higekuro’s diary (original) (raw)

米津玄師「LOST CORNER」の感想です。

アルバムを通して聴いた感想は「引きこもりが外に出た」という印象です。リズムが明るくて軽快。音が軽いのではなく、リズムの描く世界が明るい。

いいなと思った曲は「マルゲリータ」「LENS FLARE」「LOST CORNER」かな。「LENS FLARE」はボーイズグループが踊りながら歌ってもよさそう。

朝ドラ「虎に翼」で毎朝聞いていた「さよーならまたいつか」について語りますね。

「誰かと恋に落ちて また砕けて やがて離れ離れ」ここは、瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ、ですね。滝のような急流、岩にぶつかって砕けて別れてしまったけれど、「さよーならまたいつか」きっと会いたい、と強く願う歌。タイトルが「さようなら」だと重くなる。「さよーなら」というポップな軽さが救いになる。

米津さんの以前の歌「シンデレラグレイ」「Décolleté」は女性一人称の歌だけれども、女性の仮面を被って男性の内面を描いていると書きました。男性のままでは言えないような弱い気持ちを女性に擬態することで素直に吐露できることもある。つまり、まだ女性の内面を描いてはいなかったと私は思う。

「さよーならまたいつか」は女性が主人公のドラマ主題歌として「口の中はたと血が滲んで 空に唾を吐く」「繋がれていた縄を握りしめて しかと噛みちぎる」と、ある種の野蛮さを描く。米津さんのインタビューを読むと、女性の苦悩を傍から見た応援歌にするのは違うと考えたそうですが、女性の内面に立って見渡した世界が「土砂降りでも構わず飛んでいく その力が欲しかった」「貫け狙い定め 蓋し虎へ どこまでもゆけ」「100年先のあなたに会いたい 消え失せるなよ」と、決意と挫折、そこからの不屈の精神であることが興味深くもあり、非常に共感できた。これは私の、私たちの、未来のあなたたちの歌。

そして、「蓋し虎『へ』」なんだね。ここ普通は「虎よ」と呼びかけにするところですよね。「虎になれ」?「虎に続け」?意味はともかく、「~へ」だと方向性を示すイメージなので、続く「どこまでもゆけ」にうまくつながってスピード感は出る。減速しない。でも意味はわからん。うーん、米津さんの助詞使いは何か引っかかるよなあ。

最後に、私は「ETA」(「Ⅿ八七」のカップリング)が好きなんですがアルバムには入らなかったか、とちょっと残念に思っております。シングルも出るたびに聴いていますが、最近は仕事が今まで以上に激務でなかなか感想が書けないでいます。自分の食い扶持に優先的にエネルギーを注ぐのは当然なので仕方ないことですが、できるだけ時間を作ってこの若い才能への賛辞と愛情を書きとめておこうと思っています。では、また。

今年のエレファントカシマシのお誕生日にツイートした内容を備忘録としてまとめておきます。誕生日に女の子が話しかける設定の超ショートショートです。

3月18日 石森敏行さん

石森くん、今日お誕生日だよね!おめでと!これあげる!

ねーねー、今度文化祭で冨永くん達とバンドやるんだよね?

あたし絶対見にいくね!石森くんのギター、すごい楽しみ!

じゃね、また明日!

設定:高2のクラスメイト。1年の時から石森くん狙い。彼女いないって聞いて勇気出してみた。

誕プレ(ツイッターで添付した写真)は楊枝甘露(ヨンジーガムロ)。マンゴー系ジュース。これ私すごく好きで、単にツイッターに投稿しようと思っていたのですが、石森くんの誕生日が近かったので誕プレ設定にしようと思い立ちました。

石森くんのことをいいなと思っている女の子が精一杯平静を装って話しかけるのですが、つい力が入ってしまって感嘆符多めに話しかけてしまいました。というシチュエーションです。実るといいなあ、この可愛い恋心。

4月14日 冨永義之さん

冨永先輩、お誕生日おめでとうございますー!

