ishigamiunoの日記 (original) (raw)

以下の手紙を日本女性学会22期23期幹事会に宛てて送りました。

なお公開にあたり、論旨を誤解されることを防ぐため、一部のお名前と所属は伏せています。

初めてお手紙を差し上げます。石上卯乃と申します。私は、6月9日に「分科会Hパネル報告2」に参加していました。入場の際にも、また、途中でまわってきた参加者確認用の紙にも記名しております。

私は、論争を呼ぶことを予期しつつもこの分科会を設ける英断をなさった、事実にもとづく認識と学問の自由を重んじる、日本女性学会の皆様を尊敬しております。そして今後も、皆様がその歩みを止めることの無いよう、強く願っております。

【当日起きたことについて】

SNSも含めてのさまざまな証言から、皆様は、当日、参加者の一人であったO氏が、「こんなの差別集会じゃないか」「こんなの差別だ」のように大声で言って退場なさったことは、事実として把握しておられることと存じます。

私は、分科会の進行をこのような言葉で妨げたO氏の行動こそが問題であったと考えます。ここに集い、この数年で明らかに強まった女性への抑圧について情報を共有してともに考えたい人々を、差別、という言葉をもって否定したことは、学問の場にふさわしくないことでした。社会で急速に広まっている思想運動について、その原因および影響を追求することは、絶対に、差別扱いされてはなりません。

O氏の退場に先立って別の方から発せられた「トランスジェンダー女性を女性と認識している人はどのくらいいるのか」という質問も、女性という枠組みの変更をどのくらいの人が受け入れているのかという、あくまでも、事実とそれが映す社会の輪郭を知りたいと求める質問にすぎず、学問の場で問われるのはむしろ正当なことでした。

これに対するパネリストの答えは、今日は手元に資料を持ってきていないけれど、と述べたうえで、イギリスの調査ではこれに近い質問に対して、数年前の半数越えから3割に減っているという報道があった、というものでした。

その資料はこちらです。

https://natcen.ac.uk/news/britains-attitudes-towards-moral-issues-have-become-much-more-liberal

該当部分を引用して訳します。

トランスジェンダーには出生証明書の性別を変更することが認められるべき、と答えた人の数は、2019年の53パーセントから、(2022年の調査では)23パーセント下落して30パーセントになっている」。

これは過去40年間社会意識調査を続けてきた団体による調査結果であり、複数のメディアがこの調査結果を報道しています。正確に言えば、「トランス女性は女性だと思っているのか」という思想信条ではなく、法律・制度についての質問ではありますが、それでも、この質問はタブーではなく社会調査の項目であり得ましたし、その結果は社会の実情を映し出すものとして受け止められました。ならば日本においても、社会の全体像を知るために類似の問いを発することは、妥当性があり、学問の領域においても認められるべきこと、と言えるのではないでしょうか。

そしてもしも、その質問に一部で笑いが上がったことが学問の場として不適切だったのではと皆様がお考えなのだとしたら、ジェンダーをめぐる界隈でこの数年間におきていたこと(以下で述べます)からここだけ切り取って問題視するというその姿勢に、私は抗議します。

この笑いは、「今までこんな当たり前のことを口に出せなかったこと、表現の不自由さの中に自分たちがいたこと」への気づきであり苦笑であって、嘲笑などではありませんでした。

【責任の所在について】

日本の多くのジェンダー学者の方々は、2019年2月の「トランス女性に対する差別と排除とに反対するフェミニストおよびジェンダー/セクシュアリティ研究者の声明」以来、女性たちの一方の側に「差別者」のラベルを貼って、本来ならば冷静に話し合えるはずだった女性たちを分断してきました。

この分けられた両者は、「性自認主義はあるのか、ないのか」という認識がまず違っています。

私もその立場であるところの、ジェンダークリティカル(以下、GC)の考え方では、性自認主義(トランスジェンダリズム)は存在します。

女性スペースや女性スポーツはどうあるべきか、女性刑務所はどうなるのか、同性介護・同性看護の認識はどうなるのか、統計への影響はどうなるのか、「女性のため」の奨学金や仕事のポストはどうなるのか、などなど、女性の範囲が変えられたならば影響は大きすぎ、しかも安心安全にも影響が出ます。海外での数々の事例は女性の権利が侵害されることを明らかに示しています。これらを、女性たちの身に起きている問題として認識すべきである、これらの諸問題を推進しているのは「性自認を生物学的性別よりも優先させる思想」である――これがGCの考え方です。

