはどうかと思ったんだ」
「なるほど、そういうことか。肝入りなわけだ」
「そういうことだ」
こいつも頑張っているんだな…なんとなくそれを感じた。もがいていると言うのが正しいのかもしれない。直接行きたいところに行けなくとも、置かれた場所で近づきながらなんとか花を咲かせようとしている。
「で、ラトゥールの何を聞きたいんだ?」
「こいつを読んでくれないか?俺なりの解釈と脚本の方向性を書いたんだ。是非とも率直な意見を聞かせてくれ、学術的な正しさと企画の面白さと。」
劇の背景と大まかな骨組みが書いてある。九条は脚本をやりたいのか…。
「わかった読んでみる。不明点はメールする」
「よろしく頼む」
二人は置かれた立場について情報共有したあと、店を出た。
次郎は複雑な気持ちになっていた。というより尻に火がつくような、そんな感覚になった。
企画者としての挑戦心が書類から伝わってくる。羨ましくさえある。
「昼飯でも食うか…」
次郎は眼前に迫る東京タワーを見上げながら独りごちた。
「尻に火がつくな、こういう情熱を見せられると。あ、そういえば!」
次郎はネットを検索して思い立った店を見つけた。
「よし」
店に向かって速足で歩いた。
その店は大通りから一本裏にその入口があり、地下に下りる階段がある。
「久しぶりだ。移転したんだな」
店は昔の場所から移転して綺麗になっていた。
「いらっしゃいませ」
店員に見覚えがあり、なんとなく安心する次郎。カウンターに通されメニューを見た。特に前と変わらない。再び安心した。
手をあげ、麻婆豆腐と牛肉の辛煮込みを注文した。
「味はどうだろうか」
店の壁を見つめる次郎。
暫くして麻婆豆腐がやってきた。
「おお!」
変わっていない。辣油の赤いビジュアル。
スープも付いて。ライスにオンしたらヤバそうだ。
次郎は麻婆をライスにオンして、頬張った。
「はふ!、うま!、辛っ!」
これだ。これだよ明智くん。怪人二十面相も納得のうま辛さだ。次郎はバクバクと麻婆をライスオンして食べた。
次第に舌が痺れる。水で辛さを洗い流しつつ、牛肉のうま辛煮を食べる。
「これは見事なうま辛だ。そのまんまだがそうなのだから仕方ない。ぎゅっとした肉の柔らかさにうま辛のアンがそれを包み込む。噛んだ時は旨みが口に充満し幸せな気分を持ってくるが、その後が辛い。がそれが後を引く。み、見事だ…」
次郎は水を飲んで舌を洗い流した。しかし、辛さはもはや消えない。この後は時間との戦いだ。
次郎は水を飲み、息をはーはーと吐きながら麻婆とライス、うま辛煮とライスをまるで餅つきのようにリズミカルに交互に食べた。
時折り水で舌を洗い流し、食べに食べた。
舌からそろそろ炎が出そうになった時、皿が空になった。
「ふう…お疲れさん」
じんわりと全身にが火照り、額に汗が浮き出る。水を更に一杯ごくごくと飲み、大きな溜め息をついた。まるで火炎龍が街ごと吹き消したあとのようなファイヤーブレスだった。
「知らんけど」
次郎は独りごちた。
会計を済ませ、階段を上り店を後にした。
「さて、帰るとするか…いや、銭湯にでもいくかな」
次郎は目当ての銭湯に行くため地下鉄に向かう。
俺はいつまで講師を続けていくのだろうか…
今日会った九条はもがきながらも前に進んでいる。俺もまた進まねばならない。渡された企画書を読んで、その熱を感じたいような、感じたくないような、なんとも言えない気持ちに苛まれた。
「ええい、ここは銭湯でこの鬱陶しい熱を洗い流すのだ」
見上げた曇天に東京タワーが突き刺さっている。俺も必ず突き刺すのだ。自分を覆うこの厚い雲と未来を。
次郎はそう誓って地下街に下りて行った。
***
味芳斎 支店
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次郎は父の墓参りに母と錦糸町を訪れていた。
久しぶりに父の墓に来た。墓石に水と酒をかけ、花束を置く。
ようやくうっとおしい暑さが鳴りを潜め、涼しい風が吹き抜ける時分となっていた。
