書に耽る猿たち (original) (raw)

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『夏日狂想(かじつきょうそう)』窪美澄

新潮社[新潮文庫] 2025.07.03読了

明治・大正・昭和という日本の近代化文明の発展と共に生きた野中礼子。彼女は多くの人を愛しそして愛され自分の力で物書きになった。強くしたたかに、しかし真っ直ぐな心で全力で生き抜いた礼子をそっと抱きしめたい。

野中礼子が長谷川泰子、水本が中原中也、片岡が小林秀雄をモデルにしているらしい。私はこの3人の関係性も長谷川泰子さんという方が「魔性の女」みたいな呼ばれ方をされているのも知らなかった。男を手玉のようにしたというけれど、実際にどうだったのかは正直わからない。窪さんは、礼子はただ恋愛をしただけではないのかと思い、少し違う視点でこの物語を編んだ。

幼い頃、広島で姉のように慕っていた寿美子に誘われて行った陳列館というのは、原爆ドームの建物のことだろう。てっぺんにドームの丸い形があるという。元々原爆ドーム広島県物産陳列館として機能していた。2年前に旅行で訪れた広島のことを思い出した。

演劇を愛し女優になるのだという強い目標を持つ姿は、少し前に読んだ『シスター・キャリー』そのものだった。そして女性の未来を切り拓いたアナーキスト伊藤野枝の姿も重なる。

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酒場を辞めた礼子が隣組に参加したとある。私はこの「隣組」というものを知らなかった。第二次世界大戦下の日本で政府主導で各集落単位で結成されたもので、町や村の10家族程度が結束し互いに助け合うようにまとめられた。町内会の回覧板はこれをきっかけにして始まったらしくなかなか興味深いなと思った。戦時下空襲警報のたびに防空壕に逃げ込む生活に耐えられない礼子は、死ぬことも厭わないと思うようになる。礼子は水本や片岡との男性遍歴に注目されるが、戦時下を生きその後の長い人生にこそ彼女の生き様が詰まっているように思う。

少なくとも、礼子(泰子)との別れがなかったら「天才詩人中原中也」は生まれなかったと言われている。恋愛が人生経験を深め、内面の葛藤と苦悩により、研ぎ澄まされた言葉を生むことに関連したのは間違いない。どれだけ人を愛せたか、どれだけ自分に正直に生きられたか。

直木賞受賞作『夜に星を放つ』以後最初に書かれた小説である。私はこちらの方が断然好みだし、もっと売れても良いんじゃないかと思う。窪さんの作品は恋愛ものが多いが、『トリニティ』のように女性の生き様を骨太に書いた作品もあり、この作品もその部類に入る。どうも私は女性が信念を持って力強く生きる作品に心を奪われてしまう。私自身が弱いからだろうか。今年映画化された広瀬すずさん主演『ゆきてかえりぬ』はこの長谷川泰子さんをモデルにした映画だったんだ。70歳になった時の泰子さんが残した回想録も読んでみたいと思い、早速手に入れたので近いうちに。

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『荒地の家族』佐藤厚

新潮社[新潮文庫] 2025.06.30読了

東日本大震災から10年経ったある家族の物語である。主人公は40歳の植木職人・坂井祐治だ。震災後に妻を亡くし、その後再婚した妻には家を出ていかれてしまう。高齢の母親と息子と3人暮らし。どうして自分の人生はこうなってしまったのか。いま何を思いどう生きているのか。

坂井一家だけの物語ではない。この地に、地震津波による被害を受けたそれぞれの家庭が踏ん張って生きている。一方で病む者、命を絶つ者もいる。時間が経過したからといって決して喪失の気持ちが癒えることはない。ただ黙々と正解がない問いかけをしながら生きること。

天災は無尽蔵に襲いかかる。ニュースを目にするたびに、どんな場所であろうとも心は痛み復興を少しでも早くと願う。しかし自分や家族親戚、友人知人など誰にも関係ない場合は、どこか遠くから俯瞰している自分がいる。どうして悪人にこの仕打ちが来ないのかと詮無いことを考えてしまう。少なくとも人口密度から考えて悪人が多いだろう都市部の人は逃れられており、自給自足でつましく暮らす人達に襲い掛かっているとしか思えなく、如何ともしがたいやるせなさが込み上げる。

第168回芥川賞受賞作である。芥川賞らしい、しかも正統派な作品といえよう。ユーモアがかけらもなくて重たいテーマであるが、「震災を忘れてはいけない」というメッセージ性が強い。風化させてはならない。多くの人に読まれるべき作品だ。

