housenka1923の日記 (original) (raw)

以下のような感謝状を、愼民子が書きました。

Ⅿ新聞にも送りましたがスルーされて「週刊金曜9月20日号」の「言葉の広場」に掲載されました。

誰に、どんなに言われても、頑なに追悼文送付を拒否する小池知事に向けての感謝状です。返す言葉もないので、「すべての被害者に」とか「歴史家がひも解くもの」とか言い続けているのも、日本の都市の知事を務めるものにしては、情けない言葉しか持ち合わせてないようですね。

埼玉県本庄市熊谷市上里町の追悼式は、各行政主催で行われてきている。

9月1日、千葉県の熊谷知事は、千葉で初めて追悼文を送りました。

9月4日には、姜大興さんの追悼会に埼玉県大野知事が初めて追悼文送付。

清水さいたま市長は昨年から送付

100年目を越えて、この国は100年前の蛮行を受け止める流れを作ろうとしている。此の流れに棹差さずに、歴史に刻もうとしているのは確実だ。

東京都はどうするのか?

舟行く先は、明らかなのだから、乗り遅れないことを願う。

感 謝 状

小池百合子 都知事 殿

あなたは2017年から7年間、毎年㋈㏠、都立横網町公園にある「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」前で行われる【関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典】への追悼文送付を取りやめたことで、多くの者を覚醒させ、行動を促しました。その成果大きく、被害遺族を代表しまして感謝を伝えるべく、ここに感謝状を贈ります。

ご存知かと思いますが、「追悼碑」は、日朝協会が1973年㋈に東京都に寄贈したものです。1923年9月の関東大震災時に朝鮮人を虐殺してしまった事件を記憶し、繰り返さず、未来の平和を誓うためのものです。当時の都議会では、すべての会派の賛同を得て都立横網町公園に建立しました。それから43年間、毎年の追悼式に欠かすことなく歴代の都知事が「追悼文」を送り続けていました。

事件は当時、この地に生きていた小学生の作文、市民の証言・詩・絵画・写真など様々な形で記録され残されています。そうした市民(=都民!)の貴重な証言や記録などを都政を司るものとして、受け止めるべきかと思いますが、一度でも手に取り見て下さったのでしょうか。市民の残したものたちと向き合って頂きたいです。

ところで、貴方の判断のお蔭で、事件を知らないでいた方々は、関東大震災時に何があったのか、朝鮮人犠牲者って何のことだろうとの疑問を抱きました。彼彼女らは、100年前のジェノサイドを知り驚愕し、現代に通じる差別の連鎖に憤りました。この連鎖を、今断ち切らなければならないと気付いたのです。そして、事件を忘れず、歴史否定を許さず、犠牲者を悼み続ける、繰り返させないとの思いがパワーを持ちました。2017年9月以降、どれだけの人たちが考え行動を始め、追悼式や様々なイベントに集いだしたか、数えきれないほどです。私たちがこつこつ細々とやって来たことが、爆発的に広まりました。

貴方は、この様に多くの力を生み出して下さったのです。素晴らしい決断でした。感謝以外の言葉もありません。この先も迷うことなく、否定し続けてください。大丈夫です、私たちも負けていませんから。

改めて、心より感謝申し上げます。

2024年8月

関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺族 シン ミンジャ

追悼式 無事終わりました。

雨も張らず、心配のぬかるみは2~3日の晴天ですっかり乾いていました。

心配の暑さにも、橋の日陰と爽やかな風のお蔭でしょうか、何事もなく過ごすことができました。

参加者600名以上。初めて参加の方、若い方が大勢でした。追悼の花束、追悼の言葉や歌、凧揚げなどで、犠牲者への追悼を贈ることができました。参加者の思いが一つにまとまり「くり返さない」「忘れない」ことを誓うことができたかと思います。

