書に耽る猿たち (original) (raw)
『天才たちの日課 クリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々』メイソン・カリー 金原瑞人、石田文子/訳
フィルムアート社 2024.11.09読了
あまりにも物語世界に浸り続けると疲れてしまうので、ちょっと休憩してエッセイを読んだ。少し前にX(旧Twitter)でこの本が紹介されていてとても気になっていたのだ。書店でパラパラめくってみると、天才たちの大半が作家だったということもあり、俄然興味津々になる。
著者はアメリカのフリーライターである。「デイリー・ルーティーン」というブログが人気で、これに目をつけたエージェントが本にまとめることを提案したらしい。この本のおもしろいところは、何気ない日常のルーティンに目を向けたということ。生活を組み立てているバリエーションを知ることによって読者が勇気づけられるよう願っているという。
日課ではないけれど、作家のパトリシア・ハイスミスがカタツムリをペットとして飼っていたこと、それ自体もまぁ特殊だとは思うが、フランスに引っ越した時に生きたカタツムリの持ち込みが禁止されていたため左右の乳房の下に隠して何度も国境を往復したという、その発想にたまげた。
スティーヴン・キングは、起きているときの頭も訓練によって創造的に眠り、空想による鮮やかな白昼夢を作りあげることができ、それがよくできた小説なのだと言う。なんかすごいこと言ってるけど、自分のみる白昼夢をそのまま小説に落とし込んでいるということか。
この本の中で唯一の日本人が村上春樹さんだった。もっと取り上げて欲しかったなとは思う。そもそもアジア人自体他にいない。中国や韓国、他にもアジア圏の天才たくさんいるよねぇ…。ここで村上春樹さんは「繰り返すことが重要だ」と書いている。繰り返すことで一種の催眠状態になり、深い精神状態にもっていけるのだそう。
全員ではないけれど、かなりの人数が早朝から仕事をしている。というか朝の時間を大切に有意義に過ごしている。また、散歩やコーヒー、お酒、煙草が人気で、昼寝をしている人も結構いる。みな、それぞれの型にはまった生活をつつましやかに営んでいる。で、思ったのが、特異な習慣がある人はもちろんいるが、大多数が私たちとおんなじような普通の暮らしなんだなということ。私たちが彼らのルーティンを真似したからといって、素晴らしいクリエイティブさが急に発生することはまずないだろう。それでも、日常のルーティーンは自分が生きるうえで何らかの作用を及ぼすのだと思った。
『敵』筒井康隆
新潮社[新潮文庫] 2024.11.07読了
75歳の独居老人渡辺儀助のとりとめもない独白が続く。住んでいる家がどうとか、預貯金やら、老臭やら、身の周りのものなど自身の想いがつらつらと、滑稽な語りで綴られる。長編小説というくくりになっているが、タイトルがついた7〜8頁程の掌編が束になっているようなイメージか。日常生活の飽くなきまでの細かい観察と妄想。いやはや、男性の頭の中を覗いているようだった。老人といえど子供じみたところもあってなんだか微笑ましい。
「昼寝」とタイトルがつけられた章では、午睡のことがかかれているが、確かに夜見る夢と違って昼寝で見る夢は軽い感じがするなぁ。とはいえ日中は働いているし、私が昼寝をすることは滅多にないのだけれど。休日に一日中家でのんびりすることがあって、いつのまにかソファでうつらうつらするのなんて、快楽の極みではなかろうか。寝ようとして眠るのではなく、自然に落ちるというのが良いのだろう。お金や食事に関しての章は勉強になった。
極力読点を削いだ文体は、一見読みにくそうに思えるがこれが意外と良い。当て字を使っているから(例えば、秘史秘史と〈ひしひしと〉、志度路藻泥〈しどろもどろ〉など)ちょいちょい中断することもあるのだけれど、これが案外に読みやすく(この文体を読むとやはりさすがだな思う)て癖になる。
過去に筒井康隆さんの作品は『パプリカ』や『家族八景』、そして短篇集『世界はゴ冗談』などを読んだが、自分にはそんなに合わなかった気がしていて積極的に読んでいなかったので久しぶりだった。これはなかなかおもしろかった。