単行本が2023年1月に刊行されたから2年半も経たないうちに文庫化されたことになる。芥川賞作品だし安価な文庫本の方がより売れるからわかるのだけれど、もう少し単行本に敬意を込めてというか特別感を出してもいいんじゃないかなぁなんて思ったりもする。とはいえ作家がうんと言っているのだから仕方ないか。

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『シスター・キャリー』上下 セオドア・ドライサー 村井淳彦/訳

岩波書店岩波文庫] 2025.06.29読了

昨年末にドライサー著『アメリカの悲劇』を読んだら、どちゃくそにおもしろかった。それまでドライサーの存在すら知らなかったのに。ドライサーの他の作品を探してみたら、この岩波文庫の『シスター・キャリー』があるではないか。この小説が処女作で刊行されたのはちょうど1900年ぴったり。今から120年以上前の作品なのに、色あせていない物語だった。

アメリカの片田舎で育ったキャリーは、姉夫婦の元をたずねてシカゴまでやってくる。当時のシカゴは都会への変貌を遂げている最中で何もかもがキラキラ輝いていた。家庭持ちのドルーエという親切な男性と同棲生活をし、ドルーエの紹介で知り合ったこちらも妻子がいるハーストウッドと次なる道ならぬ生活をする。その後キャリーは舞台女優となり大成功をおさめる、一方でハーストウッドは陥落していくというストーリーである。

今であればどこにでもありそうな筋書きに思えるが、当時は若いのに結婚せずに不倫関係に陥り、しかも罪を償ったり破滅に進まないの道徳観念がないとされ、この作品は受け入れられなかった(しかも発禁に近い扱いを受ける)というのに驚いた。ドライサーは、女性の強さと社会の矛盾を訴えていたのだ。

それにしてもハーストウッドはなんでこんなに性急なのだろう。普段は落ち着いた紳士然としているのに、キャリーのこととなると周りが見えなくなる。これが若ければまぁわからなくもないけど、もう壮年なのに。キャリーのほうが断然大人に感じる。

キャリーの進む先にスポットライトが当たり、実家のこと、飛び出してきた後の姉夫婦のこと、捨てられたドルーエがその後どうなったのかというのがほとんど書かれていなくて、こういうところがちょっと古い作品に感じた。現代小説では、登場人物のその後というか、まぁまぁ重要な人の生き様はちらりとでも書かれていることがほとんどなのに。

ハーストウッドの苦悩と陥落が苦しい。だけど気になって仕方ない。この小説のタイトルは『シスター・キャリー』なのだけど、ハーストウッドもキャリーに劣らずおもしろい。やはり絶望の淵にいる人間のほうが訴えてくるものがあるし、読んでいて興味深く思えるのは不幸な人の話だ。のちの大作『アメリカの悲劇』を、主人公クライドという特定の人物の悲劇ではなく「アメリカの」としたのもそんな理由がひとつあるのかもしれない。

栄光と絶望という対照的なものを描くことで冷酷な現実をまざまざと見せつけられる。デビュー作でこの力作を書けたのはすごい。それにしても、岩波文庫の表紙に書かれているあらすじ、ちょっとこれは違うような…。「駆け落ち」はそうだろうけれど、ある意味ハーストウッドのだましが入っているのに、なんだかなぁ。そもそもハーストウッドの自殺とか、かなりのネタバレが表紙に書かれているのはいかがなものか。

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『結婚の奴』能町みね子

文藝春秋[文春文庫] 2025.06.24読了

結婚の「奴」ってなんだろう?奴とつけるということは、結婚のせいでなんか嫌な目にあったのだろうか。いやいや、そういうわけではなかった。そもそも能町さんは「結婚」という共有され過ぎた言葉を、世間で使われがちな意味合いとは違うやり方で、いってみれば結婚プロジェクトを進めたのだ。

以前交通新聞社が刊行した『鉄道小説』というアンソロジー本の中に能町みね子さんの短編小説があったから、これもてっきり小説かと思っていた。この本は、ほぼ現実にあったことを多少誇張して伝えているエッセイのようなものだ。もはや語りを聴いているように心地良くするすると読める。

