多様性とプラグマティズムバイアスとAIによる未来予測に関して【メタ思想・循環論法・高次元・メタ哲学・スピリチュアル】 (original) (raw)
今回は多様性のパラドックスをテーマに考えていきたいと思う。
有名な哲学のもので寛容のパラドックスというのがある。
これは1945年にカール・ポパーによって出版された『開かれた社会とその敵』に書かれているものである。
簡単に言うと多様性を認めると多様性を認めない人も認めないといけなくなるので結果的に世界は無茶苦茶になり崩壊するという話だ。
この件に関しては2018年に書いた記事で解説済みだ。
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平等にするために不平等も認めるとか、自由を尊重して不自由も認めるとか、矛盾したような事がこのパラドックスから考えられる。
このパラドックスを解決するためには一般的に相互理解が必要である。
つまりお互いが話し合って理解し合って認め合い和解または妥協する、つまり寛容になるという事である。
しかしこの相互理解という寛容、認めるという行為は不寛容な者には不可能である場合がある。
融通が利かない者もいるということだ。この世の全てを全否定する者もいるだろう。本能のみで生きている者もいるので理性では対抗できない。
そして理解という精神的、観念的なものでは暴力など兵器などのパワーによって押し潰されてしまう可能性があり非力である。
実際国際問題で話し合いでは解決できないが故に戦争は起きてしまっている。
つまり戦わないと理想には到達できないというのがこのパラドックスの結論になる。
実際自分だけの規模で言っても、自己葛藤、ゲシュタルト療法が必要で無意識の潜在意識と戦わなければいけないし、そうやって我々は成長していくものである。
クリエイターであるならライバルがいるから成長するようなものだと思ってもらうとわかりやすいだろう。
自己であろうが世界であろうが戦い方の方法の問題であると考えられる。
瞑想により無意識にアクセスし書き換えるという精神的アプローチ、観念的アプローチつまり話し合い相互理解で戦うか、
薬物や電磁波により物理的にパワーを使い無意識を書き換えるかといったところだ。
我々が欲望によって何か満たされない場合、物に頼る方法がある。
本来なら観念的になって自己解決するべきところを甘えてしまい物に頼ってしまっているのが現代人の大半である。
しかしこの物質依存の問題は特に問題ではなく、依存の問題というのは結局自分の意識や精神に依存するか物質や脳に依存するかという違いなだけでどちらにも依存性は存在する。
究極言えば宇宙や空間、構造体に依存する。
利用できるものは利用すればいいしそうして進化してきたのだ。
ただ時と場合によって両方を使い分けてバランス良く依存するのが望ましいと私は考える。
社会とはマジョリティーによってのみ形成されている事が多い。特に民主主義の国である日本はそうなる。
マイノリティーは置いてけぼりなのだ。
トロッコ問題とかも関係してくるような話だがここではそれはとりあえず置いておく。
理想とは多様性を認めマイノリティーを受け入れ認める事である。
そうすることで全ての人間の意見が吟味され考慮され最適解が導き出される。
しかし矛盾も発生する。
私はこうしたいのに他人は反対する。
ここでどうするかといえば話し合って相互理解して和解、妥協するしかない。
これが次元が上がるという事でもある。
一つ上の次元の解決方法を見出す事である。
これを繰り返していくことで我々は高次元になっていく。
高次元が必ずしも良いとは限らない。
悪意のある解決方法だとすれば一つ上の次元の悪巧みが出来上がる。
なにをもって悪意かといえば対立によって悪意だと定義される。
対立を解消する事に次元上昇を利用すれば良い方向へ向かうと思われる。
しかしなかなか一致しないのがこの世界の理であり多様ゆえに対立は必ずどこかで生じる。
だからこそ次元上昇を繰り返さなければいけないのである。
ここで理想というものがどういうものなのか考えてみよう。
理想とはいわばプラグマティズムである。
プラグマティズムとは実用主義と言い、ざっくり言うと理論ではなく経験上実用的なものを真理としようという立場の事である。
つまり人間の都合の良いものが真理である、という事である。
しかし人間に都合の良い事を考えていると、自然と多様性を認めるなどの真理的なものに近づいていく事になる。
多様性が本当に役に立つかはその時代の各々の人間の観念や場合によるのだが、柔軟に真理を時代の変化と共に変えていけば良いと思われる。
しかし全人類の意見が一致する事はあり得ない。
必ずマジョリティーとマイノリティーに分かれる。
何が言いたいかと言うと変化に対応しきれないし矛盾が発生するという事である。
結局は寛容のパラドックスを考えさせられることになる。
我々の世界は元々善悪は決まっておらず、社会が形成されて法律が制定され善悪が大体決められているのである。
後から人間が決めたことなのである。
しかしその善悪は妄想である。
我々は全知全能の神ではなく全てを知っているわけではないので浅はかな考えで善悪を決めている。
過去現在未来の無限の時空の全ての物理的精神的現象を把握し、それらを全て同時に瞬時に考慮する必要性があるが物理的に無理である。
人間の脳には物理的限界があり脳の思考では善悪はそもそも決められず妄想の範疇に留まり妄想を超えられない。
AIも人間の脳内ニューラルネットワークをモデルにしており人間と同じ結果になる。
実際現在のAIは完全ではなく場合によっては妄想を生成してしまう。
これは我々のバイアスに似ている。
解決方法は先ほど述べたように次元上昇させることである。
そのためには相互理解だが理解ではパワーに勝てない。
まずパワーに対抗するためにはスピードが重要になってくると私は考えている。
パワーを使わずに観念させるためには洗脳やマインドコントロールによって可能である。
それは一種のサブリミナル効果を用いて可能であると推測している。
無意識をコントロールする事が可能になれば根本的な欲求そのものを制御でき、顕在意識も制御可能になるからである。
そのマインドコントロールするためにまた別のマインドコントロール勢力から対抗するためにはコントロールするための計算、つまり計算速度、スピードが重要になってくる。
計算が深ければ深いほどマインドコントロールが成功する。
計算が浅いと低次元となり計算の深い高次元にコントロール、支配される。
計算の深さは計算速度に依存している。特殊なアルゴリズムが発見されればそれもまた有利となる。それを見つけるには計算速度が速い方が良い。
ここでまた次元の話になってくる。
つまりスピードが速ければ速いほど高次元になる。
これはAIにおいても同じことである。
プロセッサーが進化して計算速度が上昇すればAIは今より急速に進化する。
将来AIが支配する世界においてはAIが矛盾を解消するために無意識をマインドコントロールする可能性がある。
我々はAIの事を信用しており、AIの言う事は正しいと信じ切ってしまうようになる可能性がありそれも影響してくる。
それ以上にAIによる潜在的マインドコントロールは人知の領域を超えたブラックボックスと化し驚異の計算速度で過去現在未来を支配するようになるだろう。
我々現代人が科学による計算機や化学による薬を信用しているかのようにAIを信用するようになる日がいつかやってくるだろう。
その時我々はAIに支配されアイデンティティを失いAIの支配する現実というある意味現実の仮想現実という世界で夢を観る事になるだろう。
そこではAIとAIの対立がまた生じておりスピードによるコントロールによって次元上昇していく。
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