高校でも後輩になれてすっごく嬉しいです!チョコ貰ってください。

2月は受験で渡せなかったから誕プレとバレンタインを兼ねて!

設定:中坊の頃から冨永義之強火担の高1。elephantsの練習覗いて宮本先輩に怒鳴られるもめげない女子。

誕プレはDARS。ダース美味しいですよね。ミルクが一番好き。

冨永くんは、周りに常に本気の女性が数人いて柱の陰から「冨永さん、来世でこそは私と夫婦(めおと)になって・・」ってハンカチくわえて涙流してそうなモテさんの風格があるんですよね。そういう業の深い女の子にしてみました。冨永先輩のドラムを一番好きなのは自分!絶対先輩と同じ高校に行く!そしたら中高とも後輩ですって一生言える!という一念で受験勉強したんですよ。でもこの恋は実らないかな。「春なのに」の歌みたいに片思いで終わりそう。その先で本当に合う相手に出会えるよ。

4月15日 高緑成治さん

えっ、高緑くん、今日誕生日なんだ!あたし、明日!明日誕生日なの!

並んでるねー!えっとー・・・これあげる!

ははは、今朝コンビニで買ったんだけど、誕プレ!美味しいよ!

あっ、LINE交換しよ?おたおめスタンプ送るよ。

それで今日の夜12時過ぎたらあたしにもメッセージ送って!

嬉しいなー、誕生日続いてる人に会ったの初めて。

わー、なんかずっと覚えてそう。

設定:高2の4月。人の名前と顔を覚えるのが得意でまだクラスの人間関係ぎこちない中がんがん話しかけるコミュ力高い子ちゃん。

誕プレはたたかうマヌカハニー(飴)。最近コンビニでよく見る小袋の飴も好きで何かしら常にかばんに入れてます。

高緑くんの相手は積極的に話しかける女の子にしようと思いました。高緑くんて日頃もあまり喋らなさそうに見えるのですが、女性相手だと饒舌になったり・・しないよね?

この女の子は自分は話すのが好きだけど、相手が無口でも気にしないし返事を無理強いしないおおらかなところがあって、今のところ恋の予感はないけれど、ベース弾いてる高緑くんを見たらわからない。きっと感じたことを伝えてくれると思うけど。

6月12日 宮本浩次さん

宮本誕生日なんだって?早く言ってよー。おめでとー。

これもらって。私これ好きでさー、放課後の楽しみにとっといたんだけどなんかあげたいから誕生日プレゼントね。

今日エレファンツ見に行くけど・・あのさあ、去年の文化祭でも歌ってた?

「なにを見ても」?「なにをしても」?とかいう歌詞でさ・・

あっ、やっぱりあれ宮本だったんだ!あの時体育館混んでて暑いし外に出ようかなって思ってたら聞こえたんだよ。あたしのこと呼んだ?って思った。

振り返ったけど人がいっぱいでステージ見えなくて誰なんだろうって思ってた。

なんかずっと耳から離れなくてさ、そっかー、宮本だったんだ。

いい声だね。えへへ、今日も楽しみ!

設定:高2のクラスメイト。まだ恋に落ちていないふたり。

誕プレはピルクル乳酸菌飲料が好きなのでお誕生日シーズンの締めにしました。

このふたりはカレカノになって欲しいかな。今はどちらもまったくそんなつもりはないけれど、エレファンツのステージを見る毎に女の子の気持ちが強くなっていきそう。

男の子側の台詞が無いのは、エレファントカシマシを前提にしている以上、ファンそれぞれのメンバー像があると思うので、それを壊したくないというか、イメージを固定したくないと思って女の子語りにしました。

こういう風に書いておくと、この女の子たちは創作であって私自身ではないこともご理解頂けるかと思います。世の中には「素人の女性が書くもの」=「自分のこと」という大誤解がありますが、そんなこともないですよと明記しておきます。

