日和見びより日記 (original) (raw)
この広告は、90日以上更新していないブログに表示しています。
だいぶ溜まってしまったのでダイジェストでお送りします。
5/21
韓国のチョコパイが売られていた。情の文字のインパクトがすごい。 「情」には家族みんなで楽しめるハートフルなお菓子という意味が込められているそうだ。
日本でチョコパイといえばロッテだが実は情の方が先に発売されていてロッテのチョコパイは情の真似である。ちなみに森永のエンゼルパイは情よりも早く発売されている。さらにちなみにエンゼルパイはアメリカのムーンパイというのを真似ている。仁義なきパイパクリ戦争だ。
韓国でこの漢字一文字のインパクトがどのくらいのものなのかは知らないが、日本でいうと「鬼ころし」とかと同じジャンルなんじゃないだろうか。そのくらいの強さがある。情と書いてジョンと読むらしいが、俺は勝手にナサケと読んでいきたい。チョコパイナサケ、字面だけでなく声に出して読みたいかっこよさである。
5/22
近所のスーパーに顔のない呼び込み君がいた。
手は残っているのに顔がないのが示唆的である。このご時世なので、呼び込み"君"と名付けて特定の性に役割を与えてジェンダーバイアスを助長することを避けているのかもしれない。今や学校の先生は子どもたちを◯◯くん、◯◯ちゃんと性別で呼び分けることはしない。皆、一律に◯◯さんだ。少なくともこの顔のない個体に関しては呼び込みさんと呼ばなければならない。
ちなみにこの前、有馬温泉に行ったときに完全に別人格に乗っ取られている呼び込みさんもいた。ただもともとの顔が机に張り付いており、これに関してはジェンダーうんぬんではなくただのホラーである。
5/23
会社の人と業務とは全然関係ない面白い企画を画策するためにランチに。誰にも頼まれてないことを勝手にはじめようとする、こういうのがたまらない。 仕事は普通に忙しいけど、計画で終わらないように勝手にぬるっと進めたい。
5/24
夕飯を外で食べて帰る日だったので3ヶ月に一回くらい行きたくなる天下一品へ。天下一品に行きたくなる時は普通にこってりが食べたくて行くので、いつもこってりの唐揚げ定食(天一用語でいうとK定)を頼むのだが、毎回味噌ラーメンを食べてみたいという葛藤がある。ついに今回、そのこってりの誘惑を乗り越えて味噌ラーメンを頼んでみた。
結論からいうと、普通にこってりを頼んでおけばよかった。もちろん味噌ラーメンとしては普通に美味しいが、あえて天下一品で食べるほどのインパクトはなかった。やっぱり天下一品にきたらこってりである。そんなわけで3ヶ月に一回の天下一品欲は満たされなかったので、すぐにでもこってりが食べたい。天下一品に行ったのにさらに天下一品に行きたい気持ちが増幅してしまった。こってりに効く薬はこってりしかない。
5/25
子どもたちと昭和記念公園に遊びにいった。さすが入園にお金を取られるだけあって楽しい遊具がたくさんあった。飛び跳ねて遊ぶ白いぽよぽよした山みたいな遊具や日本一大きいらしいネットの遊具など分かりやすく目立つ遊具の中で個人的に気になったのはこの遊具だ。
一見するとどこにでもありそうな滑り台遊具だがよくよく見ると滑り台の角度と曲がり具合がなかなかすごい。中学生以上じゃないとできないウォータースライダーくらいある。
それ故に迫力がある。この角度と曲がり具合の滑り台が複数台備わった遊具はそうそうみない。今の法律だと建てられない昭和の建築物みたいな凄みがある。昭和記念公園ってそういうことか(絶対違う)
子どもたちを差し置いて写真をたくさん撮ってしまった。子どもたちはビビりなので滑らず、子どもよりも俺が興奮していた。童心にかえって、とはちょっと違う気がするが、大人も楽しめる公園で満足だった。
久しぶりにガストへ行った。いまガストではヒロミとコラボした限定メニューが展開されている。店の外にものぼりが立っていて一体ヒロミとどんなコラボをしているんだろうと思っていたがこういうことだった。
ヒロミといえばDIYということで、最後の仕上げを自分で好きなようにアレンジできるメニューが提供されている。DIYと聞くとちょっと楽しそうで、まんまとパスタとチーズインハンバーグのセットを頼んでしまった。チーズインハンバーグをミートソースパスタの上で崩して食べるのは確かに新感覚ではあったが、まぁ味としては普通にミートソースパスタとチーズインハンバーグであって掛け合わせによる相乗効果はほぼ無かった。味変できるソースが別添えで2つ付いていたが、そもそもミートソースに味がしっかりついているので追いソースをかけるとだいぶしょっぱくなってしまってこれはあまりいただけなかった。
そんなわけで美味しさ的には大したことないのだが、DIYという企画自体がなかなか面白い。DIYといえば聞こえはいいが、よく考えるとこれは調理コストを客側に転嫁してスタッフの手間を減らしているメニューと言える。まぁ世の中のDIYは言ってしまえば全部そうなのだが。
