小さな図書館のものがたり (original) (raw)

もう一ヵ月半も前になりますが、10月5日(土)
高校同窓会の第43回石川支部総会がありました。

なんとなく歳を感じ始めて出不精になって、
ここ数年というもの不参加が続いていましたが、
総会後の講演に惹かれ、即座に参加を申し込みました。

越前市「紫ゆかりの館」の館長、三田村悦子さんの講演です。
演題は『紫式部越前国府』、
式部の歌をひも解きながらの興味深いお話でした。

三田村さんと出逢ったのは、小さな図書館のころ。
当時は武生市図書館の司書さんで、
色々と相談に乗っていただいたことも懐かしい思い出です。
20年ぶりの再会でした。

***

こうして出かけることになった同窓会でしたが、
予期せぬ新たな出会いが生まれました。
その後の懇親会でのことです。

右隣の席の横川さんが、津幡の図書館へでかけたとおっしゃいます。
朝日新聞の正月明けの「天声人語」で紹介された短歌の本が
津幡の図書館にあることをネットで知ったそうな。

書架でちゃんと見つかった!という「薄い本」

はて、いったいどんな本だろう?
プライバシーに触れると思いながらも
私の好奇心は一気に高まりました。

輪島の女性の歌…

伺っているうちに、それが
よりによって「山下すて短歌抄」だと判明して、
四学年後輩の横川さんとすてさん、
そして小さな図書館がつながった喜びで
お料理をいただくどころではありませんでした。

***

その後、横川さんからお手紙が届きました。

…第二部「能登を想う」で山下すてさん他、能登にゆかりのある短歌・俳句などを吟じます。パワーポイントで映像や詩文も映します。どなたでも入場できます…

11月10日(日)、その日は他にもだいじなイベントがあったのですけれど
「第23回吟風まつり」を選択して、詩吟の世界を堪能しました。

第一部では、つぎつぎに各教場のみなさんが登場、尺八伴奏、詩舞もあり、
朗々とした声が会場の金沢市文化ホールに響きました

第二部は、短歌、漢詩、俳句による構成吟能登を想う》
(詩吟といえば、漢詩の朗詠とばかり思い込んでいました)

万葉集巻十七の家持の歌、「之乎路から」「珠洲の海に」

沢木欣一さんの句
「塩田に百日筋目つけ通し」
「大釜に煮詰まる塩と夜明け待つ」

横川瑶岳さん、庄中瑞岳さんによる、すてさんの短歌は
「蕗摘みも飽きて膝抱き沖を視る次の世もこの涯に生まれたし」
「雪深くなれば葱売る小母さんもいつもの場所にいない朝市」

能登への深い想いが胸に沁みるすばらしい構成でした。

***

さて、もうひとつの出会いは、左隣の席のNさん。
私の二学年先輩になる方でした。
「大の里」「虎に翼」が話題となって、共通の知人がいることもわかって
早速、お手紙や資料等を送ってくださいました。
同窓会で不思議なご縁が生まれました。

私はこの番組を見るまで、貝澤正さんについては何も知りませんでした。
1997年の二風谷ダム裁判判決のことも、新聞等で見ていたはずですが
恥ずかしいのですがほとんど記憶に残っていないのです。

1996年は小さな図書館が開館した年。
いくら目の前の仕事に専念していたとはいえ……。

***

ある本がきっかけで、私は美空ひばりさんのことが知りたくなって、日本図書センター発行の「人間の記録」シリーズの一冊を手にして、それがまたきっかけとなって『中村メイコ』『淡谷のり子』『山田五十鈴』『杉村春子』『水谷八重子』『丸木俊』と女性陣が続き、男性陣のトップバッターとしてふと手にしたのが、

