インクルーシブ教育と統合教育(特別支援教育教材シリーズ1) (original) (raw)

統合教育とインクルーシブ教育の違いがわかりません。
特別支援教育の授業受講生からよく出る質問である。
そこで、今回はこの用語の違いを解説する。
似ているこの2つの用語なのだが、意味はだいぶ違うため、しっかりと押さえておきたい。

簡単な用語解説から。
統合教育の「統合」はintegrationの訳語。
分離を示すsegregationの反対の用語である。
障害児教育が分離教育だったことに対して、全ての子どもが同じ場で教育を受ける教育を指すのが統合教育の意味するところ。
この考え方は、1950年前後から出てきた、Bank-Mikkelsenのノーマライゼーションに影響を受けたもの。
ノーマライゼーションとは、障害があっても可能かなぎり一般的な生活を送れるようにすることを指す。
障害があるから〇〇ができない、をなるべく無くして、障害がない人と同じような生活を送れるような社会を作ろうよ、という理念と言い換えてもいいか。
1970以降、各国の福祉・障害者政策に影響を与えた考え方である。

障害児教育の歴史を調べるとわかるのだけど、日本も含めて障害児教育は特別の場によって行われるというのがスタートだった。
日本だと、盲学校、聾学校養護学校特殊学級なんかがこれに当たる。
障害のない者と分離されている場で教育を受けているので、分離教育という。
これは地域の一般の学校に通える障害のない者と同じではない。
ノーマライゼーションの理念から考えると、障害のないものと同じ学校・教室で教育を受けられるのが理想的となる。
よって、障害のないものと同じ場で教育を受けられるようにすることを統合教育といい、1990年代前半まではよく使われる言葉だった。

一方で、インクルーシブ教育。
インクルーシブとは「包容する」といった意味で、障害者権利条約ではこう訳している。
Exclusive(排他的)の対義語で、日本語を当てづらいからか、そのままカタカナで使われることが多い。
この言葉が有名になったのは、1994年にユネスコとスペイン政府共催で開かれた「特別ニーズ教育に関する世界大会」の中で採択されたサラマンカ声明においてである。
サラマンカ声明を読むと、原則的には子どもがなんらかの困難・相違を持っていても可能な場合は共に学ぶべきで、それを達成するインクルーシブな学校の重要性を述べている。
子どもたち学校に通えない場合、そこにはなんらかの困難が存在するから通えない。
言い換えると、一般の学校に行くのになんらかの個別の支援や対応が必要ということ。
これを「特別な教育的ニーズ」と捉え、これに対応することで誰でも通えるようにした学校をインクルーシブな学校という。
サラマンカ声明の中では「万人のための学校」という言葉も出てくるが、インクルーシブな学校と同義だと思っていい。
このように「特別な教育的ニーズ」に対応する教育とその制度をインクルージブ教育という。
「特別な教育的ニーズ」がある子どもとして、障害のある子どもがあげられるのだが、それ以外にも、英才児、ストリート・チルドレン、マイノリティーの子どもたちなど、恵まれない子どもたち全員がここに入ることになる。
日本で言うと、いじめや家庭的な問題、個人的な特性で不登校になっている子ども、不適応を起こして学校で落ち着いて勉強できない子どもなんかも入るか。
なお、インクルーシブ教育では、インクルーシブな学校の中では子どもの特別な教育的ニーズ等に応ずることができない場合や、子どもの福祉にとってそれが必要なことが明白な稀なケースにおいては、特別支援学校や特別支援学級などの特別の場における教育も否定はしていない。

さて。
前置きはこのくらいにして、本題に入る。
両者の違いは何か。
2つを並べてみると、両方似たような考え方に見える。
どちらも、「障害がある者とない者ができる限り同じ場で学ぶ」という部分は同じ。
ではなにが違うのか。
僕は、以下の3点を違いとして認識している。

(1)最初に障害の有無で分けるか否か
統合教育という考え方のスタートから考えて仕方ないことなのだが、統合教育では特別な場で学ぶ障害児と障害のない子どもが最初の段階で分けられている。
で、両者が同じ場で学ぶ、と考える。
一方で、インクルーシブ教育は、みんなと同じ場で学ぶのが困難である可能性がすべての人にある、と考える。
そして、その困難の中に、障害からくる困難も含めて考える。
つまり,最初から障害児か否かで分けて考えているわけではない.
この考え方が、両者で大きく違うところ。

(2)特別な教育的ニーズという概念の導入
統合教育はの定義は、別の場で行われている障害児教育と一般の教育を統合すること。
そういう意味で同じ場で学ぶ、ということを指している。
もちろん、個人個人の障害に対応した教育が統合教育の中では必要、とは言われていたものの、理念として明示・共有されているわけではなかった。
一方で、インクルーシブ教育については、特別な教育的ニーズという概念を導入し、それを埋めることで万人のための学校を実現することを掲げている。
ただ同じ場で学べばいいわけではなく、1人1人の教育を中心に考えて、その上で共に学ぶことを謳っているところが大きく異なる点。

統合教育の文脈では、元々分離されて教育されていた障害児教育と一般教育の場の統合という意味合いが大きい。
しかし。
これだと元々分離教育をするほどの困り感ではないが、一般の教室で困っている障害児がおいていかれてしまう。
例えば、注意が散りやすい子ども、知的障害ではないのに文字だけが極端に読めない子どもなど、もともと分離教育の枠組みで対応されていなかった障害については,統合教育の枠組みでは目が向けられない。

ここに、特別な教育的ニーズという概念を登場させることで、従来分離教育で教育されていた障害のある子どもたち以外にも目が向くことになった。
これは統合教育とインクルーシブ教育の違いとして大きいところだと思う。

(3)障害児教育の枠を超えているところ
最後がこれ。
特別な教育的ニーズという概念を登場させ、それは一般の学校に通うことを困難とするあらゆる者を含めた。
こうすることで、インクルーシブ教育は単に障害児教育の枠組みを超えて、あらゆる困難を抱える子どもたちへの教育に理念を拡張させた。
もちろんメインでは障害児ということになるのだろうが、国や地域によってはマイノリティー、経済的困窮者など、あらゆる子どもが対象になる。
これは、障害児教育のことだけをいう統合教育とは全く違うところ。
我が国ではインクルーシブ教育は障害児教育の発展形として導入されているため、障害児教育としての制度の色が濃い。
しかし、理念的には学校との関係で困っているあらゆる子どもたちのための教育を指すため、そのうちそっちの方に発展してくのではないかと考えている。

他にもあるかもしれないので、参考文献等を読んで、自分でも勉強して違いや共通点を考えながら理念の理解を深めてほしい。

ではまた。

参考文献
[1] 布留川富雄.(2004).サラマンカ声明におけるインクルージョンの意義.佛教大学教育学部学会紀要,3,245-255
[2] 茂木俊彦(編).(2010).特別支援教育大辞典.東京:旬報社
[3] ユネスコ.(1994).サラマンカ声明
[4] 湯浅恭正(編).(2018).よくわかる特別支援教育 第2版.
[5] 吉岡伸.(1973).障害児の発達と統合教育.特殊教育学研究,11,24−32

誰もいないベンチシリーズat横浜

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2024/08/30 16:59
これはお仕事。
職場にて。

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Update 2024/08/30
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