Iyokan’s blog (original) (raw)

私のまわりで、コロナウイルスが大活躍している。

私も去年の誕生日当日に『コロナ陽性』を言い渡され、40という節目は寝込んだところから始まった。

とにかく喉だけが地獄に落ちた感じであった。

寝ていても、なにもしていなくても、喉がとにかく激痛。

しかし食欲はある。

味覚もある。

倦怠感はあったけど、そんなに辛くはなかった。

空腹を感じるから食べる。それがとにかく苦痛の時間であった。

水を飲むのも辛い、固形物を食べるのも辛い。でもお腹がすく。

本当に地獄であった。

もうあんな思いはしたくはない。

終息にはほど遠いように感じる。しばらくは気にはしていなかったけど、身近なところで発生してしまうと気が滅入ってしまう。

――私の勤務先で出てしまった。

しかも2日前に確実に飛沫を浴びてしまった。

そろそろ私も発症するかもしれない。

恐怖ではあるけれど、これも世の出来事。抗えない。

今のところ無症状。

以前で言うところの濃厚接触者ではある。

5類になったけれど、脅威は変わらない。

医療従事者であるし、自分の身勝手な行動で大切な人たちを巻き込みたくはない。

感染して辛い思いをさせたくない。

そういう思いに至って、今日の外出予定はキャンセル。

身の回りが落ち着いたら、また行動すれば良いと思った。

介護士になって、なんだかんだ20年が経過した。

高校を卒業して介護の世界へとやって来たのだが、私が新人指導や学生指導をする未来が来るなんて想像もしていなかった。

今日、高校生の実習指導をした。

私の時代とはだいぶ変わってしまったようで、おとなしめな若者が増えた気がした。

学校の先生の話では、発達障害の学生も多く入学してきているようだ。

指導者も時代の背景を考慮しながら、指導していくことが求められるようになった。

今日出会った高校生は、とにかく“眉毛が素敵な女子”だった。

よく見るとマスカラも付けていた。

ファンデーションはしていなかった。

高校生が化粧をすることは賛否両論だが、私は別にしていても気にならない。

学校では指導しいるだろうし、本人は承知で化粧をしているのだと思う。若者あるあるのような気もしている。

顔にコンプレックスがあるのかもれない。眉毛や睫毛を彩ることで自信が持てるなら良いことだとも思う。

肝心の実習態度は・・・若干あいさつできないのかな?という印象はあったものの、午後になると返事ができるようになり、患者さんともしっかりコミュニケーションが取れていた。

単に朝が苦手なだけだったのか。

どんな子もそうだが、無愛想だったり自発性がなかったり、そんな学生が多くなってきているけど、根本は真面目で頑張りやさんだ。そんな学生に寄り添って、楽しい実習期間になるように配慮していくことも大切な仕事だと思った。

残念なことに介護福祉士は取らず、保育の道に進むということだった。

どうであれ、今日出会えて指導したことは私の中で宝物となった。

伝えたいことはあるのに、言葉にするのは難しい。

なにを言ったらいいのか分らないときもある。

話すことは好きなのに、言葉が出てこない。

自分の感性の劣りを実感する今日この頃。

流暢に言葉が出る人がうらやましい。

私は言葉よりも文章派ということに気付いた。

レポートを書くと高評価されるし、文章の方が相手にも伝えられていると思う。

だから、伝えたいすべてのことは文章化してから発言してみようと思った。

今日は、指導者として仕事した。

説明は下手だったと思う。

それでも返事をしてくれて、笑いかけてくれたから頑張れた。

明日も指導をする。今日よりも上手に話せたら良いなぁ。

そんなことをただ考えていた。

希望とドキドキを胸に、バスに乗った。

よく晴れて、蝉の声が心地よくて、暑いけどたまに吹く風が気持良い。

自分を知りたくて、自分を変えたくて、そんな気持ちを胸に、バスに揺られながらいろいろと思いを馳せていた。

目的地に着いた。

たくさんの人たちが行き交っている。

中には海外旅行者の姿もあった。

いろんなことが起きているけど、平和が一番だと実感する。

目的の場所は――本日閉館だった。

バスに揺られて、2時間ちょっとの大冒険はあっけなく幕を閉じた。

自分はなにしに都会まで来たんだっけ?