なんてなんて、なんとなんと、魅力的な文章を書くのだろう。のっけから引き摺り込まれる。そして文章がおもしろいだけではなくて、わかりみがものすごく強かった。こういう気持ちの人ってたぶん世の中には結構いるはず。それをこんなにも素直に同調している自分がいる。私自身はこんな風に思っていないはずなのに、もしかしたら心の奥底ではこれが欲していたことなんじゃないかって。そもそも能町さんが男性から女性への性転換者であることを知らなかった。

恋愛の面倒な過程をすっとばして誰かと共同生活をしたいという思い。よく男性からは、身体の関係になるまでのあれやこれやの細かいやり取りが面倒、なんて聞くけれど。能町さんはそういうわけではない。性行為が目的ではなく共同生活をして生活向上をしたいという。同居人ではなく、それよりも深いつながり。結婚ってなんなのか、を深く考えさせられた。

こんな関係を本当に実行したんだ、すごいな。これはお互いがもちろん好印象であるという前提があるが、加えて尊敬できる相手だった、そしてお互いの趣味嗜好考え方が一致しかつある意味で大雑把であることが重要で。いやまぁ、こんなにも自分にぴったりの相手が見つかったことが奇跡な気がする。いや、そうでもないのか?普通に恋人同士がやがて結婚するみたいに、こういうのが当たり前というか選択肢のひとつになる日が来るのかしら。

結婚生活(仮)の初日から始まり、この夫(仮)とどういう風に結婚することになったのかが書かれている。いつのまにか能町さんの過去の恋愛話、そしえ雨宮まみさんとの関係性にまで話が膨らむ。軽い口調で語られるけど、結構深い話をしている。あけすけで素直な能町さんをみていると、この人は信じられるなと思う。

能町さんの、この粋な文章がしごくまっとうに思えて突き刺さる。自然と何かが起きるなんて、運命なんてないって言い切る潔さ。

運命なんてないんだよ、自分で引き寄せた必然に偶然が混ざってこうなっただけ(43頁)

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『雨雲の集まるとき』ベッシー・ヘッド 横山仁美/訳

雨雲出版 2025.06.23読了

何気なくX(旧Twitter)を眺めていたら、韓国語翻訳家・斎藤真理子さんがこの本について発信していたのを見つけた。どうやら、横山仁美さんという方はこの本を訳すために出版社を立ち上げたという。横山さんは大学生の時ゼミでこの本に出逢ったそうだが、かれこれ20年来かけてようやく実現した。まさに出版社の名前は「雨雲出版」だ。この本のため、という情熱に心を揺さぶられた。この本はそれなりの書店に行っても置いていなく、大型書店もしくは直接出版社から購入するしかなさそう。

アフリカ大陸のボツワナという国が作品の舞台である。ボツワナって聞いたことはあるが場所はどこだか知らなかった。南アフリカの北側にある小さなめの国だ。主人公マカヤは政治犯として2年間南アフリカに服役していたが亡命しボツワナに移住した。そこで出会ったギルバートと共に農業に従事することになる。この土地と人々に徐々に魅了されていく。ボツワナには人種差別が存在する。何よりも黒人が同じ黒人を差別すること、女性への蔑視がはびこっていることに胸が痛む。

マカヤとギルバートの周りにいる女性たちを巡って、予想通り恋愛や結婚にまつわるあれやこれやが繰り広げられるのだが、ここにあるのは上辺だけのものではなくて深いところの愛情だ。言葉を交わさなくても分かり合える関係性。これは友情においても大事。豊かな自然と共に生きることで、人間の本質を問いただす物語である。

ギルバートの思考の働きにマカヤは魅了されていた。ギルバートは博識であると自負しており「太陽もおそらくそうだろう」と著者は言う。太陽は多くのことを間違いなく知っており「膨大な知識があるからこそ太陽は陽気で明るく、人類への信頼と愛情に満ちている(113頁)」という表現に打ちのめされた。太陽をこのように擬人化することがまず珍しい。この作品は農作物を育てることを題材としているからこそ、自然の恵み、それも天からの贈り物である日差しを与える太陽に敬意を表している。そして、恵みの雨と言われる水をもたらす雲も忘れてはならない。

人間はつまるところ孤独な生き物だが、真に幸せになるには人との関わり合いが大切なのだと思い知らされた。ストーリー自体はありふれたもので起伏があるわけではないが、心が晴れやかになる静謐で美しい作品だった。本のジャケットの色味もとても素敵だ。

