フジコ・ヘミング (original) (raw)

フジコ・ヘミング(本名:ゲオルギー=ヘミング・イングリッド・フジコ(Georgii-Hemming Ingrid Fuzjko[1]1931年12月5日[2] - 2024年4月21日)は、日本ヨーロッパアメリカ合衆国で活躍したピアニストである。

フジコ・ヘミングFujiko Hemming
出生名 ゲオルギー・ヘミング・イングリット・フジコGeorgii-Hemming Ingrid Fuzjko
別名 大月フジ子
生誕 (1931-12-05) 1931年12月5日ドイツの旗 ドイツ国 ベルリン
出身地 日本の旗 日本 東京都
死没 (2024-04-21) 2024年4月21日(92歳没)日本の旗 日本
学歴 東京藝術大学卒業ベルリン国立音楽学校卒業
ジャンル クラシック
職業 ピアニスト
担当楽器 ピアノ
活動期間 1950年 - 2024年
レーベル ダギーレーベル
公式サイト fuzjko.net
レオニード・クロイツァーパウル・バドゥラ=スコダ

ウィキポータル クラシック音楽

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父親はスウェーデン人で画家・建築家のヨスタ・ゲオルギー・ヘミングスウェーデン語版)(1986年死去[3])、母親は日本人でピアニストの大月投網子wikidata)(1903年[4] - 1993年[5][注釈 1][6][7]、俳優の大月ウルフは弟[8]、歌手の橋本潮は従姪にあたる[9]

目次

経歴

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幼少期

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1931年6月にスウェーデン人画家の父とピアノ留学中の母が結婚[10]して12月5日にヴァイマル共和政下のドイツベルリンでフジコが誕生する。スウェーデン国籍の前に長らく無国籍の状態が続いた[注釈 2]

生後日本へ移住のため両親とともに横浜港へ向かう安国丸に乗船し、1932年7月27日に東京に到着した[11][12][13]。父は同年11月に東京朝日ギャラリーでレオニード・クロイツァー独奏会のポスターや奥田良三井口基成ら音楽家の肖像画で個展[14]を催すなど画家として活動したが、日本に馴染めず家族3人を残して単身で1938年スウェーデンへ帰国する[13][注釈 3]。以来、母と弟とともに渋谷区穏田に居住し[15]、幼少期から母の手ほどきでピアノを始める[16]

父の友人でドイツで母がピアノを師事した、ロシア生まれのドイツ系ピアニストレオニード・クロイツァーに、10歳から師事する。以後、東京藝術大学在学時を含め、長年の間クロイツァーの薫陶を受ける。

学生

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青山学院緑岡尋常小学校3年生でNHKラジオに生出演[15]して天才少女と話題になり、小学校を卒業する[17]

1945年2月に家族と岡山県総社市日羽へ疎開[18][19]、4月に岡山県の高等女学校へ入学し、そのまま学徒動員される。

終戦後に青山学院高等女学院へ転校し、5年次を修了して新制青山学院高等部3年へ進級する。高等部在学中に17歳でデビューコンサートを催し、高等部を卒業する[20]

東京藝術大学音楽学部在学中の1953年に新人音楽家の登竜門である第22回NHK毎日コンクール入選、1954年に第2位[21]文化放送音楽賞、など多数受賞した。藝大を卒業して[注釈 4]本格的に音楽活動を始め、日本フィルハーモニー交響楽団など多数のオーケストラと共演する。ピアノ留学を切望するが、パスポート申請時に無国籍と判明する。

国立ベルリン音楽大学へ留学

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留学の機会を探しつつピアニストとして音楽活動を継続し、1961年にウィルヘルム・ハース英語版)駐日西ドイツ大使の尽力で、西ドイツ赤十字社に認定された難民として国立ベルリン音楽大学へ留学した。

卒業後にヨーロッパ各地で音楽活動を継続するが、母からのわずかな仕送りと奨学金で凌ぐ生活が長く続き、「_この地球上に私の居場所はどこにもない……天国に行けば私の居場所はきっとある。_」と信じた。

ヨーロッパでピアニスト

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ウィーンで後見人のパウル・バドゥラ=スコダに師事した。作曲家で指揮者のブルーノ・マデルナに才能を認められて彼のソリストとして契約したが、貧困で真冬に自室で暖を得られずに風邪を悪化させ、リサイタル直前に失聴した。

16歳の頃に中耳炎が悪化して右の聴力を失っていたが、この時の風邪で左も失聴し、音楽活動を一時中断した。失意してストックホルムへ移住する。耳を治療しつつ音楽学校教師の資格を得て、以後はピアノ教師を務めつつ欧州各地でコンサートを続ける。のちに左の聴力が40%まで回復した[22]