この企画がどういう経緯で生まれたかは定かではないが、もし先にスタッフの工数を軽減したいという課題があってそこからこの企画が生まれたとすると、なかなかの発想の転換である。アウトプットが上手い。
よく考えるとガストはこのコスト転嫁が上手くて、料理を運んでくる猫ロボットにもコスト転嫁が隠されている。猫ロボットは席の近くまで料理を運んできてくれるが、そこから料理をテーブルにおくところはやってくれない。その部分は客がやっている。つまり一部ではあるがホールスタッフの配膳コストを客側に転嫁する仕組みである。サービスの質が下がるとすぐにクレームがつく世の中だが、猫ロボットという娯楽っぽいものの影にコスト転嫁をうまく隠すことで避難を免れている。こう考えると先ほどのヒロミコラボが生まれた経緯の妄想もあながち間違いじゃないんじゃないかと思えてくる。
そんな猫ロボットにヒロミの写真が貼られていた。満面の笑みでガッツポーズをしたヒロミがスーッとこちらに向かってきてなんだか怖い。
猫ロボットとヒロミがタッグを組んでコスト転嫁に気付かせまいと楽しげに近づいてくる。怖い世の中である。
長々と書いてほぼ完成というところだった日記が保存に失敗して全て消えたのでこの土日はなかったことになりました。なくなった土日についてはキャリーオーバー発生中ですので来週の土日にご期待ください。
日記とは怖いもので一日書くのをサボるとすぐに遅れが堆積してしまう。過ぎゆく日々に休みはないのでこっちがちょっとでも歩みを止めると途端に置いていかれる。休みがないというのはやはりかなり辛い。勝手に自分で始めたことなのに辛い。逆に毎日日記を続けている人は本当に尊敬する。ほぼ日刊糸井新聞は「ほぼ」と言ってるのに創刊以来一日も休んでないらしい。もはや怒りすら生まれてくる。ほぼって言ってるだから時々休みなさいよ。毎日書くと言ってるこっちが恥ずかしいでしょうよ。
裏を返すと仕事には休みがあって本当によかったと思うが、同じように日々にも休みがほしい。全ての人類が自分だけが使える余剰日を年間30日くらい持っていて、周りの誰にも知られることなく好きな時にこの余剰日を使って日々に休みを作れるように出来たら良いのではないだろうか。神様、ご検討のほどよろしくお願い申し上げます。
金曜日は大阪出張だったが朝から夕方までお客さんと商談で夜もお客さんと飲み会だったので特に大阪の空気を感じることもなく帰ってきた。時間に余裕がない出張が一番悲しい。
夜の飲み会はお客さん側で予約してくれたBostonなんちゃらというおしゃれバルのようなお店だったのだが、特に何の変哲もない居酒屋だった。たぶん名前だけ変えて居抜きを繰り返してる系のお店だ。参加者がおじさんばかりだったこともあり料理を運んできた店員に「これがBoston名物ですか?」みたいな雑なボケをかましたりしていたが、炭火地鶏焼がギリBostonみがあるかないか(いや、ない)くらいのレベルでBostonみは皆無だったのでボケというより皮肉として受け取られていたかもしれない。店員に申し訳ないと思う一方、もう少しBostonみが欲しかったとは思う。せめて鍋のシメを食べた後にティーバッグを鍋に投げ入れるくらいしてくれてもよかったんじゃないだろうか。(ボストン茶会事件オマージュ)
ろくに散歩もできなかったが帰りに大阪駅まで向かう道すがら、コインロッカーに寄せにきてるキース・ヘリングが見られたのでまぁ良いことにしておこう。
やらないといけないことがあって早起きしたのに早く起きすぎてちょっと時間に余裕がありそうだったので作業前に頂き女子りりちゃんの頂きマニュアルを読んでしまった。勉強前に今やらなくてもいい掃除をしちゃうみたいな現象を「獲得的セルフ・ハンディキャッピング」というがまさにそれだ。これはそのやらなきゃいけないことの成果が上がらなかった時に本当はできたのに◯◯したからできなかったと言い訳をするために行う、自己評価や自尊心を守るようにする自己防衛のための行為だと言われている。でも「頂きマニュアルを読んでたから…」は言い訳として恥ずかしすぎるだろう。そんな弱い意志では全然頂けないぞ。(頂きマニュアルからの学び)
それにしてもこのマニュアル面白い。話題になっているのはかなり細かく書かれた方法論だが、頂きりりちゃんという人間そのものがめちゃくちゃ興味深い。
まずりりちゃんは頂くことを全く悪いと思っていない。おじには3種類いてりりちゃんは相手に与えることを損だとは思っていないギバーおじを狙って大金を頂いている。これがりりちゃんによるギバーおじの説明↓
