想井兼人さんのレビュー一覧 - honto (original) (raw)

約80年前からの贈り物

10人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書はダカール・ジブチ、アフリカ横断調査団に参加したフランス人民俗学者ミシェル・レリスの日記である。日記は1931年5月19日から1933年2月16日にわたり、ほぼ毎日つけられている。調査の所見を記すことはもちろんのこと、旅程での出来事や印象、さらには夢の内容までも丁寧に記述した。また、出版する際の序文の構想までも掲載している。果ては蚤に噛まれたことまでも。
レリスは「書記兼文書係」として調査団に加わった。だからこそ、些細な内容をも記録に残してくれたのである。しかも、調査の内容以上に多くの情報を伝えてくれた。

調査はフランスの植民地となった国々を中心として実施された。各国々における習俗や文化を日記体で記しているが、その内容はレリスの受けた感じを主軸に描かれている。そのため、記録としての科学性は十分とは言えないかもしれない。しかし、それは日記という形態を取っているから当然であろう。それでも多くの情報が充填されており、読み応えは十分である。ここでは本書から読み解ける重要な特徴を3つに収斂させて特徴をまとめてみたい。

1つは、民俗誌としての価値。記録としての科学性は十分と言えないと前述したが、それでも詳細な報告を記したところもある。それはエチオピアのゴンダール民俗調査報告である。写真の掲載枚数は少ないものの、時間を明示して儀式の模様や憑依の様子を克明に記しており、民俗誌としての価値は高い。解説によると、ダカール・ジブチ、アフリカ横断調査団の公式報告は刊行されなかったという。レリスの日記が唯一の記録となったらしい。このことも、本書の民族誌的価値をさらに高めてくれた。

また、植民地下における支配と被支配の関係が窺える点も重要である。レリスはこの関係性を毛嫌いしている。そのため、どうしても偏った視点で描かれているが、それでもヨーロッパ人の現地人に対する接し方、それに対する現地人の対応のあり方など、当時の様子を推測させるには十分な内容が残されている。

さらに植民地下における民俗調査の様子を知ることができる点も重要な特徴の1つである。特に資料収集の様子を赤裸々に曝け出しているところは、ヨーロッパ民俗学の歴史を紐解く上で欠かすことのできない好資料として高く評価しなければならない。むしろ、この点こそが本書の価値を最も高めているのではないだろうか。
資料の収集は購入という手段でも実施された。しかし、それが叶わない時には「他の村でと同様、踊りの衣裳、日用品、子供の玩具など、実際見つかるものは何でも、洗いざらいかっさらう」(144頁)という手段を採る。民俗資料は、収集されて目録に記され、収蔵されると、その来歴は分かっても収集方法までは伝えられることはない。レリスの記述は、当時の民俗資料の収集のあり様を具体化してくれており、本書をヨーロッパ民俗学の研究史を紐解く上で欠かすことのできない存在へと昇華させた。

本書は解説を含めて1000頁超となかなかのボリュームである。しかし、長期に及ぶ日記という性格を考えると、このボリュームは必然なのだろう。ボリュームは十分であり、なおかつ上記に示したように内容が多岐に及ぶことも本書の特徴である。読み手によっては、ここで示した以外の新たな見解、印象が得られるだろう。例えば、レリスの愚痴めいた感情の吐露と時折書かれる夢の内容を比較検討することで、レリスの心理状況の探究も愉しむことができるのではないだろうか。読み手それぞれの楽しみ方の探究も本書の魅力なのかもしれない。読書のあり方を模索させてもくれる良書としてお勧めしたい。

いつの日か、きっと・・・

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

誰にも訪れる確実な未来。それは「死」。本書はややもすれば深刻に捉え過ぎる死について、「ふつうに読める」本を作ろうという意図のもと作成されたカタログです。

作者である寄藤文平はアートディレクターでありイラストレイター。JT広告「大人たばこ養成講座」のブックデザインで有名です。後に、『大人たばこ養成講座』、『大人たばこ養成講座2』を著わしました。

さて、本書は寄藤氏独特なタッチのイラストと文章から構成されています。イラストを眺めるだけでも十分楽しめる1冊です。イラストの雰囲気が、死を重苦しいイメージから解放しているような印象を受けました。その点ではふつうに読める本と言えます。

しかし、死が軽いものになるわけではありません。

本書は「死の入口」、「死のカタチ」、「死のタイミング」、「死の場所」、「死の理由」、「死のものがたり」、「死のしまい方」と章を展開していきます。とっつきにくい死が少しずつ身近なものに転じていくような、そんな展開です。

「死の入口」は死のイメージについてです。そして、「死のカタチ」で様々な死の状況について解説していきます。それは死の形態だけではなく、死に対する古今東西の捉え方、現在の死後の処理法のいろいろについて説いています。誰にも訪れるたった1回の出来事。他人のそれを通じて、多くの人たちがイメージを作り上げてきた様子がうかがえます。

「死のタイミング」、「死の場所」、「死の理由」は読んで字のごとくです。「死の場所」については世界各地、日本全国の年間死亡者数がさらりと書かれています。また、街や家における死に場所、死に方についても記されています。これらの死に関する統計的データは、めったに起こらない出来事でも、他人事でもないことを教えてくれます。特に家の中における数値データはなかなかに衝撃的です。

「死のものがたり」は、歴史的人物を中心とした死への物語です。言い換えれば歴史的人物の人生ダイジェスト版、つまり伝記をイラストで紹介したものです。偉人の伝記は、その人物の生い立ちから始まって死で幕を閉じます。生き様とともに死に様もまた伝記から学ぶべきテーマなのかもしれません。どのように生きたのか、それはどのような死を迎えることになったのかということの同義なのでしょう。

そして、本書は「死のしまい方」で締めくくりとなります。「死のしまい方」、それを筆者は死の捉え方として紹介しています。言わば、死へのモチベーション。寄藤氏は「死を前に、その人の中のあらゆることが凝縮するのだといいます。死と向き合うというのは、結局、自分の生き方と向き合うということのようです」としました。だからこそ、襲うように突然訪れる死は、恐れの対象としてしか映らないのかも知れません。

その死に対して寄藤氏は自分なりの向き合い方を示してくれています。それは死を意識すること。生活の中の出来事を少しずつ噛み砕き、自分なりに折りたたんでいく。そして、死のほうから自分を振り返ってみる。

死は誰にでも約束された未来です。だったらそこまでの時間をいかに過ごしていくか。死を意識しつつ、毎日を少しずつ積み重ねていくことは一見すると容易なようですが、実際はかなり難しいものでしょう。しかし、死を意識することが、生き方そのものにも影響を及ぼすような気がします。そのことを149~155頁の一連のイラストで簡潔に表現してくれました。