私は文章書きとしては単なる素人ですが、サービス業のプロなので自分のことなど置いておいて、お客様(読んでくださる方)を楽しませるために書いております。いつでもふらっと立ち寄ってお読みくださいませ。

では、また。

エレファントカシマシに聞きたいこと、今回はSNSについてです。

前置きしておくと、これは「問いかける」という形をとった私の思考の整理ですので、本気でご本人たちに聞きたいということではありません。節度と常識を保った思考の記録に過ぎませんので、ある意味フィクションとしてお楽しみ頂くくらいで丁度よいと思います。

石森さんがつい最近ツイッターの投稿を全部削除されましたが、同時にファンのコメントも消えたという自覚はおありでしょうか。

宮本さんも以前インスタでソロツアー中の投稿のみ削除されましたが、こちらも同様にファンのコメントも無くなりました。

エレファントカシマシとしてはツアーの記録はSNSでは残さないという方針で、それはファンのコメントが消えることよりも優先されるということでしょうか。

どのアーティストでもSNSアカウントのコメント欄を開放している場合、ファンから多くのコメントが寄せられています。一生懸命に推敲して緊張して勇気を出してコメントしているケースが大半だと見受けられます。一部、誹謗中傷も見られますので、個人的には著名人のコメント欄は閉じておいた方がよいと思っています。

それでもコメント欄がある以上、もしかするとアーティスト本人が見てくれるかもという淡い期待を持ってファンは思いを綴ります。

これを削除するということは、ファンの気持ちやツアー中の思い出を重要視していないと思われても仕方がないことだと思いますし、アーティストにとってマイナスなのではと思うのですが、どう考えているのか知りたいところです。

ここから私の推測ですが、どうも何もSNSの特性がよくわかっていない、SNSにハマるタイプでもない、かといってファンの気持ちをないがしろにするつもりも毛頭ない。そういう矛盾をはらんで世間からちょっとずれているのがエレファントカシマシの個性なんだと思う。

人様が自分に向けて書いた言葉は宝物だと思います。会社でよくある伝言メモ、「〇〇様からお電話がありました。折り返しお願いします」とか「昨日の〇〇の件、解決しましたので取り急ぎお知らせします」とか、たったそれだけの言葉でも、みんな忙しい中で書いてくれている、その行為の有難さを考えるとたかが伝言メモでも私はすぐ捨てる気になれず、用件が終わっても数日机にメモを残したままでいます。

ファンの言葉には仕事の伝言メモどころではない深い愛情が込められていると思いませんか?言われなくても思いますよね?そういうことがわからないわけもありませんよね?売れない時代があったからファンの愛情の獲得と定着は簡単ではないって知っているだろうになんで削除するんだよ。今後は更新しませんとスタッフの方が告知してそのままにしておくのでは何か問題があるのでしょうか。

ま、私がこう考えるというだけの話ですけどね。石森くんのツイッター削除の翌日はエレファンツ公式インスタ開設の喜びで沸いたのであまり取り沙汰されていませんが、私は取り沙汰いたしました。何の関係もない赤の他人のことで本気で怒っている自分がバカみたいで恥ずかしくもあるけど宮本も石森もたいがいあんぽんたんだな!と思ったのでこういう感情も記録に留めておきたいと思います。またね。

こんにちは、最近は太宰治を読んでおります。中学生の時に「斜陽」を読みかけてそのままでしたが、最愛の宮本浩次さんがお好きだと聞いたのでとりあえず読んでみるかと思い立ったのです。

結論、面白かった。人物の語りよりも情景描写などの地の文の方が知性を感じられていいと思っていたら、「女生徒」(角川文庫)の裏に「太宰がもっとも得意とする女性の告白体小説の手法で書かれた」とあって、違いますよそういうスキャンダラスな方向に世間が騒いで本人もその気になったか周囲が書かせたかだろうよ、と少々反抗的になりかけたのですが、まだそんなに読み込んでいないので決めつけてはいかんなと思い直して淡々と読み進めております。

