「第三省察」目次 (original) (raw)
『省察』はデカルトの哲学的主著になります.懐疑を主題とする「第一省察」,自己のありさまを主題とする「第二省察」に比べたとき,「第三省察」の一見の難しさはたいへんなものです.じつは「第一省察」「第二省察」についても難しさを語ることはできますけれど,多くのばあい,デカルト学を修めないひとにとって,そもそも「第三省察」は話のポイントと流れを追うだけでひと苦労,そして追えずに挫折してしまう,という感じであろう,と思います.
わたくしが学部生のときに,私家版としてつくった「第三省察」の目次を公開しておきます*1.これは,当時,卒論用の進捗報告会でお披露目したことがあるものです.今からみると,直したいところもあります.しかし,いったんこのくらいのものとして捉えて,読み手が微修正してゆく,というのでよいだろう,と思います.多少表現をなおした以外は,実質当時のままです.
なお,かっこ内は,Adam-Tannery(AT)版デカルト全集第7巻の頁番番号と行番号とを指定しています.つまり,「11, 11–22, 22」は,11頁11行目から22頁22行目までの範囲を指します*2.
1 私から他の事物への道程の模索
1.1 なお規則の身分を得ない明証性
- 私の思惟への定位(34, 12–35, 02)
- 明証性の一般規則の推測(35, 03–15)
- 明晰とは何でないか,知得とは何でないか(35, 16–29)
- 規則の定立を立ち塞ぐ神の問題(35, 30–36, 29)
1.2 観念のはじめの道とその袋小路
- 真偽の所在確認に向けての思惟の配分(36, 30–37, 12)
- 判断の誤りやすさと観念それ自体の不可謬性(37, 13–28)
- 起源にもとづく観念の三分類とその不十分さ(37, 29–38, 10)
- 観念/外部の類似性という通路(38, 11–22)
- 類似性の理由の吟味,観念/外部の通路の切断(38, 23–40, 04)
1.3 観念のもうひとつの道の整備
- 観念の表象内容を調べる道(40, 5–20)
- 因果の原理の導入と観念への適用の準備(40, 21–41, 29)
- 観念と観念の原因との事象性の差異(41, 30–42, 15)
- 私以外へ至るための唯一可能な立論(42, 16–28)
2 私のもつ神の観念から神への道程
2.1 観念の考察から神の第一実在証明へ
- 観念の表象内容の分類(42, 29–43, 04)
- 複合観念の考察(43, 05–09)
- 物体の観念の仕分け,曖昧・混雑な物体的観念の考察(43, 10–44, 17)
- 物体の明晰・判明な観念の考察(44, 18–45, 08)
- 神の観念の考察,神の実在の帰結(45, 09–22)
2.2 第一実在証明への註釈
- 無限の知得は有限の知得に優先すること(45, 23–46, 04)
- 神の観念はとりわけ明晰判明でとりわけ真であること(46, 05–28)
- 神の無限はまったく現実の無限であること(46, 29–47, 23)
3 神の観念をもつ私自身から神への道程
3.1 私自身の作者の探求から神の第二実在証明へ
- 神の観念をもつ私自身の作者の探求(47, 24–48, 06)
- 私は私からはありえないこと(48, 07–49, 11)
- 私は私以外、詰まるところ神に依存していること(49, 12–50, 10)
- 私を作る神は一なる神であること(50, 11–24)
- 思惟する事物の作者としての神の実在の帰結(50, 25–51, 05)
3.2 残余の考察と本日の省察の締めくくり
- 神の観念は私に本有的であること(51, 06–14)
- 神は欺瞞者でありえないこと(51, 15–52, 09)
- 本日の省察の締めくくり(52, 10–20)