20240614 (original) (raw)
Nobody has ever done it as I shall do it because none of the others have lived my experiences. I’m rich—I’m rich.
(Katherine Mansfield “Bliss and Other Stories”より“Je ne parle pas français”)
7時45分起床。トーストとコーヒーの朝食。9時に(…)楼にあるLのオフィスをたずねる。そろって財務処へ。エレベーターに乗っている最中、税務署に申請してあるこちらの名義およびパスポート番号とMさんの名義およびパスポート番号がごっちゃになっているという現状は、こちらの送金問題のみならず来学期ふたたび中国にやってくるMさんにも迷惑をかけることになるんではないかというと、申請は市単位で処理してあるのでよその地域で生活を始める彼に迷惑をかけることはないだろうという返事。財務処ではLの通訳で事情を伝える。前回もらったtax recordを見せて、nameもrecordも(…)老师のものになっているが、passport numberだけじぶんのものになっていると説明する。tax bureauをおとずれて名義変更すると担当の女性が請けあってくれる。しかし時間がかかるというので、帰国までに手続きをお願いしたいと告げる。名義変更後はふたたびcity hallをおとずれてほしいというので、以前そのcity hallのスタッフから、名義変更後そのままtax recordを受け取ることもできると言われた、だから可能であればそのままそこで発行してもらってきてほしい、それが無理ならじぶんが直接もういちどcity hallをおとずれると受けた。
それで用件はすんだ。財務処をあとにしてロビーに移動する。高铁のチケットの話になる。receiptを保存しておいてほしいというので、以前高铁を利用したときは切符もすでにペーパーレスになっていたしreceiptを受け取る場所もなかったように記憶しているのだがというと、到着した駅で機械を使えばreceiptを受け取ることができるとあった。が、あれは中国の身分証明カードがないと手にいれることができないかもしれないと続けるので、じゃあどうすればいいんだろうというと、あ! 思い出した! という反応があり、以前こちらが高铁のreimbursementを要求した際は代わりにバスのチケットを使ったのだみたいなことをいう。バスのチケットには日付も名義もないからというので、財務処に必要な経費を申請するにあたって、高铁のチケットとして申請するとなるとreceiptだのなんだのを要求されるが、バスのチケットとして申請した場合はそういうものを証拠として提出する必要がない、そこでこちらの高铁のチケット代もバスのチケット代として申請したということなのかなとおしはかった。「上に政策あり、下に対策あり」だ。
寮近くの売店でいつものように水を買う。なんでこんな中途半端な時間にきたんだ? と売店のおばちゃん——といってもこちらと年はさほど変わらないんではないか? いや、もしかしたら年下かもしれない——がいうので、さっきまで国際交流処にいた、これから授業だと応じる。授業の時間までまだ30分以上時間があったので、しばらくカタコトの中国語で世間話。最近はずっと暑いなというと、日本はそんなに暑くないだろうというので、じぶんの地元は最高気温がまだ25度あるかないかくらいだと応じると、好舒服! という反応。七月八月になれば故郷でも35度以上の日はあるけどというと、40度は? というので、それはないと応じる。こっちがいちばん暑いときは40度あるぞ、あんたは夏休みに帰国しているから知らないだろうけどというので、いやいやコロナが流行していたときは二年くらい帰国することができずこっちにいたから、いちばん暑い時期も知っている、一週間ずっと最高気温が40度くらいの日が続いたのをおぼえているというと、Jは、22度でもエアコンをつけるといったのか22度設定のエアコンをつけるといったのか、ちょっとわからなかったけれどもそんなふうらしいというので、それはいくらなんでも寒すぎだろと笑った。外国語学院にはエアコンがないらしいなというので、ある教室とない教室がある、今日はこれからない教室で会話の試験だというと、あんた会話も担当しているのかという。そりゃそうだ。むしろわれわれ外教のメイン科目だ。
