ランダムなメモランダム (original) (raw)
経済学者はGDPを最高の発明であり、経済力を測る物差しだとし、多くの政治家や経営者もそれを認めているのは確かです。それは当分、揺るぎそうもありません。
でも、この日本経済の停滞「失われた20年」に関するYouTubeに対しての米国の会計士である氏のコメントは、大いに人々の共感を得ているようです。
下記の米国人によるコメントが「一万イイね」です。
CPA(経済学のバックグラウンドを持つ)としての私の見解は、誰もが日本の成長停滞に異常に執着しているが、日本が他の国に比べて非常に高い生活水準、非常に高い一人当たりGDP、はるかに低いインフレ率を享受していることに気づいていないということだ。そして実際のところ、経済パフォーマンスの最高レベルを達成したら、成長そのものはそれほど重要ではない。
また、一つ興味深いコメントが共感を集めてます。
あなたが言ったことは間違ってはいませんが、生活水準について議論するときに人々が言及するのは通常それではありません。 医療、住居、清潔で安価な食料、水、電気へのアクセス、これらはすべて贅沢品よりも優先されます。 日本の中流階級と上流階級の生活水準は米国の中流階級と上流階級よりも悪いのは事実です。しかし、これらの指標の基準となる大衆である下層階級は、地球上で最も快適な生活を送っています。
日本の下層階級は他国(USA)より恵まれているかどうかは、自分もわかりません。
ですが、アメリカのように医療が受けられないことはないでしょう。
他のコメントも二つ引用しましょう。
GDP の欠点も理解する必要があると思います。GDP は、多くの建設プロジェクトを開始したり、借金をしたりするだけで大きく見せることができます。しかし、経済がどれだけ効率的に運営されているかについては、あまり語られていません。
私は現在、西ヨーロッパから日本に住んでいます。統計によると、ヨーロッパの給料は高いのですが、国民として豊かな国だと感じたことはありませんでした。生活費の高騰、犯罪率の高さなど。 一方、給料を除けば、日本での生活は本当の家に住んでいるようなものです。おいしくて安い食べ物、信頼できる治安、低い失業率。 日本が問題を抱えているのは事実ですが、この国はまだ大国であり、再成長する可能性があります。
自分が思うに論点は、懸命に働いても住居が維持できなくなっている地域が増大し、中間階級がすり減っていることは、日本では深刻な問題になっていないことです。
1970年頃の「転職の社会学」の先駆的業績にマーク・グラノベッターの「弱い紐帯の強さ」があります。当時のアメリカ社会において就職や転職が社会的関係の薄い人からきっかけを与えられるという指摘でした。
換言すると新規性の高い価値のある情報は強いネットワーク(強い紐帯)より, 弱いネッ トワーク(弱い紐帯)によってもたらされる。強い紐帯とは家族や親友,同じ 職場の仲間であり、弱い紐帯とは知り合いの知人やちょっとした知人です。
転職サイトの一種でもあるLinkedInにもぴったり当てはまります。
ソーシャルネットワークの時代は弱い紐帯が圧倒的に活性化していると思いますね。
ですが、1970年代はちょうど学生運動が一服して、伝統社会が壊れだした時期にあたることも注意しておきましょう。伝統社会では親兄弟の仕事を継ぐことが多かった。それが変化しだした時代の研究であることとボストンという大都市での調査であることです。
もう一つは弱い繋がりって、数の上では強い繋がりよりも多いわけです。親戚や職場の関係より、友人の友人やどこかのサービス担当など僅かな接点がある人のほうが多いでしょう。とくに都会などでは弱いつながりが多い。そうなると数の多いところから働き口の情報を取得するのは不思議でもなんでもないのかもしれない。
リースマンの孤独な群衆論もほぼ同じ時期に出ていることは示唆的ですね。
世界史的にみていろいろな身分制度があった。朝鮮の両班やスペインのイダルゴなどがある。日本の武士もその一つであり、つい150年ほど前に存在していた。
いまではエンタメにおいて各国から人気のまとになっている。その武器たる日本刀や甲冑の機能性と美も嘆賞されているようですな。
歴史的に鑑みると武士階級は支配者であり、圧制者であったのは間違いない。にもかかわらず、信玄公とか伊達政宗公とかの各地の「何とか公」呼びや武者祭りの残存からすると誇りと敬愛の念が強いといえる。
著しいのは武士がご維新とともにその特権を自発的に放棄した点だろう。これは世界史的にも珍しいことではなかろうか?