ちょうど読んでいるあいだに、東京国際映画賞で、この原作を元に映画化された長塚京三さん主演『敵』が「東京グランプリ」を受賞されたというニュースが飛び込んできた。なんかこういう符合は嬉しいというか、読書時間そのものをも忘れ難くさせる。この原作も多くの人に読まれるきっかけとなるだろう。
新潮社[新潮文庫] 2024.11.05読了
土蔵造りの家に住む洪作は、おぬい婆さんと二人暮らしである。伊豆の湯ヶ島という田舎町で、5歳からの幼少期を過ごした洪作の少年期の心の動きや成長が丁寧に情感たっぷりに書かれた作品である。解説で「少年期を扱った本格小説」とあり、まさにその言葉がぴったりの傑作だった。
両親に会うために、田舎からおぬい婆さんと2人で豊橋まで向かう旅路がとても印象深い。道中の見知らぬ人から貰ったお菓子をめぐる出来事もそうだが、久しぶりに会った母親との邂逅にも心を抉られるようだった。どうしてこんなにも胸がきゅっと締め付けられるような気持ちがするんだろう。迷子になるシーンでは芥川龍之介著『トロッコ』を読んだ時のような気持ちになった。
おぬい婆さんのやることなすことは、突拍子もなくて目立つから洪作としては穴があったら入りたいほどに恥ずかしくなる。「もうやめてくれ」「放っておいて」と思うのに、それでもおぬい婆さんが洪作を大好きで可愛がっていることが自分でもわかるし、洪作もまたおぬい婆さんが大事なのだ。
ところで、おぬい婆さんは本当の祖母ではなく、亡くなった曽祖父の妾である。このおぬい婆さんに対して感謝の気持ちを充分に持っていながら、素直に気持ちを伝えられなかったもどかしさ、後悔の念、そういった罪ではないが心の引っ掛かりを書くのが井上さんは本当に上手い。でもおぬい婆さんは幸せだったはず。大好きな「洪ちゃ」と最期まで一緒だったんだから。
おぬい婆さんに対する思いだけではなく、滅多に会わない母親、若い叔母のさき子、近くに引っ越してきたあき子、親戚の蘭子、孤独な祖父や気が触れた教員とのシーンが一つ一つに動きがある。洪作の気持ち、行動の一粒一粒が、まるで自分の幼少期のことのように蘇る。こんなにも繊細に少年の心の機微を捉えた作品はあまりない。
どうということはない少年の日常がどうしてこんなにもおもしろく心に響くのか。人間の普遍的なものが作品の中にあるからなのか。静かな感動がひたひたと押し寄せてくる。やはり井上靖さんは偉大な作家だと(今さらながら)改めて思い知った。
この作品は井上靖さんの名作であることは言わずもがなだ。『しろばんば』というタイトルは有名だが、ちゃんと読んだことがある人は少ないのではないだろうか。実はタイトルの「しろばんば」は最初の1〜2頁めにしか出てこない。「白い老婆」ということらしいが、夕方になるとどこからともなくその白い虫が綿屑のように舞う。
私自身、井上靖さんの本を1冊も読んでないことはないはずだけど、何を読んだか記憶にすらない。何故今まで放っていたのだろう。この小説は『夏草冬濤』『北の海』に繋がる自伝三部作の一作目である。先日伊集院静さんの自伝を読んだ時に、解説でこの自伝に触れられていた。続きが手元にないのですぐには読めないが、なるべく日を置かずに読もう。もちろん、現代小説や歴史小説も。やたらめったら新刊に飛びつかないようにしないと。井上靖さんの作品をこれから少しづつ読めることが楽しみだ。
『三つ編み』レティシア・コロンバニ 齋藤可津子/訳
早川書房[ハヤカワepi文庫] 2024.11.02読了
私は今までの人生のほとんどをショートヘアで過ごしてきた。長くしていた時でも、やっと結えるくらいの長さ。だから、表紙のイラストのようないわゆるお下げの三つ編みをしたことはない。昔は三つ編みにした女学生はたくさんいたような気がするけれど、今は滅多に見ないよなぁ。
フランスの女性作家が書いた小説だがフランス人は出てこない。登場する主人公は3人、インド人スミタ、イタリア人ジュリア、カナダ人のサラだ。彼女たちはそれぞれの悩みを抱えているが、強く生きている。
読み始めてまず驚いたというか辛い気分になったのはスミタの生活だ。なんと他人の排泄物を素手で掬い取るという仕事をしているのだ。パン屋で働けばパンの匂い、魚屋で働けば魚の生臭い臭いが身体に染み付く。ゴミ収集車の仕事は常にゴミの臭いが付着すると聞き、大変な仕事だと感じたことがある。しかしこの糞便掬いたるものはその比ではないだろう。
