非寛解から始める骨髄移植(20代) (original) (raw)

相も変わらず副作用もなし。GVHDで肌にかゆみが出ているのでネリゾナを塗りたくっているぐらい。先生の回診も一言で終わり。前回移植してた時もそうだったけど、普通にご飯食べてるし、副作用もないから話すことがないんだろう。

一般食が出てるからキウイフルーツとか、漬物とか今まで禁止されてて食べてなかったものが普通に出てきてる。退院したらこれ家でも食べていいのかな?外食とかしてもいいんだったら嬉しいな。再移植になる前にやりたいことはやっておきたいね。

今日は平和だった。

先生と今後の方針をお話しした感じ、将来的には再移植、っていう方向かな。

先生は優しいからはっきりとは言わなかった(院内でも意見が分かれている、寛解を維持し続けるor折りを見て再移植するか)。

多分この治療で寛解を維持し続けるのと再移植する事を天秤にした時に、なるべくいい状態で再移植して再スタートした方が経過が良い気がする。若干ネガティブな思考かなとも思うけど、自分の中である程度は覚悟しておかないといざって時にポジティブになれないだろうから。……本当はなるべく移植しない方向に進めばいいなと思ってるけど。

抗がん剤の投与は明日から。

前回の初入院時に行った寛解療法(このブログのタイトル通り、非寛解だった)の亜種のようなもの?前にやったのが若者向けというか強い薬に耐えられる人用、今回行うのが高齢者、合併症持ちの人用って感じらしい。といっても効果が薄いとかいうわけじゃなくて、後者の治療法ができたのがここ数年みたいで、これから飲むことになるべネクレクスタという薬が出だしてから使われる容易なったのかな?

自分は急性骨髄性白血病寛解療法は効果がなかったという実績(先生も認めた)があるので、今回のアザシチジン+べネクレクスタという組み合わせになったっぽい。

とにかくこの治療がいい方向に進むように頑張ります。

一週間の入院がしれっと二週間になってたけど、頑張ります。

でもでも即移植じゃないってわかったのはかなり嬉しい。

だってこの二年間、外食も生魚、生野菜、はちみつ入りのもの、生クリーム系、食べられないものがとにかく多かったから。今回お話聞く前はこのまま食べる機会がないまま移植に進んで、また二年近く我慢しないといけないと思っていたから。

まだ絶望するには早いよね。

えー結論からお話しますと再移植が濃厚になりました。

まぁ、今更移植に対してどうこう思う所は無くて…ということも無くて、また毎日あの孤独感との戦いになるのかと心が辟易していってます。

なんでだろうなぁ、何がいけなかったのかなぁ。

ただただ悔しい。二年ちょっと、騙し騙しではあったけど上手く対処してこれたのに。辛いよ。

分かってる、自分よりももっと辛い状況で辛い処置を長い期間続けてる人なんてたくさんいる、分かってはいるけどやっぱり辛いよ。

今週のDLIの為の一泊入院を一週間に変更して、皮下注射での抗がん剤治療。その後にタイミングを見て再移植って流れみたい。

出来る事なら正月明けが良いなぁ…でも年度内なんだろうなぁ、こういうのは早い方がいいってもう決まってるしね。

取りあえず近日入院時に詳しい話をするという事で。

いや~このブログまた使うことになっちゃったよ。しかもまだ20代だからブログタイトルも変わらないという…前回退院時に書いたブログでもう入院したくないとあったけど、ままならないねぇ。

結論から言うと『綱渡り継続』って感じ。この何しててもふと考えちゃうともやっとする状態、何とかいい方向に考えていきたい。

一応前回測定時より微増していて、それが10月頭のリンパ球輸血及び自己免疫によって下がったのか、それとも上がったのか、それこそ横ばいなのか、9月から10月の間のIS値の流れがわからないので何とも言えない。

個人的には9月測定の後に数値的には増えていたのが諸々によって下がって今回の数値に、そこから次回採血で9月より下回って……というのが願望というか希望的観測だけれど。血液の精密検査って月1(週3~4?)くらいの間隔を開けないといけないらしいからその間の増減・変化が分からないのが非常にもやもやさせてくる。

明確な方針決めは次回通院時の採血結果見ないとわからないかなぁ。頑張れ僕の自己免疫。程々のGVHDなら耐えるから、なんとか悪い細胞をやっつけて欲しい。

前回の長期入院の時はステロイドパルス以外は比較的に軽い症状だったというのもあって治療そのもの(抗がん剤等)に対する忌避感が比較的少ないんですよね。キロサイド?だったか赤い色の抗がん剤を使った時は吐き気はあったけどそれぐらい?