終了後のプンムルでは、この数年、参列者の皆様に囲まれて、踊って頂いて、犠牲者に届けることができたかと思います。

当日だけでななくて、碑の周りには多くの方が訪れてくださいました。翌日もまた碑に会いに来てくれました。

年々、訪問者がふえていますのと、地元からの方が増えたのを実感します。

町中に、追悼碑がある大事さをしみじみ思います。

追悼式で仔細報告は、後日改めてお送りします。

追悼式当日は雨が降らないようです。

予定通り、荒川河川敷 木根川橋の周辺で行います。

13時から吾嬬の里での、ドキュメント上映も行います。

14時半からの花束作りも予定通り

式は15時から始めます。

今日六日の予報では、かなりの暑さになりそうです。

どちら様も暑さ対策抜かりなきように!

式場では、お水などの飲み物を用意してます。

お医者様もいらして下さってますので何かありましたら、スタッフや周りの者に声かけ下さい。我慢は禁物です。

椅子席に限りがあります、どうぞ譲り合ってください。

心配なのは、暑さと足元のぬかるみです。長雨が重なりぬかるみが広がっています。

もしかしたら立ち入り禁止にする場所があるかもしれません。どうぞ、ご理解の上、滑ったりしないようにお気を付けください。

101年目の追悼を、心置きなく過ごせますよう、スタッフ準備してきました。

あなたの追悼を大切に、お過ごしください。

お待ちしています。

追悼する会・ペンニョン一同

101年目の関東大震災の昨日でした。

台風の余波での、線状降水帯が猛威を振るいましたが、どちらも、滞りなく追悼事業が行われたようです。

この場を借りて、愼民子の個人的な行動を書かせて貰います。

横網町公園では、縮小して行うとの案内が早々と出ましたが、100名ほど集まって無事行えたとの報告でした。「そよ風」たちも、現れて「群馬の次は、ここだ」と言ったそうです。そうは問屋が卸さないのが、彼らにはわかっていないようですね。

小池都知事がいかに無視しようが、ヘイト達が騒ごうが、ここは、不動です。関東大地震での虐殺事件は否定のしようがないことを、刻んでいきます。

さて、私は近所の木母児にある「大正震火災横死者追悼之碑」を訪問した。お隣には日露戦役の記念碑があり、その前に「顕彰碑」が建つ。地域の名士で毎年9月1日には鐘ヶ淵駅前ですいとんの炊き出しをなさっていた方で、当時の墨田区長から頸彰された。㋈㏠が命日で、ここで追悼されていたので、久しぶりにお会いしたかったのだが、残念ながら会えませんでした。改めて、娘さんを訪ねようと思う。

次に訪ねたのは、森田睦画伯の家。昨日奥様から、1月に亡くなっていらした事を伺ったので、はがき絵で一緒にお世話になったℍさんと訪問。月1のはがき絵が実に楽しく、ほうせんかの家を彩ってくださった。展示会の打ち合わせに行った帰りの突然倒れられたとの事。鶏頭の花をどんなふうに描くかしらと、想像しながら、鶏頭の花いっぱいの花束を贈りました。

移動のたびに、全身びしょぬれになりながら、被災された場所のことを思い「まだましだ」と慰めながら~~~

午後3時からは、河川敷で追悼のプンムル

17名と沢山の方が集まった。1メートルにも及ぶような蛇がいてびっくり。ここでは蛇さん初めて。もう少し上流には狸もいると、聞いている。

木根川橋で雨をしのびながらのプンムル。時折、強く降り、楽器を濡らす。雨宿りの方々が、暇に任せて見学している。拍手をくれたり、楽しんでくれている様子。と、インド人男性が輪に入ってくる。チンというどらを叩き楽しんでくれる。

と、年配の男性が、ポケットに手を入れながら寄って来た。音を聞いて、追悼していると思って、車を路肩において河川敷まで降りていらして、カンパをくださった。

「僕のお婆さんが、当時、逃げてきた朝鮮人を助けた話を父に語っていた。僕は直接聞いていないんだ。どうして、そんなひどいことをしたのだろう。小池都知事も認めないなんて!」「碑を建てたと聞いたがどこだかわからなくて」