ギバーおじは基本的に孤独でお金を派手に使うこともない、自分へも投資しないので使わない(使えない)お金が有り余っている。そのお金を女の子と楽しいやり取りをする対価として受け取っているだけだから、むしろギバーおじにとって良いことをしてあげているという感覚のようだ。なるほど、分からないでもない。
でもおじから大金を頂く時は精神的にやばくて薬を大量に飲んで精神を保ったりしているらしい。いやいや、どういうこっちゃ。悪いと思ってないんじゃないのか。
しかも本人はそのお金をホストに全て使っている。ホストに貢ぐお金は際限がないので頂けば頂くほど貢ぐ金額も増えていく。ここに終わりはない。おそらくりりちゃんにとってホストで大金を使うことが自分が生きている証のような感覚だったのだろう。ここに承認欲求の果てしなさが如実に表れている。
現代人は誰でも多かれ少なかれ「消費」しているが、消費には行きつく先がない。何か物理的にものを手に入れても、そこに付随した意味を消費してしまうと、人はまた次の消費を止められない。これは消費社会そのものがそう仕向けてくるのでそこから完全に逃れることはもはや不可能なわけだが、このりりちゃんの頂いた大金をホストで一晩で溶かして承認欲求を得るサイクルは、もう純然たる、まじりっけのない消費である。りりちゃんは消費の奴隷以外の何者でもない。そういう意味ではりりちゃんは現代の過剰なまでの消費社会が生み出した究極の被害者とも言えるかもしれない。
獄中で「消費デトックス」とも言える日々を送っているりりちゃんは今、何を思うのか。毎日綴っている日記がSNSで投稿され、おそらくこの日記は書籍化されるだろう。それは新たにりりちゃんの承認欲求を叶えるものになるかもしれないし、出所後にりりちゃんが生きていくためには必要なものなのかもしれない。一方で再びりりちゃんを終わりのない消費の連鎖に投げ込まないであげてほしいとも思う。でもきっとそれは無理だ。現に俺もりりちゃんの綴る独特な文章を楽しんで消費している。りりちゃんを消費社会に巻き込むことに加担してしまっている。ごめん、りりちゃん。
いくら考えても答えは出ないし、消費社会から抜け出すこともできないが、でも頂き女子りりちゃんを反面教師にして「消費」との付き合い方を考えてみることがちょっと良い未来を作ることに繋がっているかもしれない。
昼休みに用事があって新橋にいったら駅前で古本市をやっていた。半年に一回くらい開催されてるやつだ。
ちょっと時間に余裕があったので面白いものがないか物色。いろんなお店で昔の映画のパンフレットが1冊100円で売っていて見ているだけで面白かった。好きな映画を聞かれた時に挙げ続けているライフ・イズ・ビューティフルのパンフレットがあったら欲しいなと思ったけど、特に名前順とかになっているわけではないので一冊ずつ見ていかなければならず探すのが超大変。結局見つからず何も買わずに退散。果たしてあの中にライフ・イズ・ビューティフルのパンフレットが存在していたかどうかだけでも教えてほしい。というかあって欲しい。ないものを探していたとしたらけっこう悲しいから。
こういう古本市をみると森見登美彦の小説を思い出す。主人公が古本市で黒髪の美少女と出会うシーンがあったような気がする。実際は7割おじさん、2割インドア男子、1割おばさんというような顧客構成なので、こういう場で黒髪の美少女と出会うのはそれこそ大量の順不同のパンフレットからお目当てのブツを見つけるのと同じようなものかもしれない。しかも2割のインドア男子はだいたい森見登美彦小説の「私」みたいな人たちなので競争率がすごい。
そう思って古本市をみると小説の一場面をみているようで青空の下の古本市が急に現実味のないものに思えてくる。もしかしたら本当に森見登美彦ワールドに足を踏み入れていたのかもしれない。
朝から雨。月曜日から雨だと気分があがらない。しかも腰が痛い。前の日に遊びに来た赤ちゃんを抱っこしたからだろうか。そんなにずーっと抱っこしていたわけでもないのに、自分の身体の脆弱さに涙が出てくる。もう乳児は育てられません。
長女が学校で消しゴムを細かくちぎって帰ってきた。雨の憂鬱のせいだろうか。これをやったせいで指が痛いらしい。指が痛くなるまでちぎり続けるあたり、まとまるくんをまとめさせない!という執念を感じる。
それにしても、消しゴムをちぎるムーヴってこんなに早く来るものだったか?まだ小学一年生の一学期である。確かに俺も消しゴムを細かくちぎったことはあるし、多くの人が通る道だとは思うが、小2とか小3でやってたような記憶がある。最近の子は早熟というがこういうところにもそれが表れているのかもしれない。
でも律儀に全部集めて持ち帰ってくるところが可愛い。ちらばるくんと化した消しゴムを再びまとまるくんに蘇させることはできないかと調べたらかなり真偽の怪しいベストアンサーが出てきた。
身体に悪いガスが出るのでやめましょうと言っている人もいる。消しゴム密造は思った以上に危険な領域かもしれない。