あるべき姿、そして思想 (original) (raw)

脳内ダンプ

最近あるべき姿を考えていて思ったことを書く。


仕事をしていく中で我々はあるべき姿を考えている。あるべき姿を考えないと今起きている問題は発見できない。プロダクト開発でも組織でも技術でもそう。

10Xには、Think 10xというのがある。理想というあるべき姿を定義して探索的一歩を重ねようとあり自分はこれが大好き。あるべき姿とはなんなんだろうか。

色々考えて結局Think 10xなんですよねになる

— ひさいち (@hisaichi5518) 2024年10月9日

なぜあるべき姿は必要なのか

我々の仕事は訂正し続けることである。訂正するということはつまり変化し続けるということ。あるべき姿がないと変化を積み重ねてもグチャグチャになり、なんなのかよくわからないいびつなものが出来上がる。

❌ あるべき姿を持たずにただ訂正を積み重ねている例

✅ 理想(あるべき姿)を定義して段階的に訂正している例

あるべき姿(理想)を定義して、それに対して段階的に進めていくことでなりたい姿になれる。

思想が反映された状態=あるべき姿

あるべき姿は言葉の通り「こうなりたい」と考えている姿である。なりたい姿と考えるとFlutterのモバイルアプリなら「Riverpodを使ったState managementがされている状態」とかが真っ先に思いつきやすい。

これはあるべき姿と一応言えなくもない。しかし「Riverpodを使ったState managementがされている状態」はその時点では良いものなのかもしれないが、時間が経てば良し悪しは変わっていく可能性がある*1し、それは我々ではハンドリングしきれない。これを外部要素ということにする。あるべき姿が外部要素に依存すると時間が経つと陳腐化する可能性がある。つまり正解不正解がある。

しかし本来は「Riverpodを使ったState management」によって叶えたい思想が核としてあるはず。自分はなぜそのあるべき姿になりたいと考えているか、究極的には何を信じているのかという思想が特に重要だと思う。

そう考えると思想とは訂正を支える軸とも言える。外部要素は変化しても思想は変わらないしあるべき姿はその思想が反映されている状態なので外部要素が変化しようがブレない。あるべき姿や思想は、訂正するときに立ち戻る指針となる。

外部要素が変わっても思想とあるべき姿に変化はない

例えば自分の場合、最近モバイルアプリのリアーキテクチャを勝手にしているのだが「漸進的な訂正が重要」と信じているのでそれを思想としてあるべき姿を「訂正に備えられている状態」としている。

外部要素に依存しないあるべき姿に正解不正解はない

前述の通り、あるべき姿は思想が反映されている状態とした。あるべき姿に外部要素が含まれている場合なんらかの予想が必要になってくるが、思想が反映された状態である場合は予想は含まれない。なので正解・不正解もないと思う。何を信じているかという話。

あるべき姿だけではなく思想の”同期”をする

あるべき姿を共有するだけではなく、なぜその状態を目指すのかという思想を他のメンバーにも伝える必要がある。ただ伝えるのではなく”同期”をするには、自分の言葉であったり、わかりやすい言葉やキャッチーさ、しつこいくらい何度も伝えるなどは必要だと思う。*2

思想を同期することであるべき姿を目指す取り組みの意味が深く理解できてメンバーにあるべき姿に近づける意味が出来る。結果、内発的動機付けがされて、あるべき姿にたどり着きやすくなると思っている。*3

これを書いてて改めて思ったけど、あるべき姿や思想への共感は働く意味になる。働く意味作っていきて〜

— ひさいち (@hisaichi5518) 2024年10月11日

まとめ

技術力あげたいのなかで、思想を広げる力というのをあげた。思想というと少しクセありな感じがするが働くうえでかなり重要だと自分は思っていて特にマネージャー職、等級が高いIC、経営陣は濃淡はあれど思想を持ってあるべき姿を定義しそれらを他の人達に同期していくことが重要と考えている。