他方の方々は、性別を性自認をもって置き換えることは新しい人権に沿うことであって、ユニバーサルな人間の自由・平等の推進の、たんなる一部にすぎない、という考え方です。この場合、「性自認主義というものはない。あるのはただの人権尊重」という考え方なので、GCがしていることを、”思想”への抗議としては認識できず(なぜなら、「ない」ものは認識できないので)、「トランスジェンダーという”人”たちの存在を認めないこと、つまりトランスジェンダーへの差別だ」と認識してしまいます。なお、「性自認主義などない」と認識することがもたらす問題については、作家の笙野頼子氏が以前から指摘しています。

この方たちは、「思想への抗議」であるものを「人への否定・差別」として受け取ってしまうから、差別者の言葉に耳を傾ける必要はないという判断をして、現実にどのような出来事が起ころうともGCの言葉を否定してきました。そして、「ない」と決めた性自認主義というものについての責任は誰も取りません。高石市の事件の際も、公共の女性トイレが激減しても、そこにいわゆる「性自認の尊重」が関わっていることは明白であるにも関わらず、この方たちは何も表明していませんし、深く考えた様子も伺えませんでした。

上記のような分断のまま、5年以上が経過しました。

だからこそ、6月9日に、この両者の認識の違いがあらわになり、O氏は「差別」という言葉を参加者たちにぶつけて会場を去ったのだと私は考えます。

問われるべきは、この分断をこれまで放置したり拡大したりしてきた学者の方々の責任です。分断を解消する方法として、GCの女性たちの言うことを全否定して黙らせることを選んできた人たちの責任です。

6月9日に起きたことはこの分断の表面化にすぎません。起こるべくして起きたことと言えます。皆様には、この事態の根本に目を向けて賢明なご判断くださるよう、お願い申し上げます。

今回、「日本女性学会22期・23期幹事会」の名のもとに日本女性学会からの「お知らせ」が出されていますが、22期代表幹事でいらっしゃる北仲千里氏は、当該分科会の質疑応答の際にもお名前が挙がっており、渦中の人でもあります。

分科会の質疑の時間に、北仲氏が2022年1月23日付で東京・強姦救援センターの方に送った文書のことが報告されました。その文書を、一箇所の個人名を抹消された状態で、私も拝見しました。これは、東京・強姦救援センターが、性暴力被害から守られるために女性専用スペースは必要であるという趣旨で執筆し、性的マイノリティ擁護で高名な団体の方にも予め確認を受けた上で発行した会報記事について、北仲氏が批判的な所見を、ご所属・肩書を添えて書き送られた文書でした。北中氏が渦中の人であるということ、そして、この文書にお書きになられた内容は、今回の件の裁定において併せて考慮されるべき要素ではないかと思います。

繰り返しになりますが、私は、日本女性学会の皆様が、学問の自由、精神の自由の側に立たれることを信じ、願っています。分科会Hパネル2を実現させた方々のご見識が、日本女性学会全体においても、更に広く認められていくことを心より願います。

2024年7月28日
石上卯乃
No!セルフID 女性の人権と安全を求める会 代表

こちらは、認定特定非営利活動法人ウィメンズアクションネットワークの理事長・上野千鶴子氏と副理事長・伊田久美子氏、同じく副理事長・古久保さくら氏に宛てて、2023年8月5日付でeメールでお送りした文書と同じものです。期限の8月12日を過ぎてもご対応もご回答もいただけなかったので、ここに公開いたします。

2023年8月5日

認定特定非営利活動法人ウィメンズ アクション ネットワーク 御中

理 事 長 上野 千鶴子 殿

副理事長 伊田久美子様 殿

同 古久保さくら 殿

石 上 卯 乃

2023年7月12日付でウィメンズ アクション ネットワーク (以下WAN)のウェブサイトに掲載された、伊田久美子副理事長、古久保さくら副理事長による「記事掲載判断のお詫びと説明」(以下「お詫びと説明」)について、当該記事を書いた者である石上卯乃として、意見と要請をお伝えします。

1.「石上記事」の現在の扱い方に抗議します

現在、WANサイト上では、石上卯乃が2020年に投稿して同年8月12日に公開されたエッセイは、「お詫びと説明」のページの下方 ”(元記事のPDF版を表示する)”からのリンクで読むようになっています。つまり、石上の考え方が誤っているというWAN理事による意見表明がまず目に入るようになっています。