萱野茂 /アイヌの里 二風谷に生きて』(2005年)でした。

アイヌ民族で初めての国会議員となり国会でアイヌ語で質問、アイヌ復権を求めて「アイヌ文化振興法」の成立に力を尽くしたり、アイヌ語辞典を刊行した萱野茂さん。

「目の前から、アイヌ語が、物が、生活文化が、
跡形もなく消えていっていいと思うのかい…ひとつの民族文化、
特に言葉というものは、一朝一夕で形成されるものではなく、
今のわれわれには想像もできないくらい長い年月を経て、
それぞれの民族がお互いの意志を伝達しあうために言葉はつくられたんだよ…」

ある先生のこの言葉がきっかけとなって
民族意識に目覚めたと書かれていました。

***

貝澤さんは、日本人になるべく希望を抱いて、28歳のとき「五族協和」を掲げる満蒙開拓団に加わった。しかし、その開拓団が中国人、朝鮮人、そしてアイヌをも差別するという矛盾に失望して、人間として人間を見た時にがっかりした、こんな風にはなりたくないと三ヵ月後に退団、一度は捨てたアイヌアイデンティティに立ち返り、民族復権のリーダーとなっていったと番組で知りました。

***

亡くなられた翌年の1993年に出版された
遺稿集『アイヌ わが人生』(貝澤正/岩波書店)は
胸に迫る一冊でした。

あの「夕暮」は、18歳のとき
北海道アイヌ協会の機関誌に投稿したもの。

同じ年、所収されている現行保護法批判の一文は
「…速やかに撤廃されん事を希望するのであります。私のやうな乳臭い青年が斯んな事を申して、甚だ失礼でありますが、同族愛護の念已まんとして已む能はず、茲に此一篇を草して公にする次第であります。」と結ぶ「土人保護施設改正について」です。

・「北海道収用委員会における貝澤正の申立て」は75歳
・「三井物産株式会社社長への訴え」は78歳の直訴

・写真家・北川大さんによるロングインタビュー
・葬式にて配布されたという『私の想い 一アイヌの声』

貝澤さんのいい笑顔、あの声を、リアルに感じながら読めるのは、番組のおかげです。

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巻末には姫田忠義さんの解説文(13ページ)があります。
「痛切にして繊細な知性の人、貝澤正」

「この本はただ単なる追憶の書ではない、アイヌエカシ(長老)の生命の証しの書。
エカシの言葉が、諄々と、そして痛烈に、民族差別、環境破壊を告発する。」

さまざまな圧力の中、父の遺志を引き継ぎ、二風谷ダム裁判の原告人として
国を相手どった耕一さんは、どれほど大変だったことか。

「息子にはそんな重荷をしょわす必要はない。
子どもに親のことを押しつけるのは私の代で終わりにしたい。」

こんな言葉からもひしひしと伝わってきます。

1993年発行のもの、2010年発行の「岩波人文書セレクション」の新版の二冊。
どちらも耕一さんによる感動的な【あとがき】がありますが、新版には「あれから二十年」7ページが追記されています。

☆県立図書館、金沢市野々市市羽咋市中能登町北陸学院大学、金沢大学のみ新版も所蔵。私は相互貸借で一回目に新版、二回目に旧版を読みました。
袴田巌さんの本と同様、地元の図書館にぜひほしい本です)

***

ネットに興味深い記事がありました。

☆「二風谷ダムプロジェクト」
アイヌ民族とニ風谷ダム問題)九州芸術工科大学 知足院美加子(彫刻家)
ttps://www.design.kyushu-u.ac.jp/\~tomotari/nibutanireport.html
「貝澤耕一氏講演」のテープ起こしがあります。

☆二風谷で残す、北海道の原風景とアイヌ文化。
https://www.evolove.life/sky/vol11.html
太一さんのインタビュー記事です。

ETV特集「二風谷に生まれて〜アイヌ 家族100年の物語」
嬉しいことに、今夜0:00~再々放送があります。

私は録画して、これまでに何度もみました。
貝澤太一さんの語りが胸に沁みます。
父、耕一さんの透徹した目にも惹きつけられます。

1992年、79歳で亡くなった祖父の正さんは
アイヌの権利回復に力を注いできた先駆者。
その後を受け継ぎ、更に「先住権」を求めて
今なお闘い続ける父親を
息子の太一さんは柔らかな眼差しで見つめます。

