果てしない自己破壊の誘惑『タナトス』/村上龍 (original) (raw)
ノーベル賞で騒いでいるメディアがアメリカで研究を行った日系アメリカ人のDr.Syukuro Manabeを日本の功績のように回顧し喧伝している様を横目に私は村上龍さんの『タナトス』を読んでいました。
今作は『エクスタシー』『メランコリア』に続くエクスタシー三部作の最終巻にあたります。
ヴァラデロ国際空港の入国係官控室に頭がおかしい美しい日本人女性がいると知らせを受けヴァラデロに住む唯一の日本人カメラマン兼ツーリングガイド・カザマは彼女と面会します。
彼女の名前はサクライレイコで女優をしており、カサ・クレマというホテルを予約していることが判明し二人はホテルへ向かい部屋へ入るとレイコは独り語りはじめるのでした。
ここからレイコのモノローグが延々と続きます。
そのモノローグから浮かび上がることは先生と呼ばれる男との生活で彼はレイコを含め数人の女性たちとホテルのスイートルームで薬物を接種し乱交を行ったりSMに興じた日々を克明に語ります。
乱交の際に流れている映画だったり音楽だったり飲んでいたワインやシャンパニュ等々読んでいるこちらが混乱してしまいそうな固有名詞の羅列にレイコが負った心の傷の深さを感じます。
レイコは先生が求める理想の女性であったことも分かり、それは彼女がどのようなプレイも拒否せずにSMという物語を完結できる存在であったためでした。
このような女はケイコ以外にいなかったと先生はレイコに語ります。
先生は自分の力や影響を測るバロメーターとしてSMに興じていたのかはなんとも言えません。
こうして先生、レイコに加えケイコという女性も加わり次第にモノローグはこの3人に比重が傾いていきます。
先生という呼称も段々と先生からヤザキへそしてあの男へ変化します。
レイコはこの主従関係の渦中で何を求めていたのかは定かではありませんが、奴隷という地位にいることに安心感を持っていたことは伝わります。
そしてヤザキとの生活とキューバへ赴いた行動を支えていたのはずっと抱えていた死への衝動だったように思います。
自由は隷属よりも辛かったためにヤザキに対して拒否することができなかったとも言えます。
レイコはある夜のことヤザキに「自分は価値ない人間」だと告げるとヤザキは「俺もお前も価値なんかない。他人から価値ある人間と思われるような生き方は無駄だ」と告げられるのでした。
レイコが言う「自分は価値がない」という発言は「自分は(他人にとって)価値がない」と解釈するのは少し違うように思います。
「他人にとって自分は価値がある」という考えはある種の自己優越から働く歪んだ自己愛の変容でしかなく、そこに現れる他人とは自分を測るだけのただの道具です。
レイコは自分を愛することができないために、自分を愛する媒介を外に求めていたためにこのような発言をしたように思います。
この決死の告白にヤザキの発言はレイコが最も聞きたくなかったものであったでしょう。
ただ自分を愛せずに他人から価値あるように生きようとしたら最後に待っているのは自己の破滅であると思います。
そしてヤザキは「お前は奴隷じゃない。」と追い打ちをかけるのでした。
レイコという女性は常に破滅まで後一歩というところをずっと生きていたのでしょう。
つまり彼女はもうどうしようもないのです。