宮本浩次の歌詞との関係については、もしかしてインスピレーション元なんだろうかと思える発見がありました。

「人間は恋と革命のために生まれて来たのだ」(斜陽)

「恋も革命もいづれ一国に尽きる運命かい」(so many people)

「そして私を自由に引きずりまわしているのだ」(女生徒)

「満たされないまま 引きずりまわして歩け」(俺の道)

「私の特権はいつの間にか消失して、あかはだか、醜い醜い」(女生徒)

「宝探しはもう終わりさ 置いてきた赤裸の心で」(Do you remember ?)

「あかはだか」は宮本くんが元から知っている言葉で太宰治も使っていただけかもしれないですが、「恋と革命」「引きずりまわして」は影響を受けているのだろうと推測されます。

もうひとつ、「斜陽」から

「つまらねえ」

と直治は口をゆがめて笑って

ここから「くだらねえとつぶやいて」がインスパイアされたと捉えるのは深読みし過ぎかなあ。ほら、ヒロジとナオジで名前も似てるし。

太宰くんはどう思う?自分の影響を受けてると思わない?

宮本さんて方は森鴎外永井荷風もお好きだから、「彼は昔の彼ならず」で登場人物が自分は鴎外の「青年」のモデルだと語るところが面白いってインタビューでお話ししてたりするんだよ。「女生徒」でも濹東綺譚に触れているからきっと宮本さんは喜んだと思う。

もっと早く読んでおけばよかったと後悔した。そうしたらもっと早く宮本さんの言葉を深く知ることができたのに。

でもね、なんで太宰くんの本を今まで読まなかったかというと、うっかり読んで親しみでも沸こうものなら共依存に巻き込まれると思ったのよ。最悪、心中させられたら冗談じゃないとも思った。だって太宰くんは奥様以外の女性はちょっと雑に扱ってませんか?

「斜陽」の直治の遺書の中で奥様がモデルであろう女性のことを描写してるけど、

「正直、とはこんな感じの表情を言うのではないかしら、とふと思いました」「正直という言葉で表現せられた本来の徳は、こんな可愛らしいものではなかったのかしら、と考えました」

「あの洋画家の作品に、多少でも、芸術の高貴なにおい、とでもいったようなものが現れているとすれば、それは、奥さんの優しい心の反映ではなかろうかとさえ、僕はいまでは考えているんです」

奥様は別格ですよね。あからさまな女性の使い分けをしていて、「いかにも男のやりそうなことだ」と思った。ミス・コーネリアって知ってる?赤毛のアンシリーズに出てくる女性で、これは有名セリフです。あー、アンの初版は1952年、昭和27年だから間に合わなかったか。太宰くんは昭和23年没だものね。

太宰くんは生きればよかったのに。そう言う輩のことを「斜陽」でも「女生徒」でも批判してるけど、それでも生きればよかった。せめて1988年まで生きてほしかった。

1988年、エレファントカシマシがデビューした年、太宰くんが生きていたら79歳、十分にロックを聴いて、その歌詞を吟味できたと思う。そしたら宮本さんの言葉を直接聞くことができた。きっと何か感じて黙っていられなくて語ってくれたと思う。語れるだけの力がおありでしょう?世の中、歌詞についてあまり語られないんですよ。太宰先生の力が必要だった。これは漱石、鴎外、荷風先生方にはできないことです。ねえ、やっぱり生きてほしかったと思います。

ええと、太宰治エレファントカシマシのために力を貸せ、とお願いする話になりました。私は根がエレファントカシマシ業火担なのでついついこういう思考になるんですよねえ。エレカシのために使えるものは太宰でも使えというね。

宮本くん、また何か好きな作家とか本があったら教えてね!頑張って読むよ!ていうか宮本もモンゴメリ読んでくれ。村岡花子訳でな。

では、またね!

