【読書感想記】「教養としてのローマ史の読み方」 (original) (raw)
「教養としてのローマ史の読み方」
去年の中頃に買った本でしたが他の本を読んでいたり、年末には猫を迎えたり、FEをやりながらの合間に少しずつ読み進めていました。
紀元前753年に興ったローマから476年の西ローマ滅亡、そして一応1400年台の東ローマの滅亡の歴史を1冊にまとめた本ではあるのでだいぶ掻い摘まれている点もあるとは思うのですが、ローマ史という膨大な内容を網羅するものとしては良質な本だと思えます。
ただしポエニ戦争やガリア戦争などの記述は控えめでした。とはいえ大まかな流れや登場する人物の解説は豊富である。
ポエニ戦争とガリア戦争とその前後ぐらいの時期は私も何となく興味があり知っていたのもあるが、それ以降の安定した五賢帝の時代や軍人皇帝時代の混乱ぶりなどはあまり知らなかったところでもあるので非常に興味深く読み進めることが出来た。
ただ皇帝が目まぐるしく変わる時代にはやはり目が横滑りするような思いだった。
ディオクレティアヌスによる東西ローマ分割ぐらいのところは以前に読んだ「ビザンツ帝国」の内容と少し被る部分もあったので何となく知っていた部分もある。
巻末のほうにはローマ帝国衰退の理由を3つの要因から考察するという試みがされていたが、人口減少や非寛容への変質を経て軍事力の低下やインフラの劣化をもらたしたというような考えは大いに頷ける。
それはともかくローマそのものがギリシアの文化・哲学などをリスペクトし貪欲に吸収したり、コテンパンにやられたハンニバルの戦法をスキピオが学んで見事ザマでハンニバルに勝利するところなど、ローマという国家・またその人材の強さもまさに見事なものだ。
皇帝云々という身分はともかく本人としては立派な哲学者でもあるマルクス・アウレリウスなどは素直に尊敬できる人物だろう。
カエサルやスキピオ以外で個人的にはユリアヌス(金で帝位を買ったほうではない)が好きである。
あの時代に富や権力を持ち合わせたキリスト教の腐敗部分を公然と批判し、しかし武力による弾圧は決してしないという姿勢は素晴らしいものだと思う。しかもキリスト教の評価できる点(貧しい者や恵まれない者への保護・救済など)はそのまま素直に高く評価したという人間の出来様である。
ユリアヌス自身は自著においてマルクス・アウレリウスを歴代で最も偉大な皇帝として評価していたところから哲人皇帝を倣って学ぶところもあったのかもしれません。
こういう点も含めて当時のローマ人による本物の謙虚さ、勤勉さとはこのようなことを言うのかもしれないと私は感嘆している。
しかしローマ史に点在する暴君たちも捨て置けない。彼らの存在もまたローマ史なのである。
実はこの本を読んだ後に「検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?」という本を読み、(この記事よりも前に投稿されている)読書感想記として私見を書いたりもした。そちらの本に対する思いは大いに書いたのでここでは割愛したい。
その際にはローマ史においてはこの辺りの評価がどうなっているのだろうか、と思い立ち調べ直してみた。
その補足である。
悪行一辺倒のカラカラが自らの名声のために建てた「カラカラ浴場」も確かに評価されていたのである。
近年においてはエラガバルスも政策的な部分では評価が見直されている、これは当時からと言うよりもジェンダー観の変化による現代的な評価ではあるだろう。
特に上記のユリアヌスの姿勢には大きく感銘を受けたので、何か批判したいと思うものがあった時にはそれでもユリアヌスのように理性的に振る舞いたいものだ。
東ローマ帝国(ビザンツ)や、カール大帝や神聖ローマ帝国などにも繋がっていくゲルマン人の大移動などの歴史的事象の原点としてもそれらの本を合わせて読む事で分かりやすく、またローマを通して連続した歴史としての認識が持てるオススメの1冊です。
どうしても私たちからするとヨーロッパの歴史というものはあまり身近な存在ではないので、歴史的物語としてツマミ食いみたくなってしまうのが難点ではあるが「原因と結果」という基本的視点に立ち返るためのローマ史として読み進めるのも良いかもしれません。
ローマの成立と崩壊によって数多の国家が生まれ、またその中にはローマ的なものを標榜する王国・帝国が乱立するという意味ではローマというのは「世界史の母たる国」というのもきっと過言ではない。
「教養としてのローマ史の読み方」の作中でも名前の挙がるエドワード・ギボンの「新訳ローマ帝国衰亡史」に手を出してみた。元はかなりの巻数のある本を1冊にまとめた分厚い本なので読むのは時間が掛かるだろう。
またマルクス・アウレリウスの「自省録」も購入した。こちらは哲学なので難解でもあるのだが、哲人皇帝と呼ばれる彼の思想に触れるというまたのない機会を与えてくれたきっかけとなったことを著者には大きく感謝している。
これらの本もいつか記事を書く時が来るかもしれない。