本書は「死」というテーマから「生」を見事にそして簡潔に描き出した好書です。受け止め方は人それぞれでしょうが、死について少しでも意識するきっかけになると思います。そして、死を意識することは生き方へも少なからずの影響を与えてくれるはずです。

石見銀山 世界史に刻まれた日本の産業遺跡

2011/03/26 02:09

世界遺産登録よりも大切なこと

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

平成19年7月に石見銀山とその文化的景観が世界遺産に登録された。日本の14件目の登録である。銀鉱山や鉱山町はもちろん、鉱山を守った中世城郭、銀や生活物資の出入港、鉱山町と港を結ぶ街道セットの登録である。本書は世界遺産登録を果たした石見銀山とその文化的景観の意義について、歴史学、考古学、民俗学を主としてまとめたものである。さらに地元の人びとの取り組みに関する記事も収載されている。

世界遺産登録前の石見銀山は歴史に埋もれていたといっても過言ではあるまい。しかし、中世にはポルトガルの世界地図には掲載されており、さらに国内でも大内氏や尼子氏、毛利氏がその領有を目的として合戦を繰り返した。また天下統一を果たした豊臣秀吉や徳川家康は必ず石見銀山を直轄とした。歴史上の石見銀山は国内外で注視されるような場所だったのである。まさしく世界遺産として登録されるべき存在と言えよう。

世界遺産登録への道のりは平坦ではなく、地元の人びとの石見銀山に対する深く長い愛情と活動があってこそ実現できたものだったらしい。石見銀山保護の活動は昭和33年までさかのぼる。この年に大森町全戸が加入して大森町文化財保存会が結成されたのだ。この民間の団体が遺跡の清掃活や説明板等の設置といった活動を始めたとのこと。世界遺産登録への第一歩だ。

地元の人びとは世界遺産登録を目指して行動を起こしたわけではない。あくまで自分たちが暮らす地域の歴史や文化を慈しむ気持ちからの行動と思う。本書には世界遺産登録で起こると考えられる問題点、「旅行業者が安直な世界遺産巡り駆け足ツアーを喧伝したり、マスコミがそれを助長するような興味本位の報道をするようになると、事態は地元メンバーの制御を超えてしま」(158頁)い、地元の人びとの日常生活を脅かすことへの懸念が記されている。お金が落ちることを目的としていないだけに、地元の人びとの気持ちは複雑に違いない。

こういう問題に対処するべく官民一体となって協議会を立ち上げ、「石見銀山を守る」、「石見銀山に招く」、「石見銀山を活かす」、「石見銀山を伝える」という4つの分科会に分かれて活動を進めてきたという。埋もれてしまっては受け継いでいけなくなる。かと言って観光客優先にすると地元の活力がかえって低下する。地元と観光客の調和を図りながら、石見銀山の伝え守っていく模索は今も継続しているだろう。

文化の伝承と公開をいかに実践するべきか。これは石見銀山に限らない重要な問題であろう。本書には文化伝承の試みとして興味深い事例が紹介されている。大森町の重要伝統的建造物群保存地区の北端に熊谷家住宅がある。江戸時代には代官所の御用達で町役人も勤め、石見銀山の鉱山経営や酒造業もてがける有力商家である熊谷家。その住宅公開は、地元の女性陣が中心となって繰り広げられたという。彼女たちの活動は幅広い。家財調査から整理、展示の一切を実践したのだ。調査は実測や写真撮影、資料調査に古老や職人からの聞き取りと民俗学の調査そのもの。さらに展示に至っては廃棄されてしまいそうな布類の再生は当り前、重箱展示のために縫いぐるみで郷土料理の再現まで手掛けてしまった。その完成度の高さには目を見張るものがある。プロが一回限り手掛ける活動とは異なり、地元に根付いた知識や技術は、今後も様々に形を変えながら観光客の目を楽しませつつ、受け継いできたものを次代へと引き継ぐことになる。

世界遺産の登録は多くの注目を集めるとともに、地元への負担も大きい。さらに、ブームは一過性のもので、数年たったら元通りということもあるのではないだろうか。それは世界遺産に限らず、様々な文化遺産に共通すると考える。しかし、石見銀山は守り継ぐことを第一義として地元の人びとが地道な活動を展開してきたという経緯がある。観光客が訪れてお金を落としてくれることももちろん大切なことであるが、そこを重視し過ぎるとブームが過ぎ去った後には何も残らなくなってしまう。世界遺産の暫定リスト入りそして世界遺産登録を目指す自治体は多いだろうが、物事の本質を見失うと世界遺産どころか地元からも見向きもされないことになりかねない。文化伝承を考え実践する第一歩として本書をお薦めしたい。

原始の神社をもとめて 日本・琉球・済州島

2009/10/13 23:19

探究の旅

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

御嶽(うたき)とは沖縄の島々に所在する聖地のこと。原則としてそこには建物はなく、木々が生い茂る小さな森であるらしい。祭司の主役は女性で、男性は脇役を務める。

筆者の岡谷公二は、沖縄を訪ねては現地の御嶽に足を延ばしてきた。そんな筆者が古本屋で一冊の本を手にしたことが、本書の出発点となった。それは済州島の古代文化を紹介した『済州島古代文化の謎』という本。同書に堂(タン)と呼ばれる聖地の写真が掲載されており、そこに御嶽の姿が重なったとのこと。筆者はその本をきっかけとして済州島へと調査の旅に出る。本書は済州島の調査旅行からはじまり、問題の本質へと迫る一人の学者の研究姿勢をまとめたものである。

筆者は済州島と韓国島嶼部の堂の実地調査を行い、両者を比較して済州島の堂は韓国島嶼部のそれより沖縄の御嶽に近いことを導きだした。それは分布の濃さや大方が堂社を設けない小さな森からなっている点、女性を祭司の主な担い手とする点にあるという。分布の濃さというのは、受け継がれている堂の多さのことだと思われる。

堂には立地や祭られる神々の特徴、祭などに多様性がある。立地場所は六分類でき、祭られる神体は四大別できるという。多様性が認められた堂の共通する点は、堂社を設けないという点であろうか。この建物がないという特徴こそが堂の本質と言える部分であり、御嶽との共通点なのだろう。

沖縄の御嶽のように建物が存在しない神社は日本全国に点在する。例えば熊野那智大社の別宮飛滝神社は那智の滝そのものが神体なのである。筆者は社殿の存在しない神社についても調査を進めていった。

そもそも社殿に対する信仰はないらしい。社殿の造営は、国家の命令による。社殿造営命令が正史に出た最初の事例は、天武十年(六八一)のこと。以降、複数回にわたって発布されている。このことは社殿造営が世俗的なものであることを示している。さらに筆者は、大方の神社が社殿を持たない森であったことは、万葉集において「社」と書いて「もり」と読ませていることからもうかがえるとしており、興味深い指摘と考えられる。

