見た目が不自由な人の保護は必要か (original) (raw)

世の中は見た目が良い人の方が有利である。
ならば見た目が悪い人は保護するべきではないか。

この主張を掘り下げてみた。

ブサイクを法律で守る

目次に書かれたこの章題を見た時、「さすがに無茶だろ」と思った。しかし本を読み進め、この章にたどり着いた時には「たしかに一理あるな」と変わっていた。読んでいた本は『美貌格差 ―生まれつき不平等の経済学』である。

美貌格差―生まれつき不平等の経済学

本書は、人の容姿による経済的な影響を示した本である。多くの人が直感的に「美人は得で、ブサイクは損」であると思っている。だがそれは、どの程度の差なのか、男女で容姿が収入に与える影響は異なるのか、といったことは、人によって意見が異なるだろう。本書はそれを定量的に調査した研究を示すのが良い。

そうやって容姿の経済的な影響を調べていくと、やはり容姿が優れていると得であることが分かる。ならば公平であるために、ブサイクは法律で守るべきではないか、と主張するわけだ。

やはり容姿は収入に影響あり

では実際のところ容姿は収入に影響を与えるのだろうか。1970年代のアメリカで行われた全国的な無作為抽出のデータによれば*1容姿がよければ収入が平均を上回り容姿が悪ければ収入が平均を下回っていた*2。下記の表は、教育や年齢、健康に人種など、さまざまな収入を左右する要因を取り除いた上で、容姿が収入に与える影響を示したものだ*3。(* は統計的に有意であることを示す)

容姿 女性 男性
平均より上 +8% * +4%
平均より下 -4% * -13% *

少なくともこの研究においては、容姿が平均より上*4の女性は平均的な女性よりも収入が8%増加し、逆に容姿が平均より下*5の女性は平均よりも収入が4%減少する。男性の場合だと容姿が上だと4%増加*6、容姿が下だと13%も減少となっている*7

他の研究でも程度の差はあれ、優れた容姿は収入を高め、残念な容姿だと収入は下がるようだ*8日本を対象にした最近の研究では、11段階の容姿レベルが1ランク上昇すると、世帯年収が22万円上昇するという*9

しかも容姿が優れている人は、ただ収入が高いだけでなく、ちゃんと成果も上げているようだ。例えばオランダの広告会社の重役を対象にした研究では、容姿が84%の人たちより上 (μ+σに位置する) の重役と、16%の人より上 (μ-σに位置する) の重役では、平均で売上高が7%違っていたという*10。また、戸別訪問の勧誘員の成果を調べた研究では、男性の勧誘員では差がなかったが、女性の勧誘員では明確に差が生じたという*11。しかも女性勧誘員の髪がブロンドであると、より高い成果を上げていた*12

もちろんこれらの研究結果に対しては注意が必要だ。まず第一に、これは統計の話である。優れた容姿は高い収入・成果を約束するものではないし、逆に容姿が悪くてもそれは無能であることを意味しない。第二に、容姿が収入や成果に与える影響は、環境や職種によって異なる。容姿の重要性がアイドルとプログラマーで同じであるはずがない*13。第三に、容姿と収入の関係は相互に働く可能性がある。2019年の西東京市民を対象にした調査では、所得が高い人ほど美容に投資していることが分かっている*14。これは高い収入が原因であり、優れた容姿は結果である場合もあることを意味している*15

しかし容姿によって経済的に有利不利が生じるのもまた事実である。他の要素が同じなら、容姿が優れている方を採用した方が会社にとっても得だ。能力が分かりにくい相手、新卒などはなおさらだろう。能力はしばらく話しても分からないが、容姿の良し悪しはひと目で分かる。ならば容姿を基準に加えることは合理的だし、ハロー効果*16が加われば完璧だ。容姿が優れているのだから、他の要素も優れているに決まっている (と思いがち)。

そうなると、いくら「容姿で差別するな」と言ったところで、自由競争に任せてる間は解決しないのではないか。ならば法律で保護するべきでは?