このリンクをクリックすると "wan.or.jpの内容 ※閲覧注意。元記事には差別的表現があります。元記事のPDF版を表示しますか?" とポップアップで注意がなされます。

更に、そこからOKをクリックしてPDFを開くと、冒頭にWAN側の言葉としてこう書かれています。 **"**【閲覧注意!】 編集担当(当時)としてはこのエッセイを WAN サイトにアップしたことをあやまちであっ たと思っています。詳しくは下記をご覧ください。 https://wan.or.jp/article/show/9075 **"**(【閲覧注意!】は赤字の太文字)

このように三重の構えをもって、まるで私の文が危険物であり忌むべき危険思想の現れであるかのような扱いをしています。しかしながら、私の文は法律に違反しておらず(2023年6月成立のいわゆるLGBT理解増進法に照らしても問題はありません)、倫理的にも一点の恥じるところもありません。ただ現在のWANとは考え方が違い、求めるものが異なるというだけです。

私の考えとは、性別とは生物学的なものであり男女の2つしかないということです。求めることは女性の人権と安全です。そしてWANは、今回の対応及びサイトの内容からみたところ、性別は「ジェンダー」によって決まるというお考えで、求めるところは「ジェンダー平等」であると拝察いたします。

今回の「お詫びと説明」において、伊田副理事長と古久保副理事長は、石上の考えと求めるところについて、なぜそれを間違っていると判断したのかという点には一切踏み込まず、一方的に石上記事が差別的であるとしています。私にコンタクトを取る方法はいくらでもありましたが、WANはまったく私に相談なく、私の記事をこのように扱うことを決め、実施しました。私は、正当に扱われることを前提にWANに記事を預けた者として、このような不当な扱いに強く抗議します。

2.言論を萎縮させていることに抗議します

WANとはたんなるネットワーク組織ではなく、日本のアカデミックフェミニストの集合体です。その理事ともなれば特に社会的信用も厚い高名な学者の方々です。そのような組織が、私の2020年8月WAN掲載のエッセイのみならず、私の考え方およびそれに近い考え方そのものについても、差別的であると意見表明しました。しかも、どの点がどう差別にあたるとするのかの指摘も、その根拠も、説明もないままに「差別的である」というばかりで、そうしています。

WANサイトでの石上記事の扱いは晒し者同然です。このような扱いを見てしまえば、性自認主義への疑問や迷いを持つことも表明することも、WANというフェミニストの集合体においてタブーとなっていくでしょう。これは、フェミニズムをテーマとする交流の場において、女性とは何であるかという重要なことが、論争も成立しないまま理事会によって決められたということを意味します。WAN内部のみならず、フェミニズムに関心を持つ広い層にも多大な影響を及ぼすことでしょう。

私はこれを、WANが不自由な思考の枷を自ら進んで負ったというだけでなく、WANがその権威によって市民の思想と良心を萎縮させているということ、社会における言論を萎縮させているということだと考え、強く抗議いたします。

更に「お詫びと説明」は、「2000年代はじめのジェンダーバックラッシュと酷似した言説」と述べることにより、主体も発言内容もその根源も無関係であるにもかかわらず、過去にあった事の悪印象を、現在トランスジェンダリズムに対して批判の声を上げている女性たちに被せようとしています。これは、海外と国内の事例から現実を直視して女性が被害を受けない社会を求めようとしている女性たちに対しての、不当な誤解を広める言説と言わざるを得ません。このことも断じて看過できません。

3.事態の公平な把握に努めてください

石上は一連のことにおいて当事者でありながら、記事掲載後はWANから意見を尋ねられることはありませんでした。事態の公平な把握をしていただくために、以下の2つのことをお伝えします。

(1) 石上の視点による、記事公開前後のこと

①2020年7月29日、石上はWAN サイトの「お問い合わせ」から投稿しました。その際に、どのような意図でこれを送るのかということも伝えました。修正すべきことがあれば受け入れますとも伝えました。送った原稿にタイトルはつけていませんでした。

②8 月 5 日「WAN 編集部」からメールがありました。ボランティアで回しているからお返事が遅くなりました、投稿の方法はサイトユーザー登録の上で投稿してもらえれば迅速に対応ができます、いただいた原稿は近日中に掲載します、という内容でした。「運営サイドにも様々な見解の違い、多様性はありますが、私共はそれを大事にしたいと思っています。異論を出してまっとうな討論ができることを目指しています」という言葉もありました。全体的に親切でポジティブなお返事でした。

