生きづらさから逃れるためのヒントー「メンタルが強くなる」方法は色々あるー (original) (raw)

「耳にタコができる」ほどに人から言われることばのひとつに・・

「メンタル・精神力を鍛えろ、強くしろ」

といった類のものがあります。

年輩の方が好んで使いますよね。

昭和あるいは平成の中頃までは支配的な価値観だったように思います。

確かに、精神力あるいは心の力はとても大切なものです。

成功や願望実現には欠かせないものです。

心身の健康にも大きく影響します。

ひねくれ者で天邪鬼の私でも、「そりゃー、メンタルは強い方がいいよ」と思っています。

ただ・・巷で言われている「メンタルが強い」「メンタルを鍛える」といったことばの「根底にある何か」がひっかかってしまうのです。

素直に「精神力を強く」とか「メンタルを鍛えよう」とは思えないのです。

私がひねくれ者で天邪鬼である所以です。

その「私の心にひっかかるもの」は何かと考えてみると・・・

あまりにも「強いことは正しい」「強くなければならない」といった思い込みに縛られてはいないかと。

それに加えて、メンタル・精神力の強さ云々を語るときに「ストレスに強いこと」「プレッシャーに強いこと」「我慢強い」といった類のことばかりが注目されていないかが気にかかるわけです。

これらの私がひっかかっているところは、多くの人にとっては常識的なものであり、「何を当たり前のことを言ってるの?」と捉えられるでしょう。

私は何も、「精神力は弱くてもいい」とか「メンタルなんて鍛えなくてもいい」といった極論を言いたいのではありません。

強いことを礼賛・信奉するイデオロギーってどうなの?

そもそも、「強いこと」の捉え方って色々とあるんじゃないの?

・・・と根源的な問いを皆さんに投げかけてみたいのです。

昨今では、我慢強さやストレス耐性を強めることに重点を置いた「根性論」「精神論」は後退しています。

特にスポーツの分野では顕著に見られます。

ビジネスの分野でも従来からの働き方や労働観の見直しも進んでいます。

しかしながら・・

一度身についた思考様式はなかなか変えられません。

社会全般の風潮となれば、なおさらです。

私の全くの個人的な意見ですが・・

「強さ」の定義をもっと柔軟にしてみてはどうかと。

つまり・・

ある困難なことに出くわしたときに、「打ち克つ」だけではなく「やり過ごす」的な技や力が高いことも立派な「強さ」だいう捉え方を世に広めるのです。

堂々と正面突破で困難に打ち克つことはとても立派なことです。

しかし、皆が皆この正攻法のやり方を貫けるわけではありません。

やり切ることができるのは一部の恵まれた人たちだけかもしれません。

私は「飄々と」いう表現が好きです。

私の生存戦略のひとつは「飄々と生き、うまくやり過ごす」です。

このような感じで、自分に起きた困難なことをうまくやり過ごして 結果として乗り越えられたらそれでO.Kと捉えるのです。

「ゆるさ」「軽さ」「しなやかさ」も十分に「強さ」の要素だとみなされるようになれば、より生きやすくなる・・と私は思っています。

皆さんはどのように思われますか?

最後までお読みいただきありがとうございます。

あなたにすべての善きことが雪崩のごとく起きます。