高校卒業後の進路を検討中① (original) (raw)

現在高校二年生の1番っ子(軽度知的障がい、自閉症)はとある技能連携校(商業)に在籍しています。

こちらは軽度レベルの知的障がいを持っているお子さんも複数人通っている学校。

幼児期に療育手帳を取得し義務教育は最初から最後まで支援級在籍だった1番っ子は、本来なら支援学校に進学・卒業が相当でした。

一昔前は。

しかし一部の専門教育と高校教育を実践する学校同士が「技能連携」という制度を活用し門戸を開いてくれたことにより、彼らが彼ららしく学生生活を送りながらも、高校卒業資格を得るチャンスを握ることができるようになりました。

普段は高校の勉強をしながらビジネスマナーとか簿記等の商業系授業も受けているそうです。

知的障がいがある為、1番っ子は頭の中で複雑にアレコレ考えるのは苦手。

それでも無事に進級できたのはどの生徒でも一人一人が達成できる、相当易しい内容なのでしょう( ̄∀ ̄)

しかし商業系といってもこちらの学校は卒業後に大学や専門学校に進学する子もそこそこいるらしく、みんながみんな就労を目指している訳ではない様子。

大学の指定校推薦枠もあるし。

休日に学校で進路セミナーが開催されたり、放課後に先生引率の元で近場の進路フェスにお邪魔させてもらったりと、一年生の時から卒業後の進路について考える機会はそこかしこに設けられていました。

参加は任意にして本人の主体性に働きかけながら、それでも一年生の時から手厚く面倒を見てもらった印象です。

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一年生から模索は始まる

時々学校から大学や専門学校のパンフレットをもらって帰ってくることもしばしば・・・。

それを見て

1番っ子や、あんた勉強できんやろー。

と内心突っ込む私。

進路フェスとかに行くと色んな夢を描けるみたいで、声優になりたいとかイラストを描く仕事をしたいとか、俳優の勉強もいいなとか思うこともあったようです。

母はあなたがまともに喋っている姿を何年も見てないし、絵下手じゃん(_△_;)

あと、保育士さんとか動物トレーナーにも興味を持ったみたいです。

イルカとか

・・・へ?イルカ!?水族館とか全然興味ないじゃん Σ\( ̄д ̄;)ォィォィ

まぁうんアレだ、色々関心を持てることは素敵。

夢はいくらでも描いていい。

でも今回は「現実的な進路」を考えなきゃいけないからね。

本気で、勉強してその道に進みたいの?

勉強ありきだよ?

義務教育じゃないし、いまの学校よりもずっとずーっと本格的な授業を受けて試験に合格しないと卒業どころか進級もできない世界だよ?

卒業できても分野によっては就職は狭き門で厳しいぞ。

なんだかんだ言って、障がいを持ってるってだけで弾かれることは現代社会でも普通にあるからね。

それでもやってみたいかい?

挑んでみるほどの熱意はあるのかい?

と聞いたら首を傾げる1番っ子でした。

親の願いと役目

私たちの「親の願い」は、子ども達が生を受けたその瞬間から一貫して同じです。

幸せな人生を送っておくれ✧︎*。

これは皆同じ、人類共通の願いです(きっと)。

障がいの有る無しに関係なく、のびのびと自分らしく前を向いて歩いていってほしい。

人並みに至らないものがあるからって、それをネタに蔑まれ傷つけられ、他人を満たすための道具にされることなく、皆と同じように大切にし尊重されてほしい。

そして自分自身も同じように他者を大切にし尊重して過ごしてほしい。

それが当たり前の人生でありますように。

のびのびと自分らしく前を向いて歩くためには、やっぱり「好きなことを見つけて」「夢や趣味を持って」「日々に希望や楽しみを感じる」ことが大事でしょ!