さて、済州島の堂、沖縄の御嶽、日本の神社-社殿の存在しない「原始の神社」に大きな共通点が認められた。そこで筆者は、共通点の謎を解き明かすべく、各地の歴史的結びつきを考古資料や文献史料を駆使して追求した。結果、交易や倭寇、漂流など海を介しての相互交流の豊かさ、それも弥生時代までさかのぼる交流の存在を指摘した。

自然を対象とした信仰は、原始に近づくほど如実になるのではないだろうか。そのことを確かめるため、筆者は縄文時代や弥生時代の遺跡へと追及の手を伸ばした。そして、数多くの祭祀遺跡の存在を示した。縄文時代や弥生時代からの直接の結びつきについては慎重な姿勢を見せているが、それでも自然の畏敬という思いは共通すると感じたようだ。それは実際に堂や御嶽に足を踏み入れた筆者ならでは実感と言えるだろう。

一冊の本から始まった研究の旅は、海を媒介とした古代交流、そして縄文信仰にまで及ぶ壮大なものになった。堂も御嶽も自然信仰が現在まで継続した姿である。しかし自然信仰は、長い歴史の中で社殿の造営を推進する国家の力や儒教、仏教などの影響により、今や風前の灯のようになった。ただ、その灯は人間が自然に抱く畏敬の念そのものであり、御嶽や堂信仰の本質と言える。

本書は、一人の学者が研究のテーマを見つけ、実際に調査に赴き、その解釈を多くの材料をもとに構築していく過程をそのまま掲載したものと言える。テーマの発見、そして調査の内容など学術書ではあまり触れられない、もしくは専門的な書き方に改められるところを平易な表現で著した点に大きな特徴がある。また、学術研究において、専門書を読み深めるということよりも、実地に赴き実感を持って考えることの重要性も示されている。新書ということで比較的自由なまとめ方をしているとは思われるが、内容そのものに加えて学ぶべき点が多く見出された良書として評価したい。

プラントハンター 命を懸けて花を追う

2012/04/24 23:22

植物探検記

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

プラントハンターは、17世紀から20世紀初頭にヨーロッパの王族や貴族のために世界中の珍しい植物の種や花の蕾を持ち帰ることで生計を立てていた。そんな稼業を21世紀の日本人が継承している。

現代のプラントハンターである著者は、明治時代から続く植物卸売問屋の5代目。植物が人にもたらす良い影響を信じ、さらに単純に人に喜んでもらいたいため、珍しい植物を追い求めて世界中を飛び回る。しかし、そこは慈善事業ではなく、ビジネス。珍しい植物に対峙した場合、それを買い求める客はいるかどうかを考えるそうだ。きれいごとに終始しないところが本書の魅力である。

さらに、最近のエコブームにも苦言を。プラントハンターのイメージは環境破壊に結び付けられやすいことを述べた後、著者はエコブームに踊らされて地球環境を案じる人には植物は植えて増やし、切って流通させることを良しとする考えがあることを示した。この手の考えでは、植物を植えれば二酸化炭素の現象に繋がるという発想が付きまとうようだ。

こうした短絡的な発想を、著者はぴしゃりと否定する。大量の切り花、それも温室育ち、は二酸化炭素を巻き散らしながら輸送される。そして、町の花屋さんで温度の維持にエネルギーが注がれる。育ちから旅立ち、そして新天地で相当量の石油が消費されるのだ。

著者は一輪のバラ、一鉢のサボテンの力を信じるという。そして、人の心を豊かにし、環境への思いへと昇華する原動力となると説く。特定の切り花を追い求める必要性などさらさらないと。

しかし、それではプラントハンターは無用の長物ということになりはしないか。

プラントハンターは特上の植物を追い求める。ささやかな感動をもたらす一輪のバラも大切だが、プラントハンターは大きな感動を呼び起こす植物がターゲットだ。その植物が人に及ぼす影響力は計り知れない。ここにプラントハンターの存在意義があるのだろう。

また、プラントハンターは単に植物を追い求めるだけの存在ではないようだ。ソコトラ島という小さい島の稀少植物を守ろうとする親子がいるそうだ。彼らは稀少植物をハンティングして、育苗場で育ててその存続を図る。しかし、若い苗木は島にいるヤギに食べられてしまい、絶滅の道を辿っているそうだ。ヤギを排除すればよさそうだが、ヤギは島の人たちの生活を支える大切な存在。というわけでこの親子の努力はなかなか実を結ばない。
著者はヤギが砂漠のバラを食べないこと、このバラの若木の様子がかわいらしく日本人受けしそうなことを見抜き、親子と取引をする。砂漠のバラを日本で販売するから、フェアトレードでの契約を親子と結んだのだ。そして、利益を親子に還元することで現金の流れを作り、親子はそれで人を雇って育苗場を充実させる。

稀少植物をただ切らないことのみに意固地になるのではなく、ソコトラ島の親子のようなハンティング、それを支える著者の取引など稀少植物保護のあり方は様々であるべきだ。

エコと銘打った取り組みは、実際の効果のほどがなかなか見えにくいものが多いのではないだろうか。エコバックの不用意な推奨は、必要以上のエコバックの生産に繋がり、ビニール袋以上に石油を無駄使いしているような気がする。さらに、おしゃれのために複数のエコバックを使いこなしては、本来エコバックに求められている意義が失われてしまう。プラントハンターという言葉からは、エコと逆行するイメージが浮上しがちだが、本書は何が本質かを問いただしてくる。一読をお薦めしたい。

ヒトは人のはじまり 霊長類学の窓から

2011/08/07 23:50

個性豊かな社会へ

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

『ヒトは人のはじまり』とは奇妙なタイトルである。このタイトルの解説が「まえがき」にある。「ヒト」は人間を生物学的にみる場合に、「人」はまわりにいる現実に生きた人を見る場合に用いるとのこと。これは霊長類学者である筆者ならではの使い分けで、本書の軸となる視点といえる。

筆者は霊長類学者としてアフリカやインドネシアなどでフィールドワークを重ねてきた。様々な環境で霊長類の調査を推進するためには現地で暮らす人びとの協力や彼らとの交流が欠かせない。そのため様々な環境で生活する「ヒト」の観察も同時に行うことになったようだ。

