日記 | 20240812 - 0818 (original) (raw)

20240812

このところ気分の浮き沈みが烈しい。仕事にさっぱり身が入らず、オフィスでうつ病を克服した体験記を集めたウェブサイトを片っ端から読み耽る。なによりも規則正しい生活、睡眠を十分に摂ることが重要なのだとどのサイトにも書いてあるが、日記を書くのもひとつの処方箋かもしれない。今日のパリはこの夏いちばんの暑さだ。暑さのあまり体調が優れないだけだろうか。

夜にポルトガル語オンライン講座。さんざんサボろうかと逡巡したが、サボったところでさらに気分が落ち込むだけなので、なんとか Zoom リンクを立ちあげた。この夏、フランス人に交じってブラジル・ポルトガル語講座を週3で受けているのだが、相変わらずの劣等生である。授業を終え、家でじっとしていたって仕方がないとさらに奮い立ち、昨日買ったばかりの水着やタオルを乱暴に鞄に放り込み、大家から勧めてもらっていた近所にあるポントワーズ通りのプールに足を向けた。歴史的建造物に指定されたアール・デコのユニークな建築のスポーツ施設で、たいそうな造りなのだが、自分がここに通うことはないだろうと直感した。それにしてもプールで泳ぐのは何年振りのことだろう。プールをぐるりと囲むようにして設えられた更衣室の一室で水着に着替え、勝手が判らずオロオロしながら水に入る。試しに25メートル泳いでみたが、それだけで息があがって苦しい。何度も休憩を挟みながら小一時間ほど泳ぐ。脳裏には岡田利規の小説に登場する女性がバンコクの夜のプールでしずかに一定のリズムを保ってひとり泳ぎ続けるイメージがあって、プールには内省をうながすような効果があるのではと期待していたのだが、実際はただ泳ぐことに必死で、とてもじゃないけれど水中で考えごとをする余裕なんてなかった。それでも背泳ぎはいい。下界の音が遮断され、天井を走る黒い線を追いながら進んでゆく、あの感じ。

20240813

読書会。課題本は先日芥川賞を受賞したばかりの朝比奈秋『サンショウウオの四十九日』。ひとつの結合した身体に同居する二つの異なる意識という結合双生児の話で、なによりもまずこの設定に好奇心がくすぐられる。ただ、杏と瞬の二人が同じ身体で同じ出来事をべつべつの仕方で生きるという絶好の設定を小説として十分に活かせていないのではと感じた。あるいは行為主体の不確実さを梃にして責任と倫理の問題圏に踏み込んだり、互いに異なる指向性をもつ性愛の不可能性とか、記憶の掛け違いとか、作中でそうした物語の萌芽となりそうなモチーフがいくつも仄めかされているにもかかわらず、そのいずれもが十分に物語として展開されず、あくまで思索によって牽引されているふしがあった。

この読書会に参加していたひとりはiPadで接続していたのだが、そのiPadにデフォルトで備わっているらしい人物自動追尾機能がやたらと仕事をしていた。カメラが人物を追いきれずにフレームアウトを許したあと、無人となった空の画面はゆっくりと引いていき、窓の外に映るロンドンの夕景を収めてゆく。およそ人間には撮れない不気味なカメラワークに身震いした。

20240814

ふと窓の外に目をやると、夕陽を受けた雲が信じられないくらい綺麗だった。カメラでこの光景を収められないかとしばし奮闘するが、やはり眼前の美しさにはどうしても敵わない。ルイスダールでもこの美しさは描けなかったと思う。ぼくの部屋からは往来は見えないけれど、この瞬間、きっとパリの街中ではたくさんの人が同じ雲を見上げていたのだろうと想像をしてみると、ほんの少し愉快な気分になった。