外国語学院に移動。六階の教室ではまだ授業をしている。クソ暑い廊下で中庭を見下ろして時間をつぶす。四年生のK.Kさんの答案をもってきていることを思い出したので教務室をおとずれる。提出。問題なし。今天好热! というと、女性事務員ふたりは笑った。
先の廊下にもどる。ほどなくして授業が終わる。二年生らもやってくる。教室に入るが、エアコンが壊れているのでクソ暑い。休憩時間中からテストをはじめてもこちらとしてはよかったのだが、みんなちょっと準備したいふうであったというか休憩したいふうだったので、ベルが鳴るのを待つことに。暑いねー死にそうだねーと話し合っていると、教室の前を通りがかったK先生から声がかかる。これからテストなんですけど、めちゃくちゃ暑くて、もう全然そんな気分になれないですねというと、むこうの教室が空いていますよ、エアコンもありますというので、マジっすか! となる。そうしたわれわれのやりとりをきいていた学生たちがそろって席を立ったので、あ、やっぱ二年生は優秀だな、みんないまの日本語でのやりとり全部ききとれたんだ、と感心した。
それでエアコンのある教室に移動。始業開始時刻までみんなで雑談してすずむ。二年生らのあいだでは最近「大丈夫」のことを「有丈夫(ようじょうぶ)」と口にする冗談が流行っているらしい。「丈夫」は中国語で「夫」であるし、「有丈夫」だと「夫がいる」という意味になるのかな。たぶん授業中にだれかが「大丈夫」のことを「有丈夫」と言い間違えたのをきっかけに流行りだしたのだろうが、R.Kさんがそれを何度もくりかえすのに、周囲のルームメイトらが、やめろ! テスト前に変な日本語をおぼえてしまう! と抗議するようすがおもしろかった。日本語はほとんどまったくできないが、明るい性格でちょっとムードメーカー的なところもあるR.Sさんが、テストを前にしてものすごく心配で不安で緊張しているようすだったので、だいじょうぶだって! 全員合格にするから! 緊張しないで! とはげました。
で、10時から二年生の日語会話(四)開始。期末テストその二。今日はC.Sさん、G.Kさん、R.Kさん、K.Dさん、S.Sさん、S.Gさん、R.Sさん、R.Iさん、R.Kさん、O.Sさん、K.Kさん、I.Kさんの計12人。「優」確定はC.Sさん、G.Kさん、R.Kさん、S.Sさんの四人かな。S.Sさんについては、発音がかなりきれいになったなと思ったので、これを書いているいま微信で伝えた(テスト終了時に伝えるのを忘れていたのだ)。
まずC.Sさん。「思い出の写真」は高校二年生のときに彼氏といっしょに撮ったもの。彼氏と知り合ったのは中学一年生のときで、恋人になったのは高校一年生のとき。付き合ってもう五年になる。「他人の悪口」は高校時代の親友について。C.Sさんは相手のことを親友だと思って、誕生日プレゼントにわざわざ一ヶ月かけてこしらえた手編みの人形をプレゼントしたのに、当の友人はその人形を別人の誕生日にプレゼントとして贈ったのだという。いやいや、エグいな。そのほかにもC.Sさんがテストでわからない問題があると、どうしてそんな問題もわからないの? とバカにする。そのくせじぶんがテストで彼女より低い点数をとると、納得いかないといってキレちらかす。話をきいているかぎり、むしろどうしてそんな相手を親友だと思っていたのかとC.Sさんに問いたくもなるが、その相手とはいまは絶縁状態だという。