さらに脳こうそくになり、右半身と発声に少しまひが残ったことで、筆者の「ヒト」に対する観察眼は鋭さを増したと考えられる。いわゆる健常者が当たり前のように使う表現、例えば自閉症に関する遺伝子について触れた論文で「発症」や「患者」という言葉に違和感を覚えたという。社会多数派の健康な人間こそいてしかるべき存在という「常識」が垣間見られるというのだ。このことに対する筆者の思いは嫌悪というより哀しさと捉えた方がよさそうだ。

本書には「「障がい」を進化史からとらえ直す」という一文がある。この中で、現在の日本では発達障がいとされるADHDの特徴も、危険が満ちた狩猟採集の世の中だったら大きな力を発揮する可能性が高いであろうことを述べている。発達障がいは、あくまで現在の社会で生きるにはやや難というところにマイナス評価を下したもの。

しかし、生物の多様性を考えてみて欲しい。生物は多様な特徴を持つからこそ、様々な環境で生き抜くことができる。恐竜が絶滅しても哺乳類は生き延びたのは、恐竜と哺乳類の性質の差、つまり多様なあり方のおかげである。それは同じ種の生物にも当てはまることだろう。現在の基準で障がいというレッテルを下される人たちも、異なる環境では優位な存在になることが十分にあり得るのだ。

ただ、筆者が説く本質はそこではない。筆者はどんな環境下でもあらゆる境遇の人が普通に生きていけることを当たり前と説いているのだ。多様性を何の気負いもなく受容することこそ筆者が求め、主張していることなのだろう。

発達障がいを〈病気〉とみなせばそれは医学がカバーし、〈ヒトの自然な性質〉とみなせば霊長類学の領域になると本書には記してある。そもそも読み書きという現代の「人」に求められる能力で全てを推し量ろうとするところに傲慢な気持ちはないだろうか。ただ、多数派に属するうちには、なかなかその傲慢な心の動きに気付くことは少ない。それは「先進国」と自分たちを位置付ける国の論理にも通じること。本書はそんなことを平易な表現を用いて教えてくれるような気がした。個性を伸ばすと言えば我儘を助長するだけと感じていたが、本書には個性の本当の意味が記されていると思う。一読をお薦めしたい良書である。

急がばまわれ

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本書は『NHK知るを楽しむ 日本語なるほど塾』の「リンボウ先生の手取り足取り書き方教室」を加筆、編集して単行本化したものです。ただ、「書き方教室」とありますが、文章の技術論に重きを置いていないところが本書の魅力です。

筆者は、文章の基本は「日ごろの話し言葉」にあると言います。だからこそ、日々の話し言葉を洗練することが、文章の上達に繋がると主張しました。そして、洗練法として「離見の見」という考えを紹介しています。「離見の見」とは、世阿弥がまとめた能楽の伝書『花鏡』に記した考えで、つまりは客観的視線のこと。日常会話のなかで、自分の言葉が相手にいかに伝わっているか、「この意識こそが、じつは文章上達の最短の近道」(18頁)と説きました。

また、独りよがりの文章を戒めています。「文章というものは、自分の思いを「他人に」伝えるためのメディアであって、自分だけで感情を自得してよろこぶためのものではない」(46頁)とした筆者の考えは、公にする文章の本質と考えます。さらに「思いが他人に十分に伝わったとき、文章ははじめてその存在理由を持ったということになる」(47頁)と続けました。文章の存在理由は、日常会話が成立するための条件と重なりそうです。意思疎通のできていない会話が、会話として成立しないことは誰でも理解できることでしょうし、すくなからず誰もが経験していることと思います。

加えて、真似の重要性も筆者は記しています。自分が好きな作家の文章の真似をすることが、文章の呼吸を知ることに繋がるとのこと。そのために文章の筆写を薦めています。そして、仮名、漢字の使い分け、句読点のつけ方、改行のしかたなどの留意点をあげました。ただ筆写するだけではなく、文章の細部に意識を巡らせることが、文章を洗練させ、ついには独創的な文体の体得に繋がるのでしょう。

このことに関連して、筆者は長い年月にわたって読み継がれてきた古典を味わうよう書いています。古典には多くの語彙や描写のヒント、日本の人情や風景の美しさなどが多く含まれている。それらを心に蓄えておくことが、文章を書くときに役立つと指摘しました。現代文の筆写を通じての学びとともに古典からの学びは、文章により一層の深みを与えてくれると筆者は主張しているのです。

「文は人なり」、筆者はこんな諺を紹介しています。文体には人となりが反映するということで、「文章を書いてそれを公にするということは、ある意味で自分を裸で人前に曝すという覚悟がなくてはなりません」(79頁)としました。つまり、文章上達は自分を磨くことから始まると考えてよさそうです。筆者は自己受容を文書上達の第一歩とし、たゆまぬ努力の必要性を説いています。ただテクニックを追い求めてばかりでも、文章上達にはなかなか繋がらない。先人を真似るとともに、執筆以外の経験を重ねることが、文章上達を促す唯一ともいえる確かな道と考えてよさそうです。その第一歩として、入門書たる本書の一読をお薦めします。

響き合う異次元 音・図像・身体

2010/06/20 18:13

知の曼荼羅

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

第1回研究会は平成5年7月6日に開催された。以降、会を重ねること13回。研究会全体を統括するような明確なテーマは存在しないと言っていいかも知れない。強いて言えば文化の追及、ひいては人間学の確立とでも言えようか。会を主催した川田順三氏はその目的について、「音(音声言語をふくむ)、図像(文字をふくむ)、および身体による表象を、相互に関連させてとりあげ、通文化的な視野で学際的に検討すること」(286頁)と記した。
学際的検討というだけあって参加者の専門分野は多岐にわたる。コーディネーターの川田氏は人類学を専門とする。それ以外に宗教、映像、音楽、伝統芸能、歴史、絵画、説話、言語学、民俗学など様々な研究者が加わる。また、詩人やピアニスト、作曲家といった表現者の姿も見られる。さらに対象地域も日本に限らず、ワールドワイドだ。3年におよぶ研究会の後、各人はそれぞれの分野に没頭する。そして、本書である。

本書は平成17年9月3日に開催された討論会の記録である。13回のわたる研究会から8年。以降それぞれが取り組んできたテーマ、興味を持っている事についての概要が記され、それらをもとに討論会が展開する。本書の最後には研究会に際して各人が提示した資料が掲載されているが、資料と概要を比較することで各人の8年の軌跡も垣間見られる。1人の人物の思考の変遷も興味深い。