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『金環日蝕』阿部暁子

東京創元社創元推理文庫] 2025.06.21読了

パトローネってなんのことか最初わからなかった(クリスマスに食べるパネトーネと勘違い!)けれど、ググってみて納得。見かけたことがあるものだった。昔はカメラを持っていたし、これを持ってカメラ屋さんに現像しにいったりしたっけ。今はカメラを趣味にしている人でない限りほぼスマホ撮影だもんなぁ。

近所に住む老女がひったくりにあうのを偶然目にした大学生の森川春風(はるか)は、犯人を追いかけるも逃げられてしまう。その犯人が落としたのがパトローネのストラップだったのだ。春風はそのストラップに見覚えがあった。その場にいた高校生の北原錬(れん)と一緒に犯人を探すことになるー。

読み始めは、ミステリというよりも学園ものという感じがした。ホリー・ジャクソン著『自由研究には向かない殺人』からはじまるピップシリーズの雰囲気に似ているように思った。春風が通うのはきっと北海道大学だよね。札幌旅行をした時に大学併設のカフェに行き、真っ白な校舎と高い樹々に深呼吸をした記憶がある。

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和やかで青春まっさかりな雰囲気からは一転、第二章の理緒の視点になると、薄暗い闇の気配が立ち昇る。やがて明かされる真実、複雑に絡み合う過去と現在、それぞれの傷と怒り。痛々しく切実な辛さはあるが、読後感は晴れやかで希望がある。

今年の本屋大賞を『カフネ』で受賞した阿部暁子さんだが、受賞作を読む前に先日文庫になったこの『金環日蝕』を読んだ。本屋大賞を受賞した作家の本だから単純に興味もあったが、過去にあるTV番組の文芸コーナーでこの作品が紹介されていたのを妙に覚えていたのだ。単行本の表紙が和柄に見えた(この文庫のジャケよりも和な雰囲気)のも、ちぐはぐだなと気になっていた。そんなに期待してなかったのにこれがなかなかおもしろくて、寝るのも惜しいくらいだった。でもこの作品って『カフネ』とは全然雰囲気違いそうよな。解説を読むと阿部さんの作品では唯一これだけがミステリーだそう。『カフネ』は文庫化される前に読むことにしよ。

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ベートーヴェンの生涯』ロマン・ロラン 片山敏彦/訳

岩波書店岩波文庫] 2025.06.17読了

耳が聴こえないのに「運命」を作ったベートーヴェン、目が見えないのに「睡蓮」を描いたモネ。彼らには普通の人には見えない何が見えて(感じて)いたのだろう。

天才作曲家といえばモーツアルト、バッハ、ショパンらがいるけれど、私自身圧倒的にベートーヴェンが好きだ。「運命」(日本でこのタイトルになっているだけで、本来は「交響曲第5番」)なんて、よくぞまぁこんなドラマティックな音調が奏でられるものかと思う。他の人の曲よりも好きだとはいえ「運命」以外には「田園」や「エリーゼのために」位しか曲名はわからない。聞いたことある曲は多いのだろうけど。それにしても小学生のときピアノを習っている子は揃いも揃って「エリーゼのために」を弾いていたよなぁ。課題曲だったのかしらん。ロマン・ロランは生涯を通してベートーヴェンの音楽と彼の生き方を心の伴侶とした。この作品は、ロランがベートーヴェンに捧げる賛歌だ。

人生というものは、苦悩の中においてこそ最も偉大で実り多くかつまた最も幸福である(20頁)

べートーヴェンが生まれ育った家庭は貧しく、母親は小さい頃に亡くなり父親は大酒飲み。小さい頃から音楽の才能に秀でていた彼だが、20歳を過ぎたころから聴覚障害となり、28歳の音楽家絶頂の頃に最高度難聴者となってしまう。それでも音楽の力を信じて力強く生き抜いたベートーヴェン

1824年5月にウィーンで演奏したあと、ベートーヴェンは感動のあまり気絶してしまった。特に交響曲第九番の演奏に拍手喝采が鳴りやまない。耳が聴こえないから拍手が聴こえなくても、その場の空気や振動で人は感動できる。

ロランによる『ベートーヴェンの生涯』は本の半分にも満たない。他に、ベートーヴェンが自殺を考えたときの『ハイリゲンシュタットの遺書』やベートーヴェンの手紙、ロランの講演時の文章が挿入されている。

いやはや、読んでいる途中でYouTubeのクラシックチャンネルなるもので聴いてしまった。なにしろどの曲が何番なんて覚えてない。サビ(っていうのかな?)まで長いからどの曲がこれっていうのが判断つかなくて。それでも久々に聞いたベートーヴェンの楽曲はうっとりするしその一方で魂を揺さぶられる勢いがある。スマホから聞いているだけなのに。じゃあ、生演奏を聴いたらどうなるんだろう!?