G.Kさん。「思い出の写真」は、ローラースケートサークルの面々で撮ったもの。サークルは合計100人ほどの大所帯らしいが、写真に写っていたのは五人。G.Kさんとその彼女、C.Eさん、C.Sくん、見知らぬ女の子。C.EさんとC.Sくんは(特にC.Eさんが髪を短くして以降)激似であり、以前外国語学院の階段をあがっている最中後ろからやってきたC.Eさんに対して「C.Sくん」と呼びかけてしまったことがマジであるほどなのだが、今日もこの写真のC.Sくんを見てC.Eさんと言ってしまった。G.Kさんは爆笑しながらCさんはこっちですと言って別の女子を指さしたが、どこからどう見てもC.Eさんに見えない。そもそもC.Eさんはいつもフレームの太い黒縁めがねをかけているのだが、写真の彼女は裸眼だったのだ。それにくわえて、その日はG.Kさんがメイクをしてあげたらしく、まったくの別人になっていたのだ。G.Kさんの彼女と見知らぬ女の子はどちらもサークルのトップ、ふたりともローラースケートがとても上手だというので、それで恋に落ちたんだなとからかった。しかしふたりとも現在四年生、つまり、いままさに卒業したところであって、となるとしばらくは会えなくなる。それはさびしいねといった。「今年いちばん面白かったこと」は、友人たちと21時ごろに大学を出発し、20分ほどかけてローラースケートで近所の公園に出かけた夜のこと。天気予報では雨降りになっていたが、たぶんだいじょうぶだろう、濡れたら濡れたでかまうまいと外出したところ、まんまと降られてしまった。それでしかたなく公園内にある東屋で小一時間ほど雨宿りしたのだが、そのあいだもみんなで歌をうたったり、雨に濡れた夜の景色をながめたり、雨降りのなかでも釣りをするおじさんたちをながめたりして、飽きることなく楽しむことができた、むしろあの雨降りがあったからこそ特別な思い出になったというもの。「今年いちばん面白かったこと」について、こちらは基本的にfunnyなできごとを教えてほしいと伝えてあるわけだが、どうも学生らはこういう「楽しかったこと」を語る傾向がある。まあそれはそれでかまわないのだけど。しかし「今年いちばん面白かったこと」のエピソードで印象に残っているのは三年前に卒業したクラスのS.AさんとC.Kくんのエピソードで、前者はたしかルームメイトの話だったと思うが、淘宝でめちゃくちゃかわいい靴を見つけたので意気揚々とポチったところ、とどいたブツがシルバニアファミリーの人形が履けるようなサイズの靴だったというもので、これはその話をしてくれたS.Aさん自身がゲラゲラ笑いながら説明してくれたそのいきおいもあってたいそうおもしろかった。C.Kくんのほうは、天気のよい日に寮から布団をもちだしてグラウンドのフェンスに干しておいたところ、その布団が泥棒に盗まれてしまったというエピソードだったのだが、これもやはり彼の語り方込みでおもしろく、というのもC.Kくんは日本語がほとんどまったくできないので、一語一語をほとんどふりしぼるようにしながら、「天気のいい日、私は、布団を、干したい。グラウンドに干しました。夕方、グラウンドに、行きました。布団、ありません。泥棒が、布団を、奪いました」と、シンプルに語られるその調子にやられたのだった。
R.Kさん。「思い出の写真」は今年の元旦(…)でおこなわれたコミケでのコスプレ写真。いっしょに行ったK.DさんとO.Gさんとは会場ではぐれてしまったが、当日は高校時代からの友人であるというコスプレイヤーの女性といっしょに会場を歩いたという。ふたりとも『原神』のキャラのコスプレをしており、R.Kさんが風の神様であるのに対して友人が雷の神様だったか、いずれにせよペアが成立する組み合わせであり、そのために会場ではけっこう注目を浴びたらしく、はずかしかったがちょっとうれしかったという。コスプレのクオリティ、たしかにけっこう高かった(といっても元ネタは知らんのだが)。「他人の悪口」はインターンシップの仲介会社について。これについては以前聞いた話であるのでここには書かない。しかしR.Kさん、あいかわらずおしゃべりで、テストはひとり七分前後であると伝えてあったにもかかわらず、「先生、ちょっと待って! これも! これも!」 などと言いながら結局ひとりで15分もしゃべった。落ち着け。
