急行 銀河(B寝台) (original) (raw)

1999年8月6日(金曜日)、 大阪市内(淀川区中央区)で2箇所の出張を済ませて17:30過ぎから午後から訪ねた淀屋橋駅最寄の昔馴染の会社が宴会をセッティングしてくれてご接待されたのでそれにも参加して地下鉄御堂筋線を梅田駅で下車してJR大阪駅へ到着したのは21時を少し回った頃だった。この時間帯の上り方面新幹線はまだあるけど東京行き最終電車となる1068Aの新大阪発が21:18と間に合わないし、帰路の「銀河」急行寝台券も購入済みなのでゆっくり寝て行こうと思う。家族への土産を購入して10番線ホームの2号車乗車位置で待機していると宮原操から北方貨物線経由で回102レが21:53に入線。

牽引機は田端運転所のEF65-1053で「銀河」牽引機は下り/上りは別運用だけど客車は同一運用の様で2号車は往路に乗ったオハネ25-175であった。帰路も往路と同じく2号車13番下段で二晩続けて同じベッドに寝れるのはラッキーというかマルス発券してくれたJR北海道プラザ東京店のMRオペレーター嬢に感謝である。席に鞄を置いてホーム売店で飲料を買ってくるが今夜の宴会では飲みすぎたのでアルコール類は自粛して早寝に勤めよう。大阪駅を22:05に発車した急行「銀河」は新大阪(22:10-11)を発車すると車掌の切符拝見が行われ、寝具を敷いて浴衣姿に変身したらベッドへ横になる。

近年はやらなくなったけどカーテンの仕切りを閉じてそのまま横になって無心で目を瞑っていると夜行寝台列車独特の世界が広がる。TR217C台車がレールの上を走る音に連結器上にある渡り板同士の摩擦音やスリッパを履いて通路を誰かがペタペタ歩く音など。更に踏切通過のドップラー効果音に通路の扉を開閉する音に加えて牽引機のEF65PFが時たま鳴らすホイッスルの音を聞いてるだけで寝台列車の旅情みたいなものを感じる。時間帯からし新大阪駅を発車してすぐにまだ宵の口だけど23時を過ぎれば寝ている人ばかりなので余計に音が楽しめ様になるだろう。

昔は客車タイプの寝台列車に乗るとベッドに横になってから寝て意識がなくなるまでと目が覚めた時に自宅の寝室ではない場所で寝ていた事に気付いた非日常的な空間と時間の差に一喜一憂したものだが個室中心の寝台車が増えてかく言う自分も個室ばかり利用するようになって個室は開放B寝台に比べて防音・静粛性能が高いからその楽しみは減ってしまう。列車が速度を下げて京都(22:42-43)に到着すると我が2号車も想定していた人数以上の乗客が乗り込んだがカーテンから首を出して確認すると12人くらいは乗った模様である。

喉が渇いたので大阪駅で購入したポカリスエットを一気に飲んで再びベッドに横たわって毛布を掛けるが車内の冷房が効いてるので毛布が有り難い。山科駅の分岐までは起きていたけどその後の記憶が無いため寝たようだ。以降は就寝中の停車駅と時刻「*は運転停車」・・・大津(22:56-57)・米原(23:45-50)・名古屋(0:53-57)・*浜松(2:22-31)・*静岡(3:33-53)・富士(4:23-31)・沼津(4:48-51)・熱海(5:08-11)・小田原(5:31-32)。目が覚めたのは小田原駅より鴨宮駅寄りの酒匂川橋梁付近だったが車窓から相模湾の海が望める区間は完全に寝ていたようである。

昨夜大阪駅で買ったすっかり温くなってしまったビター缶コーヒーを飲みながらマッタリして洗面所が混雑する前に歯磨きと洗面を終らせてシェーバー使うにはまだ寝ている人が多いから横浜駅を発車してから行う事にしよう。いつの間に乗ったのであろうか、車内は下段がほぼ埋まって上段も使ってる区画が一部あって驚き。列車は駅が鎌倉市横浜市の境になってる大船(6:02-03)に到着、因みに駅長室がある区画が鎌倉市なのでJR大船駅鎌倉市になっているが因みに市境は川幅が狭い砂押川である。大船観音が見えて並走していた東海道線貨物線と分かれ、清水谷戸隧道を抜けると横浜(6:17-18)だ。

横浜を発車すると暫し、横須賀線京浜東北線京浜急行線と並んで走るので鉄道好きには堪らない区間であろう。僕は髭を剃って最後のトイレも済まして下車準備が終ると僕が大学4年生まで暮らした川崎の街を走り抜けて六郷川橋梁を渡ると東京都に入って品川(6:34-35)に入線。田端駅に行くにはこのまま東京駅まで行かずに品川駅から山手線外回り電車に乗った方が早いけど当時の休日早朝ダイヤだと大崎駅や池袋駅で2~3分停車する電車もあるため、今日はこのまま東京駅へ向かう事にしよう。そして急行「銀河」は定刻ダイヤの6:42に東京駅9番線に到着した。

★★★★★Memories of the night train★★★★★