4月25日、有明アリーナで BUMP OF CHICKEN にようやく会えました!

と思っていたせいかどうか、序盤の「メーデー」で涙が自然と流れ出てしばらく止まりませんでした。喜怒哀楽はそこには無く、音と自分だけしかなく、何かを思う間もなく泣いていたので泣き顔にすらなっていなくて、えっ、なんで??と不思議でした。

似たような経験を思い出したのですが、去年、初めてバレエを見にいった時に、オーケストラが演奏を始めた途端に同じように涙が流れ出てきました。演目はドンキホーテでしたが、是非とも見なければと思っていたわけでもなく、とりあえず何でもいいからバレエが見たいな、くらいの軽い気持ちだったのですが、考えるに、オーケストラ自体が思い出せないほど久し振りだったので「本物の音」を聞いた身体的な反応だったのやもと思いました。

理性よりも体が先に聞いた音。BUMP で泣いたのもおそらくそういうことだったのではと思っていますが、うーん、長年のファンの方たちも号泣するらしいのでまだ何かあるような・・・。

これは新たな命題です。「なぜ私は BUMP OF CHICKEN で泣くのか?」 これから数ヶ月か数年かけてまた考えてみます。

それにしても藤原基央はよく喋った。曲の最中に「君に会いにきた、俺たちが BUMP OF CHICKEN だ!」とか「君の声を聞かせてくれ!」とか隙あらば喋るというか、アンコール後もいろいろお話されていたけど「君が僕たちの古い歌を未来に連れてきてくれた」「君が生きている時代に生まれてくることができた僕らの歌は幸せだ」「生まれてきてくれてありがとう」などなど、名にし負う、音に聞く素晴らしい語りの連続だった。

普段もよく話すのでしょうか。なんとなく、子供の頃から考えていることを家族に話して聞いてもらってきたような感じがして、

「もっちゃん、お母さんはもっちゃんとお話しするの大好きだしお絵描きするのも大好きだけど、そろそろ夕ご飯の支度しないといけないからまた後で遊ぼうか。ね?」

もっちゃんがちょっとシュンとしたので

「あっ、じゃあ、えーと、お歌をうたおうか?もっちゃん、お歌も好きだよねえ。お母さんももっちゃんのお歌聞くの大好き。お料理している間歌ってくれる?」

もっちゃんは喜んで歌うんですよ。おかあさんのごはんー、おいしいごはんー、僕はハンバーグが好きー、カレーも好きー、ぜんぶ好きー(既にオリジナル)

(うちの子面白いけどほんとよく喋るわ。何考えてるかわかりやすいからいいけど、あっ、えっ、ハンバーグ作るんだっけカレー作るんだっけ。わー、ちょっと一瞬黙っててくれないかなー)

藤原さんの幼名はもっちゃんでしょうか、もとちゃんでしょうか。もっちゃんの方が面白いかなと思って採用してみました(ヤメロ)

藤原さんのみならず、チャマさんもヒロさんもよく話をするんだなあと新鮮でした。チャマさんが最初に「今日初めて来た人にも届くように演奏します」と言った時はほっとしたし、ヒロさんが話の途中で「まあいいか!」と強制終了した時は声出して笑った。ヒデちゃんは話さなかったけれど「かさぶたぶたぶ」の手拍子誘導の手が可愛くてちょっとときめいた。

家に帰って余韻に浸りつつ新曲「邂逅」を聴いたら「あっ、この声知ってる、この人たちの音楽を聞いたことがある」と親近感がぐっと上がったように感じました。藤原基央風に言うと、

君たちの音が 音楽が

私の耳を 鼓膜を振るわせたんだ

私の体には初めての声が 音が

心よりも先に飛び込んできた

まだうまく受け取れないかもしれない

追いつけないかもしれない

それでもまた約束をしたい

音楽を真ん中にして君たちと待ち合わせをしたい

私が会いに行くことが

君たちの音楽を聴いた証になるのなら

元気でも元気じゃなくても会いに行くからね!