***

アイヌ語をも奪った同化政策
神聖な場所を破壊したダム建設

差別と貧しさの中でくぐりぬけてきた
苦難の歴史が淡々と語られます。
自分の世代には何ができるのだろうかと
問いかけます。

***

貝澤さん一家が住む二風谷は
アイヌ語で「二プタイ」、
「木の生い茂るところ」という意味だそうです。

祖父は、乱伐や開発で荒れた森を蘇らせようと
借金してまで森の再生に取り組みました。
父はその志を継ぎ、いまやその3倍、
90haの美しい森が広がっています。

正さんは亡くなる一ヵ月半前、
ベッドに横たわりながら私たちに呼びかけています。

「この地球には人間だけじゃない
キツネもすんでいる、カラスもすんでいる
木にも神様が宿ってるんだ

アイヌの精神文化を
日本人にもわかってもらって
いいところを取りあげて
お互いに助け合って
今みたいに金さえ残せばいいというのを
もうなくさなければだめ」

知里幸恵さんの『アイヌ神謡集』も好んで
引用したといいます。

***

その昔この広い北海道は
私たちの先祖の
自由の天地でありました。

冬の陸には林野をおおう
深雪を蹴って天地を凍らす
寒気をものともせず
山又山をふみ越えて熊を狩り、
夏の海には涼風泳ぐ緑の波、
白い鷗の歌を友に
木の葉の様な小舟を浮かべて
ひねもす魚を漁り、

紅葉の秋は野分に穂揃う
すすきをわけて、
宵まで鮭とる篝も消え、
谷間に友呼ぶ鹿の音を外に、
円かな月に夢を結ぶ。

***

私も大好きな、珠玉の序文です。

昨晩「こんにちは。石川3区の皆さん、小泉進次郎です。○○さんは歯を食いしばって頑張っています。○○さんをどうぞよろしく~」と録音電話です。こんな電話に共鳴する有権者がいると思っているのでしょうかね?自民党選対長さんは。(スウさんの紅茶なブログ【票を投げに行く。】に共鳴して、私も投げに行かねば~~~)

***、

ところで、既にご覧になった方もいらっしゃるやもしれませんが、どうしてもご紹介したい番組があります。今夜11時からのETV特集(再放送)です。

「二風谷に生まれて〜アイヌ 家族100年の物語」

2月3日に放送された番組です。日本人とは?と深く考えさせられました。

貝澤さんの生き方を更に知りたくて、『アイヌ わが人生』(貝澤正/岩波書店)に出会いました。昨年11月に読んだ袴田巌さんの書簡集『主よ、いつまでですか』と同じく、私の心を最も強く揺さぶった一冊です。

番組の冒頭には美しい映像を背景に
『夕暮』の朗読が流れます。

~☆~☆~☆~

うらゝかな春の日も暮れ
夕陽が真っ赤に燃えた

烏が二三羽
夕焼雲を浴び乍ら飛んで行く

何処からともなく流れ来る音律
メノコ共が
コタンの唄をうたつてゐます

(♪ヤイシャマネナー、ホウレンナー、ホウレー)