オーケストラの演奏を生で聴きたいと心から思った。本を読んでこんなにも音楽を欲したことはない。しかも今まで縁がなかったオーケストラを!あまりにもその衝動が強くなり、さっそくべートーヴェンの楽曲を演奏する演目がないか調べたら、年末にウクライナ国立歌劇場管弦楽団・合唱団の演奏があるではないか。しかもこの本を読み終えた翌日が一般発売開始日で、まさに運命を感じ、勢いもあってS席を購入!楽しみだ、感動したい。

現代のなめらかな訳文に慣れていると、たまにこういう古めかしい訳を読んだ時に落ち着くような心持ちがする。直訳に近い、堅苦しい文章なのに、どうしてか味わい深さがある。古い作品が今でも読まれているということで、名作である所以であるともいえる。

ロランは小説家としてのほうが有名であるが伝記もいくつか書いている。他にミケランジェロトルストイの伝記があるようで、これらも気になる。ところで、ロマン・ロランの大作『ジャン・クリストフ』を実はまだ読んでいなかった。ロランがノーベル文学賞を受賞するきっかけとなった作品で、ベートーヴェンをモデルにした一大大河であるからこれは読まないと。年末のオーケストラを聴きに行く前には必ず!

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『踊りつかれて』塩田武士

文藝春秋 2025.06.16読了

序章「宣戦布告」を読みながら、この調子がずっと続くのはちょっとキツイなぁと思っていた。これは、突如としてあるブログに現れた告発文だ。お笑い芸人天童ショージは、不倫の末バッシングを受け家族にも被害が及び自殺する。また、人気絶頂の歌手であった奥田美月は、口汚い言葉をテープレコーダーに撮られて発信させられたことでSNSで炎上しその後姿を消した。

天童ショージも奥田美月も、その場だけを切り取られてしまったもの。世間は2人の何を知っているのだろう。彼らを舞台から降ろさせた、SNS上で匿名で誹謗中傷をする奴らを、この「宣戦布告」で落とし入れた。83名の個人情報を洗い出しつるし上げる。それこそ汚い言葉で。

個人情報を垂れ流され失職せざるを得なくなった人物の1人が、「宣戦布告」を買いた瀬尾政夫を訴える。逮捕された瀬尾が弁護士に指名したのが久代奏(くしろかなで)であり、彼女がこの物語の主人公だ。彼女はショージと繋がりがあった。

生まれながらの芸人天童ショージと、類まれなる才能と美貌を兼ね備えた歌手奥田美月という2人のことを、瀬尾がどれほど情熱的に支えて崇め親愛の情を抱いていたか。奏が捜査を進めていくにつれて、見えていなかった過去や深い理由が浮き彫りになる。被害者だけでなく加害者にも。

奏が同じ事務所の先輩である青山と「何で弁護士になったのか」を話す場面が印象的だった。青山は「人間への興味」があるという。弁護士自らの物語ではなく、依頼人の物語こそ重要と考えている。弁護士という職業に疑問を抱いていた奏であったが、この刑事事件を通して奏が成長していく過程を描いた物語であるともいえる。世代が近いということもあり、作中に多く登場する昭和後期のエンタメが懐かしく感じられた。

構成もストーリーも素晴らしく、読んでいる間のワクドキ感満載でとてもおもしろかったのに、何かが足りなくて惜しい気がした。素人のいち読者がこんなことを言うのはおこがましいけれど。なにかがひっかかる…。83人の情報を出した「宣戦布告」なのに、ここに載っているのは数人だけ、とかそういうことかなぁ。時期を見て再読したらわかるかしら。

現代社会の闇を炙り出すという意味では、先日読んだ金原ひとみさんの『YABUNONAKA-ヤブノナカ-』に近い。だからこの『踊りつかれて』も、今すぐにでも読まなくてはいけない作品だ。そしてこの小説は、第173回直木賞候補に選ばれた。受賞してもおかしくないんじゃないかなと思う。他の作品を読んでいないからなんともいえないけれど。

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『ニュークリア・エイジ』ティム・オブライエン 村上春樹/訳