さて、本書は大きく二部構成となっている。前半は各専門家の研究会以降8年間の取り組みがまとめられており、大きく5つの章からなる。すなわち、第1章 交感するモノとヒト、痙攣から様式まで、第2章 身体・リズム・文字、第3章 パフォーマンスの中の事象、第4章 ペルソナとしてのヒト、個としてのヒト、種としてのヒト、第5章 磨滅そして円熟、我を離れる、である。そして、各人の成果を受けての討論会が後半に収められている。川田氏は討論会を6つのトピックに収斂させて進め、本書では討論の章の節立てとしている。すなわち、1 人格神以前、2 声とエクリチュール、3 声・場・図像の一体化、4 身体とその同定、5 音の文化、6 即興をめぐってという節立て、流れでまとめられている。各専門分野で得意とするトピックが異なると思うが、それは本書の読み手側の興味についても言えるのかもしれない。

個人的には歴史学や人類学、民俗学といった分野に興味がある。本書からは、この分野に関しても幅広い知見が得られる。例えば日本中近世史を専門とする黒田日出男氏は肖像画をテーマとし、肖似性つまり似ていることの意味についての取り組みを披露した。さらに野村雅一氏は直立歩行がヒトをヒトたらしめていることを切々と解き明かしている。これら2つの事例だけでも、狭隘とも言える私個人の興味に答えてくれる分野の内実が実に幅広いとわかる。
さらに本書は、日頃なかなか手を出さない分野についても触れる機会を用意してくれる。思想史家の山本ひろ子は中世の書物にある「神は毛穴に宿る」という表現が「疫神」の表現であり、「伝染」を言い当てていると説いているが、その考察とともに中世人の直観力に驚いた。ジャズピアニストであり現在は大学教授である山下洋輔は「即興が伝統になるとき」という一文を寄せて、伝統芸能の形成過程をざっくりと教えてくれて興味深い。徳丸吉彦は「パフォーミング・アーツの伝承を支えるもの」の中で口頭性と書記性の重要さを説くとともに、何よりも生きた伝承者を確保することの大切さ、難しさを説いている。この問題は現代日本の伝統芸能、伝統工芸にも言えるし、企業の技術継承についても同様の問題が付きまとう。

本書は学際研究の指標の1つと言えるかもしれない。学際研究には様々なやり方があると思う。1つの明確な主題のもと、そのテーマに結びつく異なる分野の研究を総合するやり方が基本と考える。ただ、テーマが狭小だと、いかに学際と言っても小さく収まった結論しか導き出せないのではないだろうか。対して本書で取り扱ったような学際研究は、テーマがやや不明確な分、関わることができる分野の裾野が広がる。それぞれの関わり方は自由で、明確な結論も求められてはいない。いや、結論など最初から求めていないのだろう。本書は、数値目標も達成期日も存在しない、ただ思考することが知の目的であることを教えてくれる。思考そのものが知の目的と考えるが、この学際研究に読み手が参加することは十分可能だろう。ぜひ一読して、思考を愉しんでいただきたい。

地震の日本史 大地は何を語るのか

2010/05/30 12:50

備えあれば

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小松左京が『日本沈没』を刊行したのは1973年のこと。その最近の映画化は2006年で、地震に対する恐怖心は日本人の心の中に抱かれ続けているようだ。しかし、エンターテイメントにして楽しむくらい、どこか他人事として受け止められていることも事実であろう。ただ、地震を自分事として捉え、物心両面での備えを持たなければならないことは誰しも理解しているに違いない。実感が持てないだけではないだろうか。ということは、地震と自分が生活する地域との関係の深さが理解できれば、傍観者として手をこまねいているだけではなく、少なくとも心構えぐらいはできるに違いない。本書は、日本に暮らす以上決して他人事では済ませられない地震問題を身近なものに感じさせ、さらに対処の心構えをさせてくれると実感した。

歴史書に登場する地震の記事は、『日本書紀』まで遡るという。それは599年、推古天皇7年4月の記事。そこには「地動、舎屋悉破、則令四方、俾祭地震神」という記載があり、発生した地震やその被害、地震を神祭りで鎮めようとしたことがわかる。地震のメカニズムが判明していない当時の発想では、神頼みは当然の対応と言えよう。以降、様々な書物に地震のことが記されてきた。本書は時代ごとに地震の記事を紹介しているが、このことは今後多くの地域で地震が発生する可能性が高いことを推測させる。

さらに発掘調査成果も総合して地震の歴史を紐解いている点が、本書の重要な特徴である。発掘調査では、古墳や建物、井戸などに地震の爪痕が残されて見つかる場合があるという。地震の痕跡は人間の建造物のみならず、地面そのものにも残ることがあるらしい。それは液状化現象で墳砂した痕跡や断層のズレ、地割れなど。これらは歴史書が黙して語らない地震の証拠で、縄文時代や弥生時代の地震発生の様子も明らかにしてくれる。長野県阿久尻遺跡では6,000年前頃の地割れの痕跡が見つかり、活断層の活動に伴うものと判断されているという。また、大阪府八尾市久宝寺遺跡、田井中遺跡、志岐遺跡、東大阪市池島遺跡では、弥生時代前期終り頃の液状化現象の跡が発見され、大阪平野が地震に見舞われたと判断できるとのこと。以上のような縄文時代や弥生時代の地震の記事が、歴史書に登場することは今後もあり得ないだろう。

地震痕跡の発掘調査はさらなる成果も我々に示してくれる。それは、歴史書に記された地震と遺跡で見つかった地震痕跡が同じ地震かどうかを究明し、さらに記載の状況と地震痕跡から判断できる地震規模、被害状況との比較ができるようになったことだ。この成果は、各地でかつて発生した地震規模の推測をある程度可能にし、今後に起こるであろう地震への対策の指標となる。地震予知の研究推進が重要なことは言うまでもない。ただ、地震史の研究は、日本に暮らす一人一人が物心ともに備えを持つことを促す重要な分野と実感した。自分が暮らす地域をかつて巨大地震が襲った事実は、備えを促す大きな力になるに違いない。地震史の研究は、地震予知の研究とともに推進するべき分野であろう。

歴史や考古学は、なかなか現代社会との接点が見出しにくい学問ではないだろうか。遺跡や博物館を観光地で見学する経験はあっても、それが現代社会においてどう役立つのかは考えたことすらなかった。地震史の研究は、それぞれの地域に暮らす人たちに未来の地震に対する心構えをさせるという貢献を果たすとともに、歴史学や考古学が現代社会に役立つ学問であることを実感させてくれる稀有な分野である。歴史学は、過去から学びとったことを現代生活に生かして初めて活力を持つ学問と考える。ただ、そのことの実践はなかなか達成されていないような気がする。しかし、地震史の研究は、現代生活と直結する分野である。歴史学という学問の存在意義を実感するという意味でも、本書を一読する価値はあるに違いない。お薦めしたい良書である。