よしや
陽は西に沈んだとても
星も出よう月も照ろうのみならず
夜のとばりは明日の序幕ではないか

保護民滅び行く民族と
俺達アイヌは呼ばれつゝあるが
果して亡びつゝあるや


之は沈む夕陽のみを観て歎ずる語だ

今や我等同族は一歩一歩
堅実なる道程へと歩み始めた

~☆~☆~☆~

「北海道平取町の二風谷には、アイヌ民族にルーツを持つ人が多く暮らす。貝澤太一さんもその一人。祖父と父は「二風谷ダム裁判」を提起し、初めてアイヌ先住民族と認める判決を勝ち取った。あれから30年近くがたち、何が変わり、何が変わっていないのか。太一さんは祖父と父が歩んできた過去を振り返ろうとしている。太一さんの視点から3代にわたる家族とアイヌの歴史をひも解き、日本社会とアイヌ民族の現在と未来を見つめる。」(番組解説より)

☆今夜の11:00からのETV特集(選)、その前の10:00「おとなのタイムマシン」も見逃せませんね。

***

ブログに書き記したいことが、たまりにたまっています。

☆大学、高校の石川支部同窓会での思いがけない出逢い
☆滑り込みセーフで間に合った「武井武雄展」
☆サツマイモの蔓の収穫
☆大阪で開催の「第86回全日本ベテランテニス選手権'24」80歳の部シングルスに出場の夫を応援(二回戦進出)。息子と三人で「あべのハルカス」で結婚記念日お祝い
☆初めて知った母のほんとうの名前
☆夫が参加しているオンライン読書会「土を育てる」
☆大学時代のテニス部OB仲間が集った「ラブ・フィフティーン in 福井」
☆テレビ番組(県立図書館の72時間、泥だんご、石川九楊竹久夢二の油絵、若冲の絵巻物…)

昨夜は9時からのNHKスペシャ
「ガザ 絶望から生まれた詩」を見ました。

そして今、録画したのをまた見ています。
坂本美雨さんの静かな語りも胸に迫って
泣きそうになります。

12月のイスラエルによる空爆で亡くなったリフアト・アライエールさんが、その直前、SNSに投稿したこの詩はまたたくまに世界に広がり、70以上の言語に翻訳されているそうです。(再放送は10月17日(木)午前0:35~)

~☆~☆~

If I must die,
You must live
to tell my story

もし私が死ななければならないのなら
あなたは生きなければならない
私の物語を伝えるために
私の遺品を売り
布切れと
少しの糸を買うために
(長い尻尾のついた白いものにしておくれ)
ガザのどこかにいる子どもが
天を仰ぎ見て
炎に包まれ旅立った父を待つとき―
その父は誰にも別れを告げられなかった
自らの肉体にすら
自分自身にすら―
あなたが作る私の凧が
舞い上がるのを子どもが見て
ほんのひととき天使がそこにいて
愛をまた届けに来てくれたと思えるように

もし私が死ななければならないのなら
それが希望をもたらしますように
それが物語となりますように

先月の「詩をたのしむ」読書会で、ひろこさんが紹介してくれた不思議な本は、東直子さんの『朝、空が見えます』(ナナロク社)。2017年、Twitterに投稿した毎朝の空の景色の一文を、まるで「祈りの言葉を探している」一編の詩のように纏めた一冊でした。

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きりっと晴れています。

ほんのり青い、青空です。

きちんとつめたい明るい空です。

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少しまじめな曇り空です。

ずっと一緒にいたい、と思える青空です。

綿雲がにじんでいます。

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耐えられない苦しい状況にあっても
明けない夜はない、朝は必ずやってくる。
そのかけがえのないリフレインよ。
(☆県内図書館では、金沢市野々市市川北町の3館で所蔵)

***

今月の「詩をたのしむ」読書会は10日(木)でした。

ひろこさんが選び抜いた分厚い本は『広島・長崎・沖縄からの永遠平和詩歌集~報復の連鎖からカントの「永遠平和」、賢治の「ほんとうの幸福」へ』(コールサック社/2024年8月6日)「コールサック」は『銀河鉄道の夜』にでてくる「石炭袋」(英語でコールサック)に由来。

“「永遠平和」をテーマとした詩歌集。被爆者や戦禍に遭遇した人びとの声にならない思いや叫び声を代弁、そして核兵器大量破壊兵器の廃棄を現実的に進める試みを表現した、詩・短歌・俳句を収録する”一冊です。

(☆金沢市野々市市加賀市の3館が所蔵)

現代詩手帖/【特集】パレスチナ詩アンソロジー 抵抗の声を聴く』はスウさん。

図書館の「みんなのへや」で、三人で平和の想いを声にしたその翌日、
「被団協 ノーベル平和賞」の朗報!!