日本帰国

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母の死後、1995年に日本へ帰国し、母校東京藝術大学の旧:奏楽堂などでコンサート活動を行う。

1999年2月11日NHKのドキュメント番組『ETV特集』「フジコ〜あるピアニストの軌跡〜」が放映され、大きな反響を呼び、フジコブームが起こった。その後、発売されたデビューCD『奇蹟のカンパネラ』は、発売後3ヶ月で30万枚のセールスを記録し、日本のクラシック界では異例の大ヒットとなった。第14回日本ゴールドディスク大賞の「クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤー」他各賞を受賞した。

やがて、1999年10月15日東京オペラシティコンサートホールでの復活リサイタルを皮切りに、本格的な音楽活動を再開し、国内外で活躍することとなる。2001年6月7日には、ニューヨーク カーネギー・ホールでのリサイタルを披露する。現在、ソロ活動に加え、海外の有名オーケストラ、室内楽奏者との共演と活躍は続く。

晩年

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2003年10月17日に、フジテレビ系で波瀾万丈の半生がテレビドラマ化された。スペシャルドラマ『**フジ子・ヘミングの軌跡**』でフジ子役を菅野美穂が演じて、20.1%の高視聴率を記録した。

2013年に自身のCDレーベル「ダギーレーベル」を発足。アルバム第1作「フジコヘミング スペインカメラータ21オーケストラ」を国内外でリリース。Catalunya(CatMusica/CatalunyaRadio)でリスナーの支持により1位に選ばれた。

毎年、世界各地でコンサートを行っているが、2019年3月8日にはパリの有名コンサートホール「Salle Gaveau」でリサイタルを開く。

2021年12月、ポートレート写真や折々に描いた絵画が元になった郵便切手が発売された[23]

2023年11月、自宅階段で転倒して脊髄損傷の大怪我を負い、治療とリハビリに努めていたが膵臓がんも発覚した[24]

死去

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2024年4月21日膵臓がんのため死去。92歳没。訃報は5月2日にフジコ・ヘミング財団より発表された[25][26][27]

人物

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趣味・特技

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絵画裁縫水泳などで、バレエ映画の鑑賞も好んでいる。絵に関しては画家であった父の影響もあり幼少時から得意としており、現在までに書き溜めた絵は本やCDのジャケットで使われている。個展を開くこともある(2001年2月5日 - 2001年2月24日「幻の素描展」より)。

嗜好

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菜食主義者[1]。食物の中で特に好むのはジャガイモであるとされる[注釈 5]

家族

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エピソード

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語録

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ディスコグラフィ

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アルバム

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ビデオ・DVD・Blu-ray

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書籍

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テレビ番組出演

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映画出演

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フジコ・ヘミングを演じた女優

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受賞歴

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脚注

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注釈

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  1. ^ フジ子・ヘミング著『永遠の今』162頁には、実家は大阪で『大月インク』という印刷会社を経営していたとある。1930年代にベルリンに留学した。
  2. ^ 18歳までに一度も入国した経験がなかったため国籍を抹消されたことによる。当時日本は父系血統主義を採っており、日本国籍も取得できなかった。後にスウェーデンに就籍する。
  3. ^ フジ子・ヘミング著『永遠の今』160頁には、日本を風刺する漫画を描いたため、特高に目をつけられ、強制送還させられたとある。本国で建築家になって再婚し、娘が二人生まれた。
  4. ^ ただし『音楽年鑑 昭和32年版』の経歴には「青山学院卒、現在スエーデン国籍」とあるのみで、東京芸術大学に関しては書かれていない[2]
  5. ^ NHKビデオ『フジコ 〜あるピアニストの軌跡〜』(1999年10月15日)の中で、「一日に一食は何らかの形でジャガイモを取らないと体調が優れない」という旨のことを述べている。
  6. ^ 『永遠の今』での、自宅の飾り棚を映した120頁の写真には、写真立てに入ったマリリン・モンロー、その右に、同じくジュリエット・グレコその他、更にその右隣に、サンソン・フランソワの写真が入った写真立てが見られる。