日本の動物はいつどこからきたのか 動物地理学の挑戦

2010/04/26 19:01

学問の可能性

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

チャールズ・ダーウィンは、ビーグル号による地球航海において観察した各地の動物相や植物相の相違を地質変動と結びつけ、自然選択説つまるところの進化論を導き出した(レベッカ・ステフォフ著、西田美緒子訳『ダーウィン』2007年)。ダーウィンの進化論は動植物の観察のみならず、地質情報を念頭に置いて組み立てられたものだった。その方法論は動物地理学に受け継がれているように感じる。

動物地理学は、動物の分布がいかに作り上げられてきたかを追求する学問である。追求の足掛かりは現在の動物分布の地道なフィールドワークによる観察から始まる。その結果として明確となった分かりやすい例をいくつかあげておこう。クマの場合、本州以南にはツキノワグマが分布して、北海道にはヒグマが生息する。ニホンザルの北限も下北半島止まりである。さらにハブが九州以北には認められない点は周知のことだろう。ここまではダーウィンの手法とおおむね共通する。しかし、現代の動物地理学の学術的手法はここからさらに一歩も二歩も前進している。

現代の動物地理学は肉眼観察による分布論の抽出に加えて遺伝子の分析も実施する。ニホンザルは下北半島が北限である。しかし、ミトコンドリア遺伝子の研究により、本州でも岡山県と兵庫県あたりで東西差が認められることが判明しているという。その背景については、日本列島への移入時期の差が考察されているとのこと。ニホンザルは40~50万年前に大陸から朝鮮半島経由で日本列島へと移入してきたらしいが、その移入は複数期に及ぶ。その移入時期の差がミトコンドリア遺伝子に反映しているというのだ。さらに遺伝子から見た同様の地域差はニホンジカにも窺えるらしい。このことはフィールドワークにおける肉眼観察だけでは追求できない成果として興味深い。

また、動物地理学は地質変化の歴史を追求する糸口をも提供する。伊豆半島は島が北上して本州に衝突して形成されたことが、現在では考えられている。このことを動物地理学的手法からもアプローチできると示した事例がある。北海道から九州までの日本列島にはニホントカゲ1種が分布するとされてきたが、伊豆半島の集団は他地域と遺伝的にまったく異なることが明らかになったという。さらに、伊豆半島の一群は本州よりも伊豆諸島のオカダトカゲに近いらしい。このことは、フィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に沈み込んでいく過程で伊豆諸島が北上し、ユーラシアプレートの下に沈み込めなかった大きな山塊が本州に衝突して伊豆半島を形成したとする地質的考察を補強する重要な研究成果と言えよう。

上記のように動物の分布の背景を追求する動物地理学は、動物を足で追い、さらに遺伝子の分析や地質学の考察など多角的視野から分布の成立を明確にしてきた。無論、化石を対象とする古生物学や地史学も考慮に入れる。学際的研究の推進を地で行くような学問と言えよう。ただ、多角的な追及により動物分布の変化が明らかになるほど人間の愚かさが浮き彫りになることもある。しかし、人間の愚かさを受け止めて、そのことを社会に訴えかけ、問題を是正することもまた動物地理学に期待される。

カミツキガメやブラックバスの増殖により日本固有の生物が危機的状況にあることは、現代では多くの日本人が理解していることと思う。これは、ペットや釣りという嗜好のために日本に持ち込まれ、さらに人間の都合により拡散された結果の危機である。生態系の危機的状況を抽出してその形成過程を描き出し、さらに問題提起を行って社会に訴えることも動物地理学に期待されている。

しかし、沖縄島や奄美大島におけるマングースの問題はそう簡単には片付けられない。マングースはハブの駆除を目的として人為的に放たれた。血清治療の発達までハブは噛まれたら助からないと言われるほどの存在だった。その恐怖からの解放を願い、必死の施策としてマングースに頼ることになった。マングースは人間の思惑通りには働かず、固有の小動物の捕食者となってしまった。だからと言って、マングースを自然に放したことをハブの脅威を感じない側が声高に叫び責めることは許されない。地誌的背景を咀嚼して、事情ごとの対応を行うことも動物地理学者には期待されると考える。

動物地理学は単に動物の分布を示すのみならず、その成り立ちを追求する点に重要性が見出せる。その手法は多岐に及び、他の学問への影響も大きい。また、現在の我々にも戒めを与える。動物の分布は簡単に確立されたものではない。長い年月、様々な自然環境に適応した結果としてできあがったもので、弱肉強食の微妙なバランスがその産物と言えよう。そのバランスの崩壊は簡単で、ほんの少し手を加えるだけで取り返しのつかないことになる。エコが叫ばれる中、動物地理学の果たす役割は大きいと考える。本書はその第一歩としての役割を果たすものと評価できる。

山の神さまに喚ばれて ボクは炭焼き職人になった 修行編

2010/03/21 11:20

仕事の意義

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

山の荒廃が叫ばれて久しい。木材も輸入品に頼るようになり、いよいよ山は荒れ果てた状態で放置されるようになった。若い世代の林業離れが、山の荒廃をさらに助長させている面も少なくない。やはりきつい仕事には従事したくあるまい。しかし、その流れに逆行する少数派が必ず存在する。本書の作者、原伸介はその代表格だ。
筆者はスマップの木村拓也や相撲協会の最年少理事となった平成の大横綱貴乃花と同い年である。そんな団塊ジュニアの彼が炭焼き職人になっていくまでの自伝が本書である。

“元湘南ボーイ”の筆者は信州大学の森林科学科卒業という。ただ、山仕事の経験があるわけではなく、炭焼き職人を夢見て青春を謳歌していたわけではない。ただ山に生きることを胸に抱いての進学だったらしい。大学の無味乾燥な座学に飽き飽きしていた筆者が炭焼き職人の道へと進んだのは偶然の重なりの結果。その偶然の第一歩は新聞記事の「山仕事四十年」という見出しだった。
筆者の原は記事に登場した伊沢衛という人物の生きざまに魅かれ、会いにいく。そして、彼の仕事ぶりに魅了され、弟子入りしてしまう。山仕事に従事するための人生初の弟子入りだったが、師匠の仲間たち-元大工の棟梁など親方連中ばかり-と炭窯を築いて炭を焼く仕事を体験し、炭焼き職人として再び伊沢に弟子入りする。ここからが原の修羅場がはじまった。

炭焼きは、簡単にお金になる仕事ではない。かくまつとむの『聞き書き紀州備長炭に生きる』にもあるように、安価な海外からの輸入炭に押され、国産炭も安く買い叩かれる傾向にある。原が弟子として炭焼きを行っていたときは、日給千円程の稼ぎだったという。そこでかれは中華料理店のバイトや塾講師、家庭教師を行いながら修業を行った。炭焼きの現場は当然山の中。そのため一日八十キロを二往復して炭焼き場に通い詰め、技をマスターしていった。仕事を金稼ぎの手段と割り切っていたらとても実行できないほどの苦行である。しかし、それを原はやりとげ、やがて独立を果たす(独立後の様子は『山の神さまに換ばれて 独立編 ボクは炭焼き職人になった』に詳しい)。