容姿だけ除外はおかしい

ある人達には目立つ特徴がある。特徴のせいでその人達は仕事に就くのが難しい。会社はその人達を雇うと競争力が落ちるからだ。なんとか仕事に就けたとしても、他の働き手と比べて収入が低い。その特徴があるのは本人たちに責任はなく、天命と考える他はない。

これは「容姿が並以下の人」が置かれた状況を抽象化したものである。『美貌格差』では、これと似た状況に置かれた存在として、「アフリカ系アメリカ人」「女性」を挙げている。これらの属性を持つ人々が、経済的に不利な立場に置かれるに至った経緯は異なる。しかし現在の状況は近い

アメリカにおいても、教育を始め様々な要因を調整したうえで、女性の所得は男性よりも約15%低い*17。さらに他の条件が全て同じなら、女性である人を雇う会社の売上高は低いという*18。アフリカ系アメリカ人の場合も似たようなものだ。

そのため人種や性別による差別がされないよう、法律による保護が存在する。アメリカの公民権法は「人種、皮膚の色、性別、性別、出身国」による差別を禁止している*19。日本でも男女雇用機会均等法で性別による雇用機会・待遇の差別禁止を定めているし*20、厚生労働省が発行した「公正採用選考をめざして」では*21「人種・信条・性別・社会的身分・門地など」による差別があってはならないとしている。ならばそこに「容姿」も含めてはどうかということだ。

また、『美貌格差』では別の案として、「障害のあるアメリカ人法 (ADA)」*22「アファーマティブ・アクション」を使うことを提案している。アファーマティブ・アクションはそもそも制度として賛否両論であるので、ここではADAにのみ言及する。

ADAは身体的・精神的障害を持つ人を保護する法律だ。障害者は明らかに労働市場で不利な立場に置かれている。だからADAはまず具体的な分野として雇用について規定し、差別禁止合理的配慮を求めている。これを容姿にも適用しようというのだ。

これは言ってしまえば「ブサイクは障害とみなす」ということである。全方位から批判を受けそうな主張だ。一番ありそうな批判としては、「容姿が劣っている人が苦しむのは社会の差別意識によるものであり、容姿が悪いことは機能的な障害ではない」だろうか。

容姿が悪くても機能的な制約は無い。だからアメリカでも日本でも容姿が悪いことは障害に含まれていない*23。障害者基本法によれば、障害者とは以下のように定義されている。

身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む。)その他の心身の機能の障害(以下「障害」と総称する。)がある者であつて、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるものをいう。
障害者基本法:障害者施策 - 内閣府

しかし機能に問題がなければ障害ではないとされているため、日本では「容貌障害」を持つ者へも、公的な支援はほとんどない状態にある。

容貌障害

「容貌障害」とは、先天性、後天性に関わらず、怪我や病気によって見た目に問題が生じる症状を指す用語として、藤井輝明氏が提唱したものだ。

サムネでも分かるかと思うが、彼もまた容貌障害を持った一人である。2歳の頃に海綿状血管腫を発症し、右顔面にコブがある。20代の頃に外科手術でコブの大部分を切除しており、昔は今の2.5倍のサイズがあったという。この血管腫によって藤井氏は、差別やいじめを受けてきた。

容貌障害を持つ者は様々な問題に直面することが多いが、特に3つのライフイベントで苦労するという。それは「学校生活」「恋愛・結婚」「就職」である。本記事は経済的な格差を発端に話を展開しているので、「就職」だけに焦点を絞ろう*24

藤井氏の場合、大学卒業後に銀行や証券会社を中心に50社を受けたが、どこからも内定がもらえなかったという。彼が就職活動した当時は現在と違って景気が良かったため、大学の成績が良く、教授からの推薦があれば簡単に大手へ入れるのが普通だ。実際、指導教授も藤井氏ならば簡単に決まると思っていた。しかし現実には決まらない。

