第156回「退廃のすゝめ」 (original) (raw)

2024年度 原田研究室「SHU-MAI文庫」
第9回『退廃のすゝめ』が7/4にSHU-MAI文庫展「開架」中にライブで開催されました。

第9回フライヤー|デザイン, 出題 : 末松拓海

課題文;

建築が作りだす人々の営みについて、建築家なら誰しもが考えることでしょう。ですがその先はどうでしょうか。人がいなくなっても建築は残り続けてしまいます。そこであなたが考える理想の建築の死に方。退廃のすゝめを教えてください。

補足文1;

人類は廃墟を必要とする。もし都市が簡単に造り変えることができるのであれば、都市建設に関して誰も強い責任を感じなくなるであろう。鉄筋コンクリートのような改築がきわめてむずかしい、不変の素材であって、はじめて人々は都市の建設に百年の計を盛り込もうとする。その中にこそ人類建設の夢がある。しかし、一国の文明に消長がある限り、その都市もいつかは無用の長物-遺跡と化し、やがて廃墟となる時が来る。(新建築1959 晴海高層アパート-将来への遺跡 より一部抜粋)

廃墟は異界との境界であり、荒廃した羅城門には鬼が住み、堕落した大寺には天狗も巣くった。人間の代わりに誰かが住まう。廃墟にはそんなイメージがつきまとう。(廃墟展-金沢文庫 より一部テキスト)

補足文2;

出題には「理想の建築の死に方」と書きましたが、難しく考える必要はないでしょう。なぜな
ら設計という上り坂と、退廃という下り坂は同じ道なのです。人それぞれ大切にしていること、例えば全体性、エレメント、地域性、芸術性、文化的な価値、動植物、などが尊重されるべきです。むしろ設計行為よりも現実の呪縛から解放されて、足も軽いかもしれません。

※ SHU-MAI文庫についての概要と要項は下記の「SHU-MAI文庫」を参照ください。

目次

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|前回はこちら → SHU-MAI文庫 第8回「訴求」

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SHU-MAI文庫 第9回『退廃のすゝめ』

今回は末松拓海による『退廃のすゝめ』についての出題でした。

SHU-MAI文庫最後の出題はゼミ長末松による建築の死に方に焦点を当てたお題です。一見癖の強い出題にも見えますが、建築は建てられれば壊されるまでの寿命があります。なので本来建築で「壊され方」について語られることは不自然なことではありません。SHU-MAI文庫最終回としてふさわしいテーマでしょう。

今回は初の試みであるライブSHU-MAIでした。原田先生から「外部展示を開催するならライブSHU-MAIを行うように。当日の殴り込みを可能とし、外部参加者(参加資格も問わない)も募ること。」と、珍しく直々にアドバイスをいただき、その実践という背景を持っていたりもします。つまりこれは、展示会場にすら開かれた議論の場を作ってしまおうという試みです。外部参加者 1 名と多くの見学者に恵まれ、見学者からも質疑をいただくことができました。

さて、最終回となったSHU-MAI文庫ですが、ぜひ最後までよろしくお願いいたします。

ライブ中の風景|撮影; 半田洋久

第9回参加者

原田研究室生
外部参加者

各参加者成果物

賞一覧

※ 議論の焦点をより明確にするために、部分的にコンペ形式を導入しております。

・SHU-MAI賞 1点

・出題者賞 1点

・議論賞 1点

1. 細田案「落下庵」

細田案|撮影 : 細田雅人

選定図書
タイトル; 人間がいなくなった後の自然
著者; カル・フリン
訳; 木高恵子

要旨;

退廃した建築が持つ魅力〈jolie laide〉を、時間に依らない操作を以て作り出す。時間から切り離された落下中の建築を提案する。

出題者によるフィードバック; 彼らしいユーモア溢れた思考は、私の大好物である。タテの国(田中空)をも思わせるSF的な世界観を持ち込むことで、退廃という議論で最も争点であるであろう時間という概念を吹き飛ばす。終わりのない落下中という特殊条件下で、退廃しない建築を作ってしまったわけである。そうなってくるともう想定されていた退廃の議論は意味を成さない。この世界線でどこまで新しい建築の可能性を示せているのかという部分に、議論の焦点は移った訳である。そうして議論を進めてゆくとこの建築は思ったより普通ということに気が付く。確かに上下は逆さまになっているが、形態は通常の木造そのものだ。もっと落下に最適化された形状にしても良かったはずなのに。違和感を持ちながら模型を見ていると、地面からそのまま掘り返されたようについてきた土が、落下中の屋根として、通常世界の建築に求められる自我を持ち合わせているのである。これはそこに落下する前の通常世界を知っている人間がこの建築に関わっていることを意味するのではないだろうか。そうしてこの建築には社会性が生まれ、人の営みが生まれ、未来に希望を持てる。落下中という極限状態にありながら建築としての意地を見せてくれたように思えて、非常に興味深かった。