袴田巌さん無罪に続くビッグニュースでした。

***

リンクしている水野スウさんのブログ「紅茶なきもち」には

《ヒダンキョー、ノーベル平和賞を受賞》

《菜の花ちゃんに「女性文化賞」!》

7日(日)内灘町で開かれた講演会、
《中野真紀子さんの「いまガザで起きていること」》レポートも。

☆2時間の今夜9時から、NHKスペシャルで
「世界に広がるガザの詩~死せる詩人・魂の叫び」

『ガザ日記』序文に
12月7日に空爆で殺されたガザの詩人
リファアトさんが遺した詩がありました。
この詩は30以上の言語に翻訳され、3000万回も読まれたそうです。

//////////

もし私が死なねばならぬのなら
君が生きなければならない
私のことを語るためだ
そして私のものを売って
一片の布と
糸を買ってほしい
(長い尾のついた白い凧を作るためだ)……

//////////

7日の講演会でもらった凧あげのポスターです。

内灘からガザへ~想いをつなぐ凧をあげよう」

日時:10月26日(土)13時~(雨天時27日11時~)
場所:内灘海岸

(22日~26日、凧作り教室もあるとのことです)

主催者連絡先:mizunowa2@icloud.com(水口)

袴田さんのお名前

「巌」と「巖」がふと気になって図書館で調べてみました。

巖は旧字体とのこと。「巌」の意味は、大きな岩石、(嶮峻な)がけ、高く突き出た大きな岩、深い、高い、嶮しい、などでした。苦闘の人生、不屈の魂、気高い精神…まさしく袴田さんらしいお名前に思えました。

***

⁂1966年(昭和41年)30歳

6月30日事件発生、8月18日逮捕、9月6日 自供

⁂1975年(昭和50年)39歳

~(12月)~

兄上様。
皆様お元気のことと存じます。
捜査陣は、取り調べの中で私のパジャマに油と被害者の血が付いているなどと嘘を言い、果ては鑑定書まで突き付けて、これがあるから認めるまではここを出さないとか、逃げられないなどと、事実でないことを強いた。まったく滅茶苦茶な調べを行ったのである。このような取り調べに耐えきれず、私は公正な裁判を受けてこれらの濡れぎぬを晴らす以外に、本件においては真実が勝つ方法はないと決心した。公正な裁判において、弁護士の手で事件を究明してもらい、自分の潔白を立証するしか道はない。取り調べ当時私の健康状態は極めて悪く、この状態では私自身の生命をも守ることは困難であったのだ。右の理由からやむを得ず、先ずは、清水警察の手から逃れることが急務であった。私は天地神明に誓って、本件の真犯人ではない。私が捜査陣の意のままに従ったのは、おのが生命を守るために、やむを得なかったのだ。……

~(12/15)~

兄上様。
私は今日、自分の不遇な半生を悔む気持ちは薄い。なぜなら、私の身体は鍛えれば使えるからだ。この意味で前途は洋々としている。自分の実力次第で、どのようにも社会に進出することができる。このことを充分に承知している。だから私は勝負師として、人の道を今こそ真剣に学んでおかなければならないのだ。人とは、自分を失ってはならない。さて肩から胸のあたりを、私は愛撫するように何度も掌で這わせてみた。すると、自分の肩に、ずっしりと重い災厄の荷を背負わされた自分がいとおしくて、思わず目頭が熱くうるんでくる。法を犯した捜査陣は、当審で全敗するだろう。……