出典

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  1. ^ a b cプロフィール”. JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント. 2023年8月9日閲覧。
  2. ^ a b 音楽之友社、音楽新聞社 編「大月フジ子」『音楽年鑑 昭和32年版』音楽之友社、1957年、242頁。NDLJP:2471915https://dl.ndl.go.jp/pid/2471915/1/188
  3. ^ a b cファミリーヒストリー「フジコ・ヘミング〜母の執念 魂のピアニスト誕生〜」”. TVでた蔵. ワイヤーアクションdate=2020-02-28. 2023年8月10日閲覧。
  4. ^告示 法務省告示」『官報』13623号、1972年5月24日、12頁。https://search.kanpoo.jp/r/19720524h13623p12-4/
  5. ^【追悼】私の夢、私の人生——運命のピアノは鳴り響く:フジコ・ヘミング”. 致知出版社 (2024年5月2日). 2024年5月10日閲覧。
  6. ^ 日本放送協会. “フジコ・ヘミングの才能を誰よりも信じ抜いた母の執念 ファミリーヒストリー「フジコ・ヘミング~母の執念 魂のピアニスト誕生~」”. NHK_PR(2020年2月21日). 2020年5月2日閲覧。
  7. ^ a bフジコ・ヘミング「一度も褒めてくれなかった母から受け継いだ『前向きに生きる力』」”. 講談社. p. 2 (2023年4月28日). 2023年8月10日閲覧。
  8. ^ a bフジコ・ヘミング「今は20匹の保護猫のためにピアノを弾くの。恋をしている瞬間が一番幸せ」”. 中央公論新社 (2021年2月9日). 2023年8月10日閲覧。
  9. ^フジコ・ヘミングさん訃報 親戚の「ロマンティックあげるよ」歌手が「音色は永遠です」”. 日刊スポーツ (2024年5月2日). 2024年5月18日閲覧。
  10. ^伯林と日本の音楽家の話」『音楽世界』 3巻、10号、音楽世界社、1931年10月、69頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/1500049/1/51
  11. ^ピアニスト 大月投網子女史 独逸から帰朝」『音楽世界』 4巻、8号、音楽世界社、1932年8月、111頁。NDLJP:1500059https://dl.ndl.go.jp/pid/1500059/1/77
  12. ^口絵」『月刊楽譜』 21巻、9号、月刊楽譜発行所、1932年9月。NDLJP:11004528https://dl.ndl.go.jp/pid/11004528/1/11。「七月二十七日東京駅着の大月投網子氏(洋琴家)向って右夫君、左出迎への佐藤美子嬢。」
  13. ^ a b魂のピアニスト、逝く 〜フジコ・ヘミング その壮絶な人生〜 初回放送日:2024年5月26日”. 日本放送協会. 2024年9月8日閲覧。
  14. ^グラフセクシヨン」『音楽世界』 4巻、12号、音楽世界社、1932年12月。NDLJP:1500063https://dl.ndl.go.jp/pid/1500063/1/17。「ピアニスト 大月投網子さんの夫君 ヘミング氏の個展」
  15. ^ a b cピアニスト フジコ・ヘミング氏 米山梅吉を語る ~あの日あの時、そして今~(2020 秋号 Vol.36)”. 公益財団法人米山梅吉記念館 (2020年9月19日). 2023年8月10日閲覧。
  16. ^ 吉澤ヴィルヘルム『ピアニストガイド』青弓社、印刷所・製本所厚徳所、2006年2月10日、192ページ、ISBN 4-7872-7208-X
  17. ^フジコ・ヘミング ピアノ コンサートが開催されました”. 青山学院初等部 (2017年12月18日). 2023年8月10日閲覧。
  18. ^ JNN NEWS『NO WAR プロジェクト』フジコ・ヘミングさんが伝えたい「戦争の愚かさ」2023年8月10日 11時41分放送
  19. ^ a b 山陽放送 (2023年7月22日). “【演奏動画あり】“魂のピアニスト” フジコ・ヘミング「うまくいったねとシェレンベルガーがほほ笑んだ」モーツァルト・ピアノ協奏曲第21番 (TBS NEW DIGS)”. TBSテレビ. 2023年8月10日閲覧。
  20. ^【高等部新校舎完成記念 第8回 高等部同窓会 大同窓会 開催報告】”. 青山学院校友会 (2014年12月19日). 2023年8月10日閲覧。
  21. ^第21から第30回”. 日本音楽コンクール. 2024年6月16日閲覧。
  22. ^フジ子・ヘミング 我が心のパリ | CCCメディアハウスの書籍”. books.cccmh.co.jp. 2024年5月7日閲覧。
  23. ^フジコ・ヘミング オリジナル フレーム切手セットの受付開始 お知らせ”. fuzjko.net (2021年12月1日). 2024年5月2日閲覧。
  24. ^NHKスペシャル『魂のピアニスト、逝く~フジコ・ヘミング その壮絶な人生~』5・26放送 貴重な映像記録からその実像に迫る”. TV LIFE公式サイト (2024年5月21日). 2024年5月27日閲覧。
