源頼朝 安房で再起を図る1 千葉県安房郡鋸南町 (original) (raw)

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と考えられています。

吾妻鏡」によれば、「二十九日、武衛(頼朝)、(土肥)実平を合具し、扁舟に棹さし安房国平北郡猟島(現千葉県鋸南町竜島)に着かしめ給う。北条殿以下人々これを拝迎す」とあります。

石橋山で負けた場合、安房に向かい再起を図ることはプランBとして頼朝配下に前もってシェアされていたようで、頼朝到着前に北条時政・義時、三浦義澄・泰村ら頼朝配下の御家人安房に集結。この地で予定通り?頼朝と合流し、再起の準備を図ることになるのです。

頼朝は地元の村人たちに熱烈に歓迎されました。その歓迎っぷりに感激した頼朝は、こう言います。「わしが平家打倒を果たしたなら、おまえたちに安房一国を与えよう。」それを聞いた村人は、安房一国を穀物の粟一石と勘違い。「粟なら畑で取れます。それより私たちに姓をください。」と言いました。頼朝は村人の欲のなさを笑い、「そうか、ばかだなぁ」と言いました。それを村人は姓をくれたものとまた勘違い。「左右加」「馬賀」という姓は、今でもこの辺りに名乗っている家があるそうです。

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竜島海岸