hoshi88’s diary (original) (raw)

10月になると、幾つかの行事があります。

学生時代の同期会、会社時代のOB会等です。

幾つかは消滅し、幾つかは残存しています。

残存する会の一つに、高校時代の同期生の一グループの集まりがあります。

遠く、香川県の高松第一高等学校の同期生グループの会です。

JR柏駅に集合して、近くのレストランや飲み屋で行うのが恒例になっています。

自分を含め、三人が集まります・・・・

すぐ、讃岐弁になり、話題は、昔話や近況です。

孫が結婚するなどの話は嬉しい話題です・・・・

旅は楽しいですが、近年は、時差が辛くなって外国旅行は殆ど無くなり、国内旅行が中心になりました。

それも、段々、少なくなってきました。

30年来、購入してきたコーヒー豆の販売店が店を閉じました。

跡継ぎもいないので、止む無く閉店になったとのことです。

以前に勤めていた会社の近く、都内、愛宕山にあったお店です。

都内から郊外に引っ越した後も、郵送してもらっていました。

おいしいコーヒーともお別れ、残念、かつ感無量です・・・・・

今年は、猛暑が続いただけに、秋が来て、秋祭りの話題などに触れると、ほっとします。

秋雨前線が高気圧で北へ追いやられたことや、台風が沖縄方面に向かい日本列島に近づかなかったのが、猛暑となった原因のようです。

また、今年は千葉名産の梨も不作だったようです。

しかし、道端には、彼岸花(曼殊沙華)が、例年より少し遅れて咲き始めました。

ブドウの収穫は健全のようです。

暑さ寒さも彼岸まで、食欲の秋を楽しみましょう・・・・

オリンピック

パリオリンピック、テレビ中継で、存分、楽しみました。

世界一流の選手の競技ともなると、自分ではやったことが無く、ルールもよく知らない競技であっても、興味津々、気迫が伝わってきて観戦に思わず力が入ります。

競技者にとっても、スポーツは楽しむことだと、解説者は説明していました。

日頃、基礎体力をつける努力と、厳しい練習を重ね、心身ともに耐え抜いた様子がうかがわれ、尊敬の念を禁じえません。

なかでも、日の丸が上がり、君が代が流れると、つい涙が出ます・・・・

優勝者が、観客席の応援者のもとに駆け寄って、握手し、喜びを共有する姿を見るにつけ、

心が洗われる感があります。

昔、戦争で戦っていた時代から、運動で戦いあう時代に変貌したことは素晴らしいことだと思います。

とはいえ、現在でも中東では、イスラエルイスラム組織ハマスとの戦闘が続いており、戦いが絶えない人類の愚かさ、力の至らなさを実感させられることも事実です。

全世界から、非難の声が上がっているものの、戦闘当事者には伝わらず、絶望感もあります。

人類の業とでもいうべきでしょうか・・・・

第二次世界大戦を戦い、敗戦した日本国にとっては、戦争の愚かさを世界に訴え、現在でも存続する戦争を非難し続けなければならないでしょう・・・・・

いずれ分かって貰うまで・・・・・

O B 会

毎年、秋になると、色々なOB会が開催されます。

幾つかは、消滅しましたが、幾つかは存続しています。

昔の会社の同窓会、以前のスポーツクラブの仲間との食事会は健在。

近くに住む高校同期との同窓会も存続していますが、今年は、担当の者の都合で、まだ開催されていません。加齢により、体調の不安定も影響しています。

郷土、高松市での高校同期生も、他界した者もいて、疎遠になってしまいました。

「行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。 淀みに浮かぶ うたかたかは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためし・・・・・」