K.Dさん。「思い出の写真」は姉といっしょに漢服を着ているもの。(…)の有名な観光地で漢服を着用してうろうろするエキストラみたいなことを、バイトではないといっていたしボランティアなのかもしれないし、もしかしたらネット発の自主的なムーブメントみたいなアレかもしれないが、そういうことをしたときに撮影したもの。中国の文化を広めるためにうんぬんというので、まあ要するに若い世代で流行している愛国ムーブメントの一種なのだろう。「恐怖体験」は、今学期の話だったと思うが、基礎日本語中に見舞われた腰痛について。もともと彼女は腰痛持ちであるらしいのだが、その日は授業中とくに苛烈な腰痛に見舞われた、のみならず腹痛に見舞われもし、さらに動悸まで跳ねあがった、死ぬかもしれないとこわくなったというので、その後病院に行ったのかとたずねると、いいえという返事。本人は夜更かししてゲームばかりしているからだというのだが、整形外科的なアレではなく内臓由来の腰痛だとすれば普通に大事の可能性があるので、夏休み中にいちど検査しておきなさいと助言。しかし本人はだいじょうぶの一点張り。
S.Sさん。「思い出の写真」は故郷にいる犬猫のもの。名前をたずねると、どちらも名前はないというので、え? となる。しかし犬のほうは「小白」と呼んでいたようだ(もしかしたら彼女はこちらのたずねる「名前」を「品種」とかんちがいしたのかもしれない)。どちらもとてもかわいがっていたが、いまは二匹ともいない。犬のほうは犬肉を目的とした泥棒に捕まってしまった。猫のほうはもともと二、三日家出をすることがあったが、ある日突然帰ってこなくなったとのこと。「今年いちばん面白かったこと」は、R.Uくんと付き合いはじめた当初、ふたりは「熱愛期」だったのでいつもいっしょに過ごしていた。ある日木陰のベンチにふたりそろって腰かけたところ、夏だったので樹上にたくさん野鳥がおり、そのうんこが座面についていることに気づかず腰をおろしたR.Uくんは手のひらでべったりやっちまった。それで近くのトイレで手を洗うことにしたのだが、あわてていたR.Uくんはまったく気づかず女子トイレに入ってしまったとのこと。ふたりは同郷であるし、仲もいいし、クラスメイトらは将来結婚するんではないかと噂しているわけであるが、それについてたずねてみると、たしかに結婚するかもしれないという。しかしケンカは多い。おとついもケンカをしたというので、恋人だったらケンカをすることは普通だよ、そんなことは気にしなくてもいいといった。ちなみにふたりがおそらくケンカしただろうことは、昨夜彼女がモーメンツに投稿していたおもわせぶりな日本語の文章でこちらは察していた(なにかの歌詞の引用かもしれないが、「本当も愛も世界も苦しさも人生もどうでもいいよ」というフレーズを投稿していたのだ)。
S.Gさん。「思い出の写真」。九年前、妹といっしょに地元の堤防で撮影したもの。妹は現在12歳とのこと。「恐怖体験」は先週C.Sくんが語ってくれたものと似ている。高校生のときの話だったと思うが、交差点で交通事故を目撃した。そのとき彼女はバスに乗っていたのだが、事故のせいでバスが動かなくなってしまったので、「好奇心」から友人といっしょにバスをおりて現場をのぞいてみたところ、「首が折れた」被害者の姿を見た(これはしかし話の流れ的に、C.Sくんとおなじで首チョンパの死体を目撃したということだったのではないか?)。それがあってしばらく、夜電気を消して寝ることができなくなったとのこと。
R.Sさん。「思い出の写真」は友人らと旅行先で焼き物体験をしたあとに撮影したもの。「他人の悪口」は元カレについて。以前友人といっしょに(…)に遊びに出かけた、そこでその友人の彼氏とその彼氏の友人と四人で、いってみればダブルデートみたいなことをする流れになった。そのときR.Sさんは相手に恋愛感情は特に抱いていなかったが、おなじメンツでふたたび(…)で遊んだときに相手から告白された。R.Sさんはオッケーした。彼氏は(…)にたびたび遊びに行くと言った。しかし一向にやってこない。のちほど彼氏がいつのまにか元カノと復縁していたことが判明した。あいつはクソだ! とのこと。