別々の国で異なる境遇の女性たちが「髪の毛」を通して一つに繋がる様が見事だ。飾り気のない平坦で短い文章なのだが、それが逆に胸にずぶずぶと刺さる。3人のストーリーが順序よく端的なリズムで繰り広げられる。一部でサラの章が抜かされるところに気付いたが、その理由も読み進めるとハッと気付かされる。
ハヤカワepi文庫は名作が多いから読む前からハードルが上がっていたが、期待を裏切らなかった。しなやかで強く美しく、希望に満ち満ちている。読んだ後には、誰しもが明るい未来を想像し豊かな気持ちになれるだろう。いかにもこのレーベルに入るべき作品だった。この作品には続編があるようなので今度読みたい。
中国やインドが、どれだけ人口を増やそうが産業により目覚ましい発展をしたとしても、日本の目標でありかつ敵であるのは大国アメリカだと思う。数多ある国のうち、意識しているのは常にアメリカなのだ。この感覚はおそらく日本だけではないように思う。今回の大統領選も、きっとどの国でも大きく報じられている。
空也と寵児は学生時代に「コントラ・ムンディ」という秘密サークルを作る。ラテン語で「世界の敵」を意味するその言葉を胸に、2人はそれぞれ別々の世界で生きていくが、どこかで必ず混ざり合い助け合う。自由な日本を目指して戦うテロリストたちの冒険譚である。心のどこかで大国アメリカを意識しながら。
村上龍さんの『オールドテロリスト』や『愛と幻想のファシズム』を連想した。政治が絡むところが村上龍さんを思わせるが、それ以外にも小川哲さん、貫井徳郎さん、阿部和重さんが書いた小説をごたまぜにして捏ねくりまわして一つにしたような感じがした。
作品は二部構成になっている。一部は2人の学生時代から始まり、どちらかというとゆっくりと物語が進む。二部の始まりは、ある事件が起こることによって警察組織が動き出す。疾走感とサスペンス的な語り口にのめり込み、「島田さんこういうミステリーもいけるじゃん!」と新鮮な気持ちになる。
大反響となったテロを起こした空也が、ひとりその後を空想する姿が印象的だった。大金が手に入っても何に使うのか?南の島でバカンスを楽しむのか?空也はそんな安らぎを求めていないし、そうなったとしても3日で飽きると予想する。結局何が残るのか自問自答するのだ。人ってもしかすると大それたことをすること自体に快感を覚えてその後のことは考えていないのではないか?桜田マリアが人助けをすることに快感を覚えるという部分も興味深かった。慈善事業をやって喜ぶ人の気持ちというか、自己肯定感というか。
作中でエドガー・アラン・ポーの『告げ口心臓』という小説に触れられていた。死者は生きている者を不安にし、動悸をもたらすという内容らしい。角川文庫で短編集が最近数冊出ているはずなので読んでみようかな。
こんなにも夢中になって読めるのは、人にはみな、多かれ少なかれ、テロへの願望のような羨望のような、密やかな企みめいたものがあるからだと思う。島田さんの作品のなかでは疾走感がある部類で、これはこれでなかなか良かった。
『フォース・ウィング 第四騎竜団の戦姫』上下 レベッカ・ヤロス 原島文世/訳
早川書房 2024.10.27読了
騎手科に入るためにまずは細い不安定な橋を渡り切らなければならない。落ちたら即死だ。実際に毎年何人かの死者が出る。橋の手前でこれから友になりそうな人物と言葉を交わすが、1人の名前は登場人物紹介の栞に名前がない。きっと橋から落下するのだろうと想像する。こんなスリリングな場面から始まるこの物語は、この先の息もつかせぬ展開を予感させるかのようだ。
子どもの頃に、映画館で『クリフハンガー』という山岳映画を観たことがあり、冒頭の(すでに)クライマックスシーンのような場面を観たのを思い出した。小説を字で追っているのに、最初から脳内で映像化されるほど壮大な風景が目に浮かぶ。
ナヴァール王国の軍人はバスギアス軍事大学で訓練を受ける。書記官になろうとしていたヴァイオレットだが、司令官の母の命令で騎手科に入ることになる。厳しい訓練を生きて卒業できるのは四分の一だという。所属することになった第四騎竜団の団長ゼイデンに惹かれていくヴァイオレットはどうなるのかー。