抜け毛は男だから特に重く思わなかったし、発熱に関しては入院する前から40度の熱が出るのが日常茶飯事だったので慣れてしまったというか…体怠いな~位の感覚で過ごせちゃったり。下痢にもなったけどトイレに駆け込む様なレベルじゃなかったし、口内炎が出てなかったのは非常に幸運だったなぁ。

薬の副作用が重く出る人からしたら『お前は副作用軽かったんだから入院如きでうじうじ考えるな』と言われてしまう…というか実際甘え散らかしているという自覚はあるんですけど、あのカテーテル入った不自由で自由の無い生活を考えると憂鬱…カテーテル取れた時のシャワーは凄い開放感あったなと今思ってもしみじみ。

夜間にトイレに行く時にカテーテル管理用の装置の充電を外して、トイレ行ってからまた入れ直すっていう…ただでさえ寝てる時に煩わしいのに…。四六時中一緒だったから自分の中でポチって名前つけて引きずり回してた記憶。…こう振り返ってみると結構楽しんでる場面もあるな…お菓子も夜にカップラーメン食ってたりしてたし…。

やっぱり懸念は寝れないことかなぁ…これは記事に書いていたかわからないんですけど、第一回の寛解を目指して入院していた時に使ってくれた睡眠用の点滴が僕の身体には合わなかったらしくて、身体の芯からゾワゾワする様な感覚・これで伝わるかわからないんですけど『どうしようもなくイラっとした時に湧き上がる感情の波』がずっと続いてる状態になった時があって、その経験が病院の夜に対する恐怖になっていると思っています。

半年とか一年とか、それこそベッドの上で動けずに長い期間入院してる人がブログを探したり動画を見たりしていると多いことに気づかされます。でも皆さん明るいというか、弱さを見せないというか。自分が如何に弱いかを思い知らされますね。

何かに集中すると余計に嫌なことを考えてしまう。純粋に物事が楽しめない。でも仕方がないことかなとも思う。二年前の葛藤や憂鬱、不安や痛み、色んな負の感情を鮮明に覚えているのだから。

何も必ず悪い方向に進んでいるとは限らないのに考えれば考えるほどネガティブになって何も手につかなくなってしまう。

全く病気と関係ないんですけど、自分は絵がものっすごく下手くそなんですよね。なんていうか特に才能の無い幼稚園児が描いたような絵しか描けない訳です。

入院にゲームだとやっぱりみんなでワイワイ『マルチ』ゲームがしたい、というのが本音で実際できればかなり気がまぎれるなという気がしているんですけど、問題として点滴入れ替えてくれたり、定期的な検温・血圧測定の時は所謂『AFK』と呼ばれる放置、悪質な行為をしないといけなくなるので出来ないかなというのが前回入院時の判断でした。

そこでですよ、折角二ヵ月くらい入院するんだったら絵練習して見るのもいいかもなって思ってですね、一日一枚頑張って描いてみるを二ヵ月続けると。クソ下手なので描いてる所を見られると恥ずかしすぎるという点も日々にある種の緊張感を与えてくれそう。これなら寂しさを感じる暇も無さそう。

こんな感じで気分の浮き沈みの激しい状態ですが、色々模索して見ます。

前回の更新から180日、半年近く経ってもう完全に放置されていたも同然だったんですけど、9月に血液検査した時のIS値がちょい上がり調子ということで、

現状セムブリックスを一回2錠の上限まで飲んでる(正確にはこれ以上増やすと保険が下りなくなるとかなんとか、まぁ現実的じゃない)のと、リンパ球輸血をしてこの状態なのでこの状態が続くようなら再移植も考えないといけないと医師から言われました。

一応セムブリックスの代わりにアイクルシグを使ったり、代替案は存在してはいるけれど、僕自身の慢性白血病の治療歴的にあまり効果が無さそうな感じがしているので…。現状では二日置きに飲んでいたプレドニンを完全に止めて、10月初めに輸注したリンパ球と体内免疫が頑張ってくれることを祈るだけといった感じで。

移植から二年経って、再移植の可能性が出てきてかなりメンタルにきていて、落ち着いて文章化したくてまた戻ってきました。

入院生活がどうしても嫌だなと、僕の中でマルクも抗がん剤治療も放射線治療も体調は悪くなるけれど、それ自体は一瞬で耐えられるモノなんです。ただ毎日を狭い病室の中で過ごす、というのが苦痛でたまらない。メンタル弱すぎるんですよね。特に消灯してから朝までは、環境が違うと寝られないのに加えてステロイド使用による不眠で長い夜になる可能性が高くて…。

いっそ無治療を選べるくらい勇気があるかと言えば全然なくて、生きる気満々というか死ぬ気なんて欠片もないので、要は甘えた心をどう抑えるかって話で自分の中で結論は出てるんですよね。必要になれば再移植する。決めてはいるんですけど心が付いてこないというか…まぁ甘えですね。

まだ結果が決まった訳ではありませんし、先生も他の手段(新しく治験している分子量的薬は無いか等)を探してくれるみたいなので、判断を迫られるのは11月の中旬くらいなのかなと思っています。