2. 末松案「垂直な柱」

末松案|撮影 : 細田雅人

選定図書
タイトル; 人間がいなくなった後の自然
著者; カル・フリン
訳; 木高恵子

要旨; 自然と人間。両者のバランスには良い熟成度がある。密かに均衡が崩れてきている離島において、人間の痕跡を残すための建築とは。

出題者によるフィードバック; 出題者につき無し

3. 栗林案「建築の尊厳ある死」

栗林案|撮影 : 細田雅人

選定図書
タイトル; 斜陽
著者; 太宰治

要旨; お母さまも、直治も、死にざまは美しかった。家は生から死へと徐々にうつり変わっていく。土がゆっくりと落ち芽が出て大きな木が育ち、住人がいなくなったあとはその根と枝葉に建築はのまれる。

出題者によるフィードバック; 建築としては、砂時計を思わせるような受け皿に植物の’種’がセットしてあり、住人の意思とは別に、植物によって建築の死が運命づけられている。人がいなくなった後の建築にも、希望が持てる部分に好感を抱いた。一方で、提案された形態は装置としての側面が強く、その周囲で営む人間の様子が想像できなかったのが改善点であるように思う。
追記)昨日、とある路地で力強い植物を見た。路地に覆い被さるようにして生えた木である。根元には破裂したバケツが埋まっていた。バケツは無惨に引き裂かれ、耐え難いような形状であるはずだが、どうしてか心苦しくない。人工物と自然の境界を打ち溶かす夏の力を感じた。やはり人間の管理下に収まっていないのがいい。

4. 廣澤案「0mの橋梁」

廣澤案|撮影 : 細田雅人

選定図書
タイトル;海のなんでも小辞典
著者; 道田豊

要旨; 潮が満ち、橋が沈む。潮が引けば、橋は浮かぶ。干満に橋としての機能の得喪を左右されながら海面上昇に伴い徐々に姿を消してゆく。
そして、いつか橋は朽ちる。

出題者によるフィードバック; れは最も退廃の本質に踏み込んだ提案である。退廃という宇宙の理とも呼べるべき時間の進行(これを気づかせてくれたのが凄い)の中に、潮の満ち引きという地球の時間軸(宇宙時間軸の一つ下の次元)を引き込んでいる。スライドの途中で示された、小さな渦巻きのような時間軸の表も非常に興味深い。私たちは様々な時間軸に生きているということを知覚させてくれるようである。あくまで退廃というのも一つの視点でしかないということを自覚させてくれた。また今、個人的には隈研吾が昔引用していた、ねじまき鳥クロニクル(村上春樹著)の考察したい。多点的な時間の動きに興味がある。非常に惹き込まれた提案だった。

(SHU-MAI賞受賞作品)

5. 鈴木案「瞬間的イメージ」

鈴木案|撮影 : 細田雅人

選定図書
タイトル; アルドロッシ記憶の幾何学
著者; 片桐悠自

要旨; 現在は刻々と変化する。写真機のシャッターがおりて、ドミノは倒れ、建物は吹き飛ぶ。
ソロモン王の指輪に銘された「全ては去る」。退廃とは。

出題者によるフィードバック; 退廃への向き合い方は、前述した細田の落下庵と近しいものがある。前者は落下という未均衡な状態に退廃を見出し、こちらは傾きに退廃を見出した。特に傾いた建築に対して内観が地面に水平なのが、意図的で面白かった。そして退廃に伴い増大してゆくエントロピーのグラフも大変共感できるものであった。ただ、傾ける角度についてもっと検討されていると説得力が増したように思う。人が建築として認識できる傾きと、できない傾きの境界が存在するはずである。その傾きの探究に作者が見出した退廃の危うさが秘められているように感じた。

(議論賞受賞作品)