性描写がなかなかきついという声も多いのでおそるおそるみたいなところもあったけれど、まぁ確かに電車の中で思いっ切り本を開きにくい雰囲気がある。どちらかというと会話が下品に感じた。会話文でなく字の文であれば、そこまでではないのに。やっぱり性的なものって声にしてしまうと一気に冷めるというか。しかし訳すニュアンスにもよるだろうし、アメリカと日本の風俗の違いもあり、そもそも性教育も異なるから読者の受け止め方も難しいところだ。
手に汗にぎる展開に目が離さず、ついでヴァイオレットとゼイデンの恋の行方、そして幼馴染のデインとの関係が気になり上下巻にも関わらずあっという間に読み終えた。確かにここまでハラハラドキドキするファンタジーはあんまりお目にかかれない。恋愛、友情、竜、魔法、戦いが交差していくロマンタジー。ヴァイオレットは20歳ではあるけれど、物語の語り口はもう少し年齢層が低めな気がする。あとがきに、アメリカのヤングアダルト小説とあるからやはりそうだった。
ストーリー性は抜群におもしろいのだけれども、、高校生や大学生とか多感な年ごろであればのめり込むようにハマったであろうと思う。これは映像化した方がより楽しめるんじゃないかと思う。当たり前のように死が隣り合わせだからゲームの中のようにも感じられる。
ファンタジーはそんなに得意なほうではなくたまにしか読まないけれど、この本は発売前から出版社の宣伝がものすごくて、それにアメリカで400万部突破と聞いたら読むしかないよなと。レーエンデは文庫になってからでいいかなと思っているが外国のファンタジーはそもそも厳選されているわけだし、、しかし期待値が高すぎたかも。というか自分が想像したものとは違って、あらぬ期待をした自分に反省。
河出書房新社 2024.10.23読了
なにこれ、めちゃくちゃ好き。わかりみが強すぎる。
まさかさんが優しすぎて、おいおい泣きたくなる。
主人公の文乃みたいな人、日本にはたくさんいるだろうなと思う。年齢が近いから親近感を覚えるし、そもそも自分とシンクロするところが結構あるから、他人事とは思えず感情移入しまくり。
ルーティーンを愛する労務課の浜野文乃(はまのあやの)は、幸せではないがかといって不幸でもなく、波風を立てずにひっそりと生きている。文乃は「皆多かれ少なかれ、三十代後半くらいになってくると楽しいことがちょっと重くなってくる」「心が動かない平穏な状態を求めている人は少なくないはず」だと平木直理に話す。いや、わかるなぁ、ある程度歳を取ると色々と面倒になるし、楽しそうだと思いつつも翌日疲れちゃうからどうしようかなとか考えてしまう。
平木直理(ひらきなおり)、、、ひらきなおり、ってつまり、開き直りかよ!(と文乃も思う)ひょんなきっかけで編集部の平木さんと仲良くなったことで、文乃は自身の中に潜んでいた本来の自分を取り戻す。自由奔放な平木さん繋がりで知り合った「かさましましか」さん。もちろん偽名だけど回文かよ!こわい!こういう笑っちゃう名前の登場人物が色々と出てくる(しかしよくもまあ作家はこういう名前を考えつくよな…)せいで喜劇っぽく見えるのだけど、そんなことはなくこれは感涙小説だ。
チキンシンクのライブを初めて体感した時の興奮と恍惚、おさえられない熱量が文体から弾け出す。過呼吸になるほどの息継ぎのなさですんごい迫力。推しという存在ができることはこういうことなのか、と思わされる。そして、恋愛とはくだらないどうでもいいことにいちいちぐちぐち悩んでしまうんだよな、と忘れていた気持ちを懐かしみとともに覚える。とにかくなんでもかんでも気になって苦しくなっちゃうんだよねぇ。
まさかさんの言葉に泣きそうになる。
「僕らあとはもう自分にできることをして老いていくだけです。家のことも子供のことも義実家のことも考えなくていい。渡り鳥が渡り鳥に出会って、ちょっと疲れたから死ぬまで一緒に飛ばない?ってナンパしたみたいなもんです。この歳の僕らにできることはあんまり多くはないかもしれませんけど、死ぬまでまだ、結構時間はあるはずです。美味しいものを食べたり、お酒を飲んだり、深夜目が覚めちゃった時に電話することも、僕らにはまだまだできます。(中略)今は今できることを、していきましょう」
続いて返す文乃の言葉もまたいい。
