アイスクリームと獅子 (original) (raw)

ある対象を「推し」と呼ぶのは、その対象のことを資本主義の論理に乗っかって消費します、自分の好きなように解釈したり、一方的に好きの感情をぶつけ広げたりする意味でも消費します、その暴力性を自覚していますという宣言と同意なので、軽々しく使えないんだよな。

そもそも、好きっていう感情は、資本主義やら消費やら関係なく暴力性を孕むわけで、対象をそれに晒しているんだよね。
推しには会いたくないって気持ちってそこからきているのかもしれないな。私の存在を認知されたくない、という気持ち。

好きってだけでも暴力的なのに、資本主義に乗っかって消費を加速させ、それを促進させていく。
だから、めちゃくちゃいいことしかない感じでメディアも企業も「推し活」を煽ってくるけど、そういう煽りに対しては警戒しなくちゃいけないんよ、本当は。
だから私は、それをOKとしてるジャンルの人しか推しという言葉を使いたくないです。具体的にはアイドルとかVtuber
それ以外のジャンルの応援したい人たちのことを「推し」とは呼びたくない。その暴力性に晒さないように努力したいと考えるから。
まあ私の個人的な話だから、推しという言葉をカジュアルに使ってる人に対する批判的視座ってわけじゃないですけど。

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