母とともに墓の前にしゃがんで手を合わせる。
俺は何を報告できるのだろう。
いい歳して結婚もせず、仕事も未だ准教授になれずに講師と助手をしている。
父に報告できることは結局何もないと理解した。
母は手を合わせてもあっさりと目を開け、特段の思いもなさそうだ。
「長いわねあんた、何か報告したの?」
「いや、何か報告できることがないか考えていたんだけど、結局何もなかったよ」
「そう」
母はそんな自分をチラッと見るだけで特に何も言わなかった。もともと考えても仕方ないことには頓着しない。そういうたちだった。それが楽でもあった。
寺を出て、錦糸町駅の近くの蕎麦屋に入る。天ぷら蕎麦を注文した。
思えば外で母と何かを食べるのは久しぶりだった。
特段話すこともないが、母の従姉妹が足が痛いだの、前の家にある木に椋鳥が住み着いただの、腰が痛いだの、そんな日常の話をした。そこでも自分の将来について母は聞いてこなかった。少し寂しくもあったが、ありがたくもあった。
母と電車で秋葉原まで出ると、そこで次郎は別れた。見送る母の背中はやはり少し小さく見えた。仕方がない。母ももう82歳だ。できるだけ長く生きてほしいと思うが、それも自分ではどうしようもないことだと感じた。
母の背中が階段から見えなくなると、次郎は長いため息をついた。
「さて、気晴らしに…」
考えこむ次郎。大学に行く気にはならない。次郎は山手線に乗り換え巣鴨に向かった。
巣鴨に降りると北へ歩いた。いつもはこの辺りにあるスーパー銭湯に行くことが多いのだが、そのまま歩き続けた。
風が背後から吹きつけ、散歩にはちょうど良かった。
天ぷら蕎麦を食べたばかりだが、やはり蕎麦はすぐに腹が減る。わかってはいたが、次郎は母と別れてからすでに腹を決めていた。
西巣鴨まで歩くとそこを高速道路の橋桁がある方に折れる。しばらくすると目当ての店があった。
「半ざわ」
黒い看板に白い文字で店名が書いてある。
次郎は横戸をガラリと開けて店内に入った。
券売機には本日の限定、「ブイヤベース風ラーメン、1200円」と書いてあった。
次郎、基本のラーメンと迷ったが、ブイヤベースを選んだ。
カウンターに座り、食券を渡す。
「覆面のおやじの会員なのだが…」
「あ、どうぞどうぞ」
「ではメンマを頼む」
「はいわかりました」
おやじの弟子の店。トッピングを一つサービスしてもらった。
奥で店主が麺を茹でている。いい具合に寸胴鍋から湯気が垂れ込めている。
次郎は涎をすすった。
「はい、おまちどうさま」
カウンターにラーメンが置かれた。
「ほほーう。具沢山、盛沢山だ!」
次郎は独りごちた。
まずはスープを。レンゲに掬ったスープの色は黒黒としている。
口の中に入れると、芳香な海老の香りがプンと匂う。そしてその上から複雑な魚貝の味が押し寄せてくる。スープの具材にもなっているいかや帆立などの味もする。それがまろやかな醤油に包まれて口の中で爆発する。
「これはうまい」
隣に座る50前後の男が独りごちていた。セリフを奪われた次郎。ニヤリとして今度は麺を啜る。
口の中に麺が入ってくる。モチモチとしているが吸い込みやすい。スープの軍勢を引き連れて口の中に入ってくる。
魚貝のうまみと麺のコシが最高のハーモニー。たまらず次々と麺を啜る。
帆立とアサリ、それにいか。もうなんでもござれの多国籍軍だ。
極め付けはこのチャーシュー。鶏肉も豚もあり、ほろほろと溶けていく。醤油の味がしっかり効いてスープに負けない味付けだ。もはや全てがエースで四番。まるで大谷ではないか。そんな気分にさえなってしまう。
次郎は夢中でラーメンを貪った。
親父、俺はまだまだ半人前だが、ラーメンを見つけるのは結構うまいんだぜ。それなりに幸せを感じてるさ。まぁ気長に見ててくれ。
次郎はその想いを乗せてスープを飲み、麺をひたすら啜った。
「ご馳走さま、うまかったよ」
「ありがとうございましたー」
額から滲み出る汗をタオルで拭きながら店を出た。その瞬間に吹き付ける一陣の涼しい風。まるで親父が声をかけてきたように感じた。