6. 大池案「減りゆく住宅」

大池案|撮影 : 細田雅人

選定図書
タイトル; 脱住宅
著者; 山本理顕+仲俊治

要旨; コアを持つこの住宅は居住者の人数の変容に合わせて拡大縮小する。子が独立した後は子供部屋が減築され夫婦2人のための住宅となる。そしていつか誰も住まわなくなった時、そこには建築の心臓だけが残っているかもしれない。

出題者によるフィードバック; この作品の最大の特徴は、コアを起点として*平面的に*プランが伸縮している点である。近代化に伴い、建築は高層化こそ正義であったことは自明である。つまり土地が足りなくなり、空間を拡張するにあたって立体的に展開されていった。中銀カプセルタワーなどが最も明快に表現されている例である。しかし、彼女のプランはそうではない。縦ではなく横に建築を拡張し、そこに未来を見出している。プランを見ていると、一見高層建築をそのまま輪切りにして地面に並べたような強烈な違和感を感じる。だがこれは人口が減少し、土地が余るこれからの建築において考えるべき問題なのかもしれない。土地が余り、安くなれば必然的に上物にお金をかけようというモチベーションが高まる。しかし縦に増殖するにはどうも気が引ける(過去の歴史から)。また、装飾に余り魅力を感じない。そう考えると狭小化が進行していた住宅は、逆に地平線沿いに肥大化してゆくのではないか。そんな未来を感じた。
ただ、コアが一つでは必ず増殖にも限界が来る。他のコアから増殖した部屋同士がどう接続するのか、それか距離を置くのか。その辺りをもう少し深掘りして欲しかった。

7. 河野案「廃墟の分解、主観美の再認識」

河野案|撮影 : 細田雅人

選定図書
タイトル; 廃墟論
著者; クリストファー・ウッドワード

要旨; 廃墟は、防護壁によって切り取られ観測者に還元される。切り取られた廃墟は廃墟の物語性、歴史性を街行く人々に想起させる。これこそ、廃墟として消え去った過去が未来に対しての刺激となり戻ってくるということだ。

出題者によるフィードバック; 都心部の雑居ビル廃墟が持っているマイナスな印象を仮囲いによって払拭する提案。廃墟そのものには手を加えず、隠しながら、開口をデザインすることで、都市に開いていく。
この提案では比較的質量のある物体として仮囲いを巡らせていたように思うが、もっと軽い工事中の仮囲いのようなものでも同じことができそうだ。
工事中展開されるあの白い仮囲いには常に違和感を感じていた。仮囲いという割に年単位で立ち現れるあの姿はどうにも耐え難い。開口のデザインでその問題に立ち向かうのは非常に建築的な解決で好意的だ。ただ、やはりこうしたサーフェス的な空間の捉え方ではカッティングシートや、塗装などの操作が効果的であるだろう。建築の畑にいるとそうした操作はあまり好まれないが、新しい空間や価値観を形成するならば積極にデザインに取り込むのも悪くはないなと感じた。

(出題者賞受賞作品)

8. 半田案「腐ったアジの行方」

半田案|撮影 : 細田雅人

選定図書
タイトル; 原っぱと遊園地
著者; 青木淳

要旨; 例えば腐ったアジに、サンマの骨を入れる。新しい骨を得た魚はサンマの身を生成し、アジの変異体となる。建築と人の応答関係を持続させることで実現する緩やかな退廃の結末は変異体である。

出題者によるフィードバック;

まず例のアジとサンマというメタファーが再度登場したことにとても驚いた(昨年彼の建築を見て筆者が溢した言葉だった為)。建築表現におけるメタファーとは面白いものであると思う。シリアスな映画の中に織り込まれるジョークのようである。現実から一歩先へ、具象から抽象へ、地に足のついたプロジェクトであればあるほど、そのメタファーはより輝きを帯びる。
だが扱いは非常に難しいと言わざるを得ない。距離感を少し間違えれば建築は質量を失い虚しいものへなってしまう(良い悪い問わず)。今思えば、選書した青木淳の原っぱと遊園地は建築界でもトップクラスの素晴らしいメタファーだろう。あそこまで広く知られ、かつ共通の認識を呼び起こすメタファーはそう無い。そんなことを考えていると、廃墟もそれ自体ではなくメタファーとして認識すべきなのではないかと思えてくる。廃墟とは遊園地であり、遊園地は廃墟なのだ。
村上春樹騎士団長殺しに「二重メタファー」という言葉が登場する。二重メタファーとは人間が生物として生得的に備えていた認識システムを、新たに獲得した「社会で共有する認識システム」で覆い隠してしまったために生じた弊害である。つまり「ハイキョ」という人類に備え付けられた概念は、「廃墟」という新たに獲得した認識システムによって塗り替えられているということである。ハイキョと廃墟の隙間に生じた齟齬に可能性を感じた。
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「あなたの中にありながら、あなたにとっての正しい思いをつかまえて、次々に貪り食べてしまうもの。そのように肥え太っていくもの。それが二重メタファー。それはあなたの内側にある深い暗闇に、昔からずっと住まっているものなの。」
(村上春樹 騎士団長殺し より抜粋)
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9. 森案「それは解放か、逆襲か。」