「一緒に生きていくと思うと重いけど、一緒に老いで潰えていくんだと思うと、気が楽になります。何も成し遂げなくていいんだって、ただ朽ち果てていくんだって思うと、樹みたいで穏やかに生きていけそうです」(182頁)
文乃の過去も切なくなるし、こんな中年男女の純愛があるなんてこの世界もそんなに悪くはない。お互いに50代の男女が、自然に出会い自然に付き合い結果結婚した(しかもお互い初婚)、という素敵なことが知り合いに去年起きたのだが、それを思い出した。
小難しい小説やら古典名作を読み漁っているけれど(もちろん偉大な作品はたくさんありこれからも読み続けるだろうけど)、私自身は実は今こういう小説を求めていたのかもしれないなぁと妙に腑に落ちた。この前読んだ綿矢りささんの『オーラの発表会』もよかったけど、それを上回る良さだ。
コミカルでポップな派手な表紙!一見手に取らない本だけど、金原ひとみさんの小説だと知り買って読み出したら1日で読んでしまった。この前読んだdadadada....(奥泉光著『虚史のリズム』のこと)もそうだけど、な~んか気になってカバーを捲ってみると装幀が川名潤さんだったということがざらにある。好きとか嫌いとかは別にして、なんか目を引くんだよなぁ。
『死者は嘘をつかない』スティーヴン・キング 土屋晃/訳
文藝春秋[文春文庫] 2024.10.22読了
この作品は、キングお得意の幽霊ものでホラー要素満載だ。キングの初期作品に原点回帰したようで、ストーリーもなかなか良かった。とはいえ米国で2021年に刊行されたものだからかなり最近の作品である。
複雑さがないからすらすら読める。登場人物も少ない。キングの作品は章ごとに番号が付与されているタイプが多いのだが、その章自体がものすごく短い。2頁とか3頁で終わるなんてこともざら。
ジェイミーは死者の姿が見える。この怪奇的な能力が備わっていることがわかったのは彼ががまだ6歳の頃だ。自然死でなければ亡くなった時の姿で見える。だから恐ろしい姿の死者を見ることもある。次第に「死者は嘘をつかない」ということに気がつく。つきたくてもつけないというか真実(事実)しか話せないんだろう。だって亡くなってるんだから。
作中でジェイミーは『ドラキュラ』や『フランケンシュタイン』を語る。ホラーとか幽霊とかの話になるとこういう古典がつきものだけど。で、実際に去年ストーカー著『ドラキュラ』を読んだら予想外におもしろく読めたんだよなぁ。
長編といってもキングにしては短い(なんせたいていは短くても上下巻にわかれている)から、冒頭でも話したようにさくっと読める。語り手がまだティーンエイジャーというのもある(とはいえ6歳頃からの記憶を遡り、22歳の頃に回想しているという体である)。ジェイミーは「これはホラーストーリーである」と何度も言うけれども、読んでいて全く怖さは感じなかった。『ミザリー』や『ペット・セメタリー』なんかもそうだけど、キングの作品で恐怖を感じたいなら映画の方がいい。キングの恐怖は視覚からのほうが身震いを感じる。
今年はキング作家人生50周年ということで出版社も盛り上がっているのか、邦訳の新刊がとても多い。でもキングはしばらくはお休みしようかな。
『雪の花』吉村昭
新潮社[新潮文庫] 2024.10.18読了
私が天然痘という病を初めて知ったのは、池田理代子作の漫画『ベルサイユのばら』を子供の時に読んだ時である。時の王ルイ16世だっただろうか、天然痘にかかり顔に吹き出物が表れた姿は画とはいえど印象深く、かかったら最後治らない恐ろしい病だと思った記憶がある。
1830〜40年頃、福井県の笠原良策という町医が、多くの人命を奪う天然痘から守るために、命をかけて戦い抜いた。吉村さんお得意の記録文学である。病を治す薬を作り出したというわけではない。種痘の苗を福井に持ち運ぶ経緯と、子供達にそれを植え付けて広めていくという困難がこの作品の読みどころである。
良策は、蘭方を日本に広めたシーボルト主催の鳴滝塾にいた日野鼎哉(ていさい)という大家に師事し、新しい医学を学んだ。ちょうど3ヶ月ほど前に吉村昭さんの『ふぉん・しいほるとの娘』を読んでいたから、この辺りの予備知識がありスムーズに作品に入れた。
