和田文夫 (original) (raw)

和田文夫

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わだ あやお和田 文夫
本名 和田 文夫(わだ ふみお)[1][2]
別名義 和田 文雄
生年月日 (1929-07-16) 1929年7月16日
没年月日 (2010-09-06) 2010年9月6日(81歳没)
出身地 日本の旗 日本東京府(現東京都[3]
死没地 日本の旗 日本・東京都板橋区[4]
身長 167cm(1965年時点)[5]
職業 俳優声優
ジャンル テレビドラマ映画舞台吹き替え
活動期間 1947年 - 2010年
配偶者 あり[4][6]
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和田 文夫(わだ あやお[5][7][注釈 1]1929年7月16日[7][3][5] - 2010年9月6日[3][4][6])は、日本男性俳優声優、舞台制作者[2]。元テアトル・エコー代表取締役社長[4][6]

芸名は、和田 文雄(読みは同じ[注釈 1])。東京府出身[5]

東京農工大学農学部卒業[5]

1946年11月[注釈 2]薔薇座に入団[5]。 『東京哀詩』の浮浪児収容所係員役が初舞台[5]。1948年5月に薔薇座を退団[5]。1954年9月、劇団東芸に入団し[7][5]、1956年8月まで所属[5]、同年9月にテアトル・エコー入団[7][5]1967年から1992年までテアトル・エコー社長[6]

2010年9月6日、肺炎のため東京都板橋区の病院で死去。81歳没[4]

和田の死後、持ち役を引き継いだのは以下の通り。

シャルル・ボワイエ

  1. ^ a b わだ ふみおとしている資料もある[1][8]

  2. ^ タレント名鑑では1947年と記載している[7]

  3. ^ a b文化人名録』《昭和43年版》日本著作権協議会、1968年、1061頁。

  4. ^ a bテアトロ』No.363、カモミール社、1973年7月、91 - 92頁。

  5. ^ a b c和田文夫」『Excite News』(エキサイト株式会社)。2023年11月5日閲覧。

  6. ^ a b c d e和田文夫氏死去 前テアトル・エコー社長”. 47NEWS(よんななニュース). 2010年9月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月8日閲覧。

  7. ^ a b c d e f g h i j k l 新劇便覧 1965, p. 329, 新劇俳優名鑑

  8. ^ a b c d「鉄腕アトム」ヒゲオヤジ役の声優、和田文夫氏が肺炎で死去”. iza. 産経デジタル. 2010年9月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月8日閲覧。

  9. ^ a b c d e 『タレント名鑑』《NO1改訂版》芸能春秋社、1963年、94頁。

  10. ^ 掛尾良夫 編「男性篇」『声優事典 第二版』キネマ旬報社、1996年3月30日、324頁。ISBN 4-87376-160-3

  11. ^ 新劇年代記 1966, p. 86, 昭和二十二年(1947年)

  12. ^ 新劇年代記 1966, p. 113, 昭和二十三年(1948年)

  13. ^ 『芸能』2月号、芸能学会、1960年、77頁。

  14. ^ 新劇便覧 1965, p. 428, テアトル・エコー

  15. ^ 『芸能』4月号、芸能学会、1973年、57頁。

  16. ^パンダコパンダ”. トムス・エンタテインメント 公式サイト. トムス・エンタテインメント. 2024年5月6日閲覧。

  17. ^パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻”. トムス・エンタテインメント 公式サイト. トムス・エンタテインメント. 2024年5月6日閲覧。

  18. ^ 「戦後新劇の名舞台(33) 「表裏源内蛙合戦」--抱腹絶食のミュージカル」『悲劇喜劇』No.429、早川書房、1986年7月、87 - 90頁。

  19. ^ 『悲劇喜劇』No.252、早川書房、1971年10月。

  20. ^ 『悲劇喜劇』No.256、早川書房、1972年2月。

  21. ^ 『悲劇喜劇』No.429、早川書房、1972年8月。

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