まことに、当時の国難に際しての決断の潔さと実直さは見上げたものだろう。
それ故にこそ、今でもサムライが日本人のアイデンティティの一つとなっているのではないだろうか?
新戸部稲造の本は武士道を第三者的に説明した書物の代表格である。
2024年の大統領選挙は、ふたを開けたらトランプ氏の勝利となった。
ハリス副大統領の敗北宣言で気になったことばがある。「Dark Age」だ。
ジェイン・ジェイコブスの最後の著作は題して「Dark age ahead_」(2004)_
素人ながら偉大な社会思想家はアメリカ社会に匙を投げた。その表明は「中世の暗黒社会に逆戻りしつつあるアメリカ」だった。これを100年前の「金ぴか時代」への逆戻りとみる人々もいる(ナオミ・クライン等)
21世紀になってからアメリカ人の気分から「アメリカンドリーム」は薄れた。
新車やマイホームや温かい団欒は遠のく一方で、多くの人々にはその日暮らしの世紀になったようだ。一部の人はこれをアメリカンナイトメアと呼び捨てにする。
名だたる大都会は「天国と地獄」のようなありさまである。摩天楼のペントハウスには贅を尽くした楽園のような世界があり、地上はホームレスと犯罪者がうろついている。いまではNYのタイムズスクエアはスティンキーな広場だ。
これをゴッサムシティ化と呼ぶ。悪党と警察のバトルの舞台そのものだ。ただし、バットマンはいない。
社会学者パットナムが1990年代に「伝統的なコミュニティの崩壊」を指摘した。30年経過してかわりになるコミュニティはSNSのようなデジタルコミュニケーションが土台になる社会組織ばかりだ。異質で多様な人々を結びつける場は芸能とスポーツしかない。それらが公共心や民主主義を補強するとは思えない。
そもそもアメリカでは教育制度、医療システム、治安が大きな問題を抱えている。にもかかわらず歴代政権はだれも本格的に改革しようとしなかった。
「コミュニティの崩壊」は結果であって原因ではない。個人的にはアメリカの政治と経済の仕組み全体に致命的欠陥があるとしか思えないのだ。
ロバート・パットナムの精力的な研究が議論の余地なく証明した「米国コミュニティ崩壊」は1990年までの社会現象だったんです。
あいにくと21世紀になってコミュニティ再生は起きなかった。それどころか症状が悪化したといえる証拠は「トランプ大統領」の誕生でしょう。
アメリカ社会の「分断」とメディア等は表現していますが、もっと複雑なようです。
ノーランチャートが有名ですが中道は別として4つの極がある。
リベラル、リバタリアン、権威主義、保守です。これらがお互いの主張を確認しながら、発展的に成長するという「場」が急速に失われたというのが、現状でしょうか。
困ったことに、中道勢力は調停するパワーがなくなりました。経済階層でいう「中産階級」が細り続けている。
これがただの抽象論でないことを『孤独なボウリング』は否応なしに突きつけたわけです。
その後、21世紀になってからもパットナムらは社会関係資本のうちでも教育と格差是正に向けて、有意義な提唱を継続しています。しかしながら、いくつかの理由と事実によって、彼らの主張は冷酷な現実により圧砕されたと言えるでしょう。
新自由主義経済政策が継続されていることで、公教育はどうやら質の地域間格差の拡大とそれに伴う質の低下が拍車がかかったようです(鈴木大裕氏の報告等)
一般市民の多数が内実の伴わない義務教育で社会に送り出されている。そんな状況が10年以上継続しています。
デジタルコミュニティ=SNSは補完的コミュニティとなりえませんでした。エコーチェンバーとデジタルバルカン化は増幅されているようです。
つまりは人間的な話し合いをもたらすはずの教育もその場所もどちらとも消失しつつあると要約していいようです。
手始めにCNNの「数字で見る「米国における銃乱射事件の実態」」を参照します。
4人以上の死傷者の事件の実態をCNNはまとめたものです、