ある時、なぜ自分は合格にならないのかと人事に尋ねたところ、「いくら成績がよくたって、バケモノは雇えない」と言われたらしい。曰く、不気味な見た目をしていると、取引先やお客様が嫌悪感をもよおし、会社にとって不利になるから、と。

この話は1980年代のことだが、似たような事例は最近でも見つかる。マッキューン・オルブライト症候群を発祥したある女性は、個人経営のクリニックに勤めようとしたころ、「患者さんに、この病院に変な人がいるとか、病気の人がいるとか言われると困っちゃうんだよね」と言われ、断られたという*25。彼女は症状が顔にも出ており、左側のほおとアゴの骨が変形してる。その見た目が問題だというのだ。

一般的に差別はしてはならないことである。ましてや生きていく上で必要な就労の機会を奪われることは、社会から「生きるに値しない」と宣告されるようなものだ。だから労働市場で弱い立場になりがちな女性や障害者は「男女雇用機会均等法」「障がい者雇用促進法」によって保護されている。しかし前述したように、容姿に対する差別は、ガイドラインですら記載されないほどだ*26

つまり容姿に関しては、実態として就職差別があり、明らかに不利益を被っている。なのに法や制度による保護が不足している*27。だから問題として人々に意識させ、理解してもらうため、藤井氏は「容貌障害」という用語を考案したわけだ*28

では実際問題として、容貌障害を障害に含め法的な保護を与えるというのはどれくらい現実的なのだろうか。

参加制約と保護

上で「アメリカでも日本でも容姿が悪いことは障害に含まれていない」と書いた。これは嘘ではないが、大事なことに言及していない。それは「障害のあるアメリカ人法 (ADA)」で定義される障害者には容貌障害も含まれることである。

内閣府が出している『ADAベストプラクティス・ツールキット仮訳』では、身体障害は以下のように定義されている。

A physical impairment is a physiological disorder or condition, cosmetic disfigurement or anatomical loss impacting one or more body systems. Examples of body systems include neurological, musculoskeletal (the system of muscles and bones), respiratory, cardiovascular, digestive, lymphatic and endocrine.
身体機能障害とは、生理的な病気・疾患、外見的な損傷、1つ以上の身体組織に影響する解剖学的な欠損である。身体組織の例には、神経系、筋骨格(筋肉及び骨の組織)、呼吸器系、循環器系、消化器系、リンパ系、内分泌系が含まれる。
参考資料2-1 州及び地方政府のためのADAベストプラクティス・ツールキット 第1章・第2章 仮訳(第1章)|平成27年度合理的配慮提供に際しての合意形成プロセスと調整に関する国際調査報告書 - 内閣府

このように「外見的な損傷」も対象となるわけだ。もちろんこれだけで障害者認定されるのではなく、これによって「主要な生活活動を実質的に制約する」という条件も満たしている必要がある。しかしこの「制約」は、単に機能的な理由での制約だけでなく、他者の否定的な反応により実質的な制約となる場合も含むのだ*29。ゆえに容貌障害を理由に不採用や解雇を行うと、経営者は訴えられる。実際、2003年に雇用機会均等委員会 (EEOC) は、顔のアザが理由で従業員を解雇したと、マクドナルドを訴えている*30

容貌障害を障害に含めている国は他にもある。例えばイギリスは障害差別禁止法 (DDA) の付則で「重度の異形 (severe disfigurement)」も「不利な影響を及ぼすものとして取り扱われるべき」とし、重度の異形の例として傷痕、あざ、皮膚病などを含めている*31。また、カナダでは人権法の中で障害の定義に「外見の損傷 (disfigurement)」を含めている*32

このように容貌障害を障害に含めている国が実際にあるのは、WHOを制定した「国際生活機能分類 (ICF)」*33における「参加」の制約を満たしているからと考えられる。ICFは「“生きることの全体像”を示す“共通言語”」とでも言うべきもので、障害を定義した国際共通基準として使われている。