森案|撮影 : 細田雅人

選定図書
タイトル; 建築する動物たち
著者; マイク・ハンセル

要旨; 巣のような構造は自然選択と性選択によって進化し、建築物の参考にしているものもある。それらが人間の手から離れた時、どんな形態へ変化していくのか。またその変化を許容するような建築は作れるのか。

出題者によるフィードバック;

建築家の手から離れた建築に魅力を感じる人が多くいるように、巣にも人を惹きつける美学が詰まっているように思う。どちらも長い歴史の中で研ぎ澄まされてきた合理的な美学がある。そういったものと退廃は切っても切り離せないだろう。うまく言語化できないが、そう言った産物は退廃した時特別なのだ。退廃しても汚くないというべきだろうか。より輝きを残すものすらあるように思う。この提案では前談やプレゼンテーションには強く共感できたが、成果物からはその産物としての力を感じれなかったことが残念だった。

10. 田川案「棲」

田川案|撮影 : 細田雅人

選定図書
タイトル; 生き物はどのように土にかえるのか
著者; 大園享司

要旨; 建築の喜びは棲まう者があることである。人類が絶滅しても、地球という名の惑星は周り続ける。我々、地球内生命体は土に還る。この建築もまた、生命の棲を提供しながら、同じ土に還る有機体である。

出題者によるフィードバック;

造形が非常に印象に残った。バナキュラー的な空間と、装置のような機構が織り混ざり、スケッチと共に空間をよく伝えていたように思う。腐る素材と腐らない素材、未来という制御できないものを、どう建築的に操作するかが鍵であったと思うが、水や風を制御し退廃を可能な限り操ろうとする姿勢にとても好感を持った。

展示風景|撮影 : 細田雅人

発表と質疑の様子

撮影:細田雅人, 半田洋久

出題者総評

退廃という概念の捉え方から新しい作品が多く、非常に勉強になった。また退廃というテーマに対して物質的な解答が多かったように思う。出題当初は、記憶を繋いでいくだとかそういった概念的な類の提案も集まるかと思ったがそうでもなかった。
自分の興味関心事を、他人が自分ごととして考えてくれる機会はそう無いなと、改めて感じ、感謝します。

文章 : 末松拓海

SHU-MAI文庫 あとがき

本年度SHU-MAI文庫の全員の出題が、配架まで終わりました。「研究室外へと開いていく議論の場」というコンセプトのもと、学んだ知識の共有と議論による知識, 理解度の向上を目的に配架(展示)まで行う、いわゆる読書ゼミです。その形式と従来のSHU-MAIを組み合わせ、コンセプチュアルなアートワークを添えたプロジェクトになりました。様々な記事に意図を書き残してきましたが、結果どのような形で読んでくれている皆さんに届いたかはわかりません。しかし、今年のSHU-MAI文庫に参加してくれた方、見学に来てくれた方がたくさんいただけでなく、SHU-MAI文庫展の施工まで入念に関わってくれた人が現れたこと、半期のゲリライベントではありましたが、良い場所を作れたのではないかと思っています。

来年度以降、どのような形式で原田研究室SHU-MAIを行っていくかは次の学年にお任せしますが、はてなブログに残したアーカイブを見て、研究室に集まった仲間と何を行うか話し合ってくれたらとても嬉しく思います。外部展示を含めたプロジェクトの総評は、また次回の記事で書こうと思います。

いよいよ次回の記事の外部展「開架」のアーカイブで2024年度は最後の記事となります。

原田研究室 Instagram : https://www.instagram.com/harada.lab/

原田研究室 X:https://x.com/hmstudio_sit

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執筆 : 半田洋久