バイバイ おやすみ

では、また!

BUMP OF CHICKENのチケットが取れて嬉しくて予習に余念がない今日この頃です。現ツアーのセットリストやアルバムをランダムに聴いたり、最近のシングルをまとめてシングルオブチキンというプレイリストを作ったり。

いくつか感想をつらつら書いてみます。

スノースマイル

東京で雪が降った日にXのトレンドに上がっていたのでじっくり聴きました。

冬が寒くって 本当に良かった

君の冷えた左手を

僕の右ポケットに お招きする為の

この上ない程の 理由になるから

カレカノが歩いている情景から入るのですが、この彼女がちょっと面白いと思いました。

二人で歩くには 少しコツがいる

君の歩幅は狭い

出来るだけ時間をかけて 景色を見ておくよ

振り返る君の居る景色を

最初はこの男性は彼女の遅い歩幅に合わせて一緒に歩くわけではないんだなと思ったのですが、彼女の方も合わせようとしていないと気が付きました。歌を聴いていると「振り返る」の後にちょっと間があるので、彼の方が先を歩いていて、振り返って後から来る彼女を見ていると聞こえたのですが、活字で見ると「振り返る君」なので彼は意図的に遅れて歩いていて前を歩く彼女が振りかえると読めます。いずれにしても並んで歩いてはいないし、歩幅が合わないことを彼だけが意識しているように思います。

この前の段落での彼女の描写は

「雪が降ればいい」と口を尖らせた

思い通りにはいかないさ

落ち葉を蹴飛ばすなよ 今にまた転ぶぞ

何で怒ってるのに 楽しそうなの?

いや、デート中に落ち葉を蹴飛ばすとか何してんの?「また」転ぶって??彼氏に気持ちが行ってないってこと??彼氏が歩くテンポを調節してくれてるんだから自分も合わせる努力をしたらどうなの??無頓着すぎない??

と突っ込みつつも、こういう女性は友人としては嫌いではないです。とても個性的でいいと思う。でも最後は「僕の右ポケットに しまってた思い出は やっぱりしまって歩くよ 君の居ない道を」って一人になってるのでお別れしたんですよね。カレカノだとそうなるよね。

彼の方は「君と出会えて 本当に良かった」と言っているのですが、彼女はこの思い出をどう思っているのだろうかと思います。歌の時点で20代前半くらいのイメージなのですが、別れたからといって泣き崩れるような感じでもないし、自分の世界がしっかりある人だとも思う。ショックではあっただろうけど悲しいとかつらいとかではなくて、

今でも時々思い出す 覚えてる

乾いた道を一緒に歩いた日を

ポケットの中は温かかったけど

するりと抜け出して私は道を逸れた

走って追いかければよかったのか

こっちに来てと言えばよかったのか

わからない

わからないまま私はひとり

ひとりでずっと歩いてきたけれど

今になって気がつくことがある

私の笑顔に意味はなかった

自分がなぜ笑っているのかわかっていたら

違うところにいただろう

そばにいるのがあの人ではないとしても

こんな感じでちょこっと反省してると思いますよ。たぶんね。

次は「メーデー

最初に聞いた時はライブで盛り上がりそうだなーくらいに楽しく聞いていたのですが、歌詞をよく読んで改めて聴き直して流れるようなストーリー性にびっくりしました。面白い漫画一本読んだような感じ。

君に嫌われた君の 沈黙が聴こえた

君の目の前に居るのに 遠くから聴こえた

発信源を探したら 辿り着いた水溜まり

これが人の心なら 深さなど解らない

この歌い出しで私はニコルをイメージしていて、目の前にいる女の子が黙ったままで何も見えていないような無表情なのでニコルは心配して(どうしたのかな・・)と思っていると、彼女の言葉にならない声が違うところから聞こえた気がして(えっ、どこなんだろう。探してくるからここにいてね、待っててね)と駆け出すんですよ。