R.Iさん。「思い出の写真」は(…)の夜市で撮影した夜食の写真。友人らといっしょに(…)に遊びに行った、その日はデパートから公園から夜市から13時間遊びまわった、おかげでくたくたになった。夜、最寄りのホテルに宿泊するつもりでアプリで検索したところ、2キロ先に安宿があることが判明した。それでそこに向かうことにしたのだが、2キロというのは直線距離であり、実際は川だか湖だかにはばまれた先にホテルはあり、タクシーで9キロも移動するはめになったという。「恐怖体験」は幼いころに悩まされた発熱について。子どものころ、毎晩なぞの発熱に悩まされたという。(…)の大病院をふくむいろいろな医療機関で精密検査を受けたが原因不明、最終的に祖母の祈祷を受けることになったのだが、それでぴたりと発熱が止まったという。祈祷はお札を焼いてお経みたいなものを詠んでというスタイルだったという。R.Iさんの故郷は(…)であるし、K先生の祖母がハマっているという土着っぽい宗教ともしかしたらおなじアレかもしれない。R.Iさんの妹もまた、こちらは発熱ではなくたしか頭痛だったか腹痛だったか、いずれにせよ体調不良に長らく悩まされていたものの、やはり祖母の祈祷によって快癒したとのことで、以来じぶんは「霊魂」や「超自然的なもの」を信じるようになったという。でも中国はこれでしょう? と言いながら筆談用の紙に「唯物主義」と書くと、いえいえ! 個人はだいじょうぶ! とR.Iさんは笑っていった。
R.Kさん。「思い出の写真」二枚。一枚目は一歳で死んだ愛犬のもの。病気が原因だという。高校時代は実家を離れて母と二人暮らしをしていた。実家にひとりきりとなった父がさびしいからと飼いはじめた犬らしい。二枚目はコミケで撮影したもの。大学生になってからコスプレをはじめた彼女であるが、去年は「全IP」のイベントに参加した(そのときは『カードキャプターさくら』のキャラのコスプレをした)、そして今年は『ハイキュー!!』限定のイベントに参加したのだが、今年と去年そろっておなじコスプレイヤーといっしょに写真を撮っていることにイベントが終わったあとに気づいたという。イベント中はじぶんも相手も気づかなかった、初対面のつもりでいっしょに写真を撮った、ところが帰宅後にその日のイベントで撮った写真をまとめてながめていたところ、去年いっしょに撮ったコスプレイヤーとおなじ相手と今年も撮っていることに気づいた、と。ちなみに、『ハイキュー!!』限定のイベントが成立するほど中国では『ハイキュー!!』が人気なわけであるが、これについては今年に入ってから特にそうであるとのこと。去年まではまあまあの人気だった、しかし今年映画版が中国で公開された、それをきっかけにしてめちゃくちゃ人気が出たという話だった。話をしている最中、R.Kさんの体型がちょっと気になった。ガリガリなのだ。彼女はうちの学生にはめずらしく、わりと肌の出た服を着ることが多く、今日も肩も二の腕もデコルテも丸出しのワンピースを着用していたのだが(その程度の服であってもうちの学生のなかでは露出度が高いということになる)、二の腕が男性の手首ほどしかなく、端的に、あれ? 摂食障害じゃね? と思われたのだ。O.Gさんほどではないが、R.Kさんもはじめて見たときからちょっと鬱っけがあってもおかしくないタイプだよなという印象をもっていたというか、こちらの経験上、(ライトなほうは全然そんなことないが)ディープなアニメファンの女子はうつ病をわずらっている可能性がかなり高い。それでちょっと気になってしまい、試験中も手首の内側にちらちら視線を走らせてしまった。
O.Sさん。「思い出の写真」は武功山で撮ったもの。ある日突然おもいたって友達といっしょに登山することに決め、20時から登りはじめて深夜に登頂したとのこと。夜中にもかかわらず周囲は登山客だらけでその大半が大学生であったという。しかし二度と登りたくはないとのこと。下山はロープーウェイを利用した。「今年いちばん面白かったこと」はクレーンゲームの話。(…)に有名なクレーンゲームの店があるという話だったと思うのだが、友人四人でわざわざそこまで遠征した。山ほどぬいぐるみを持って帰るつもりだったので巨大なバッグを持っていったのだが、それ相応の金を使ったにもかかわらず、戦果は四人で小さなぬいぐるみ四つだけだったとのこと。