20240815

日本の終戦記念日は、カトリックでは被昇天の祝日。聖母マリア聖霊に連れられて昇天した日である。パリを訪問中の二組の夫婦と会う。

一組目はベルギーのゲントから。夫はニュージーランド出身の植物を専門とする研究者。映画関係の仕事を辞め日本からゲントに合流した妻は、秋からの修士課程のプログラムの準備をしているという。マレ地区のイタリアンに寄ったあと、今年フランスで大ヒットを記録している『Un p’tit truc en plus』というコメディを観にいく。5月の劇場公開から破竹の勢いでロングランを続け、今年の年間興行収入ランキングでもハリウッド映画やモンテ・クリスト伯の大作を差し置いて圧倒的首位につけ、まもなく動員1,000万人という大台に届こうかという作品である。逃亡中の宝石強盗犯二人が障がい者グループのヴァカンスに紛れ込んで交流を深めてゆく話で、監督と主演の Artus はフランスで有名なコメディアン。いかにもフランスによくあるコメディで、なにがここまでフランス人を熱狂させているのか判らなかった。たとえば十年ほど前に同じように記録的ヒットを飛ばしていた『Qu'est-ce qu'on a fait au Bon Dieu?』のほうがよほどおもしろかったなあ。

二組目はアメリカのサンタクルーズから。夫のほうは高校大学の同窓で、10年以上振りの再会を果たした。近況を訊けば、コロナ禍のタイミングで、アメリカの大学で研究をしていた妻を追うようにしてアメリカにわたって、ラーメン屋として起業したのだという。彼の生まれ育った実家もラーメン屋を営んでおり、その屋号を引き継ぐ形でアメリカで事業を展開し、最近ようやく黒字化を達成したそうだ。しかしアメリカからフランスを訪れる友人知人は、みなヨーロッパのほうが生活の歓びがそこかしこにあって素晴らしいと口を揃える。先月パリに来ていたジェシカもそれを「Art de vivre」と表現していた。アール・ド・ヴィーヴル、生きる術。

20240816 Paris - Heidelberg - Wald-Michelbach

東駅からドイツに向かう鉄道に乗りこむ。三時間余りの乗車のあいだせこせこと最近の日記を書いていたが、しばらくさぼっていたせいで、こういうなんでもない文章を認めるのにも手こずってしまう。継続するためには他人の日記と並走する意識をもつのがいちばんいい気がするが、しばらく読み続けていた福尾匠さんの日記が終わってしまってから、そうした規範となるような日記が無くなってしまった。友人知人のブログやSNSも刺激になるけれど、見ず知らずの他人の日常を取り入れたい。

いつの間にか列車はフランスから国境を越えドイツを走っている。窓の外には深い緑に覆われた山が見え、その山間に住居が点在して、ときどき河川があって、しばらくすると拓けた街が現れる。車窓からの景色は、建築の様式が異なるだけで、あとは日本の鉄道旅にそっくりだ。ハイデルベルクに到着。当たり前だがフランスの地方都市とは全然雰囲気が違う。目抜き通りを横ぎって、ハイデルベルクから山岳列車でネッカー川を遡行し、ヒルシュホルン駅でバスに乗り換え、ヴァルト=ミヒェルバッハという山あいの町に辿り着く。その名の森(Wald)と小川(Bach)の語句がしめすとおり森と川に囲まれた小さな町だ。停留所で待っていたレイラはこの町に一年ほど前に引越して、四人で大きな庭に小川の流れる家でシェアハウスをはじめたのだという。わたしたちの家は天国みたいなところだよ、と彼女は誇らしげに言いながら、その庭で育てている野菜や、あたりを自由に行き来する飼い猫たちなどひとつひとつを紹介してくれた。レイラは語学交換パートナーで、毎週決まった時間に大学のそばのシーシャ屋にいって、フランス語を教えてもらう代わりに日本語を教えていた。あれはもう11年も昔のことだ。

20240817 Wald-Michelbach

雄鶏のけたたましい鳴声で目を醒まし、枕もとにある小さな窓を開け、寝泊まりしている小屋のすぐそばを流れる小川の水音に耳を澄ます。同居人のアンジェラと一緒に三人で荷台を連結させた車に乗り込み近所の工事現場から廃材を譲り受けにいった。ヴァルト=ミヒェルバッハは人口は一万人ほどで、山間の僻地にある鄙びた農村というイメージをもっていたのだが、思っていた以上に新しい住宅が立ち並んでいて驚く。午後に Kerwe と呼ばれる町の夏祭りまで出かけたときも、小さな町の小さな祭りには違いないが、過疎っている感じはぜんぜんなく、子どもも若者も集って活気があるように感じられた。夏休みに子どもたちが帰省をしているだけかもしれない。レイラはまだ暮らしはじめて日が浅いけれど、変てこな人が多くて楽しい町だと言っていた。スーパーでは車椅子のおばあちゃんが、ここを陣取って通過料をせしめてひと儲けを企もうと持ち掛けてきた。変てこな人だ。