ってことで幼児~義務教育時代は色んなところにお出かけして、とにかく楽しんでみました。

そして蔑まれ傷つけられ、他人を満たすための道具にされることなく過ごせるように、イジメには断固として立ち向かいました。

相手がどんなに口達者な良い子風で、ほとんどの人に信じてもらえなくても、後ろ指指されて白い目で見られ、こちらが分かるようにあからさまなヒソヒソクスクスをされようとも。

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昭和の終わりから平成初期にかけて、いまよりも露骨な障がい者やその家族への差別や嘲笑を赤の他人から受け、その反動から過度なプレッシャーや自分らしさの制限を家族から与えられた元きょうだい児として。

突然保育園の先生から呼び止められて「この子がいまも握り箸なのは、問題のある家の子だから」と指さされ言われたことを、いまでもうっすらと覚えています。

小学校の国語の授業中、物語に出てくる子どもの言葉遣いがおかしいと誰かが笑って、他の子が大声で「障がい者のようだ。こいつの兄弟のようだ」と私を見て言いみんなが賛同するように笑い、その中には担任の先生もいたこと。

「障がい者の家のくせに一軒家に住んでムカつくって、パパがあんたを虐めていいって言ってる」と言われた帰り道。

私よりももっとたくさんの中傷を受けていた親のストレスを発散するために怒鳴られたり泥酔い状態で殴られた夜。

目の周りが腫れたり口の端が切れたり、パニックになったきょうだいに噛みつかれた翌日に首元に内出血つきの歯型をつけて学校に行ったときも何も変わらなかった。

抵抗しても反抗しても「冗談も通じないの?」「こっちはそんなつもりはないのにいちいち怒る方がおかしい」「反抗すると嫌われて虐められるよ」「いつも仲良くしているんだからこれくらいいいじゃん」「甘やかされて育ったんでしょ」と抑え込まれた子ども時代。

きょうだい児だからという理由で、日常的に各々の憂さを晴らしや皆で面白可笑しく楽しむ為の道具にさせられ、多勢の前では無力で堪えるしかなかったから自分を守る為に影を薄くして少しでも人目につかないように、成績も学校生活も静かに無難にこなし、気にかけたり慰めてくれる友達もいたから心強かったし笑って過ごしていられたけど、でもやっぱり大人の誰かに助けてもらいたかったです。

かつて子どもだった私がずっとしてほしかったことだから。

彼女が、こんな理不尽に晒して一人で耐えさせることはしないでと、親になった私にずっと訴えているのです。

だからこそ守り、笑顔多い明るい家庭で育ててあげよう!それが私の役目!

と殊更凛とした優しい母的理想を掲げることもありましたが、現実は昔の話を掲げながらそんなことばかり言っていたらタダのヤバい親・・・。

そもそも私が「優しい母」かどうかは別にどうでもいいわけで、理想は我が子の為のもの。

自分自身も同じように他者を大切にし尊重して過ごしてほしい。

そして、のびのびと自分らしく前を向いて歩いていってほしい。

この場所、この道は、ほとんどが家の外にあるのだから、自分もマナーやルールを守り他者に不快感を与えず負担や迷惑をかけず、できることがあれば手を差し伸べられる人間にならないと!

しかもこの「過ごす」「歩く」は自力だから!

自力ってのは生活面も経済面もだよ!!

ってことで、極力妥協は許さずビシバシやったり。

おかげさまで1番っ子から早々に「鬼ババア」の称号を授けられました。

我が子が幼き日に抱いた「笑顔多い明るい家庭像」はどこいったんだか ┐( ´−∀−`)┌

不平不満があるからっていじけたり癇癪おこしたりキレるような態度を見せて察してもらおうとしたら、その心根をへし折るつもりで「分かってもらいたいなら自分なりに相手に受け入れてもらえる形で言葉にして伝えんかい!!」と断固譲らず、不平不満の解決よりも「受け入れてもらえる形で言葉にして伝える」に時間をかけて注力してみたり(=嫌なことがあっても誰かが気を使ってせっせと取り除いてくれるなんて思うな!そんなの他人から見たらタダのめんどくせー奴だからな!!)。

「支援級にいてもやりたくないことから解放される訳ではない。集団授業が苦手なら個別でゆっくり教えたる!だから課題の提出は全教科するんだよ!!」と中三までゲンナリする本人を他所に毎晩勉強みてみたり(=苦手や面倒なものでも背中を向けず、自分なりにできる形で達成しなさい!)。

