西郷どんゆかりの地巡りと、城山からの桜島|2024年「推し活」旅 第一弾in鹿児島② (original) (raw)
鹿児島旅、1日目。
鹿児島城跡&黎明館を見学した後、お城周辺をひたすら歩いて観光。
西郷隆盛終焉の地
本当は、城山⇒西郷洞窟⇒終焉の地と、西郷さんが辿ったルートで巡りたかったのですが、逆ルートの方が効率良かったので、一番先に終焉の地に訪れることとなりました。
鹿児島城からは、徒歩約10分。
明治10年1月、日本最後の内乱となる西南戦争が勃発します。
鹿児島の私学校生徒と、明治政府との間に起こったこの戦い。
総大将となったのが、西郷隆盛です。
熊本の田原坂の激戦で西郷軍は壊滅。その後、宮崎でも連敗し、最後は鹿児島の城山に籠城します。
城山に籠城するまでの戦いで、負け続けていた西郷軍の兵の数は、わずか400。
対する政府軍は、5~7万ともいわれる大軍で城山を包囲。
1877年9月24日、政府軍の総攻撃を受けた西郷軍。あっという間に各所が撃破され、西郷隆盛も腹部と股間に銃弾があたり、動くことができなくなりました。
そして「晋どん、もうここらでよか」という言葉を発し、別府晋介の介錯のもと自決。
49年の生涯に幕を閉じたのでした。
現在、その場所には「南州翁終焉之地」と書かれた碑が建っています。
大河ドラマ『西郷どん』は、凄く面白くて好きなドラマだったんですが、最終回、とってつけたように大久保利通との絆を描いて、感動を誘うみたいなラストシーンでがっかりしました。
ネット上でも賛否両論の声があったみたいですが、やはり最後はちゃんと事実を描いて欲しかったなーと思うのです。
西郷洞窟
終焉の地から徒歩10分
城山に立てこもった西郷隆盛が、本営としていた場所。
1877年9月19日から、自決する9月24日までの5日間を西郷さんはこの地で過ごしました。
当時は10個ほど洞窟があったそうですが、現在残っているのは2つのみ。
この洞窟の側にお土産屋さんがあり、その隣にも西郷さん像が建っていました。
城山方面をじっと見つめる西郷さん。
歴史に名を残した数多くの偉人たちが、もしも現代に生まれていたら、どんな人生を送ったんだろうな、と考えることがあります。
彼らの行動は、その時代に生きたからであって、令和の時代に生きていたら、世の中に不平不満を言いつつ、一市民としてその生涯を終えていくのかもしれない。
人間みんなに言えることだけど、生まれて来る時代が違えば、全く違う人生を送っていたはず。
生まれてくる時代と場所は、人生にとって最も重要と言えるのに、誰一人としてそれを自分の意志では決められないなんて、命は平等じゃないよな、と歴史を学び始めた子供の頃、思わずにいられなかった。今もそうだけど。
城山から見る桜島
西南戦争最後の舞台となった城山。
現在は、公園として整備されています。
洞窟前の車道をずっと登ればたどり着けそうでしたが、脇に歩道を見つけたのでこっちを歩いてみることに。(重度の方向音痴の癖に、勘を頼りに行先決めがち。)
5分後、無事に城山公園の入口に到着。
とりあえず、このまま行けば展望台にたどり着くだろう、とこれまた完全な思い込みで進む。
道は舗装されていますが、さすが「城山」だけあって木々がめっちゃ生い茂っています。
立派なクスノキ。
入り口から7分ほど歩いて、展望台に到着。
桜島と錦江湾、鹿児島市街地が一望できます。
私が訪れたのが5月24日。22日の夕方に爆発的噴火で、噴煙が3000メートルまで上がったというニュースを見ました。
雲もかかっているので分からないんですが、右側の濃いグレーは噴煙なのかな・・・
噴煙の影響あったら困るな、と思ってマスクも用意していたんですが、特に気になることはありませんでした。
てか、桜島、想像していたよりもめっちゃでかいんですけど。
鹿児島の市街地。
普段使わない機能を使って、撮影してみる。
ジオラマ風。
水彩画風。