ICFの生活機能モデル / ICF(国際生活機能分類)-「生きることの全体像」についての「共通言語」- (PDF) より

ICFでは生活機能を3つのレベルに分けている。

  1. 心身機能・身体構造(生物レベル、生命レベル)
  2. 活動(個人レベル、生活レベル)
  3. 参加(社会レベル、人生レベル)

日本における障害は機能的制約を指すため、1と2までしか対象としない。しかしICFでは社会参加への制約となるならば、それは障害とみなす。また、生活機能に大きな影響を与える因子の片方である「環境因子」には、周囲の人間の態度や意識までが含まれる。したがって容貌障害はICF的に障害と言えるのである。

こうなると、なぜ日本では容貌障害が障害に含まれないのか、不思議に思えてくる。ざっと調べた感じだと、「障害者差別解消法」に入りかけた形跡がある。

障害者差別解消法とこれから

藤井氏の著書『笑顔で生きる』の文庫版まえがきに、容貌障害が「障害者総合福祉法 (仮称)」でも明文化されることになったと書かれていた*34。これは2013年に制定され、2016年から施行された「障害者差別解消法」のことである。

確かにこれに対する意見を見ていると、容貌障害も障害に含め、保護することが求められていたようである。例えば日本弁護士連合会の意見には以下のように書かれている。

障害者基本法に則った「障害」の定義が記載されているが,「障害」の定義は漏れのないように広く解釈されるよう示す必要があり,過去の障がい,将来の障がいや性同一性障がい,容貌や形態の著しい変異や喪失などが含まれることを明記すべきである
日本弁護士連合会:「障害者差別解消法に基づく福祉事業者向けの対応指針 (案)」に対する意見

また、差別禁止部会の意見には、機能障害には容貌障害が含まれるという見解が書かれている。

なお、本法にいう機能障害は、世界保健機関(WHO)の国際生活機能分類(ICF)が機能障害に含むとしている構造障害も含まれる。したがって、容貌の障害(facial disfigurement)もこれに含まれると思われる。
「障害を理由とする差別の禁止に関する法制」についての差別禁止部会の意見

ここで実際の条文を読んでみる。障害者の定義は、障害者基本法と同じだ。これを見て容貌障害が含まれると思うだろうか。

身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む。)その他の心身の機能の障害(以下「障害」と総称する。)がある者であって、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるものをいう。
障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律 - 内閣府

よく読むと「社会的障壁」という言葉が入っている。これは2011年の障害者基本法の改正時に追加されたもので、「事物、制度、慣行、観念その他一切のもの」が対象となる*35。これなら容貌障害も含まれそうな気もしなくもない。しかし容貌について明記されておらず、解消法施行後の研究*36を読んだ感じでは、含まれていないと考えるのが妥当なようだ。せいぜい検討の余地が残されているくらいだろう。

こういった状況を踏まえると、タイトルに対する俺の見解は以下となる。

まずはこのあたりからではないか。ブサイクと容貌障害は似て非なるものだが、容貌による差別の禁止を明文化することはどちらにとってもプラスとなるはずだ。

終わりに

見た目問題に取り組んでいるNPO法人「マイフェイス・マイスタイル」によれば、見た目の症状がある人は日本に100万人いるという*37。比率としてはともかく、絶対数としては多いという印象を受ける。だが普段そういった人を見る機会が無いせいか、この問題を意識したことはそれほどなかった。

しかしこれは誰にでも関係する可能性がある話である。容貌障害は先天性のものもあるが、事故や病気など後天性のものもある。いつ自分や家族がこの問題に巻き込まれるかは分からない。行動に移すまではいかなくても、問題が存在することは把握しておくべきだろう。