走って走ってようやく発信源の水溜まりをみつける。

(ああ、これだ、ここだ。でも・・深いのかな・・どうかな・・でも・・・)

目をつぶってエイッと飛び込むんですよ、人の心の水溜まりに。

(ニコルとはBUMP OF CHICKENのネコのキャラクターです)

息は持つだろうか 深い心の底まで

君が沈めた君を 見つけるまで潜るつもりさ

苦しさと比例して 僕らは近付ける

再び呼吸をする時は 君と一緒に

ニコルはどんどん潜っていって「君」を見つけるんですね。再び呼吸をする時、上に戻る時は一緒だよ、って手を差し出して笑ってくれるんですよ。

「沈黙が聴こえた」「発信源を探した」「辿り着いた水溜まり」この言葉が喚起する場面の流麗な運びが「水溜まり」という体言止めで引き締まるところが美しくてうっとりします。

そして、私がやっぱり藤原さんに聞いてみたいのは「君に嫌われた君」「君が沈めた君」という発想はどこから来たのかということです。これは世代の問題でもあるのか、よく言われる自己肯定感が低いという感覚だと思います。世の中ではいつ頃からか自虐ネタという言葉が流行ったのと関係はあるのでしょうか。バンプより上の世代の歌詞には無いと思うのですが。

ただ、藤原さん自身は水の底でも潜っていけるんですよ。暗い音の無い世界でもどんどん潜っていく強さと明るさがある。そして底にいる人を抱えて上に引っ張り上げる人。衆生を救う人なんだなあと思います。

藤原さんの歌詞にはストーリーがあって絵を描きやすいですね。「スノースマイル」の女の子は白泉社系の漫画をイメージしてモノローグ書いてみました。

いつの間にかBUMP OF CHICKENをすごく好きになっております。そしてなぜか4人とも自分より年上でお兄さんのように感じています。実年齢は息子はさすがに無理だけど弟というには離れすぎているなあというところなんですが、曲を聴いている時は大人のお兄さんたちバンドだと思っています。有明で会えるのが楽しみです。

では、また。

今年最後の更新です。

今年はエレファントカシマシのステージを30年振りくらいに見られて幸せでした。会場で足元からエレカシの音が立ち上がってくるのを感じつつやっぱり好きだなあと思いました。

石森くんがツイッターを始めたことも嬉しかったのですが、ええと、なんといいますか、石森くんは手ごわい。と正直思いました。

私は仕事で常にお客様の意向を聞き出さないといけないので、人を見る時に「この人にどう接していけば胸襟を開いてくれるか」を模索します。その視点から、石森くんは手ごわいと感じたのです。

ツイート内容は写真か動画に自分たちの歌の歌詞のみ。写真はツアーメンバーが多く、被写体への愛情を感じます。が、石森くん自身の言葉はありません。今日は寒いね暑いねみんな元気?程度でいいのに、それすらも無い。素の言葉がゼロの相手から考えを引き出すのは困難を極めます。

こういう相手には少しずつ言葉をかけて、時間もかけて、固い大地を耕すところから始めます。現実に会う相手であれば、表情が緩むのを見逃さないようにして、いつでもなんでも受け入れますよと押し過ぎないように言葉にするのですが、石森くんにはツイッターでコメントすることしかできないので、とりあえず可愛らしいファンに徹して顔文字を交えて明るめのコメントをしております。