「冠婚葬祭とか体調不良以外での、遅刻欠席は親として絶対許すまじ」を一貫したり(仕事をするようになったら、慢性的な勤怠不良は解雇に相当するからね!!)。

子どものうちなら大体の「苦手」「やりたくない」も許してもらえるけど、子どもを終えたあとはそうもいきません。

ならば自分なりにできる範囲で頑張れるように、それで社会の中で顔を上げてのびのびと生きていけるように、子供のうちに促してあげることが鬼ババアたる私(親)の役目。

1番っ子はいわゆる「育てにくい子」だったのでしょっちゅうぶつかり合い、激しくヤバいケンカは日常茶飯事な時期もあったけど紆余曲折を経ていまはそんなことは一切ない「穏やかで平和な普通の家族」になりました。

一つ普通と違うことは「親とは口をきかなくなった」ことくらいです。

それでも毎日笑顔を見せてくれるし、日常会話は筆談やLINEでできています。

本人もなんで話せないのか分からないみたいだし生活で困ることは何もないので、そこはあえてどーこーしようとはせず、それを普通にして暮らしています。

一緒に趣味のヒーロー系イベントに出かけたりもよくしていましたが、最近は自信がついたようで都会でもナビを片手に一人で行けるようになりました(でも今度の仮面ライダーガッチャード ファイナルステージは二人で行くので、久しぶりにウキウキワクワクな私( *´艸` )。

そしていまは世間的に無意味なものになりましたが、おかげさまで小・中学校は毎年精皆勤賞、高校も入学以降は無遅刻無欠席です。

授業はソコソコ真面目に受けているみたいだし、宿題もギリギリまでやっているけど期限を守って提出してるし。

集団活動やグループワークにもきちんと参加して、友達とも仲良くやってるみたいだし。

たくさんの経験や関わりから、多くの学びを得た1番っ子。

これまでの積み重ねとその延長が、これからの彼を守ってくれるでしょう。

私が防御壁になる必要は、もうないのです。

どうか親がいなくなってものびのびと自分らしく生きていけるように、その土台を若いうちにしっかり築いておくれ。

進路はどうする?

話は結構遡り、高一の冬。

学校で三者面談がありました。

話題の中心は、卒業後の進路について。

高一とはいえ、のんびり構えてはいられません。

この学校は障がい者就労を選ぶ生徒もそれなりにいて、1番っ子は生粋の療育手帳所持者。

そして先生は

「いまの1番っ子さんなら(障がい者)手帳就労はできると思いますよ」

と。

( °◊° )ホォ!

そうですか!

先生の話によると障がい者就労を希望する場合は、在学中に希望する企業に出向いて「実習」という名の働く練習をするらしいのです。

企業側は実習中の様子を見て、採用するか否かを判断するとな。

実習開始は大体二年生からで、三年生になってからでは時すでに遅し・・・。

特例子会社は特に狭き門で、なかなか採用されないとな。

やるなら早いうちに意思表示しないと。

そりゃ大変だ ᐠ( ᑒ )ᐟイソゲー!

希望する場合、あと数ヶ月で企業の目星まで絞らなきゃいけないってことじゃん!

就労のことなんて全然分からない (°°;))。。オロオロッ。。・・((; °°)

どこの企業に特例子会社があるのー?!

でも当の本人は私の横の席に座り、先生の話を無表情で聞いています。

まぁ、この前まで義務教育の中にいたから、社会人になる心の準備はまだできないって感じ?

なんだかちょっと戸惑っているみたいです。

そこで先生が取り出した資料は国や自治体が設置している職業訓練校のパンフレットでした。

職業の内容によってカリキュラムや期間(数ヶ月から一年)は異なり、授業料は無料であること、障がいの有無は関係なく受け入れてもらえること等が書かれていました。

また、他に知的障がい者対象の職業訓練校もあり、こちらも国や自治体が設置したものですが期間は二年と長く、その間は寮に入ることや、授業料はかからないけど月々の寮費や食費・水道光熱費等はかかることなどを話し合いました。

いきなり社会人になることに戸惑いがあるのなら、先ずは職業訓練校に行くっていうのも手だよね!学生と社会人の間みたいでいいんじゃない?候補に考えてみようよ!!

と乗り気な私に対し、それでもウーム( ´・∞・)?という表情の1番っ子。

何を考えているかは分かりませんが、齢15・16で学生以外の自分像を描くことは難しいようです。

自閉症って「頭の中で想像する・考える」が苦手と言いますしね。

ここからは本格的に模索する1番っ子の日々が、しばらく続きます。