鴨長明方丈記」一節が思い浮かびます。

残暑厳しい折から、可能な限り外出し、多くの人と会ったり、会食をしたりして、元気を保ちたいと願っています。 温泉旅行も捨てがたいです・・・・

雨が降った次の日、よく、庭の草抜きをします。

地面が柔らくなっていて、根っこが切れずに、良く抜けるからです。

夏場は暑いので、午前中にします。

腰を痛めないように、芝の上にレンガを置いて、その上に腰掛けて作業することもあります。

草抜きの後、芝刈り機で表面を整え、終了です・・・・

終了後は、アイスコーヒーや、ビールの時間です・・・・

冷蔵庫で予め冷やしておいたスイカもいいです・・・・

夏休みの頃、昔は、郷里の高松へよく帰省しましたが、今では、両親はなく、友人もいなくなり帰省も無くなりました・・・・

近くに住む高校時代の同期2人と、JR柏駅構内のレストランでの昼食会があり、3か月に一度のお楽しみになっています・・・・

会って10分もすれば、歳を忘れ、昔に戻り、自然と言葉も方言になります・・・・

次回は、7月の開催予定のところ、当番の者の都合で、まだ、実行されていません・・・・

昔は、飛行機は普及していなく、新幹線も無かったので、帰省はJRでの夜行列車での移動でした。

硬い椅子で、16時間半の移動は、結構きついものでした・・・・

貧しかったので、ビールも飲めず、途中の停車駅で、水道水を飲んだものでした。

今では、日本も裕福になり、移動は飛行機、飲み物も自由となりました。

懐かしい思い出です・・・・

マットサイエンス45、背骨ケアー、股関節ストレッチ、フィットネスタイチー、足裏リンパマッサージ、マットサイエンス。

スポーツクラブでの、今週の、私のスケジュールです・・・・

スポーツクラブ通いを始めてから、もう、35年になります。

ほとんど毎日の運動・・・・

今では、健康維持に欠かせない必須の習慣になっています。

ひと頃、前立腺、胃、大腸と、次々、ガンの大病を患いましたが、いずれも、危機を脱する事が出来ました。

これは毎日の運動のお蔭だと主治医は言ってくれます・・・・

毎日の運動が、体力をつけてくれ、厳しい手術を乗り越える事が出来たのだと・・・・

私の人生も終盤に差し掛かりましたが、これからも、ずっと運動を続けるつもり・・・・

毎日、約一時間、体を動かすことは大切で、欠かせないものと・・・・

スポーツクラブがお休みの日は、近所の散歩です・・・・

散歩は、毎回約一時間、ほぼ同じ道筋・・・・

四季の草花を愛で・・・・

時期には、フキノトウ、小さな細いタケノコ、野イチゴの採取も・・・・

湧水池を通り・・・・

野鳥と出会い・・・・

スポーツ中の高校生や大学生の集団とも出会い、挨拶を交わす楽しさ、有難さを味わっています。

さあ、今日は、右回り、左回り、どちらにしようか・・・・

右と左で、景色が違うのが不思議

どの道筋をとろうかと悩むのも楽しみの一つ

体を動かす事が出来る嬉しさと有難さを感じるこの頃です。

我が家には庭があります。

小さな庭ですが、憩いの場でもあります。

初夏になると、雑草をとり、手押しの草刈り機で表面を整え、水撒きをします。

芝生の周りのカイズカイブキの下に、オランダ旅行で買ってきたチューリップを植えたりしましたが、長くはもちませんでした。

小豆島でもとめたオリーブの木も植えましたが、これも長もちはしませんでした。

気候が違うからでしょう・・・・

でも、嬉しいことに、庭には、キジバトセキレイ、スズメたちがやってきます。

残飯を撒いてやると、いつの間にか、見つけて平らげてくれます・・・・

ここには、小さな世界が広がっているのです・・・・

最近、垣根の向いに、民家が2軒建ちました。

一つの家の窓越しに、猫が、時折、顔を出します。

ノルウエー産だとお聞きしました。

年齢は、まだ1歳にもならない子猫ちゃんです。

手を振ると、顔をガラス窓に寄せたり、しっぽを上にあげたりして、応えてくれます・・・・

和猫より、愛想が良いように思えます・・・・

何か、家族のような親しさを感じます・・・・

窓にいないときは、病気ではないかと、心配になったりしますが、再び見えると、ほっとします・・・・

絶好の季節もあと僅か、やがて梅雨を迎え、さらに猛暑へと続くでしょう・・・・

四季折々を楽しみながら、健康な毎日に感謝するこの頃です。

新緑の候 / 数々の思い出と共に

連休が始まり、庭の木々がピンクや緑に輝く季節になりました。

近所の散歩道の雑草も咲き乱れ、散歩を楽しませてくれます。

我が家の庭にも、つつじと柿の木が花を咲かせました。

毎年訪れるこの季節ですが、何時も、新しい新鮮な感覚を与えてくれます。

定期的に届けられる「ジパング倶楽部」が届きました。今月は、世界遺産登録20周年になる「熊野古道を歩こう」が特集です。

発心門王子(ほっしんもんおおじ)、水呑王子(みずのみおおじ)、伏拝王子(ふしおがみおうじ)、熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)を回る約7キロ、歩行時間約3時間の旅です。