碑に案内して、暫し話した。行政が認めないから、ここに建てた経緯やいろんな方が一緒に追悼していることを伝える。感動して、手を合わせておられた。

「江戸川から来た、ここはよく通る道なんだ」と。お名前は「いいから」と遠慮された。素敵な出会いでした。

https://mail.google.com/mail/u/0?ui=2&ik=fea15c3f5a&attid=0.1&permmsgid=msg-f:1809049452910914052&th=191b08e485deaa04&view=att&disp=safe&realattid=191b08e051d615bfcf51

添付ファイル 1725243928504.jpg をプレビュー

残暑お見舞い申し上げます

9月7日、追悼式が間近になりました。

秋分を過ぎても、一向に暑さの厳しさは、衰えません。

十分気を付けてお過ごしください。

当日も、さぞかし厳しいかと危惧しています。

どうぞ、無理せずお出かけください。

当日が雨ふりでしたら、会場が吾嬬(あずま)の里になります。

時程は変わりません。

会場は120名定員の狭さです。無理なさらぬよう、後日、涼しくなって、足元の良い時に追悼碑・ほうせんかの家訪問下さることも選択種に入れてください。事前に連絡下されば、ご一緒させていただきます。

会場変更は、ここブログに当日の朝 10時過ぎに案内します。

会員の方から、お手紙頂きました。会えないのは淋しいですが、お便りうれしいです。ここに、紹介します。

皆さま、お便りいつもありがとうございます。

今年、関東大震災101周年追悼式が来ました。毎年ながら、私は年々持病の心臓病が悪化し、参加する!参加したい!と思いながら、高齢者の仲間入りになり、酷暑のなか、体力も衰えました。お花代だけ・・・(略)

相模原市 k.k.

朝日新聞埼玉版に九月追悼式情報が紹介されました。

埼玉の追悼式が行政主催で行われていたことに、参加して感動したことがある。

東京都内と違うのは、事件が地域に具体的に明確に残されてきたことだ。

残念ながら、都内や横浜などの近郊は、地震の混乱のなかでの事件で明確にのこりつらかったことと、当局により 箝口令がひかれ、徹底的に隠されたことだ。

そうした中での埼玉での行政主導の追悼式を行うように尽力された方々がおられたことも、大きな力でした。

加えて、この記事には 姜 大興さんの追悼式への「埼玉県知事がメッセージを出す」ことを検討していることは大きな一歩だと思う。

これを契機に、他の追悼式や「朝鮮人全般」に向けてのメッセージになるといいですね。

埼玉地域の九月追悼式情報を新聞記事から紹介します。

㋈㏠は午前9時から 長峰墓地で追悼式

90人から100人が虐殺された地だ

本庄市主催で吉田信解市長が「慰霊の辞」を述べる。

10時15分から 上里町主催の慰霊祭

40人が殺された

山下博一町長が「慰霊のことば」を述べる

午後1時半から 熊谷市、市立葬祭施設 メモリアル彩雲

60~80人が殺された

小林哲也市長「追悼のことば」を述べる

以上は、行政主催ながら、どなたでも参加できる。

三か所は距離があるので、三か所巡りは結構大変です。私は、他の参加者に車に同乗させて貰えてラッキーでした。

姜 大興 カン デフンさん追悼会

4日 午後二時から

さいたま市見沼区染谷三丁目 常泉寺

参加費700円

具 学永 グ ハギョンさん追悼式

6日 午前11時から

寄居町寄居 正樹院

事前申し込み(090-4129-1199)

以上、毎日新聞埼玉版から

以前に挙げた記事を、編集して、もう一度掲載します。

若者たちの熱い思いを凧たちから、感じてください。

ペンニョン(百年)のメンバーが、たこをたくさん作りました。

関東大震災の証言を入れたり、思いを込めて作りました。

それを追悼の場で上げます。事件あった場所の空に浮かび上がらせたい!

希望があれば、あなたも上げてみてください。