「ブサイクを法律で守る」なんて可能なのか、という軽い疑問から調べ始めたが、想像していた以上にこの問題は根が深い。そう思わされた。

参考書籍

本記事を書くのに参考にした本。

『美貌格差―生まれつき不平等の経済学』

美貌格差: 生まれつき不平等の経済学

最初にも貼った、本記事を書くきっかけとなった本。顔が良い人がいかに有利かということを、様々な研究から定量的に示す。

『美容資本: なぜ人は見た目に投資するのか』

美容資本: なぜ人は見た目に投資するのか (シリーズ数理・計量社会学の応用)

日本における美貌格差を書いた本。『美貌格差』は「容姿 → 収入」の関係だけを書いたのに対し、『美容資本』その名の通り美容を資本として捉え、投資対象としても研究している。金をかければ美容資本が増し、それを今度は金融資本に変換するというわけだ。

本書では、美しいほうが有利であるのだから美容に投資するのは正しいとしている。これは確かにそうかもしれないが、見た目問題について調べた後だと素直に受け入れがたいのもまた事実。

『この顔と生きるということ』

この顔と生きるということ

著者は朝日新聞の記者で、「顔面右側の表情筋の不形成」の症状を持つ長男がいる。そんな「見た目問題」の当事者となった著者が、様々な見た目問題を抱えている人にインタビューした本。この記事でも貼っているウィズニュースの連載をまとめたものなので、どんな内容か気になる人はまずWeb版を読むのもあり。

本書のAmazonレビューのトップ*38が「見た目問題」当事者らしく、本書およびマイフェイス・マイスタイルを猛烈に批判しているのが印象的。俺としては、このレビューは的外れとまではいかなくても、これをもって本書がダメとは全く思わない。このレビューで勧められている「当事者の本」を読んでみたが、主張内容はそう変わらない。それに「症状があるのは息子で、著者は当事者ではない」とあるが、当事者である藤井氏は著書で「容貌障害は、当事者だけでなく、ご家族全員の問題」と述べている。父親が見た目問題に取り組むのは当然ではないか。

『顔面バカ一代 アザをもつジャーナリスト』

顔面バカ一代 アザをもつジャーナリスト (講談社文庫)

単純性血管腫で生まれつき顔の右側に大きな赤アザがある著者が、自ら受けた差別と見た目問題の状況を書いた本。1999年に発行された『顔面漂流記』の文庫版で、その後の展開についても加筆されている。

著者は単純に見た目問題の当事者であるだけでなく、その問題に対して正面から取り組んでいる。海外の事例を調べるためにニューヨークへ飛び、さらに見た目問題に取り組む組織「アバウトフェイス」に取材するためカナダへ行く。自身の見た目問題とハンセン病の歴史をあわせた番組を作成する。『顔面漂流記』を出版すると同時に見た目問題の自助グループである「ユニークフェイス」を立ち上げるなど。

一時期、見た目問題の活動からは離れていたが、今はまた再開している。ウィズニュースの連載にも記事を書いているし、ブログ*39やPodcastもやっている。興味がある人は見てみるとよい。

『笑顔で生きる 「容貌障害」と闘った五十年』

笑顔で生きる 「容貌障害」と闘った五十年 (講談社+α文庫)

本記事でも繰り返し名前を出した藤井氏の著書。この人もユニークフェイスの支部を立ち上げたり、全国の学校を巡って容貌障害の体験を語ったりと、様々な取り組みを行っている。著作も多く、本書はその一つだ。コンパクトな本ではあるが、自身の半生や家族会の人たちへのインタビューなど、内容は濃い。

残念ながら藤井氏は2021年に亡くなっており、追悼記事が『顔面バカ一代』の著者である石井氏によって書かれている。

『顔とトラウマ―医療・看護・教育における実践活動』

顔とトラウマ―医療・看護・教育における実践活動

藤井氏が編集、石井氏が編集協力した、容貌障害にどう対応していくかという本。容貌障害に対しては整形外科医療も重要だが、それと同じくらいメンタルケアも重要である。本書は医療事例にも触れているが、それ以上に容貌障害当事者とどう関わっていくかにページを割いている。主に看護師や教育者などの仕事をしている人におすすめ。