以下は、その説明文の引用です・・・・

発心門王子は、仏の道に帰依(きえ)しようという心が発する入口としての意味を持ち、かつては大きな鳥居と社殿がありました。ここを訪れた時の感動を詠んだ藤原定家の歌碑も建てられています。

水呑王子は、平安時代末期に祀られたとされる王子社で、当初は「内水飲(うちみずいん)」と呼ばれました。小学校跡地の片隅に、紀州藩主が寄進したという緑泥片岩(りょうでいへんがん)の石碑と共に、腰痛地蔵が祀られています。

伏拝王子は、中辺路を歩いてきた参拝者が熊野本宮大社の大斎原(旧社地)を初めて拝める場所。その光景に感激してひれ伏したことが名前の由来とも。春から夏にかけては茶屋が営業します。

熊野本宮大社は全国に4700社以上あるとされる熊野神社総本宮です。

もとは熊野川沿いの大斎原に丈・中・下の社殿群が立ち並んでいましたが、明治期の大水害時に残った上四社(3棟)を現在地に遷座したもの。

最近は、腰痛の発症などもあり、旅行もままなりませんが、旅行記や旅行案内などを見て楽しんでいます。

熊野古道中辺路のある和歌山県田辺市熊野古道伊勢路のある三重県熊野市は、私にとっては、馴染みの少ない場所です。

それだけに、そこに、何か特別な魅力を感じる場所でもあります。

何故か、以前、ヨーロッパ旅行の時に出会った、JR和歌山駅前で花屋さんを営んでいるという夫妻の事を思い出しました。

機会があれば、是非、訪れたい場所でもあります。

毎年、春に、我孫子ゴルフ倶楽部が「市民観桜会」として市民に解放され、歩行を楽しむ事が出来ます。解放されるのは、13番と16番ホールです。

今年は、3月25日が予定日でしたが、生憎、雨天のため中止となりました。

天気が良ければ、桜が満開で、多くの人たちが芝生でくつろいだり、お弁当を食べたり、ゆったりとした時間を過ごすところでした。

春の高校野球選抜で、地元の中央学院が甲子園に出場しました。

3月30日は、準決勝で、報徳学園と対戦しましたが、残念ながら4対2で惜敗しました。

中央学院高校は、私の散歩道の途中にあり、練習中の野球部員達とはよく出会います。

学生たちは皆礼儀正しく、出会うと、「今日は!」といつも大きな声で挨拶をしてくれます。

こちらも、これに大きな声で返します。散歩に一段と励みがつきます。

・・・・・

近くに住む高校同期の友人との昼食会を定期的に開いています。

遠く離れた高松市の高校の同級生が、自分を含め、近くに3人いる事がそもそも希少なことです。

昼食会は、何時の頃からか始まり、これまで長年続いています。

東京で開かれた香川県人会で一緒だったことが切っ掛けになったものと記憶しています。

何時もは、JR柏駅近くのレストランでの開催ですが、今年は目先を変え、手賀沼湖畔と白樺文学館を訪れた後、我孫子駅近くのレストラン「備前」での開催となりました。 当初、当てにしていた手賀沼湖畔のレストランがあいにく定休日のため、ここになりました。

我孫子市は、人口約14万人の町で、北の利根川、南の手賀沼に挟まれた南北約4㎞、東西約20km、面積約43平方メートルの地域です。

JR我孫子駅の近くには多数の遺跡が残されています。

江戸後期に活躍した京都の陶工、仁阿弥道八(にあみどうはち)による仁王像、16世紀後半に築かれた土塁と外堀からなる城郭設備、旧杉村楚人冠邸、白樺文学館、武者小路実篤邸跡、堀川と利根川が接し水上と陸上の交通接点となった根戸地域、北西神社、法華坊遺跡、中馬場遺跡・・・・などです。

お酒が入ると、いつの間にか讃岐弁となり、時間があっという間に過ぎてゆきます・・・・

最近の出来事、孫達の事、他愛もない話・・・・

郷里との縁も少なくなり、帰省することも無くなりましたが、高松市内から見える屋島の遠景、田園地帯にある多くの灌漑用溜池、高松築港の連絡線の離港場面など、数々の景色、思い出はくっきり残っています。

手賀沼の写真

(ネットからコピー)