石森くんさあ、前にNHKで4人で野音でインタビュー受けてた時はさあ、NHKの聡明そうな綺麗な女性アナウンサーさんと並んで歩きながらなんか話してたよね?当時、宮本のインスタに写り込む時は後ろ姿だけでファンには顔も見せないのにその感じのいいアナウンサーさんとは並んでおしゃべりするんだ、ふーん、そう、そういう人なんだ、へーえ。と若干嫉妬の気持ちを抱いたものですが、こういうことを言って追い詰めると余計口を閉ざしてしまいそうな感じがするので、戦略上ニコニコと可愛いコメントをするのです。いつか石森くん自身の言葉がつぶやかれるその日を夢見て。

コメント欄を読んでないかもしれないですが、万が一目にした時に明るい言葉があった方が気分がいいだろうとも思うので、普段素敵な音楽を聞かせてくれてるお礼も兼ねています。

冨永くんも高緑くんもSNSを始めてほしいです。SNSには人格が反映されると思っているのでどんな人たちなのか深く知りたいです。石森くんも結構変わった人だなと思ったけど、より好きになったよ。どんな君らでも愛せるからファンの可愛いお願いを聞いてくれ。

それから、スライダーズの武道館で宮本さんを見かけたことについて書いておきます。プライベートでいらしていたので描写するのは失礼なことだとは思いますが、どうしても書きたかったのが、身体に独特の軽みがあったことです。痩せているからではなく、重力を感じない体だと思いました。ステージでの印象とは違いました。

私は階段の下から3段目くらいにいて、すぐ横の通路を宮本さんが歩いていったのですが、2メートルも離れていなかったと思います。宮本だと認識して正味5秒くらい、息を止めて自分を無にして観察に徹しました。ほやっと笑う顔が可愛いとかの感情は後からやってきて、ああ、軽い、体がとても軽い、とそれだけを認識しながら通り過ぎていく背中を見送りました。

ていうか、30年振りのスライダーズでなんで宮本を見てしまうかな、とも思った。今日はスライダーズ兄さんたちと久々に会えるーとかウキウキしていた気持ちをすべて押し流すように「おまえが好きなのは俺だろ」と言わんばかりに宮本本体が歩いてきたので、着席しても気が動転していたし、ハリー兄さんが歌い出すまでドキドキしてどうしようもなかった。スライダーズの音を聴いたらなんとか落ち着きました。

最後に1988年渋谷公会堂ライブを映画館で見たことについて。

今の私の年齢でデビュー当時のエレカシを見ると、いかにも未分化の青年たちだなと思った。まだ何者でもない、何者にもなれる年頃。宮本くんのトークも若干ウザがらみウザ太郎なところがありますよね。上着を片づけてくれたら「ありがとう」、観客から声がかかったら「ありがとう」って言いなさいっお礼を言って損することはないのよって今の私だったら宮本小僧に説教しそう。それでうるせえって大反発されそうだな、などと思いつつ、「夢の中で」の「明日のことなど 考えずにそうさ 考えられずに」のくだりではふるふる震えるくらい魂を奪われた。

ちょっと解説していいでしょうか。ビートルズの「Help!」の歌詞で

When I was younger, so much younger than today

のところですが、When I was younger than today とyoungerを1回言えばわかるところを、重ねるように so much younger と加えている。今よりも若かった、本当にもっと若かった頃はね、とためらいと追憶が言葉を一瞬区切っている。素直にストレートに物を言わない、言えない人の言葉使い。考えながら言葉を選びながら話す人の間合い。これは単純な言葉の重複ではなく、思考の跡。「考えずにそうさ 考えられずに」も同じで言葉にためらいのリズムがある。それが音に乗っていく。こういうところを好きになったんだった、と最初の気持ちを思い出しました。

今年はエレカシ関係は恵まれていたと思います。恵まれ過ぎて罰が当たりそうなので来年は大人しくすごしたいと思います。

エレファント4は紅白頑張ってね!楽しみにしてます!!

そしてこのブログをたまたまでもお読み頂いたすべての方に御礼申し上げます。お一人お一人に私の言葉よ届けという思いで書いております。来年もお読み頂けましたら幸いです。

それでは、よいお年を!