彼は上記の苦行から金銭に代え難い経験値を得ることで前に突き進んでいく。それは七十代の一流の職人から業を学び、話を聞くこと。いずれも現場に飛び込んでみなければ決して享受することのできない至福であろう。しかし、そのことに価値観を見出せる人間がいったいどれほどいるのであろうか。本書を読み進むうちに、仕事のこと、人生のことなどいろいろと考えさせられた。

本書の特徴は正直な語り口ということにつきる。なにかしら職人の話をまとめた本は、たいていライターによる聞き書きという特徴を持つ。ところが、本書は筆者が職人である。それも炭焼き職人とは無縁の生い立ちの若者が、修行過程に抱いていたリアルな感情を吐露しているところが重要である。つまり、きついものはきつい、金にならないものはならないとはっきり記しているのだ。遠慮も会釈もない。だからこそ心に訴えかけてくれるものが強く感じられた。
また、説明が簡易でありながらも実感がこもっているところも良い。原は炭焼きの工程を「屋外サウナと裸のお父さんたちの関係」に例えている。これだけでは何のことかまったくわからないだろうが、読めば非常にわかりやすい例えと感じ入るに違いない。修羅場と特徴づけられた修行の成果が身についたからこその表現と考える。

本書は原伸介の人生の一部である。それもほんの微量なほどの。彼が修行を通じて体得したものは計り知れないと感じる。彼の人生の一部をまとめ上げた本書から学ぶべきことは非常に多い。一読していただきたい良書である。

世界一たのしい論理思考のレッスン エリカとギギの不思議な冒険

2010/01/29 00:01

スタートライン

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エリカという女の子が夏休みの宿題について悩むところから本書は始まります。宿題は「論理的」というタイトルでレポートを書くこと。お風呂で悩むエリカの話し相手は、シーラカンスのラティ。そして、空から舞ってくるカラスのギギ。エリカは宿題を解くべく、ギギに連れられて鳥の世界へ。

本書はエリカが様々な鳥たちと問答を繰り返すことで、徐々に論理について突き詰めていくストーリーになっています。そして、最終的に論理が正しいという表現に2つの種類があることを見出します。

1つ目は「その正しさが絶対的」で、もう1つは「その正しさが相対的」ということ。つまり、前者が「演繹」で後者が「帰納」を指しています。
本書の分かりやすさは、論理についての追求をこの2つに収斂させたことにあると思います。
しかも117頁という短さで収めており、さらに40頁以上を長崎順子氏のイラストを掲載しています。これらの条件が、さらに読みやすさを増していてくれるのでしょう。

論理について、入門編から専門書まで幅広い読者を対象として多くの本が出版されています。ただ、入門編でもなかなかきちんと理解して読破することは困難な印象がありました。入門編でも徐々に専門用語が増えてきて対処仕切れなくなるからかんと、本書を読んで感じました。その点、本書は論理の学び始めの人に最適な教科書になると考えます。ぜひ一読ください。タイトルにあるように、きっとたのしいレッスンになるはずです。

回復力 失敗からの復活

2009/11/16 19:19

保身の正しいあり方

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人は必ず失敗をおかします。それは仕方のないこと。本書は失敗への対処のあり方として、人間に備わっている回復力に頼ることを勧めたものです。そして、回復力をきちんと発揮するための方法を、順を追って記述しています。

まず、重要なこととして、筆者は「人は弱い」と認めることから始まると説いています。そもそも失敗をして、スムーズに対応することは困難なことです。真正面から立ち向かっても、いい結果が得られるとは必ずしも言い切れません。立ち向かえないこともあるでしょう。そんな時には、「人は弱い」ということを認めるからこその対処法があるようです。

その対処法は「逃げる」、「他人のせいにする」、「おいしいものを食べる」、「お酒を飲む」、「眠る」、「気晴らしをする」、「愚痴を言う」だそうです。正直、「えっ!?」て思いましたが、これはつまり失敗から潰されないようにすることを指しています。そうして、エネルギーの回復を待つことが重要ということです。
失敗を真正面から受け止め、生真面目に対処しようとしてもすぐに解決できるとは限りません。まず、自分の足をしっかり地に付けることが大切ということなのでしょう。

一気に解決しようと焦らず、自分のできることからゆっくりと着手することも大事ということです。その時には、周りの反応に翻弄されない鈍感さも必要といいます。同時に失敗に対する自己評価も行わなければなりません。それにも、ある種の鈍感さが必要でしょう。

失敗をきちんと認め、自分をしっかりと取り戻したら、いよいよ次のステップです。失敗を伝えるというところに進みます。その伝え方も重要ですが、「損得勘定」してから対処すればいいと主張しました。筆者は「被害最小の原理」を掲げ、「責任は認めるけどほどほどのところで妥協する」というもので十分と言います。これは責任回避ではなく、自己防衛を図ることの重要性を主張したものです。特に生命を守るために。

筆者の筆は、さらに失敗への事前対策へと進みます。まず、第一に失敗に負けない人になる!それが可能ならどんなにいいことかと思い読み進めていくと、筆者はそのヒントを記していきました。大きな目標を持つこともその一つで、その達成を絶対あきらめずフレキシブルに対処することが重要ということです。大事の前の小事は気にならないということかと。

無論、人の力を借りることも方策の一つだそうです。一人で抱え込まずに、話を聞いてもらうだけでも自分の回復へと繋がります。そんな存在を持つということも失敗に負けない人になるステップとなるのでしょう。

そして、失敗に負けないためには、失敗を想定し、対処法を考察しておくことも忘れてはならないと主張しました。また、失敗も時代とともに変わることを、事例を紹介しながら説かれていますが、そのことも考慮に入れた想定、対処法が必要と言えるでしょう。なかなか難しいことですが、意識を張り巡らせることは失敗への対処ということ以外にも様々な好影響が得られると考えられます(新しいアイディアの発見とか)。

本書のタイトル『回復力』は、本来だれの中にも存在する能力なのでしょう。日頃、ちょこちょこ繰り返す小失敗からの回復はだれもが体験していることだと思います。ただ、その失敗が大きなものに膨れ上がった際には、なかなか対処しきれなくなります。本書は、様々な問題の規模や内容とは無関係に対応するためのヒントを書き連ねています。失敗した直後のショックから立ち直り、失敗に潰されないようにするための方策は目から鱗のような印象を受けました。失敗に対するための自分を取り戻すことが最初なのです。そうしてから歩を進めればいいのです。