⁂1980年(昭和55年)44歳

~(5/13)~

死刑囚にデッチ上げられてから間もなく13年目に入ろうとしている。
警察官の物的証拠によって逮捕され、静岡県清水市の警察内の密室で極めて悪辣な拷問を連日連夜うけた。そして知らぬ間に、いわゆる自白調書と当局がいうものが捻出された。この間、私はほとんど自己を喪失させられていたことが後で分かった。ただただ、密室内で死を強制され、またしばしば殺されるのではないかという疑念と確信みたいなものが迫って来たのをおぼろげながら覚えている。死刑を宣告されてから、私は間もなく東京拘置所に移された。そこには確定囚が20人程と未決囚が20数人いた。……

死刑囚という言葉がまるで他人ごとであった昔は、それはたんに死ぬる人、という意味でしかなかった。そしてそれは、あたかも不断に巡りくる生と死の普通の法則そのものとしていて漠然と理解していたのである。……

殺人者に対する応報は絞首刑であるという考えは人間として間違っていないだろうか?私はこの死刑囚という特殊な境遇にデッチ上げによりおかれ、初めて死刑の残虐のなんたるかを熟知した。……

⁂1981年(昭和56年)45歳

~(5/6)~

良心は無実の人間のいのちを守る唯一の声である。暗く苦しい夜が長ければ長いほど、、ひときわ声高く響く良心の声よ。暗鬱と悲痛と憤怒の錯綜した獄中14年有余、私を支えたのはその声だ。鶏よ、鳴け、私の闇夜は明るくなった。鶏よ、早く鳴け、夜がゆっくり開け始めている。

~(11/29)~

姉上様
今朝は大変に冷込みを感ずる。私は早くも凍傷に悩まされている。これも長い拘禁のため体質が一種異常になっているのであろう。
ラジオがはいった。午前九時です。例の番組だ。「楽しい日曜日の今朝、いかがお過ごしですか」とロイ・ジェームスが言っております。今日の東拘監獄には、恐らく二千人位は監禁されてこのラジオを聞いているだろう。彼らの中に楽しい日曜と心から思っている者は皆無であろう。私自身場違いな言葉を聞かされ腹立ちを覚える。

自由という言葉ほど懐かしく眩しいものはまたとない。私は15年有余の権力犯罪の誤った監禁そのものから学んだ。そこには何時も私が自由であるということだけで、周囲の誤った既存の秩序をただすことも可能と思われるし、また権利もある。何より人道的に正しい秩序を打ち立てる権利がある。そして、すべての真理を探究する努力も自由である。また、この身にふりかけられた火の粉も、激烈な社会正義の情熱をもって打ち落とすこともできる。実に真犯人を示すためのめくるめく行動が得られる。

私が獄中生活で学ばざるを得なかった「自由」というものは、このような痛烈な無念さと一種の眩しさをもっている。私はあらためて自らに質問しつづけている。お前は罪のない身でありながら、いつになったら自由を取り戻せるのか?ああ、もはや45歳という年にもかかわらず、私は明日だと答えることができぬ。何が私をして「明日」だと堂々と答えさせなくさせているのか。何が私の自由を凶暴に踏みにじっているのか。……

***

この「自由」を取り戻すには
それから43年もかかったのでした。

一、二、三審で
反則KOされながらも立ち上がり
正義の闘いを続けた58年間。
魂の叫びと祈りが胸に迫ります。

(下記ブログに図書館の所蔵状況など記しました)

https://hitokoto2020.hatenablog.com/entry/2023/11/11/231315
https://hitokoto2020.hatenablog.com/entry/2023/11/12/233247

***

憲法との関連など、興味深い記事がありました。

☆第351回 袴田事件 / 伊藤真さんの「塾長雑感」
https://www.itojuku.co.jp/jukucho_zakkan/articles/20241001.html