空を見ると、まだ明るいが、もう北の空には北極星が瞬き始めている。
「まだまだ終わっちゃいない。見てろよオヤジ」
次郎はそう呟いて西巣鴨の駅に向かって歩き出した。
続く。
***
中華そば 半ざわ
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東京都豊島区西巣鴨4-13-6 西巣鴨ビル 1F
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「ちっ降ってきやがった」
次郎は空を見上げて舌打ちした。
次郎は神保町で本を探していた。西洋絵画史のとくにカラヴァッジョに関する本だった。少しマニアックなジャンルのため目的の本は見つからなかった。
このまま大学に戻るのもなんだし、なんとなくせっかく神保町に来たという証が欲しかった。
そうこうしているうちに雨が降ってきた。傘は持ち合わせていない。
宵越しの傘は持たない主義だ。
ふと見ると、そこに「新橋ニューともちん」という新しい店ができていた。立ち食いラーメン屋らしい。新橋に本店があるようだ。◯◯ちゃんラーメンの流れだろう。この手の店は最近結構いろんな駅近に出店している。透明なスープに薄切りチャーシューがたくさん載って、キリッとした塩味か特徴的だった。
開店したばかりそうだが、客は結構入っているようだ。
次郎は時計を見つつ、ラーメン屋に入っていった。
「いらっしゃい」
中から威勢の良い声が響く。次郎は入口付近にある食券機でネギ中華蕎麦を買った。850円。まぁそのぐらいか。最近のラーメンはすぐに1000円を越える。ここは良心的な値段だった。
次郎はカウンター下に荷物を置き、セルフの水を汲んで待った。どうやら食券を渡さずとも買った時点で注文が通るシステムのようだ。店員はカタコトの日本語を操っている。
机には調味料とキュウリの漬物が置いてある。次郎はそれを食べて待つことにした。
しばらくすると湯切りの音が聞こえ、どうやら次郎のラーメンが盛り付けられている。
グゥと腹がなった。
「身体は正直だな」
次郎は独りごちた。
「14番のお客様、オマタセシター」
出来上がったようだ。次郎はキッチンに行き
ラーメンを受け取った。
「おお、やはりともちゃんラーメン。スッキリした塩味スープ。チャーシューもいい感じだ」
「どれどれ」
次郎はスープをすくい飲んだ。
「おお!やはりこの味はやはり尖のある塩。脂も多めで閉じ込められたスープが熱い。うまいなやはり」
次郎は立て続けにスープを飲む。こりゃ止まらんやつだな。
「さて、次はチャーシューだな」
「デフォルトでチャーシューの枚数が多いのがいいんだよな」
次郎はチャーシューを一枚口に放り込んだ。
「おお、塩気が合って、ギシギシした食感でいうまい。更に、スープと一緒に食べると旨みが増す。熱々のスープが再び食欲を誘う」
「さて、」
次郎はおもむろにら、麺をリフティングした。そして勢い良く啜った。
「ズズズズ、ズズズー」
「こりゃうまい。塩スープと麺が見事にマッチでーす!だな!」
そのセリフは店の中で空虚に響いた。
次郎は一息ついて、麺を啜りに啜った。
やはり、入って良かった。お腹を少し押さえつつ、太らないように祈った。
「ご馳走さん」
額の汗をペーパーで拭い、食器を戻す。
店員からのありがとうございましたの声に手を上げ店を颯爽と出た。
雨は未だ降り止んでいなかった。
「このまま講師として終えるのは真平だ」
顔をあげると雨が降りつける。向かい風に打ち勝ち、自分を克服しないとならない。再び心のファイトを燃やし、次郎は神保町の地下鉄に潜っていった。
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新橋ニューともちん 神保町店
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