父と暮せば (original) (raw)

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父と暮せば
訳題 The Face of Jizo, Living with Father
作者 井上ひさし
日本の旗 日本
言語 日本語
ジャンル 戯曲
幕数 1幕4場
初出情報
初出 雑誌掲載『新潮1994年10月号
出版元 新潮社
刊本情報
刊行 『父と暮せば』
出版元 新潮社
出版年月日 1998年5月
総ページ数 114
初演情報
場所 紀伊國屋ホール
初演公開日 1994年9月
演出 鵜山仁
主演 すまけい梅沢昌代
受賞
第2回読売演劇大賞 優秀作品賞
ポータル 文学 ポータル 舞台芸術
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父と暮せば』(ちちとくらせば)は、井上ひさしによる戯曲こまつ座第34回公演として鵜山仁演出で1994年9月に初演。『新潮1994年10月号に掲載され、1998年5月に新潮社より刊行された。原爆投下後の広島を舞台に被爆した父の亡霊と娘を描いた二人芝居で、『木の上の軍隊』『母と暮せば』へと続くこまつ座「戦後“命”の三部作[注 1]」の第1作と位置づけられる。井上ひさしの代表作である[2]。第2回読売演劇大賞優秀作品賞受賞作。

黒木和雄監督により2004年映画化された。

原爆投下後の広島を舞台にした二人芝居。広島で一人だけ生き残った負い目から「しあわせになってはいけんのじゃ」と恋を禁じた女性のもとに、亡くなった父親の幻が現れて「わしの分まで生きてちょんだい」と励まし、見守る物語[2]。「戦争」をライフワークとした井上ひさしは[2]、1994年初演の前口上で「おそらく私の一生は、ヒロシマとナガサキとを書き終えたときに終わるだろう」と話した[2]。井上は厖大な資料を集め、時間をかけてアイデアを練り直す作家で[2]、本作の創作にあたり、私家版広島弁辞書まで作っていたといわれる[2]

こまつ座第三十四回公演として1994年9月にすまけい梅沢昌代により初演(鵜山仁演出)。第2回読売演劇大賞の優秀作品賞、優秀演出家賞(鵜山仁)、優秀女優賞(梅沢昌代)を受賞。以後、全国公演にて日本各地で上演され、モスクワ2001年)や香港2004年)など海外公演も行われた。

2008年からは辻萬長栗田桃子が父娘役を演じ(鵜山仁演出)、第8回朝日舞台芸術賞 寺山修司賞(栗田桃子)、第45回紀伊國屋演劇賞 個人賞(栗田桃子)を受賞。2015年7月には通算500回上演を達成。

また、2004年映画化(黒木和雄監督) 。2006年に日独対訳版の「Die Tage mit Vater」が出版されている。

昭和23年の広島。福吉美津江の自宅。

美津江は、父・竹造と二人で暮らしている。竹造は原爆の直撃を受けて死亡したはずなのだが、幻となって美津江の前に現れたのである。美津江は明るく快活だが、心の奥では原爆投下を生き残ってしまったことへの罪悪感をもっており、勤め先である図書館で原爆の資料を集める木下という青年から好意を寄せられているものの、死者への申し訳なさから親密になれないでいる。竹造は、美津江の日々の話し相手として、彼女を楽しませ、ときに諭し、助言を与える。

美津江は、木下から故郷の岩手に一緒に行こうと誘われたと竹造に告げる。竹造は、それは結婚の申込みで、ぜひ行くべきだと言うが、美津江はまたも逃げようとする。そして父と娘の最後の会話が始まる。

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福吉竹造

父。

福吉美津江

娘。

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英語、イタリア語、中国語、ドイツ語、フランス語、ロシア語、スペイン語、アラビア語の世界8か国語に翻訳されている[3]

英語

フランス語

ロシア語

ドイツ語

イタリア語

中国語

スペイン語

アラビア語

父と暮せば
The Face of Jizo
監督 黒木和雄
脚本 黒木和雄池田眞也
原作 井上ひさし
出演者 宮沢りえ原田芳雄
音楽 松村禎三
撮影 鈴木達夫
編集 奥原好幸
配給 パル企画
公開 日本の旗 2004年7月31日
上映時間 99分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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  1. ^ 山田洋次により命名[1]

  2. ^ “山田洋次監督が命名、戦後「命」の三部作上演の意義”. 日刊スポーツ. (2018年4月24日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201804220000035.html 2018年10月9日閲覧。

  3. ^ a b c d e f 西本秀 (2012年8月16日). “原爆劇未完のリレー 井上ひさしさん『悲しみ、怒りを書かなきゃ』 市川森一『長崎の仕事、引き継ぎたい』”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 27

  4. ^ 井上ひさし(インタビュアー:岡野宏文)「アーティスト・インタビュー:井上ひさし」『Performing Arts Network Japan』、国際交流基金、2007年11月7日。https://performingarts.jp/J/art_interview/0710/1.html。2021年5月22日閲覧。