K.Kさん。四川省に住む少数民族の祭の写真。母君が四川省出身らしく、むかしは彼女自身四川省で生活していたとのこと。祖父母が火鍋屋を経営しているらしく、幼いころはいつもそこで食事をとっていた。いまでも四川省特有の山椒や花椒などをふんだんに用いた麻な辛味は好きであるが、唐辛子の辣な辛味は苦手であるとのこと。「恐怖体験」はその四川省時代、祖父母の店からうちに帰るまでの夜道、街灯がほとんどないところを歩いていると、後ろから黒い影が近づいてきたという。最終的に走って逃げたとのこと。「黒い影」の話、本当に多いな。
I.Kさん。「思い出の写真」は先日おとずれた遊園地の写真。スプラッシュマウンテン的な、水を浴びるタイプのアトラクションが楽しく、五回も乗ったという。遊園地にはルームメイトみんなでおとずれたというのだが、そのルームメイトというのがS.Gさん、R.Sさん、R.Iさん、R.Kさん、O.Sさん、K.Kさん、I.Kさんにくわえて英語学科の女子ひとりだったというので、え? ここにR.Iさんが入るの? とびっくりした。R.Iさんといえば、授業中はつねにC.KさんとE.Sさんといっしょに座っているし、プライベートでも常に三人で行動している印象があったのだが、ふたりとはルームメイトではなかったのか。「恐怖体験」は幼いころ、田舎に住んでいたときに隣人だったふたつ年上の男の子といっしょに自転車で山に遊びに出かけた帰り、下山中に自転車で激突されたという話。転んであたまとひざを打った。幸い怪我はたいしたことなかったが、一瞬、なにが起こったか理解できなかったという。ちなみにその隣人について、二歳年上だったらいまは大学生? と質問したところ、「彼はとてもバカなので大学には行けません」とのこと。
授業時間は15分以上オーバーした。全員分のテストが終わると同時に、他学部の男子学生と女子学生がひとりずつほうきとちりとりを持って入ってきた。掃除係だ。こちらの授業が終わるのをずっと廊下で待っていたのだ。ちょっと申し訳ないなと思った。
*
后街の快递でネルを回収。Jで食パン三袋を、セブンイレブンでカツカレーとマルベリーのジュースを購入。(…)楼の快递で合皮のカンフーシューズを回収(いま履いているものはかなりボロボロになってきたし、一足3000円前後の安物なので、ひと夏ごとに新品を買い直せばいいかと思ったのだ)。
帰宅。二年生のT.UさんからHemingwayのThe Old Man and the Seaの中古本が手に入るという微信がとどいていたが、すでに訳文でも原文でも読了済みのものであるので必要ないと返信。一年生1班のS.Bさんからはあらたに友達申請がとどいている。以前のアカウントが乗っ取られでもしたのかなと思ったが、そうではなかった、単純にアカウントをふたつ持っているのだという。ただ今回こちらに友達申請したアカウントのほうが頻繁にモーメンツを更新しているというので、なるほど裏アカみたいなもんか、親しい友人にだけ教えているアカウントなのかなと察する。実際モーメンツの投稿は頻繁であったが、いいねがついているのはごく少数であり、こちらの観測したかぎりではY.TさんとY.Eさんのみで、ということはS.Bさんはクラスメイトのなかではこのふたりと特に仲がいいのかなと思ったが、真相は知れない。最近の投稿は日本語でのものが続いていた。ちょっとびっくりした。今学期の期末試験も満点であったし、どうやら日本語を本気で勉強することに決めたらしい。こちらとのやりとりのスクショも投稿されていたが、日本人はやっぱり気配り上手だみたいなことが書かれていた。しかしあれほどやる気のなかった彼女がいったいなにをきっかけに、わざわざ日本語でモーメンツを投稿するほど学習に本腰を入れようという気になったのか、なかなかふしぎなこともあるもんだ——と、書いていて思ったのだが、彼女は以前こちらにこっそり年上の彼氏と別れたという話を打ち明けてくれたことがあった。やっぱりあれが理由なのかもしれない。三年生のS.Sさんが猛烈に日本語学習に力を入れはじめたのもやっぱりB.Tくんと別れたのがきっかけだった。男子学生が失恋をきっかけに猛勉強をはじめたという話は全然きかないが、女子学生はそういうことがときどきある。もちろんその逆に、恋人ができた途端にまったく勉強しなくなったというケースもよく聞くわけだが(これもやっぱり男子学生ではなく女子学生によく認められる現象だ)。いずれにせよ、S.Bさんがもうひとつのアカウントをわざわざこちらに教えたのは、日本語での投稿に目を通してほしいというのが理由だろう。