文藝春秋[文春文庫] 2025.06.13読了

表紙のイラストに描かれた男性が何を掘っているのかって、それはもうシェルターを作るためだ。1995年のアメリカ・現代パートで、ウィリアムは妻ボビと娘メリンダから「いかれてる」「翔んでる」と言われ離婚されそうになりながらも穴を掘ることをやめない。穴のほうが「掘るのだ」と叫んでいる。

冒頭で筆者は「重要なのは実際にそこで起こった物事ではない。起こったかもしれないこと、またある場合には、起こるべきであったこと、それが重要なのだ」と述べている。最初は意味がわからなかった。結果がすべてじゃないの?と。しかし読み終えてみると腑に落ちた。

この作品では「想像力」がキーワードになっている。ウィリアムは自分が頭がおかしいのか悩む時があったが、想像力によって乗り越えた。

僕は微笑んでいた。想像力。僕は再びそのコツをつかんだのだ。(436頁)

どんなものごとにも「想像力」がなくては前に進めない。実際に起きたことを全否定するのはちょっと違うけれど、人間が何かを想像することから物事はスタートし未来は開けてくる。

東西冷戦やベトナム戦争を体験した1960年代頃のアメリカ。政治やアメリカ文化があますところなく表現されている。この時代を生き抜いた、頭の中が他の人とはちょっと違うウィリアムの生き様。ところどころおもしろいところはあるのだが、逆につまらないというかひたすら字面を追うだけのシーンもあって、なんとも不思議な作品だった。

読んでいて、村上春樹さんの作品かと勘違いしてしまうところがところどころにあった。もちろん村上さんが訳しているから、文体や言葉づかいは村上さんのものになってしまうということはあるのだろうが、ウィリアムが大学時代にサラと邂逅し、同志となり愛を育む過程なんてまさに村上文学そのまんま。オブライエンが描く女性が村上さんの物語に登場しそうなのだ。

今年の3月にティム・オブライエンさんの新作『虚言の国 アメリカ・ファンタスティカ』が刊行された。そろそろ読まないとな~と、積み本を整理していたら、随分前からそのままになっていたこの本が見つかった。全く異なる作品だけど、せっかくだから過去に書かれた作品から読むことにしたのだ。

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『新編 銀河鉄道の夜宮沢賢治

新潮社[新潮文庫] 2025.06.11読了

久しぶりに宮沢賢治さんの作品を読んだ。子どもの頃にはたくさん読んだ記憶はあるが、大人になってからちゃんと読んだことはあったろうか。15〜16年前に岩手に旅行をしたときに「宮沢賢治童話村」を訪れたが、そもそも地域全体がイーハトーブづくしだったなぁ。旅行先で『注文の多い料理店』みたいなレストランに入った気がする。

この本には14の短編が収められている。有名な作品もあれば初めて知った作品もある。『よだかの星』はこんな話だったっけ。タイトルだけで内容を忘れてしまってる作品ばかりだ。食物連鎖について書かれた作品だが、今でいうルッキズム問題みたいなものの象徴で、見た目が悪いものに対してエグいほどの直球でなかなかきっつい。表題作『銀河鉄道の夜』は、これに影響されて派生された作品が多くある。どうしても『銀河鉄道999』のアニメの画と音楽が脳内に流れてきてしまう。

小さい頃に好きだった『セロ弾きのゴーシュ』はやはり今読んでも好きな物語だ。あんなに下手だったセロ演奏が、わずか10日あまりで聴衆を魅了するほどになるとは。毎晩の家での練習はどうやっていたかって?結局技術を磨くよりも楽しむことのほうが大事なのだ。でも解説を読むとこれはハッピーエンドではない、孤独感がある、のような捉え方もあるようで、まだまだ深く読み込めていないなぁと痛感した。

ひらがなばかりで読みにくさは多少あるものの、どの作品も心を抉られる。なんだか寂しいような心細いようなもどかしい気持ちになった。擬人化された小動物や虫、そして生命をもたない物体にいたるまで、あらゆるものに命を吹き込む宮沢さんは、たとえ生きていないものだとしても相手の気持ちになることの大切さを説いているように思う。

児童文学、童話を侮ることなかれ。簡単な言葉、ストーリーでも重たいものがのしかかる。この新潮文庫宮沢賢治新編シリーズは他にあと2冊あるようなので、折を見て読もう。これは去年のプレミアムカバーの本。ちょうど新潮文庫夏のフェアでキュンタのステンドグラスしおりがもらえる本の対象だったこともあって手に入れた。このしおり好きなんだよなぁ。そろそろ今年もこのフェアの時期かしら。

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