20240818 Wald-Michelbach - Neckarstehtnach - Mannheim - Paris

小川に沿うようにして、薄いピンクの花が下がっている植物がたくさん自生していた。花の回りにあるこんもりとした房を軽く指で摘まむと、すさまじい勢いで破裂してあたりに種子を吹き飛ばす。これはドイツ語でSpringkraut、文字どおり「飛び跳ねる葉」と呼ばれているらしい(日本ではツリフネソウの名で知られているよう)。庭で放牧されている23羽の鶏たちをしばし観察。一羽一羽に名前が付けられていて、それぞれの性格のちがいを聞く。レイラが雌鶏が今朝産み落としたばかりの卵を焼いて朝食を用意してくれた。テラスのソファで、雨音に耳を澄ませながら昼過ぎまで茶をしばいて出発。これで「天国」の暮らしとも、レイラとも、しばしお別れだ。

群生するツリフネソウと鶏たち

行きの列車で通って気になっていた Neckarstehtnach という町に途中下車。川があって、赤黄色系の土壁に木組みの構造が見える落ち着いた色合いの家々があって、プロテスタント教会があって、小高い丘のうえに城址が見えてと、どこを切り取ってもドイツらしい伝統的な景色に小さな感動を憶える。行きも帰りもネッカー川を遡行している遊覧船をいくつも見た。今回はたった三日だったが、この辺りを船でのんびり旅行するのも良いだろうなと想像を巡らせてみる。普段セーヌ河のパーティ船ばかりを見ているせいか、フランスの遊覧船よりもドイツのほうが絶対いいんじゃないかという気がする。

Neckarstehtnach にて

再び列車に乗り込んでマンハイムに到着。近代的な建築が立ち並ぶ街路にトラムが行き交う光景に既視感を憶え、調べてみると案の定、世界大戦で徹底的に破壊された都市だとわかった。マンハイム市立美術館 Kunsthall de Mannheim を訪問。ふらっと立ち寄るだけのつもりが、思いのほか充実した時間を過ごした。19世紀フランス・ドイツの絵画や彫刻のコレクションを骨子にして、現代アートとの結節点を探ろうとするキュレーションの方針が明快でいい。この美術館は収蔵をはじめた初期のころにマネの《皇帝マキシミリアンの処刑》の一点を購入したらしい。オルセーの《マネ/ドガ》展で、マネが破り捨てドガが修復を試みた継ぎはぎのバージョンを見ていたが、まさかここに別バージョンの完全版があるとは思っていなかった。この作品が最初期にコレクションに加わったことが、今日にまで至るまでの美術館の性格や位置づけを決定づけたのではないかという気がする。

Édouard Manet, L'Exécution de Maximilien, 1868/1869.

この三日間、自然のなかの暮しに大いに感銘を受け、レイラともさんざんそういう話をしていたのに、たちまち打って変わって都会的な嗜みに刺激を受けている自分の率直さに戸惑う。これくらいの軽やかさで自然と都市のあいだを行き来できるといちばんいいんだけどねえと、大都市へと戻っていく列車のなかで思う。パリでメトロに乗り換えると、隣には風船から笑気ガスを吸い込んでラリっている男がいたが、ちょうどスヌープ・ドッグを聞いていたので別に怖くない。アフリカ系の妙齢の女性が風船を買いもとめにきて、若い男の子たちは面白半分でカメラを向けてくる。男はひたすら笑いながら、暴言を吐き捨てていた。怪しいもんじゃねえんだよ、おれは立派なフランス人だからな、と、隣に座るぼくに向かって身分証を見せてきた。アブドゥラ・何某。相変わらずパリは混沌としている。