カツカレー食いながら『地獄の警備員』(黒沢清)の続き。一時間ほど昼寝。コーヒーを淹れるためにシンクに立ったところ、シンクの下にある観音扉の収納から水が漏れはじめたので、なんやなんやとなって中をのぞくと、シンクの下部につながっているチューブが、それよりひとまわりサイズの大きいチューブからはずれてしまっており、排水がそこからダダ漏れになっていた。収納のなかにはかつてうた子を飼育していたケージが入っている(なんとなく捨てるのが忍びなかったのだ)。小さいチューブを大きいチューブのなかに無理やり突っ込む。以前はどうやって固定されていたのかわからないが、たぶんこれでだいじょうぶだろうと判断。実際それでしばらく問題なかったのだが、数時間後にキッチンに立ったとき、またしてもおなじように水漏れが生じたので、小さいチューブの先端が大きいチューブの中に顔を突っ込んだまま外に飛び出さないようにひとまず手持ちのセロテープで無理やり固定した。しかしこんな処置では何日もつかわからない。業者を呼ぶのも面倒なので、ひとまず淘宝で業務用の強力なビニールテープをポチった。
夕飯は第五食堂で打包。食事中はまた『地獄の警備員』。チェンマイのシャワーを浴び、きのうづけの記事を投稿し、ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の記事を読み返す。2014年6月14日づけの記事、新章開幕感がすごい。YさんとTさんがパクられたタイミングと(…)が潰れたタイミングが偶然重なったおかげで、かつて(…)の従業員だったTさんとTさんのふたりが(…)にやってくることになった、そのふたりとはじめて顔合わせした日。かつてない危機にみんな腹を括ったというか覚悟を決めて働いているようすが記録されており、その状態について「災害ユートピア」のようであるという印象も残されているのだが、実際、この期間はけっこう楽しかった。あれほど働くのを拒んでいたこちらですら、この窮地はしかたないとなったのであるし、なんだったらそれまで色々と便宜をはかってくれたEさんに借りを返すときがきたという使命感に取り憑かれ、たしか週四日か五日は働いていたんではなかったか? だからやっぱり、戦争というやつは楽しいんだろうなと思った。仮にいま日本がどこかの国と戦争することになった場合、たとえそれがどれほど悲観的な見通しを有するものであったとしても、あるいはそうであればこそなおさら、「開戦」のムードにまんまと酔いしれて一生懸命がんばりまくって張り切りまくってしまう人物が、自己犠牲をものともしない気高く高貴なふるまいに出てしまう人物が、恩義に報いるべく貸し借りを清算すべく道徳的になってしまう人物が、つまるところは「善良な大衆」がゴキブリのようにわんさかあらわれるのだろう。じぶんはそんな人間にならないといくら思っていたところで、そういう部族主義的な感情が内心でうずくのを完璧に抑制することは実際かなりむずかしいにちがいない。『スパイの妻』の終盤で精神病棟に収容された蒼井優が、自分は狂っていない、狂っているのは自分以外の人間たちだ、みたいなことを口にしていたが、そういう非日常の熱狂に容易に取り憑かれてしまったあげくもっともらしい論理で自己のふるまいをことごとく道徳的かつ感傷的に正当化してしまう人間が大多数を占めるのがわれわれの社会なのだ。ムージル曰く「近代人は臆病である。しかし彼はヒロイズムを強制されたがっている」。あるいは、『日本蒙昧前史』(磯崎憲一郎)の以下のくだり。
「天皇陛下、万歳!」と叫びながら、拳銃で頭を撃って自決した将校もいたし、両太腿に深傷を負い、立ち上がることすら困難になった自分など見捨てて、早くここから逃げてくれと懇願する兵士もいたが、仲間たちのそうした最期を見るにつけ、仕立屋の彼は、言葉に出しこそしなかったが、自らの命を取り上げられてもなお目を覚さない、救い難く深い自己陶酔に、その不遜さに、日本がこの戦争に負ける必然を感じ取っていた、(…)。
(p.200)
今日づけの記事も途中まで書く。23時過ぎになったところで作業を中断し、ベッドに移動して就寝。