また、こちらは2023年の数字で654件の発生を報じています。死者が出た事件数です。1日あたり117人というのは衝撃的です。
2018年までは300件程度であった(これでも多すぎでしょ)のが19年以降激増したといわれています。コロナ流行と重なりますね。
襲撃される場所の2強は職場と学校であり、犯人は白人が多いそうです。つまり、有色の移民が銃撃事件を起こしているとは言えません。
このプロファイルはやはりトランプ支持層とも重なりますね。白人はひどく逆差別を受けていると感じている。それまであった地位や身分から脱落して、それが不平等で不公正であると感じている。職場からの脱落者は職場に意趣返しするし、社会からの脱落は学校に意趣返しする。
職場への攻撃は白人層がかなり職業選択の機会損失が増大している(トランプ支持層の多くはそうです)ことから理由づけはできるでしょう。レイオフはいきなり襲い掛かり、地域によっては他の職が見つからないこともある。地域の伝統的な産業が衰退傾向にあるのはよく知られています。
教育機関への攻撃は何がそうさせるのでしょうか?
いじめ、逆差別、脱落、機械不平等、薬物中毒、病的な思い込み...各種ありそうです、
大きな原因の一つとして、アメリカの公教育制度の企業化があると思います。
CNNサイトでミシガン州が多発州ワースト3に出ています。2014年時点で65%が民営化された公教育になっていると鈴木大裕は指摘しています。チャータードスクールという制度です。これは私企業なので徹底した効率化とコスト削減を追求します。
新興国から「輸入」した教師をつかったり、1名の教師で100名以上の生徒への授業やオンライン管理は彼らのソリューションです。そうしたソリューションの結果が血の通った教育と人の訓育になるかというと大きな疑問です。
地域コミュニティの衰退とも並行して起きているのではないかと考えます。
これらは「孤独のボウリング」なる社会現象の一環です。日本ではいえば「孤独なゲートボール」なるゲートボール老人の減少が起きているのではないかな。1990年代から始まるローカルコミュニティの衰退はパットナムの研究書で分析されました。世代交代による伝統的なコミュニティの減少は世代交代によるもので置き換わるようなインターネットサービスや社会活動がある。しかし、全体として個人間ネットワーク(近隣の家庭訪問など)を減退させた。社会関係資本の質の低下でもある。
こんなパットナムの指摘は21世紀四半世紀を迎えた今ではいっそう切実なものです。
その一つの現れが銃撃事件の増大なのだと理解できるようです。同じ銃社会であるスイスではこうした社会問題は起きていないのも参考にしてよいでしょうね。
注意すべきは伝統的な「コミュニティの衰退」はUSの諸々の社会変動の結果だということです。地場産業の撤退、公教育の質の低下、大麻やオピオイド等の医療管理の不具合、新聞等の伝統メディアの喪失などなどが影響しあって「エコーチェンバーに囲まれた油断禁物のハイテク&ハイリスク社会」に変容してしまった21世紀なのでしょう。
間違ったITの使用の問題は下記の書が参考になる。NY州の教師の管理にビッグデータを用いた弊害などが取り上げられている。
10月の東京とは思えない暑さであります。21世紀末に1.5度上昇どころではありませんね。彼岸過ぎても汗だらだらです。油断すると熱中症にもなりえる。
このような温暖化の極端な現われに対して、一般ピープルとしても危機感をもつのです。たしかに自分たちの代はしのげるかもしれない。
でも、子々孫々のことを考えると例でいえば、データセンターのラダイトやエアラインの使用制限とか、戦争して火薬や燃料無駄遣いしまくっている国々との外交停止なんかのような極端なアクションが必要な気分にもなろうというもの。
データセンターというか生成AIはエネルギーくい虫であるようです。電気代値上げにも関係してきているようです。人と同じ仕事しかしないなら、生成AIは使わないというのも温暖化対策になりうるかも。
大脳のエネルギー効率はピカイチですもんね。