そのため、このたび「お詫びと説明」において、「煽られた『女性の不安』の鎮静化」が石上記事を掲載した当初からのWANの意図であったと書かれたことについては、驚愕したというほかございません。

③8月11日、古久保さくら理事より、短いメールにて「トランスジェンダーを排除しているわけではない」というタイトルをご提案いただきました。石上は、修正も受け入れると伝えていた立場上、また、掲載のチャンスを逃したくないと考えたため、このご提案をそのまま受け入れました。

記事公開後、このタイトルも批判の対象になりました。「なんだかんだ言ってもトランスジェンダーを排除しているではないか」というのがそれらの批判の大意でした。私はWANから提案されたタイトルをそのまま受け入れるべきではありませんでした。なぜなら、トランスジェンダーの排除かそうでないのかということは、WANの関心事・WANのものの見方であり、私のものではなかったからです。排除とは強烈な言葉です。排除するかしないかを選べと突きつけられたら、人はよほどのことがない限り「排除しません」と言い、そうでない場合は「これは排除ではありません」と自分を庇おうとするでしょう。だからWANにとっては「排除しているわけではない」という言葉のあるタイトルが私の言説にふさわしいと判断したものと推察いたします。

一方、私の関心事は2020年当時も今も女性の人権と安全であり、私のものの見方は、それが新しい思想運動であるトランスジェンダリズムによっていま危機に瀕している、というものです。トランスジェンダーという「人」ではなく、トランスジェンダリズム性自認主義)という「思想運動」を問題にしています。しかしこのことをタイトルにおいても伝えるべきだったときに、私は選択を誤りました。

このタイトルのことについても、「お詫びと説明」で言及はありませんでした。しかしながら、このタイトルも私への揶揄と批判のひとつの原因となったことを考えれば、それをつけたのはWANだったと述べるのが誠意というものではないでしょうか。

④8月12日 石上記事の公開

⑤8月19日 WAN編集担当からの意見表明 「投稿「トランスジェンダーを排除しているわけではない」について:WAN編集担当より」が公開され、ここではこのように書かれています。「改めて議論することはこれからの女性運動のあり方にとって意義があると考え、投稿を掲載しました。この記事についての投稿は随時受け付けています」。

この文によって石上記事の取り下げが回避されました。そのことに恩義を感じ、これ以上WANというプラットフォームを巡って揉め事がおきることは望まなかったこと、そして以下の(2)の出来事からWANへの以後の働きかけは実を結ばないと考えたため、私は自分からWANに改めて投稿やメール送付をすることはありませんでした。WANからもタイトルのご提案以降、一切のご連絡はありません。

(2) WANは石上と意見の近い投稿をすべて退けていました

上記のとおり、2020年8月19日付の記事「投稿「トランスジェンダーを排除しているわけではない」について:WAN編集担当より」では、「この記事についての投稿は随時受け付けています」と伝えていました。しかしながら、石上記事を批判するエッセイは即座に複数掲載されたのに対し、石上に意見の近い投稿はすべて退けられました。

それらの記事はFemale Liberation Japanで読むことができます。主に2018年から2020年のトランスジェンダーを巡る日本のSNS上での論争をベースにしたものです。これらは、「ツイッターをやらないので、ツイッター上での経緯をよく知っているわけではなく」という伊田久美子副理事長(2020年8月18日WAN掲載記事)、「SNS上で交わされている議論を丁寧にフォローしているわけではなく」という岡野八代理事(2020年8月19日WAN掲載記事)よりも先行してこの問題を真剣に考えてきた人たちからの投稿だったにもかかわらず、それをWANは掲載しませんでした。

Female Liberation Japanに現在掲載されている記事のうちWANに投稿するも不掲載となったと明記されている記事は、「『事実』がいらなくなった時代」(夏果律子氏)、「TERF、和ターフ、差別煽動者と呼ばれて。」(とびうお氏)、「『TERFめ!これは黒人差別と同じだ!』がどんなふうに的外れであるか」(しまうま氏)であり、このほか、WANに投稿し不掲載だったけれどそのことを明記はしていない記事が2本あり、同じ経緯ながら事情によりFemale Liberation Japanへの記事掲載も終了した1本がありました。WANに2020年8月から9月の投稿受付の記録が残されているならば、そちらでぜひご確認いただきたく思います。また、2023年に入ってからの「『性自認』の法令化に反対する共同声明に賛同を――WANへの没投稿」(森田成也氏)もWANに投稿するも掲載されなかった文です。いずれの記事も、石上記事への批判文と比べて決して劣るものではありませんし、読めば考えるべきことの手掛かりが得られたはずの文です。

