もう林住期に入ってもいいよね?😓 (original) (raw)
どうも、だらだらです。
最近、五木寛之の『林住期』を読んだ。
インドには四住期と言う考え方があり、人生を4つの時期に分けて、それぞれの時期の理想的な生き方を提唱している。
林住期はそのうちの一つの時期を指す。
ちなみに、四住期は以下の4つで構成される。
- 学生期(がくしょうき):1人前になるために心身を鍛える期間
- 家住期(かじゅうき):家族や子供のために一生懸命働く期間
- 林住期(りんじゅうき):世俗を離れて自由に自分らしく生きる期間
- 遊行期(ゆうこうき):人生の最後の場所を求めて生きる期間
この中だと、今の僕は家住期になると思う。
家族はいないけど、正社員として一生懸命働いているかね。
でも、そろそろ林住期に入ってもいいかなと思い始めている。
今回はそんな気持ちを記事にしていきたい。
今までよく頑張ったよ😌
僕には家族や子供がいない。
なので正確に言えば、僕は家住期すら経験してないと言える。
(独身男性は人間としてすら認められてない?🥹)
でも、強いて当てはめるなら、家住期に該当するだろう。
発達障害を持ちながらも福祉を受けずに一生懸命働いてきたし、将来のために節約と投資に励んできた。
目的は違えど一生懸命働いてきたのだから、その点では家住期に認定してもいいだろう。
そして、僕の家住期はそろそろ終わってもいいと思っている。
理由は以下の2つ。
- 社会人としての未来がないこと
- 老後資金を貯め切ったこと
社会人として未来がないこと
正直なところ、今の僕には夢がない。
若い頃は、会社をクビになっても、すぐに転職活動ができた。
それは今はダメダメでも、将来は必ず良くなると信じていたから。
今まで入った会社がクソなだけで、いい会社に入れば普通に働けると思っていたよ。
でも、前職のホワイト企業での短期離職は、僕の夢や希望を粉々に砕いてしまった。
僕は働きやすい企業に入っても、自分の無能を晒すだけだった。
決して、働きやすくはならないし、どんな会社でも僕の無能さはなくならない。
その悲しい事実に気付いてしまったのだ。
そんなん、夢も希望もないじゃないか!!!
それなら、もう林住期に入ってもいいんじゃないか?
そう思うようになった。
老後資金を貯め切った
これも大きな理由だね。
結局、僕が仕事を頑張れたのは目的があったからだ。
それは老後資金を貯めること。
そして、その目的は果たされた。
今のまま投資をしていけば、最悪年金がなくても老後に困ることはなさそうだ。
そう考えると、一生懸命仕事をする意義が見当たらないのよ。
日々の生活費さえ稼げればいいんじゃね?
そう思うようになってしまった。
そして、仕事で嫌なことがあった時に、踏ん張れなくなった。
そう考えると、もう家住期の生活は無理になってきている。
それなら、林住期にうつるのも悪くないかなと思うわけ。
僕の林住期とは?🤔
林住期って言葉の定義が結構曖昧だ。
下のサイトでは以下のように定義されている。
世俗を離れ、迷いが晴れ、自分らしく自由に、人間らしく生きる時期。
参考記事
おいおい、自分らしくって何だよ?
今アラフォーに近づきつつある年齢だけど、いまだに自分らしさなんて分からんぞ。
そんなものが分かってたら、こんなに職を転々としてないわ。
それに迷いだって全然晴れてない。
てか、年を取って引き出しが増えた分、余計に迷うことが増えたぞ。(迷いがなかったらブログなんて書いてない🤣)
若い時はとにかく働くしか選択肢がなかった。
だから、迷うことがあんまりなかったもん。
この定義の中で、今の僕ができそうなことは世俗を離れるくらいだ。
それでも、最低限の生活費を稼ぐために、完全に離れることはできないが。。。
そう考かんがえていくと、僕の林住期って自分らしさを探すことなのかもしれない。
今までは社会との付き合い方を考えてきた。
でも、これからは自分らしい生き方を考える時期なのかもしれない。
そう考えると、そんなに悪い感じはしない。
僕はずっと自分の生きやすい生き方を探してきた。
そのために職も転々としたし、色んなことに手を出した。
これからはそのベクトルが変わるだけ。
探し物の人生。
これが僕がある種の僕らしさなのかもしれない。
まとめ😎
今回は林住期について記事を書いた。
多分、もう僕には社会で戦うための牙が折れている。
若い時は一発逆転を考えたけど、今はストレスなく生きれればいいやとしか思わない。
これが林住期に入るべき兆候なのだと思う。
これからは真剣に自分らしさを探さないとな。
そんなことを今思いました。
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