医学の進歩により発見が早ければたいていの病は治るし、例え治らなくてもそれなりの生活をしていけるよう患者にも家族にも配慮される。新型コロナウイルスだってワクチンや薬が次々と出てきて、もはや共存できる位の耐性になった。
医学の進歩と発展は昔の医師たちがいたからだと改めて感じ入る。何度も何度も実験を繰り返し、批判を浴びながらも立ち向かう様は、有吉佐和子さん著『華岡青洲の妻』を思い出した。やはりなにごとも、誰よりも最初にやることが素晴らしいのだ。どんなに批判を浴びようとも、どれだけ失敗しようとも、根気よく粘り強く信念をもって。
この作品は『めっちゃ医者伝』という短編を改題したものらしい。「めっちゃ」というのは、現在日常でよく使う意味(かなり、すごい、など)ではない。福井の方言で「あばた」のことを「めっちゃ」というそうだ。元のタイトルのままだったら、一見お笑いというか喜劇めいた印象になるから改題したことは功を奏している。
前回読んだ吉村昭さんの作品は先程も述べた『ふぉん・しいふぉると〜』でかなりのページ数もある大作だったから、今回はさらりと読めそうな薄い本を選んだ。薄くてもなんのその、吉村さんの骨太の物語は人々の心を強く打つ。
『弟、去りし日に』R・J・エロリー 吉野弘人/訳
原作のタイトルは『The Last Highway』であるから、随分と飛躍している邦題だなと思った。弟の訃報を知ったときにヴィクターはハイウェイ(高速道路)に眼をやり、そしてまた、弟の最後(死んだ場所)がハイウェイだったことからこのタイトルなのかなと思っていたら、作中に出てくる「最後の道のり」という言葉に「ラスト・ハイウェイ」とルビがあったから、「道のり」の意味があるのだと理解する。見たこともない作家さん(一見ジェイムズ・エルロイと勘違いした)で期待していなかったこともあるからか、なかなか良かった。秋の夜長にじっくりしみじみと読むのにいい。
過去に諍いがあり約12年間音信不通だった弟のフランクがひき逃げされて亡くなった。それも車に4回もひかれるという残忍さ。フランクの娘、つまりヴィクターの姪に当たるジェンナから真相を知りたいとせがまれる。このジェンナとの新たな出逢いがその後のヴィクターの生き方を変える。一方でヴィクターは少女連続殺人を追いかけることになる。果たしてこれらに繋がりはあるのか、そして兄弟の過去の確執とその果てにあるものはー。
ミステリーではあるがヒューマンストーリーである。ハードボイルド系が思いのほか文学的だと発見したときの喜び(レイモンド・チャンドラー作品のような)に近いものがある。そもそも、ヴィクターがちょっとマーロウっぽくあるようなないような。いやいや、あんなにキザですぐに女を口説かないか。
ヴィクターとフランクは州は違えど同じ保安官である。そういえばアメリカの作品に保安官ってよく出てくるけど、警察と何が違うのかというと、保安官は郡を、警察は市を担当しているらしい。市がない郡もあるからそこは保安官。地理的なものを理解していないとよくわからないけれど、何しろ敵対しているような感じを受ける。
アメリカでは色々な州が絡んでいる事件であればFBIの手に委ねることになるらしい。FBIって日本でいう公安で花形エリートのイメージがあるが、やはり関係性は微妙。アメリカは死刑制度をはじめとして州によって法律も異なるから、色々とややこしいな。
職場の仲間は本当に大事だ。保安官補マーシャルの機転の良さとさりげない優しさ。また、有能な事務員バーバラのお節介さ。バーバラとの別れ際のくだりには毎度毎度ウィットに富み、それでいてほんわかして笑みもこぼれる。
弟との過去に踏ん切りをつけ、自身の再生を問う物語であるわけだが、兄弟姉妹ってよくよく考えたら生きている期間を過ごすのが一番長い血筋の人だ。もちろん何らかの理由で死別しない限り。親よりも子供よりも、添い遂げることを決めた相手よりも、誰よりも自分と共に生きる時間は長い。だからできれば良い関係でいたいものだ。
秋の読書週間に「海外ミステリーでも読もうかな」なんて思っている人にはもってこいの作品かと思う。誠実で王道なミステリーではあるが、実はみんなが求めているものってこういう作品なんじゃないかな。少し前にdadadada…の鈍器本を読んでいて先週は毎日あれを持ち歩いていたから、文庫本であることだけで「もう最高かよ」という気分だった。