余談ですが、鹿児島市街地は、駅近よりも少し離れた「天文館」エリアが最も栄えています。駅周辺よりも便利そうだったので、今回そのエリアでホテルを予約したんですが、やたら夜のお店系が乱立している場所にありました。(泊まったホテルは、普通のビジネスホテル)
口コミも割と高かったし、実際泊まってみたら快適なホテルだったんですけど。
土地勘がない場所のホテル選びは、たまーににこういうことがある・・・
帰りは、城山自然遊歩道と書かれた道を下っていきます。
ま、来た道と見た目は変わらないけれど、人はこっちの方が多かったです。
あとランナーさんも数名下から上がってきていました。この城山を日々のランニングコースにしていたら、相当坂に強い足になるな。(ランナー的思考)
だいぶ下ってきたところで、城山の主に遭遇しました。
にゃんごろにゃーん。
近づいても全く動じず。むしろ「私を撮れ」と言わんばかりに微動だにしない。
やはり、確実にこの子は城山の主だ。
しばらく主と過ごした後、更に歩いて
公園の入口に到着。
鹿児島城や天文館方面から展望台へ歩いて行くなら、この入口が近いです。
また、市内の主要観光スポットを走るバス「カゴシマシティビュー」に乗れば、展望台近くのバス停まで行くことができます。
島津斉彬公を祀る「照國神社」
最後に訪れたのは、薩摩藩主・島津斉彬公を祀る照國神社。
神社に向かっていると、またまた出会いました。
にゃんごろにゃーん。
カメラを向けたら、ちゃんとカメラ目線をくれました。
この子はモデルの才能があります。
島津久光公の像。
島津斉彬の弟で、斉彬の死後、薩摩藩の実権を握りました。
この久光が江戸から帰る際、一向の行列の前を横切ったイギリス人が薩摩藩士に切り殺される有名な「生麦事件」が起こります。
この事件がきっかけとなり、薩英戦争が勃発。欧米列強の強さを思い知った薩摩藩は、倒幕と開国に向かっていきました。
生麦事件が起こっていなければ、幕末の歴史はまた変わっていたかもしれない。
歴史に「もしも」を言い出したらキリがないけど、そんなことを妄想すると止まらない。
こちらは島津斉彬公の像。
うん、すいません。パッと見、区別つかん。
西洋文化を取り入れ、日本の近代化の礎を築いた島津氏28代当主。
『西郷どん』で渡辺謙さんが演じていたのが、凄く印象に残っています。
説明書き、呪文レベルで読みにくい。
謙さん、もとい、斉彬公を祀る照國神社。
島津の家紋は、〇に十字。覚えやすくて、書きやすい。(手書きする機会、多分一生ないけど。)
17時前だったので、納経所などは閉まっていましたが、参拝は自由にできました。
境内から見上げた城山。
翌日、福山さんがライブ中のMCで「昨日の夜、西郷さんの像と鹿児島城の楼門見に行ったんですよ」って言ってて、「私も、その数時間前、同じとこいたーーーーっ!」と心の中で絶叫したのは言うまでもありません。
おまけ
鹿児島のスイーツと言えば・・・・しろくま!!
『水曜どうでしょう』ファンゆえに、白熊を見たら「白熊対決」を思い出さずにはいられない。
対する相手はいないけど、やはり本場で一度は食べておこうと、しろくまの発祥と言われる「天文館むじゃき 本館」へ。
色んな種類があったんですが、初めてなので一番王道の白熊にしました。
運んで来た時に、店員さんが「これが目で、口で・・・」と説明してくれました。
口のレーズンが縦になっているおかげで、「うひょー」と言っているように私には見える。
サイズは「スタンダード」と「ベビー」があります。これはベビー。
スタンダードを注文している人も結構いましたが、思っているよりでかかった。ベビーにしておいて良かったです。凍えるとこやった。(ベビーサイズでも、食べ終わった頃にはすっかり冷え冷え。)
ちなみに、これ食べに入ったの夕飯前の17時過ぎだったんですが、結構店内混んでいました。客層も老若男女、また外国人の方も結構いました。白熊人気、さすがです。