本日閉館―。

悲しいような、切ないような、苛立ちのような、途方に暮れたような・・・このなんとも言えない感情を、どうやって処理したら良いのだろうか。

とぼとぼと来た道を戻り、食事をした。

ちょっとピリ辛だった魯肉飯。

自分の感情と、この現実味を噛みしめながら、ポジティブになれる言葉を探す。

だけど見つからず。

2時間ちょっとバスに揺られ、帰路に付いた。

それでもまた明日から頑張らねばならない。

できるかなぁ、やるしかないのだけど。

人生はピリ辛だなぁ・・・と布団に入りながらそう思った。

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大嫌いな季節が続いている。
『冬』という季節は、嫌な思い出がいっぱいだ。

寒いのも嫌い。
布団から出たくなくなりやる気が出ない。

暖かい季節は、やる気が満ちて、毎日が楽しくてたまらないのに。

『冬』という季節は、毎日が憂鬱に感じてしまう。

それでも精一杯生きている。

よく晴れた冬の暖かい日。
『春』を待ちわびているのは、私だけではないと気づいた。

もうすぐ河津桜も咲くだろう。
まだ来ぬ春に思いを寄せながら、一足早い花見を満喫した。

冬の厳しい寒さがあるから、四季が美しいと思うものなのかもしれない。

『冬』は嫌いだけど、味わえない景色を探しに行くのも楽しいかもしれない。

なんとなく、今日ふとそんなことを思った。

1月1日は年の初め、月の初め、日の初め、春の初め・・・というけれど。

朝起きて、顔を洗い、歯を磨き、朝食のコーヒーを飲み、仕事に行く支度をする。

介護士に『年末年始は休み!!』という法則はなく、シフトに従って生きている。

(これは、自分の選んだ道だから後悔はなし)

通年がこんな感じ。

だから『今日が元日、新しい年の始まりだ!』といわれても実感がない。

高校を卒業して以来、お正月を満喫できていないのかもしれない。

それでも出勤して、仲間たちに『今年も宜しくお願いします』と挨拶をすると『今日は正月なんだなぁ』と、なんとなく実感する。

ずーっとずーっとそんな感じに、年の初めを生きてきた。

いつも気がつくと年を取っていて、1年なんてあっという間に終わってしまう。

だから12月になると焦り出す。『今年もなにもできずに終わってしまう――』

そして、1月になって『今年こそはなにかをするぞ!』と思っても、何もできずに正月になってしまう。

私なりに日々楽しく生きているつもり。だけど年を重ねると焦りや不安が増えていく。

学生の頃はそんなことはなかったのに。

そんな繰り返すだけの毎日と決別するために、今年は今まで選択してこなかった生き方をしようと思う。
もっと周りの仲間たちと交流を深めようと思う。
不要だと思うものは断捨離しようと思う。
他人にも自分にも優しく生きようと思う。

今日が仕事初めであったけど、仲間たちとたくさん笑えて良い元旦となった。

朝見た富士山がとても綺麗で、笑顔に満ちた楽しい1年になるように努力しようと誓った。

春の息吹を感じたくて、思うがままに車を走らせる。

段々と温かくなり、着々と私の大好きな季節へと繋がって行く。

去年もそうであったが、今年という季節もただ切ないだけで終わってしまう気がする。

人と人との繋がりが軽薄になってしまった時期に突入してだいぶ経つけれど、まだこの生活に慣れそうにない。

一緒にいたい人と過ごしたいし、好きな場所にも行きたい。

それでも『自己責任』は付き物で、猛威を振るっている❝アレ❞にも細心の注意は払っているつもり。

大好きな花が満開を迎え、行かずにはいられなかった。

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本家本元には行けなかったけれど、最高の河津桜が堪能できた。

いつかまた賑わいが戻り、お祭りができる日を待ち望む。