  25. ^ FuzjkoHemmingの2024年5月2日のツイート、2024年5月2日閲覧。
  26. ^ "「魂のピアニスト」フジコ・ヘミングさん死去 92歳 聴覚喪失など苦難乗り越え聴衆魅了". 産経ニュース. 産経デジタル. 2 May 2024. 2024年5月2日閲覧。
  27. ^ "ピアニストのフジコ・ヘミングさん死去 「ラ・カンパネラ」で旋風". 朝日新聞デジタル. 朝日新聞社. 2 May 2024. 2024年5月2日閲覧。
  28. ^ a bインタビュー 人生、おしゃれ、そしてこれから ピアニストとして認められたのは60代後半。でも若いときに成功したかったとは思わない【フジコ・ヘミングさん】”. 講談社 (2023年5月16日). 2023年8月10日閲覧。
  29. ^山陽新聞』2022年5月21日 朝刊30面「フジコ・ヘミングさん総社でピアノと再会」
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  31. ^学び舎のいにしえピアノ(下) 総社市立 昭和小学校”. 山陽新聞社 (2023年3月21日). 2023年8月10日閲覧。
  32. ^広瀬すずも涙…52歳からピアノを始めた漁師が、憧れのフジコ・ヘミングの前で演奏!”. ザテレビジョン. KADOKAWA (2020年1月9日). 2023年8月10日閲覧。
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  35. ^ノリ漁師のピアニスト フジコヘミングさんと共演” (2021年4月20日). 2023年8月10日閲覧。
  36. ^TOP”. 映画「ら・かんぱねら」公式サイト. 2024年5月27日閲覧。
  37. ^支援する会からのお知らせ”. 映画「ら・かんぱねら」公式サイト (2021年4月26日). 2024年5月27日閲覧。
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  41. ^ 憂愁のノクターン第15回 日本ゴールド・ディスク大賞、クラシック・オブ・ザ・イヤー受賞
  42. ^ リスト:ピアノ協奏曲 第1番
  43. ^ カーネギー・ホール・ライヴ フジ子・ヘミング 2001
  44. ^ フジ子・ヘミング トロイメライ
  45. ^ リスト&ショパン名曲集第18回 日本ゴールド・ディスク大賞、クラシック・オブ・ザ・イヤー受賞
  46. ^ トロイカ
  47. ^ 雨だれ
  48. ^ 心の詩〜想い出メロディ
  49. ^ 心の奇跡第19回 日本ゴールド・ディスク大賞、クラシック・オブ・ザ・イヤー受賞
  50. ^ ショパン・リサイタル
  51. ^ エリーゼ
  52. ^ カンタービレ
  53. ^ ラ・カンパネラ1973
  54. ^ 皇帝
  55. ^ ピアノ名曲集
  56. ^ ピアノ名曲集〜デラックス・エディション2007
  57. ^ フジコ・イン・パリ 2006
  58. ^ Fuzjko
  59. ^ リスト&ショパン コレクション
  60. ^ イングリット・フジコ・ヘミング/スペイン・カメラータ21オーケストラ/トビアス・ゴスマン
  61. ^ ピアノ ソロ【会場限定盤DVD付】
  62. ^ ソロ ライブ【会場限定盤】
  63. ^ リスト:ピアノ協奏曲 第2番
  64. ^コンサート セレクション【会場限定盤】”. 2021年4月10日閲覧。
  65. ^ COLORS All Time Best Album 1973-2021
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  69. ^イングリット・フジコ・ヘミングCD選集”. イングリット・フジコ・ヘミングCD選集. 2024年9月18日閲覧。
  70. ^ フジコ 〜あるピアニストの軌跡〜
  71. ^ フジ子・ヘミングとウイーンの仲間たち
  72. ^ 響色の舞 〜フジ子・ヘミング絵画の世界
  73. ^ フジ子・ヘミングの軌跡
  74. ^ フジ子・ヘミング、パリからの風
  75. ^ 翔け!フジ子・ヘミング 35年目の世界初挑戦
  76. ^ フジ子・ヘミング-ピアノコンサートの記録Ⅰ
  77. ^ FUZJKO HEMMING Á L'HÔTEL LAMBERT Paris
  78. ^ フジコ・ヘミング ソロ・コンサート
  79. ^ フジコ・ヘミングの時間
  80. ^『いと小さきいのちのために 〜プレミアム・パーフェクト・バージョン〜』”. 2019年11月8日閲覧。
  81. ^赤いカンパネラ スペシャル・ソロ・コンサート2023”. フジコ・ヘミング公式サイト. 2023年10月25日閲覧。
  82. ^フジコ ヘミング 絵画集”. フジコ ヘミング 絵画集. 2023年10月26日閲覧。

関連項目

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  1. ^ 『永遠の今』89頁
  2. ^ 『永遠の今』127頁

外部リンク

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