本書の副タイトルは失敗からの復活です。人は誰でも失敗を繰り返すもの。そういう観点からは、誰もが本書に目を通すことに意味があるのかも知れません。一読をお勧めしたいです。

ガリレオ・ガリレイ 宗教と科学のはざまで

2009/07/24 22:18

歴史的和解へ

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本書は150頁ほどのボリュームの中にガリレオ・ガリレイの人生を詰め込んだ本です。行間からは彼の研究に対する姿勢が読み解けます。さらに、彼のしたたかさも。

ガリレオは1564年、イタリアのトスカナに生まれました。医学の学位を取得するつもりで大学に入学するも、やがて数学に傾倒していきます。その流れから自然観察へとのめりこんでいき、やがて当時の最大権力である教会側と一騒動を起こすことになります。

彼は木星の衛星を発見し、さらに金星の満ち欠けも観察しました。それは地球が太陽の周囲を回っているという「地動説」を補強するものでした。ただ、ガリレオの最大の功績は、それだけに留まりません。彼の最大の功績は自然界を説明する新たな方法、つまり観察、実験、測定、計算という過程を論考に付け加える科学的方法を確立したことです。

しかし、彼が確約した16世紀後半から17世紀前半は、アリストテレスが構築した自然体系こそが絶対でした。そして、アリストテレスの考えを受け継いだ学者が正しい存在として君臨していました。

ガリレオは、彼らの立ち向かおうとしていたわけではありません。ただ、純粋に自然と対峙しただけでした。そのために自ら望遠鏡を作ったり、追求の手を緩めません。その精神が彼をやがて追いつめることになります。ただ、当初はうまいことやっていたようです。1611年にはローマのリンチェイ・アカデミーの会員に選ばれるほどでした。

実験成果を本として出版することは無論、その成果物や実験器具を権力者に渡して職や金銭を手にし、さらなる実験を追求していました。逆の言えば、権力者次第といった危ない状況だったようです。

その結果が1633年の異端諮問所から突き付けられた有罪判定でした。

本書からはガリレオの研究者としての姿勢と実業家としての手腕がうかがえます。「研究には金がいる」とは何となく言い古された感がありますが、それは遠い昔でも同様だったようです。“出資者”を喜ばせながら研究を進める必要があった。ただ、ガリレオは当時としては地雷のような“真実”を見つけ、それを突きつけてしまった。うまいことやろうとする反面、真実から目をそむけることはできなかった。

「それでも地球は回っている」という一言は、逡巡した彼の人生の結晶のような一言なのかも知れません。

中国山地の縄文文化・帝釈峡遺跡群

2009/02/27 18:56

縄文時代から現代の生活や環境について考える

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-日本にもヒョウがいた-

本書にはそんな事実がさらりと書いてある。場所は広島県の北東部に位置する庄原市および神石郡神石高原町の帝釈峡。時は土器を作るようになる前の先土器時代(今から3万~1万2千年前)のこと。つまり、先土器時代の帝釈峡人は、ヒョウと共存していたことになる。

帝釈峡は日本有数の石灰岩地帯で、国指定の名勝地である。雨水や川の流れにより削られた渓谷や鍾乳洞が景観のオブジェとなり、国定公園にも指定されている。石灰岩に作られた洞窟や岩陰は先土器時代や縄文時代に居住空間として活用されており、50余カ所の遺跡が見つかっている。この帝釈峡遺跡群に対しては、広島大学による発掘調査が40年にわたり実施されており、筆者は広島大学在学中より帝釈峡遺跡群の調査に従事している。その調査経験を基にした帝釈縄文人の生活や他地域との交流の様子が、本書において鮮やかに復元されている。

一口に洞窟遺跡や岩陰遺跡と言ってもその内実は様々で、長期の生活が送られた遺跡や短期間のみ活用した遺跡、埋葬施設が集中する遺跡や祭りの痕跡が認められる遺跡など、遺跡それぞれが個性豊かな様相がある。また、縄文土器をはじめとして石の矢じりといった狩猟具や網の錘といった漁労具といった遺物のほかに、動物の骨や魚の骨、貝殻など生活を具体的に示す自然遺物も多く出土しているという。動物の骨にはイノシシやシカ、サルやタヌキなど現在の日本にも生息しているものから、件のヒョウやゾウなどすでに絶滅してしまった動物まで含む。絶滅種は動物相を含めた環境の変化を我々に伝えてくれる。現在の環境問題を考える際にも本書が参考となる点は多いだろう。

また、本書は帝釈峡縄文人の交流の様子にも触れている。交流の復元に際しては、その地域に存在していない物の存在が鍵となる。中国山地に内包される帝釈峡遺跡群からは、海産の貝製品や魚の骨が出土しており、これらは海側の集落との交流を教えてくれる。筆者は『吉備の縄文貝塚』(吉備人出版)も著わしており、海側の集落の特徴についてもまとめている。また、黒曜石(現在の大分県、島根県)やサヌカイト(現在の香川県、広島県北西部、兵庫県、大阪府、奈良県)など、確実に他地域で産出された石器の石材も交流の証拠として考えることができる。

上述のように交流の成果として入手したものは帝釈峡遺跡群から出土している。では、その対価となるものは何か。筆者は山の幸をそれに当てた。つまり、肉や皮製品、そして骨や角で作成した生活道具だ。山間の石灰岩地帯の住む人々が、物々交換として他地域のものを入手する材料は、彼らの身近な所に豊富にあった。そして、それは彼らの生きる術でもあった。自分たちが食する分、道具に加工する分を確保しておき、それとは別に交換分をしっかり確保していたのであろう。生きるための戦術が垣間見られて興味深い。

ところで、遺跡の情報は、単に知的好奇心を満たすためだけのものであろうか。答えは否である。本書からは環境変化についての情報も読み解くことができた。絶滅種の存在は、現在生息している動物の絶滅危惧という問題を考える上で非常に示唆に富む事実である。また、現在なら観光地としての価値は高いが、生活する上では不便な中山間地域として切り離されがちな帝釈峡も、縄文時代の人々は地域の特質を生かして他地域の文物を惹きつけていた事実。これらの点から学ぶべきことは多い。

地産地消が叫ばれる昨今、地域の遺跡もまた地産として評価すべきであろう。帝釈峡遺跡群の調査研究の特徴として、「大学と地域社会が密接に連携した研究」という点を筆者はあげており、さらに調査成果を地域にいち早く伝えることの大切さを説いている。ただし、遺跡には地消に留まらない魅力が詰まっている。本書は広島県の北東部、山間の観光地帝釈峡に眠る地域独自の魅力を広く伝えてくれる好書として評価できる。