そしてWANは「お詫びと説明」にあるとおり、「内部学習会を開催したり、アクティヴィストや研究者に教えを乞うたりしながらこの問題について考えてきました」、つまり、この問題における意見交換の場としての機能を早々と停止したのみならず、この3年間、一方の側の意見のみを取り入れて異論を遠ざけてきました。その行きついたところが7月12日の「お詫びと説明」だと私は考えます。

この「お詫びと説明」を目にしたときの私の気持ちをお伝えします。WANメールマガジンNo.307号(2023年3月10日発行)での「トランスヘイト」という言葉の使い方、6月14日付の「LGBTQ+への差別・憎悪に抗議するフェミニストからの緊急声明」でWANの上野千鶴子理事長も呼びかけ人となっていたこと、6月27日のポリタスTVでの三成美保氏の発言内容から、WANが今年に入って急速に「性別を決めるのはジェンダー」という考えに傾いていることは存じていました。特筆すべきは6月14日の声明に同意できない旨を表明して、WANの理事だった千田有紀氏と牟田和恵氏が辞任していることです。お二人は、トランスジェンダーの人権に強い関心をお持ちでしたが、同時に、女性が身体の安全を求めることは差別ではないとも表明しておいででした。これらのことから、石上記事に対してもWANからなんらかの新たな措置があるものと予測はしていました。

しかしながら、「お詫びと説明」に書いてあったこと、そして石上記事のサイト上での扱い方を実際に目にして、やはりショックを受けました。それは、人権擁護の立場をとる権威ある人たちの集団から、まったく尊重するに値しないモノとして扱われた衝撃でした。

上野理事長、伊田副理事長、古久保副理事長にお尋ねしたいです。「差別者」とひとたびレッテルを貼った筆名使用の一般人には、名誉も尊厳も必要ないとお思いでしょうか? なにが差別的であるのか明記もないままそのレッテルを押し通すのですか? あなた方から不当に扱われた人間が声を上げないとお思いでしょうか?

このたびWANの方々のなさったことは、考え方や求めるものが異なる人間ならばこのように扱ってよいと考えている、という自己紹介にほかなりません。その自己紹介を背負っていくWANの未来が、明るいものになるとは思えません。

WANは多数の大学教員を擁する社会的影響力の大きな団体です。そのため、団体として一人の市民を不当に扱ったことの責任は、重く受け取られるべきです。

ここに、石上卯乃は上記のことに関して、認定特定非営利活動法人ウィメンズアクションネットワークおよび伊田久美子副理事長と古久保さくら副理事長に対し、以下のとおり要請します。

  1. 石上記事について、「『お詫びと説明』からのリンク」、「記事に差別的表現がある旨のポップアップの注意書き」、「冒頭に閲覧注意の文を追加したPDF」という現在の掲載方法をやめ、元のとおりの掲載方法に戻すこと。
  2. WANサイトのトップに、上記の修正をしたこと、2023年7月12日頃、石上の了解なく掲載方法に変えてしまったので元のとおりの掲載方法に変更したこと、これにつき石上あてに謝罪の意を示した文章を掲載すること。
  3. 石上が用意する「お詫びと説明」に対する、同等文字数程度の反論文を、WANサイトに掲載し、これを「お詫びと説明」につづいて掲載し、かつWANサイトのトップで告知すること。
  4. 2023年7月12日付「お詫びと説明」から、石上と協議の上で石上と石上に類似する考え方をする人たちの名誉を毀損している各箇所を削除し、またWANサイト上に、石上や石上に類似する方の投稿あればこれも掲載することにより、異論を出しあって「まっとうな討論ができることを目指す」こと。

上記のうち、1および2を1週間以内(2023年8月12日迄)に実施してください。3および4については、誠意ある回答を求めます。本通知は上記の日限り対応ない場合は、石上において公開するものであることを付言します。

WANの理事の皆様が、意見を一方からでなく幅広く聴いて考えること、トランスジェンダーをめぐっての世界の最新の状況から目を逸らさないこと、そのうえで開かれた議論の場を提供するという当初表明なさっていたお考えに沿ってくださることを、切に願っています。

以 上